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アクセス権 (知る権利) - Wikipedia

アクセスけんとは、マスメディアたいして個人こじん意見いけん発表はっぴょう提供ていきょうすることをもとめる権利けんりをいう。反論はんろん記事きじ掲載けいさい要求ようきゅう反論はんろんけん)や紙面しめん番組ばんぐみへの参加さんかなどがこれにあたる。

表現ひょうげん自由じゆう延長線えんちょうせんじょうとしてとらえられる比較的ひかくてきあたらしい概念がいねんである。

情報じょうほう開示かいじ請求せいきゅうけんしてアクセスけん場合ばあいもある。これについては権利けんり参照さんしょう

この概念がいねんまれた背景はいけい

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近代きんだい社会しゃかいにおける言論げんろん自由じゆうは、もっぱら「国家こっかからの言論げんろん自由じゆう」をし、そこではマスメディア市民しみん協力きょうりょくして国家こっかによる抑圧よくあつ対抗たいこうする関係かんけいにあった。この段階だんかいでは、市民しみん表現ひょうげんになるかおくしゅになるかは流動的りゅうどうてきであったが、マスメディアの巨大きょだい寡占かせんともなって、市民しみんとのあいだ対立たいりつ構造こうぞうられるようになる。放送ほうそうメディアの台頭たいとうによって、大衆たいしゅう言論げんろん情報じょうほうの「がわ分離ぶんり固定こていされるようになった。このような言論げんろん情報じょうほう市場いちば支配しはいしているマスメディアにたいし、有効ゆうこう表現ひょうげん媒体ばいたいたない一般いっぱん国民こくみん言論げんろん対抗たいこうすることがむずかしくなった。

このような状況じょうきょう打開だかいするため、表現ひょうげん自由じゆうについてかんがなお必要ひつようがあるという議論ぎろんおこなわれるようになった。権利けんり概念がいねんもそうしたなかまれてきたものであるが、それらのかんがえをさらにいちすすめ、「マスメディアにたいする権利けんり」として登場とうじょうしたのがアクセスけんえる。

内容ないよう

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アクセスけん具体ぐたいてき内容ないようとしては様々さまざまなものがかんがえられているが、もっと重視じゅうしされるものとしてはマスメディア見解けんかい批判ひはんたいして反論はんろん機会きかい提供ていきょう請求せいきゅうする権利けんり反論はんろんけん)や、意見いけん広告こうこく掲載けいさいもとめる権利けんりがあげられる。なんらかのかたち紙面しめん番組ばんぐみ参加さんかする権利けんりもアクセスけんひとつとしてかぞえられる。

反論はんろんけんという用語ようごはしばしばことなった定義ていぎ使つかわれるが、もっと広義こうぎにとらえた場合ばあい、「マスメディアが批判ひはん報道ほうどうおこなったことにたいして、それが法的ほうてき名誉めいよ毀損きそんにあたらずとも、批判ひはん記事きじどう分量ぶんりょうはん論文ろんぶん無料むりょう掲載けいさいすることを要求ようきゅうできる権利けんり」となる。

これらの権利けんり表現ひょうげん自由じゆういち形態けいたいとしてとらえる場合ばあい、その根拠こんきょ憲法けんぽう21じょうもとめることになる。ただし憲法けんぽうはもともと国家こっか私人しじん関係かんけい規定きていするものであり、私人しじんたい私人しじん関係かんけいにあるアクセスけんをどの程度ていどみちびすことができるのかといった問題もんだいもある。

アクセスけんみとめる場合ばあいもっと懸念けねんされる問題もんだいとして、マスメディアにたいする言論げんろん抑圧よくあつ可能かのうせいがあげられる。反論はんろんけんなど具体ぐたいてき請求せいきゅうけん法的ほうてき権利けんりとした場合ばあい公権力こうけんりょくによる規制きせいおこなわれることになり、マスメディア自体じたい表現ひょうげん自由じゆう直接ちょくせつ侵害しんがいされたり、批判ひはんてき報道ほうどうたいして萎縮いしゅくてき効果こうかおよぼす危険きけんがある。

また近年きんねんではインターネット普及ふきゅうられ、これまでとされてきた一般いっぱん国民こくみんが、情報じょうほう発信はっしん対抗たいこうするのも可能かのうであるとする意見いけんもある。

各国かっこくおよび日本にっぽん規定きてい

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フランス・ドイツにおいては、マスメディアの公共こうきょうせい強調きょうちょうされ、名誉めいよ毀損きそん成立せいりつしない場合ばあいでも、無料むりょうどう分量ぶんりょう反論はんろん掲載けいさいできる規定きていはやくからかれていた。

アメリカでは、放送ほうそうメディアについて利用りようしうる電波でんぱかぎられていることから公共こうきょうせい重視じゅうしされ、連邦れんぽう通信つうしん委員いいんかいのフェアネス・ドクトリン(公平こうへい原則げんそく)という方針ほうしんのもとで反論はんろんけんみとめられた。一方いっぽう新聞しんぶんについては、はん論文ろんぶん掲載けいさい強制きょうせいする州法しゅうほう違憲いけんとされた。またフェアネス・ドクトリン自体じたいも1987ねん廃止はいしされている。

日本にっぽんにおいては、戦前せんぜんには新聞紙しんぶんしほうにおいて、記事きじ内容ないよう錯誤さくごがあった場合ばあい関係かんけいしゃ反論はんろんできる規定きていかれていた。現在げんざいでは放送ほうそうほう政見せいけん放送ほうそうにおいて候補者こうほしゃ放送ほうそう施設しせつ平等びょうどう利用りようすることを請求せいきゅうできる規定きていがあるほかは、アクセスけんについて明確めいかくさだめたものはない。放送ほうそうほうじょう訂正ていせい放送ほうそう制度せいど放送ほうそうほう9じょう1こう)も、放送ほうそう事業じぎょうしゃ公法こうほうじょう義務ぎむさだめたものであって、権利けんり侵害しんがいけたものとう私法しほうじょう権利けんりさだめたものではないとされる(最高さいこういち小判こばん平成へいせい16ねん11月25にち)。[1]

アクセスけん問題もんだいとなった判例はんれい

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参考さんこう文献ぶんけん

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出典しゅってん

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  1. ^ みんしゅうだい58かん8ごう2326ぺーじ

関連かんれん項目こうもく

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