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カチューシャ (映画) - Wikipedia

カチューシャ (映画えいが)

日本にっぽんのサイレント映画えいが

カチューシャ』は、レフ・トルストイ小説しょうせつ復活ふっかつ』(1899ねん)を原作げんさくとし、日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょが1914ねん大正たいしょう3ねん製作せいさく日活にっかつ配給はいきゅう公開こうかいした日本にっぽんサイレント映画えいが、および1915ねん大正たいしょう4ねん)に製作せいさく公開こうかいされたその続編ぞくへんのカチューシャ』『カチューシャ続々ぞくぞくへん』、1919ねん大正たいしょう8ねん)に製作せいさく公開こうかいされたリメイク『復活ふっかつ』である。

カチューシャ
監督かんとく 細山ほそやま喜代松きよまつ
脚本きゃくほん 桝本ますもときよし
原作げんさく レフ・トルストイ
製作せいさく 日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょ
出演しゅつえんしゃ 立花たちばな貞二郎ていじろう
関根せきねいたるはつ
撮影さつえい 藤原ふじわら幸三郎こうざぶろう
配給はいきゅう 日本の旗 日活にっかつ
公開こうかい 日本の旗 1914ねん10月31にち
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
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略歴りゃくれき概要がいよう

編集へんしゅう
 
映画えいがのヒントになった松井まつい須磨子すまこ

島村しまむら抱月ほうげつ松井まつい須磨子すまこによる新劇しんげき劇団げきだん芸術座げいじゅつざだい3かい公演こうえんとして、レフ・トルストイの小説しょうせつ復活ふっかつ』を題材だいざいげ、1914ねん大正たいしょう3ねん)3がつ上演じょうえんされ、たいへんなヒットとなった[1]松井まついによるげき中歌なかうたカチューシャのうた』もたいへんなヒットとなり、日本にっぽんキネトフォン同年どうねん8がつ1にち蓄音機ちくおんき連動れんどうしきトーキー作品さくひんカチューシャのうた』を製作せいさく公開こうかいし、これも好評こうひょう[1][2]

日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょは、これらを背景はいけいに、同年どうねん、『カチューシャ』を製作せいさくした。どう撮影さつえいしょ脚本きゃくほん桝本ますもときよし島村しまむら抱月ほうげつによる演劇えんげき参考さんこうにして脚色きゃくしょく細山ほそやま喜代松きよまつ監督かんとくした[1]どう撮影さつえいしょ現代げんだいげき撮影さつえいしょであるが、「日活にっかつ新派しんぱ」とばれ、新劇しんげきではなく新派しんぱであり、女性じょせい役所やくしょはすべて女形おんながたえんじていた。したがって、カチューシャのやく女形おんながた立花たちばな貞二郎ていじろうえんじた[1]新劇しんげき出身しゅっしん小説しょうせつ佐藤さとう紅緑こうろく指導しどうした吉沢よしざわ商店しょうてん出身しゅっしん桝本ますもとは、おなじく吉沢よしざわ出身しゅっしん小口おぐちただしとともに当時とうじどう撮影さつえいしょ体制たいせい不満ふまんいており、新劇しんげきでのヒットさく映画えいがへの導入どうにゅう起爆きばくはかり、冒頭ぼうとうに『カチューシャのうた』の歌詞かし字幕じまくれたり、ヨーロッパ演劇えんげき要素ようそ背景はいけい装置そうち導入どうにゅうした[1]こころみは当時とうじ映画えいがファンにも好意こういてきれられた[1]一方いっぽうで、島村しまむら抱月ほうげつ自身じしんほんさく長野ながのけん映画えいがかん鑑賞かんしょうし、のちに1916ねん大正たいしょう5ねん)、雑誌ざっし活動かつどう世界せかい大正たいしょう5ねん5がつごうに「女形おんながたでは誤魔化ごまかしがかぬ」と辛辣しんらつひょうせた[3]

ほんさくは、どう撮影さつえいしょ開所かいしょ以来いらいだいヒットとなり、つづよく1915ねん大正たいしょう4ねん)、おなじスタッフ・キャストにより続編ぞくへん続々ぞくぞくへん製作せいさくされた[1]ぜん3さく日活にっかつ当時とうじ金額きんがくで16まんえん以上いじょう利益りえきげた[1]

1917ねん大正たいしょう6ねん)に日活にっかつ向島むこうじま入社にゅうしゃした田中たなか栄三えいざが、『カチューシャ』のヒットをはんとして、1918ねん大正たいしょう7ねん)、桝本ますもときよし脚本きゃくほんおなじトルストイ原作げんさくの『けるかばね』を映画えいが成功せいこうおさめた[4]どうさくは、日活にっかつ向島むこうじまの「革新かくしん映画えいが」のだい1さくとされ、このころからようやく映画えいが冒頭ぼうとう監督かんとく脚本きゃくほん撮影さつえい技師ぎしがクレジットされるようになった[4]田中たなかは、つづく1919ねん大正たいしょう7ねん)には、『カチューシャ』をリメイクして、『復活ふっかつ』を監督かんとくした。このリメイクにかんする資料しりょうとぼしく、日本にっぽん映画えいがデータベースすくない記述きじゅつのほかは、御園みその京平きょうへい著書ちょしょ活辯かつべん時代じだい』(1990ねん)に当時とうじのポスターがられるのみである[5]

『カチューシャ』にはじまる正篇せいへん、2つの続篇ぞくへん、リメイク、いずれも東京とうきょう国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかんフィルムセンター所蔵しょぞうしていない[6]

1914年版ねんばん

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カチューシャ』は、レフ・トルストイ小説しょうせつ復活ふっかつ』(1899ねん)を原作げんさくとし、日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょが1914ねん大正たいしょう3ねん製作せいさく日活にっかつ配給はいきゅう公開こうかいした日本にっぽんサイレント映画えいがである。『カチューシャ (復活ふっかつ)』と表記ひょうきされることもある。

スタッフ・作品さくひんデータ

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1915年版ねんばん

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のカチューシャ
 
監督かんとく 細山ほそやま喜代松きよまつ
脚本きゃくほん 桝本ますもときよし
原作げんさく レフ・トルストイ
製作せいさく 日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょ
出演しゅつえんしゃ 立花たちばな貞二郎ていじろう
関根せきねいたるはつ
撮影さつえい 藤原ふじわら幸三郎こうざぶろう
配給はいきゅう   日活にっかつ
公開こうかい   1915ねん1がつ
製作せいさくこく   日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
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のカチューシャ』(のちのカチューシャ)は、レフ・トルストイ小説しょうせつ復活ふっかつ』(1899ねん)を原作げんさくとした前作ぜんさくカチューシャ』の続編ぞくへんとして、日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょが1915ねん大正たいしょう4ねん製作せいさく日活にっかつ配給はいきゅう公開こうかいした日本にっぽんサイレント映画えいがである。

スタッフ・作品さくひんデータ

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続々ぞくぞくへん

編集へんしゅう
カチューシャ続々ぞくぞくへん
監督かんとく 細山ほそやま喜代松きよまつ
脚本きゃくほん 桝本ますもときよし
原作げんさく レフ・トルストイ
製作せいさく 日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょ
出演しゅつえんしゃ 立花たちばな貞二郎ていじろう
関根せきねいたるはつ
撮影さつえい 藤原ふじわら幸三郎こうざぶろう
配給はいきゅう   日活にっかつ
公開こうかい   1915ねん10月24にち
製作せいさくこく   日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
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カチューシャ続々ぞくぞくへん』(カチューシャぞくぞくへん)は、レフ・トルストイ小説しょうせつ復活ふっかつ』(1899ねん)を原作げんさくとした前々まえまえさくカチューシャ』、前作ぜんさくのカチューシャ』の続編ぞくへんとして、日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょが1915ねん大正たいしょう4ねん製作せいさく日活にっかつ配給はいきゅう公開こうかいした日本にっぽんサイレント映画えいがである。

スタッフ・作品さくひんデータ

編集へんしゅう

1919年版ねんばん

編集へんしゅう
復活ふっかつ
カチューシャ
監督かんとく 田中たなか栄三えいざ
脚本きゃくほん 不明ふめい
原作げんさく レフ・トルストイ
製作せいさく 日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょ
出演しゅつえんしゃ あずま猛夫たけお
山本やまもと嘉一きいち
配給はいきゅう   日活にっかつ
公開こうかい   1919ねん2がつ1にち
製作せいさくこく   日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
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復活ふっかつ』(ふっかつ)は、1919ねん大正たいしょう8ねん製作せいさく公開こうかい田中たなか栄三えいざ監督かんとくによる日本にっぽんサイレント映画えいがである。『カチューシャ』のリメイクであり、『カチューシャ』というタイトルでのポスターも存在そんざい[5]、また『復活ふっかつ (カチューシャ)』と表記ひょうきされることもある。

当時とうじ京都きょうと新京極しんきょうごく富士ふじかん掲載けいさいされたポスターには「日活にっかつ東京とうきょう刷新さっしんだい撮影さつえい」、「あらゆる一切いっさい準備じゅんび時代じだいから劃然かくぜん[9]としていちすすめた日活にっかつだいいちかい藝術げいじゅつてき作品さくひん!!!」とあり[5]日活にっかつ向島むこうじま撮影さつえいしょあらたな体制たいせいんだことがしめされている。

だい1さく以来いらいカチューシャをえんじた立花たちばな貞二郎ていじろう前年ぜんねんの1918ねん大正たいしょう7ねん)11月11にち夭折ようせつ[10]おなじくネフリュードフをえんじた関根せきねいたるはつが1916ねん大正たいしょう5ねん)に退社たいしゃし、ほんさく撮影さつえい当時とうじ松竹しょうちく蒲田かまた撮影さつえいしょ移籍いせきしていた[11]ため、キャストは刷新さっしんされた。カチューシャには女形おんながたあずま猛夫たけお、ネフリュードフには山本やまもと嘉一きいちがキャスティングされた。

スタッフ・作品さくひんデータ

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当時とうじのポスター表記ひょうきじゅん[5]

  1. ^ a b c d e f g h 日本にっぽん映画えいが発達はったつ 1 活動かつどう写真しゃしん時代じだい』、田中たなか純一郎じゅんいちろう中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1968ねん、p.218-223.
  2. ^ 日本にっぽん映画えいが発達はったつ 1 活動かつどう写真しゃしん時代じだい』、p.212-213.
  3. ^ 日本にっぽん映画えいが発達はったつ 1 活動かつどう写真しゃしん時代じだい』、p.234.
  4. ^ a b 日本にっぽん映画えいが発達はったつ 1 活動かつどう写真しゃしん時代じだい』、p.274-277.
  5. ^ a b c d 活辯かつべん時代じだい』、御園みその京平きょうへい岩波書店いわなみしょてん、1990ねん3月刊げっかん ISBN 4002600211, p.25.
  6. ^ 所蔵しょぞう映画えいがフィルム検索けんさくシステムでの検索けんさく結果けっか東京とうきょう国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかんフィルムセンター、2009ねん11月29にち閲覧えつらん
  7. ^ a b c 日本にっぽん映画えいが発達はったつ 1 活動かつどう写真しゃしん時代じだい』、p.220-221.
  8. ^ a b c Googleによるしゃく単位たんいからの換算かんさん結果けっか、2009ねん11月29にち閲覧えつらん
  9. ^ 画然かくぜん」のきゅう字体じたい
  10. ^ 無声むせい映画えいが俳優はいゆう名鑑めいかん』、無声むせい映画えいが鑑賞かんしょうかいへんマツダ映画えいがしゃ監修かんしゅうアーバン・コネクションズ、2005ねん、p.152。
  11. ^ 関根せきねいたるはつ日本にっぽん映画えいがデータベース、2010ねん2がつ12にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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