松岡 駒吉
まつおか こまきち | |
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1951 | |
1888 | |
1958 | |
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来歴
戦前
その
戦後
1956
1958
評価
松岡 は争議 にあたっては資本 家 ・経営 陣 側 の立場 も考慮 し、時 には労働 者 側 に不利 な条件 で妥結 することもあった。そのため、反対 派 からは「ダラ幹 (「堕落 した幹部 」の意味 )」呼 ばわりもされたが、個人 的 にはおよそ腐敗 とは縁遠 く、特 に金銭 の取 り扱 いについては極 めて厳格 であったという。松岡 の最大 の敵 は、労働 組合 を「革命 家 の育成 所 」とみなす階級 的 労働 組合 主義 の左派 であった[1]。また一方 で企業 内 組合 についても「御用 組合 では『産業 人 としての労働 者 』の訓練 は不可能 であり、結局 、国民 生活 の向上 につながる産業 の発展 を期 すことはできない」と批判 の対象 であった[1]。首尾 一貫 、左右 いずれの観念 的 な思想 に与 することなく、現実 主義 ・漸進 主義 を貫 いた人生 であった。そのため左派 優位 の社会党 では長 らく評価 は低 く、松岡 の思想 や組織 運営 などは民社党 に色濃 く受 け継 がれた。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k
間宮 悠紀雄 『友愛 会 から総 同盟 へ :鈴木 文治 と松岡 駒吉 の軌跡 』(レポート) 32巻 、4号 、連合 総研 〈連合 総研 レポート :資料 ・情報 ・意見 〉、2019年 4月 、8-11頁 。NAID 40021863066 。 - ^
松岡 が衆議院 議長 を務 めていた時 に、内閣 総理 大臣 であった片山 哲 と同 じ教会 に所属 した。:中村 敏 『日本 における福音 派 の歴史 』p.158 - ^
第 八 回 、第 九 回 の代表 任命 『中外 商業 新報 』大正 15年 3月 28日 (『大正 ニュース事典 第 7巻 大正 14年 -大正 15年 』本編 p191大正 ニュース事典 編纂 委員 会 毎日 コミュニケーションズ刊 1994年 ) - ^
世相 風俗 観察 会 『増補 新版 現代 世相 風俗 史 年表 昭和 20年 (1945)-平成 20年 (2008)』河出書房新社 、2003年 11月7日 、16頁 。ISBN 9784309225043。
参考 文献
外部 リンク
- とっとりデジタルコレクション--
松岡 駒吉 大原 社 研 マルチメディア・データベース松岡 駒吉 ファイル友愛 労働 歴史 館 HP(日本 労働 会館 、松岡 が初代 代表 の団体 )
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