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[[関門海峡]]で[[本州]]と隣接していることから、古くから九州の玄関口・交通の要衝としての役割を担ってきた。当市は九州内の主要な国道や鉄道路線の起点であり、1880年代から[[九州鉄道]](現在の[[鹿児島本線]]の前身){{Sfn|九州旅客鉄道|1989|p=231}}や[[関門海峡]]に面した[[門司港]]、かつて日本一の[[石炭]]積み出し港として栄えた[[若松港]]などの[[港湾]]をはじめとする交通基盤の整備が進んだ。門司区の老松公園前交差点は[[鹿児島市]]まで続く[[国道3号]]と[[国道10号]]の起点であり、[[2016年]][[4月24日]]には[[東九州自動車道]]が[[大分市]]および[[宮崎市]]まで直結し、[[九州自動車道]]と合わせて[[交通結節点]]としての拠点性がさらに向上した<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASJC24H0J_U6A420C1ACY000/|title=北九州―宮崎、高速で直結 東九州道椎田南―豊前が開通|newspaper=日本経済新聞|agency=共同通信|publisher=日本経済新聞社|date=2016-04-25|accessdate=2017-06-18}}</ref>。
かつて九州最大の都市であった名残から[[NHK北九州放送局]]、[[朝日新聞西部本社]]、[[毎日新聞西部本社]]などが置かれており、古くから福岡市とともに県内の主要[[マスメディア]]の拠点になっている。また、[[TOTO (企業)|TOTO]]、[[安川電機]]、[[ゼンリン]]など全国的な大企業の本社も複数所在する。[[日本製鉄]]、[[日産自動車]](旧戸畑鋳物)、[[出光興産]]、[[プロテリアル|日立金属]](プロテリアル)、[[出光興産]]、[[西日本鉄道]](西鉄)、[[若築建設]]など、現在は市外に本社を置いているが、当市に起源を持つ大企業も多い。[[1898年]]に門司で開設された[[日本銀行]]の西部支店(現在の北九州支店)は[[日本銀行大阪支店|大阪支店]]に次ぐ日本で2番目の歴史を有する支店である(初代支店長はその後に日銀総裁や[[財務大臣 (日本)|大蔵大臣]]、[[内閣総理大臣|総理大臣]]等も務めた[[高橋是清]])<ref>{{Cite web |title=支店概要|日本銀行北九州支店 |url=https://www3.boj.or.jp/kitakyushu/outline/ |website=www3.boj.or.jp |access-date=2024-05-27}}</ref><ref>{{Cite web |title=支店の歴史|日本銀行北九州支店 |url=https://www3.boj.or.jp/kitakyushu/outline/history.html |website=www3.boj.or.jp |access-date=2024-05-27}}</ref>。
=== 北九州の産業史(発展とその後の停滞・衰退) ===
戦後においても、鉄鋼・金属などの[[重厚長大]]産業を中心に発展し、[[高度経済成長]]の原動力となった{{Sfn|アクロス福岡文化誌編纂委員会|2016|p=76}}。重化学工業の発展に伴い、高度成長期には日本の他の工業都市と同様に[[大気汚染]]や[[洞海湾]]の[[水質汚濁]]といった[[公害]]が深刻化したが、市内の婦人団体が声を上げたことをきっかけに市民と行政、企業が協力して公害を克服してきた<ref>{{Cite web|和書|title=公害克服への取り組み |url=https://www.city.kitakyushu.lg.jp/kankyou/file_0269.html |website=北九州市 |access-date=2022-06-19 |language=ja}}</ref>。主力だった[[鉄鋼業]]の衰退など[[重厚長大]]産業から[[サービス産業]]への転換も進みつつある{{Sfn|OECD|2013|p=35}}。また、公害克服の歴史から[[北九州エコタウン]]などの[[エコロジー|エコ]]ビジネスやリサイクル施設も集積しており{{Sfn|OECD|2013|pp=38-42}}、北九州市は「環境首都」を標榜している<ref>{{Cite web |title=環境首都を目指す取組 |url=https://www.city.kitakyushu.lg.jp/shisei/menu01_0433.html |website=北九州市 |access-date=2024-06-27 |language=ja}}</ref>。さらに、市の活性化のために北九州市役所が[[北九州フィルム・コミッション]]を立ち上げ、積極的に映画やテレビのロケの誘致、撮影の協力も行なっているなど、産業の多様化を進めている<ref>{{Cite web|和書|title=北九州フィルム・コミッション - 北九州市|url=https://www.city.kitakyushu.lg.jp/shimin/08400059.html|website=www.city.kitakyushu.lg.jp|accessdate=2021-02-17}}</ref>。
少なくとも[[1960年代]]までは北九州市は福岡市を凌ぐ[[第三次産業|第3次産業]]人口を擁する都市であり、[[全国紙]]などの[[マスメディア]]や[[都市銀行]]、[[総合商社]]などの多くの大企業の九州支社は福岡市ではなく北九州市(特に小倉)に置かれていた<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.agi.or.jp/wp-content/uploads/2014/11/WP2014-13.pdf |title=北九州空港が変える福岡市と北九州市の将来 |access-date=2024/05/27 |publisher=公益財団法人アジア成長研究所}}</ref>。北九州市は九州最大の工業都市及び福岡市を上回る[[支店経済都市]]として第2次産業と第3次産業いずれも栄えていた。しかし、[[東京]]からの[[九州]]への主要な移動手動が[[鉄道]]から[[航空機]]へシフトに伴って、当時市内に[[ジェット機]]が離発着できる[[空港]]が無かった北九州市に対して、市街地に近い[[福岡空港]]を擁する福岡市の方が東京からのアクセスが優れるため、支店経済都市としての役割はを福岡市に移ることとな奪われてしまったという見方もなされている<ref name=":0" />。(ジェット機にも対応した現在の[[北九州空港]]が開業したのは[[2006年]]のことである)。また、[[1975年]]の[[博多駅]]を終点とする[[山陽新幹線]]の全面開業により、福岡市の拠点性はさらに向上した。そのような流れの中、[[読売新聞西部本社]]は[[2004年]]に北九州市から福岡市へ移転、朝日新聞や毎日新聞の西部本社も[[登記]]上は北九州市に所在しているが、記事の編集など主要な業務は福岡市に移転させている。
[[1979年]]に人口106.8万人と早くもピークを迎えたが<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.kitakyushu.lg.jp/page/toukei/sougou/nenkan/03/0301.xlsx|title=人口の推移|accessdate=2021-02-18|publisher=北九州市}}</ref>、北九州工業地帯(地域)の相対的な地位の低下や経済のサービス化による産業構造の変化、市内にあった大企業の支店・支社の福岡市への流出、[[大学]]・[[専門学校]]などの[[高等教育|高等教育機関]]や商業機能が集積した福岡市や[[京阪神]]([[関西]])、[[東京都|東京]]([[関東]])への人口流出などの理由により、現在まで人口減少が続いている。[[2020年]]における高齢化率も30.6%と全国の政令指定都市の中で最も高く<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000898006.pdf|title=高齢者人口・高齢化率|accessdate=2021-02-18|publisher=北九州市}}</ref>、人口減少と高齢化が問題になっている。しかしながら、[[ベッドタウン]]である[[苅田町]]や[[行橋市]]は人口が増加しており、[[ドーナツ化現象]]が起きている一方、近年[[小倉北区]]では人口が増加しており、[[都心回帰]]の予兆をみせている。
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