「ぎゃー。
何なんだ、それ。よせ。やめろ。と
今の
自分は
激しく
思うんだけど、その
声は
子どもの
私には
届かない。」
短歌ブームを
生み
出した
人気歌人・
穂村弘が
一人の
夜に
思い
出す、
少年時代の「
恥ずかしい
記憶」とは…?いつまでも「
迷子」の
目で
世界をみつめる
穂村さんのユーモアあふれるエピソードを、
最新エッセイ
集『
迷子手帳』(
講談社)からお
届けします。
叫びたくなるほど恥ずかしい記憶
夜、眠ろうとして布団の中で目を瞑っていると、突然、遠い昔の記憶が甦ることがある。あれはいったい何なんだろう。昼間は外界からの刺激が次々に飛び込んできて、「今ここ」のことで手一杯になる。でも、夜は違う。眠りに落ちる前のふわふわ状態の中で、「今ここ」の作業から解放された脳の記憶貯蔵庫から、さまざまな「嘗てあそこ」の出来事たちが流れ出してくるのかもしれない。
そんなことあったなあ、懐かしい、と思うことが多いけれど、時には叫びたくなるほど恥ずかしい記憶が甦ることもある。誰も知らないし、自分でもずっと忘れていたはずなのに。
先日、思い出してしまったのは半世紀近く前の出来事である。小学五年生の時、私は相模原から横浜の学校に転校した。黒板の前で挨拶をさせられて、決められた席に座ったけれど、まだまだ余所者だ。上履きの種類やジャージの色も違っている。何をしても注目され、目立ってしまう。
私は新しい同級生の目を意識して緊張しながら、けれど心のどこかでチャンスと感じていた。何の取り柄もない自分は、前の学校ではその他大勢の一人に過ぎなかった。でも、今は一時的とはいえ、注目の的になっている。ここでいい印象を与えれば人気者になれるかも、と危険なことを考えたのだ。
でも、どうやって? 勉強やスポーツができないことはすぐにバレてしまうだろう。かっこよくもないし、面白いギャグも云えない。困った。これじゃ前の学校とおんなじだ。やっぱり僕は駄目なのか。
そこからの思考の流れが謎というか、自分でもよくわからないのだが、私は何故か「いつもインコを肩にのせている神秘的な少年」になろう、と考えたのだ。ぎゃー。何なんだ、それ。よせ。やめろ。と今の自分は激しく思うんだけど、その声は子どもの私には届かない。
夢見る小学生の私が取った行動は…
当時、我が家ではセキセイインコを飼っていた。良く馴れて手や肩にのり、物真似もする。さすがに学校に連れて行くのは無理だけど、肩にのせて近所を散歩するくらいはできそうだ。前述の妄想の、より具体的なイメージとしては「放課後の公園のブランコに一人ぽつんと座って肩にのせたインコとだけ心が通じ合っている少年」である。その姿を偶然見かけたクラスの女子が少年の孤独な横顔に、はっとする。
「名前なんて云うの?」
「ほむら」
「ちがう。それは知ってるよ。訊いたのは、その子の名前」
「あ、そうか。ピーコちゃんだよ」
「可愛いね。触っていい?」
「え、うん、いいけど」
ははははははははははは。何が「え、うん、いいけど」だ。馬鹿め。なるか。そんな展開。いや、もう、頼む。勘弁してくれ。
でも、夢見る私は実際に試したのである。ピーコちゃんを肩にのせて、おそるおそる玄関のドアを開ける。何歩か踏み出したところで、初めての外界に驚いたピーコちゃんが暴れ出した。うわっ。慌てて捕まえて、すぐに室内に撤退。我が野望は数秒で潰えた。
それにしても、と思う。何故、そんな無謀な夢を抱いたのか。しばらく考えて思い出したのは、城みちるのことである。当時の人気アイドルで、そのデビュー曲及びキャッチコピーが、確か「イルカにのった少年」だった。私の「インコをのせた少年」は、そこからインスパイアされたのかもしれない。
『迷子手帳』穂村弘(講談社)
いつまでも迷子であり続ける人のための手帳です。これ一冊あれば、貴方もきっと迷子になれる。なんでもない日常が「迷子」の目で別世界に変わる、「北海道新聞」好評連載ほかエッセイ57篇。