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ギャスパール・ボアン - Wikipedia

ギャスパール・ボアン

スイスの植物しょくぶつ学者がくしゃ (1560 - 1624)

ギャスパール・ポアン(Gaspard Bauhinまたは Caspar Bauhin、: Casparus Bauhinus1560ねん1がつ17にち - 1624ねん12月5にち)はスイスの植物しょくぶつ学者がくしゃである。なにせんもの植物しょくぶつ記載きさいし、古今ここん名称めいしょう対照たいしょうされているぜん12かんの『植物しょくぶつ対照たいしょう図表ずひょう』(Pinax theatri botanici, sive Index in Theophrasti Dioscoridis, Plinii et Botanicorum qui a saeculo scripserunt opera;『植物しょくぶつ劇場げきじょう総覧そうらん』とも)をあらわした。リンネら後世こうせい植物しょくぶつ学者がくしゃ影響えいきょうあたえた。イタリアの有名ゆうめい医師いし、ジローラモ・メルキュリエーレ(Girolamo Mercuriale)の弟子でしでもあり、解剖かいぼうがく植物しょくぶつ解剖かいぼうがく命名めいめいほうにも貢献こうけんした。

ギャスパール・ポアン

略歴りゃくれき

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Animadversiones in historiam generalem plantarum, 1601

バーゼルまれた。父親ちちおやはプロテスタントとなるためにフランスからスイスに移住いじゅうした医師いしである。パドヴァモンペリエ、ドイツで医学いがくまなんだのちバーゼルへもどった。医学いがく学位がくいて、植物しょくぶつがく生理学せいりがくおしえた。1582ねんにバーゼルの大学だいがくギリシア教授きょうじゅとなり、1588ねん解剖かいぼうがく植物しょくぶつがく教授きょうじゅとなった。その医師いしとなり、薬理やくりがく教授きょうじゅとなり、学長がくちょう学部がくぶちょうつとめた。

著書ちょしょ、『植物しょくぶつ対照たいしょう図表ずひょう』は植物しょくぶつがく歴史れきしにおいて重要じゅうよう著作ちょさくで、6000におよたね記載きさいされた。分類ぶんるいほうはそれほど革新かくしんてきなものでなく最初さいしょの10かんくさあつかい、2かんあつかっている。植物しょくぶつ研究けんきゅうというのは医薬いやくである薬草やくそう研究けんきゅう起源きげんとしているので、しゅとして植物しょくぶつの<用途ようと>によって分類ぶんるいされた。植物しょくぶつ類縁るいえんせい意識いしきされており、現在げんざい分類ぶんるいでいくつかのおなぞくする植物しょくぶつはまとめて記載きさいされている[1]

植物しょくぶつ対照たいしょう図表ずひょう』につづいてTheatrum Botanicumの執筆しっぴつ計画けいかくするが、1出版しゅっぱんにとどまった。ピエトロ・アンドレア・マッティオリ著作ちょさく改訂かいていおこなった。

著作ちょさく

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  • Theatrum anatomicum (1605)
  • Prodromos theatri botanici (1620)
  • Pinax theatri botanici (1623)

参考さんこう文献ぶんけん

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  1. ^ 博物学はくぶつがく欲望よくぼう松本まつもと俊男としお 講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ
  • Duane Isely, One hundred and one botanists (Iowa State University Press, 1994), pp. 49–52

外部がいぶリンク

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