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もしあの時に戻れたら…歌人・穂村弘が話題書『迷子手帳』で明かす、今も忘れられない「失敗」(穂村 弘) | 群像 | 講談社
2024.06.07
# エッセイ

もしあのときもどれたら…歌人かじんむらひろ話題わだいしょ迷子まいご手帳てちょう』でかす、いまわすれられない「失敗しっぱい

「もしもタイムマシンであのときもどれたら、今度こんどは…」。短歌たんかブームをした人気にんき歌人かじんむらひろが、なぜかなんおもしては後悔こうかいしている「ある失敗しっぱい」とは? いつもの日常にちじょうを「迷子まいご」のでみつめるむらさんのユーモアただようエピソードを、話題わだいのエッセイしゅう迷子まいご手帳てちょう』(講談社こうだんしゃ)からおとどけします。
『迷子手帳』穂村弘迷子まいご手帳てちょうむらひろ

なぜかなんおもしてしまう…

なにかの拍子ひょうしにふとおもしては、ああ、あれは失敗しっぱいだったなあ、と反芻はんすうしてしまうことがある。いままでの人生じんせいなか失敗しっぱいなんて無数むすうにあるはずなのに、どうしてそのときのそれだけがなんおもかえされるのだろう。

あれはいまからじゅうねんほどまえのこと。わたしあるるイベントに参加さんかしていた。たくさんの出演しゅつえんしゃ一人ひとりにつきじゅうふんほどの時間じかんで、次々つぎつぎ登壇とうだんして自作じさく短歌たんか朗読ろうどくしてゆくのだ。

自分じぶん出番でばんまでまだあいだがあったので、わたし客席きゃくせきすわって舞台ぶたいながめていた。朗読ろうどく上手じょうずひと下手へたひと上手じょうずだけど感動かんどうしないひと下手へただけど面白おもしろひと全員ぜんいんがパフォーマンスの素人しろうとではあったけど、くるくると演者えんじゃわってゆくのできることがない。

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やがて、おな同人どうじん後輩こうはいにあたるKさんが登場とうじょうした。彼女かのじょ朗読ろうどく素晴すばらしかった。ぽつりぽつりとつぶやくようなこえなのに、不思議ふしぎなほどしんみこんでくる。鳥肌とりはだつようなおもいであじわった。彼女かのじょ最後さいご言葉ことば空中くうちゅうえた瞬間しゅんかん会場かいじょうった。拍手はくしゅ歓声かんせい爆発ばくはつしたのだ。わたし夢中むちゅうゆびふえらす。ゆびぶえなんてすうじゅうねんぶりで、けることもわすれかけていたのに。

イベント終了しゅうりょうげで、Kさんとはな機会きかいがあった。

ほ「朗読ろうどくすごかったね」

K「ありがとうございます」

ほ「ほんとに素晴すばらしかった。拍手はくしゅ歓声かんせいまなかったもんね」

K「びっくりしました」

ほ「会場かいじょうちゅう興奮こうふんしてた」

K「ゆびふえこえて……」

ほ「ああ」

K「わたし、あれをいてくれたひとさがすつもりです」

ほ「えっ」

K「どんなに時間じかんがかかっても」

彼女かのじょはどこか夢見ゆめみるような表情ひょうじょうをしていた。おもわず、言葉ことばくちからてしまった。

ほ「あ、あれ、ぼく

K「えっ? ほむらさん?」

ほ「うん。あっさりつかっちゃったね」

K「ああ」

そのときのKさんの様子ようすわすれられない。そこにはおさえようとしてもおさえきれない落胆らくたん気配けはいがあったからだ。

一方いっぽうわたしわたし不満ふまんだった。なんだ、ぼくじゃ駄目だめってことなの、せっかくいたのに、とおもって。

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でも、からがついてかんがなおした。あれはたぶん、わたしだから駄目だめとか、そういうこととはちがったんだろう。自分じぶん朗読ろうどくたいしてゆびふえいてくれた未知みちだれか。「どんなに時間じかんがかかっても」さがしたいそのひととは、じつ自分じぶん自身じしん未来みらい可能かのうせいそのものだったんじゃないか。でも、わたし現実げんじつてき言葉ことばが、そのゆめこわしてしまったのだ。

後年こうねんべつ友人ゆうじんにそのときはなしをしたことがある。

とも「でも、実際じっさいに『そのひと』はほむらさんだったんだから仕方しかたないよ」

うん。それはそのとおり。でも、でもなあ。どうしてなんだろう。やっぱり、あれは失敗しっぱいだったがしてならないのだ。「どんなに時間じかんがかかっても」という気持きもち、わかるからなあ。

もしもタイムマシンであのときもどれたら、今度こんど名乗なのらないつもりだ。そして、Kさんの夢見ゆめみるような表情ひょうじょうをただていよう。

迷子まいご手帳てちょうむらひろ講談社こうだんしゃ
いつまでも迷子まいごでありつづけるひとのための手帳てちょうです。これいちさつあれば、貴方あなたもきっと迷子まいごになれる。なんでもない日常にちじょうが「迷子まいご」の別世界べっせかいわる、「北海道新聞ほっかいどうしんぶん好評こうひょう連載れんさいほかエッセイ57へん
『迷子手帳』穂村弘迷子まいご手帳てちょうむらひろ

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