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アショーカ王碑文 - Wikipedia

アショーカおう碑文ひぶん(アショーカおうひぶん、プラークリット: dhaṃma-lipī[1])とは、紀元前きげんぜん3世紀せいきアショーカ石柱せきちゅうがけいわ)などにきざませた詔勅しょうちょくである。アショーカのほうみことのり(ほうちょく)ともぶ。現在げんざいインドネパールパキスタンアフガニスタンのこる。

インダス文字もじべつにすれば、アショーカのほうみことのりはインドに現存げんそんする文字もじ資料しりょうのうちほぼ最古さいこのものであり[2]言語げんごがくてき歴史れきしてき宗教しゅうきょうてき価値かちがきわめておおきい。

概要がいよう

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マウリヤあさの3代目だいめラージャであったアショーカはカリンガ戦争せんそうおおくの犠牲ぎせいしたことを反省はんせいし、仏法ぶっぽうのためにつとめるようになった。自分じぶん子孫しそんおなじあやまちをおかさないようにするために、ほうみことのり領内りょうない各地かくちいわ石柱せきちゅうきざんだ。

アショーカみずからが仏法ぶっぽうおもんじ、動物どうぶつ犠牲ぎせいらすこと、薬草やくそうそなえたりえるなどのつとめにはげむことなどをしるしている。一般いっぱんたいして要求ようきゅうするほうとしては、父母ちちははうことをき、バラモン沙門しゃもんうやまい、真実しんじつかたり、もの大切たいせつにするなど、ごく一般いっぱんてきおしえをべている。また宗教しゅうきょう非難ひなんすることをいましめている。

碑文ひぶんかれている場所ばしょ古代こだい通商つうしょう巡礼じゅんれい一致いっちするという。

現存げんそんする碑文ひぶん

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碑文ひぶん分布ぶんぷ

ほうみことのりには大別たいべつして石柱せきちゅうきざまれているものといわきざまれているがけ碑文ひぶんがある。

がけ碑文ひぶん現地げんちきざまれたもので、ぜん14じょうからなる大法たいほうみことのりと、1じょうまたは2じょうからなるしょうほうみことのりがあり、両者りょうしゃ内容ないようことなる。しょうほうみことのりのほうがさきつくられた[3]

おおくはブラーフミー文字もじかれており、言語げんご東部とうぶプラークリットマガダ)であるが、西部せいぶ北西ほくせいのものは言語げんごことなっている。

大法たいほうみことのりは10地点ちてんのこる。そのだい13じょうとく長文ちょうぶんで、カリンガ征服せいふく多数たすう死者ししゃしたことをいる文章ぶんしょうとして名高なだかい。当時とうじシリアエジプトマケドニアなどのおうめいしるされており、そこからかれた年代ねんだいることができる。

カリンガのあったオリッサしゅうの2箇所かしょかれた碑文ひぶんには11じょうから13じょうまでがなく、かわりにべつの2じょうくわえられている。

しょうほうみことのりは17かしょのこっており、ひろ地域ちいき分布ぶんぷする。とくにカルナータカしゅうおおのこる。バイラートで発見はっけんされたがけ碑文ひぶんベンガル・アジア協会きょうかいくら)はしょうほうみことのりぶんことなり僧団そうだん直接ちょくせつあてたもので、自分じぶん三宝さんぽうふか帰依きえしていることをべ、仏陀ぶっだかたった7つのおしえ(dhamma-paliyāyani)の名前なまえをあげている。

洞窟どうくつ

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ビハールしゅうバラーバルの3つの洞窟どうくつには、アショーカが即位そくい12ねんめにアージーヴィカきょうのためにこの洞窟どうくつ寄進きしんしたことをしるしたぶんきざまれている[4]

石柱せきちゅう

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石柱せきちゅうがけよりも時代じだいあたらしい。バラナシ近郊きんこうにあるチュナール採石さいせきじょうつくられ[5][6]きたインド各地かくちはこばれた[7]はしらたかさは12-15mていど、おもやく50トンの砂岩さがんでできている。はしらうえもと獅子ししぞうこぶうしうまなどの動物どうぶつからなる柱頭ちゅうとうかれていたが、現存げんそんするものはすくない。サールナート石柱せきちゅうをかつてかざっていたよんとう獅子ししからなる柱頭ちゅうとうをもとにインドのくにあきらがデザインされた。

文章ぶんしょうはすべて東部とうぶプラークリットで、ブラーフミー文字もじかれている。

石柱せきちゅう碑文ひぶんのうち、6かじょうまたは7かじょうからなるものは即位そくい26ねんだい7じょうは27ねん)の紀年きねんがある。7つが現存げんそんしているが、おおくは本来ほんらいかれていた場所ばしょから移動いどうしている。アラーハーバード(もとはコーサム(カウシャーンビー)にかれていたという)の石柱せきちゅうには、上記じょうきの6かじょうとはべつに、アショーカのだい二王におうであるカルヴァーキーの寄進きしんしめぶんと(queen's edict)、仏教ぶっきょう集団しゅうだんそうとぎ)の分裂ぶんれつきんじるぶん(schism edict)がある。

サーンチーサールナートにある石柱せきちゅう仏教ぶっきょう集団しゅうだん分裂ぶんれつきんじることがしるされている。

ネパールのルンビニー(ルンミンデーイー)とそのちかくのニガーリーサーガルの石柱せきちゅう即位そくい20ねん紀年きねんがあり、アショーカ自身じしん仏陀ぶっだ生誕せいたんであるここに巡礼じゅんれいしたことをしるしたもので、碑文ひぶんとは性格せいかくことなっている。

碑文ひぶん解読かいどく

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碑文ひぶんがいつごろまでめたかはよくわからない。ほうあらわげん石柱せきちゅうおおきさやその柱頭ちゅうとう動物どうぶつ・アショーカがつくったこと・こくぶんがあることについてもしるしていて、とくにげん奘はこくぶんんだようである[8]

14世紀せいきトゥグルクあさフィールーズ・シャー・トゥグルクは、メーラトウッタル・プラデーシュしゅう)とトープラー(ハリヤーナーしゅう)の石柱せきちゅうをデリーにはこばせて学者がくしゃ解読かいどくさせようとしたが、だれめなかった[9]

1830年代ねんだいジェームズ・プリンセプによって、ブラーフミー文字もじとカローシュティー文字もじがともに解読かいどくされた。

碑文ひぶん日本語にほんごやく

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姉崎あねざき正治しょうじ印度いんど宗教しゅうきょうこう』(1898ねん)のなかえるものをはじめとして、明治めいじ時代じだい以来いらいさまざまな日本語にほんごやくがある。

伊藤いとう義教よしのり『ゾロアスター研究けんきゅう』(岩波書店いわなみしょてん,1979ねん所収しょしゅうの「おもねそだておうのアラム碑文ひぶんとそのイランがくてき価値かちについて」に、タキシラ碑文ひぶんだいいちカンダハール碑文ひぶんだいいちラグマーン碑文ひぶんだいラグマーン碑文ひぶん日本語にほんごやく解説かいせつ掲載けいさいされている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 田中たなか(1981) p.189 は dhaṃma-lipī をブラーフミー文字もじのこととする
  2. ^ ただし Salomon (2003) 3.1.1 によると、スリランカのアヌラーダプラすえへん紀元前きげんぜん4世紀せいきのもので、この碑文ひぶんよりふるいという
  3. ^ Salomon (1998) p.136
  4. ^ Salomon (1998) p.140
  5. ^ Pillar of Emperor Ashoka”. The British Museum. 2014ねん11月21にち閲覧えつらん
  6. ^ 田中たなか(1981) p.190
  7. ^ アーンドラ・プラデーシュしゅうアマラーヴァティーの破片はへんみなみおおきくはずれているが、アショーカの石柱せきちゅうであることは確定かくていはしていないという。Salomon (1998) p.140
  8. ^ たとえば『だいから西域せいいきまきはちふつあと精舎しょうじゃがわとおゆう大石おおいしはしらこうさんじゅうしゃく書記しょき残欠ざんけつ、其大りゃく曰:ゆうおうしんさだかた、三以贍部洲施仏法僧、三以諸珍宝重自酬贖。」
  9. ^ 田中たなか(1981) pp.183-184

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Salomon, Richard (1998). Indian Epygraphy: A Guide to the Study of Inscriptions in Sanskrit, Prakrit, and the Other Indo-Aryan Languages. Oxford University Press. pp. 133-140. ISBN 0195099842. NCID BA40217704. LCCN 95-31756. OCLC 940651517 
  • Salomon, Richard (2003). “Writing Systems of the Indo-Aryan Languages”. In Cardona, George & Jain, Dhanesh. The Indo-Aryan Languages. Routledge language family series. Routledge. ISBN 9780700711307. OCLC 537727787 
  • 田中たなか敏雄としお ちょ「インドけい文字もじ発展はってん」、西田にしだ龍雄たつお へん世界せかい文字もじ』 5かん大修館書店たいしゅうかんしょてん講座こうざ言語げんご〉、1981ねん、183-190ぺーじNCID BN00475386 

外部がいぶリンク

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  • The Asoka Library”. University of Oslo. 2014ねん11月21にち閲覧えつらん
    原文げんぶん英訳えいやく
  • Ven. S. Dhammika (1994ねん). “The Edicts of King Ashoka”. 2014ねん11月21にち閲覧えつらん
    注釈ちゅうしゃくつきの英訳えいやく