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グエン・タン・ズン - Wikipedia

グエン・タン・ズンベトナムNguyễn Tấn Dũng1949ねん11月17にち - )は、ベトナム政治せいじベトナム共産党きょうさんとう政治せいじ局員きょくいんだい6だいベトナム社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく首相しゅしょうつとめた。

グエン・タン・ズン
Nguyễn Tấn Dũng
グエン・タン・ズン(2014ねん
生年月日せいねんがっぴ (1949-11-17) 1949ねん11月17にち(74さい
出生しゅっしょう ベトナム共和国の旗 ベトナムこくカマウしょう
所属しょぞく政党せいとう ベトナム共産党きょうさんとう
配偶はいぐうしゃ チャン・タイン・キエム
サイン

内閣ないかく グエン・タン・ズンないかく
在任ざいにん期間きかん 2006ねん6月27にち - 2016ねん4がつ6にち
国家こっか主席しゅせき グエン・ミン・チェット
チュオン・タン・サン

ベトナムの旗 ベトナム社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく
常任じょうにんふく首相しゅしょう
内閣ないかく ファン・ヴァン・カイ内閣ないかく
在任ざいにん期間きかん 1997ねん9月 - 2006ねん6がつ27にち
国家こっか主席しゅせき チャン・ドゥック・ルオン
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グエン・タン・ズン
各種かくしゅ表記ひょうき
チュ・クオック・グー Nguyễn Tấn Dũng
漢字かんじチュノム すすむいさむ
北部ほくぶ発音はつおん グエン・タン・ズン
日本語にほんごみ: げん しんゆう
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来歴らいれき

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南部なんぶカマウしょうまれる。ズンの出生しゅっしょう故郷こきょうフランス宗主そうしゅこくとするベトナムこく支配しはいにあった。その、ベトナムこくベトナム共和きょうわこくみなみベトナム)にとってわられたが、ズンはわかくして祖国そこく統一とういつ民族みんぞく解放かいほう運動うんどうくわわっていく。

1961ねん、ベトナム南部なんぶ解放かいほうぐん入隊にゅうたいベトナム戦争せんそうときにはみなみベトナム解放かいほう民族みんぞく戦線せんせん活動かつどうした。1967ねんベトナム労働党ろうどうとうベトナム共産党きょうさんとう)の南部なんぶ組織そしき入党にゅうとうする。1975ねんにベトナム民主みんしゅ共和きょうわこくきたベトナム)がみなみベトナムをたおしてベトナム戦争せんそう終結しゅうけつし、よく1976ねんきたベトナム主導しゅどうによる南北なんぼくベトナムの統一とういつ実現じつげんしてベトナム社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく建国けんこくされると、ズンは同国どうこく国軍こくぐんとなったベトナム人民じんみんぐん参加さんかし、1981ねんまで軍務ぐんむ服役ふくえきした。

退役たいえきキエンザンしょう中心ちゅうしんにベトナム共産党きょうさんとう党務とうむ従事じゅうじし、同省どうしょうとう委員いいんかいふく書記しょきまで昇進しょうしん。また、同省どうしょう人民じんみん委員いいんかい委員いいんちょうしょう政府せいふ長官ちょうかん)も兼務けんむした。

このあいだ1986ねん12月のだい6かいとう大会たいかいとう中央ちゅうおう委員いいん候補こうほ選出せんしゅつされていたズンは、1991ねん6がつだい7かいとう大会たいかいにおいてとう中央ちゅうおう委員いいん昇進しょうしん1994ねん12月、内務省ないむしょう次官じかん任命にんめいされた。

1996ねん6月のだい8かいとう大会たいかいではとう政治せいじ局員きょくいん選出せんしゅつされ、政治せいじきょく常務じょうむ委員いいん抜擢ばってきされる。同年どうねん8がつとう中央ちゅうおう経済けいざい委員いいんちょう兼任けんにん1998ねんまで)。1997ねん9月のファン・ヴァン・カイ内閣ないかく発足ほっそくさいし、常任じょうにんふく首相しゅしょうだいいちふく首相しゅしょう)に就任しゅうにん同年どうねん12がつだい8とう中央ちゅうおう委員いいんかいだい4かい総会そうかいドー・ムオイ書記しょきちょう退任たいにんし、レ・カ・フュー後任こうにん書記しょきちょうとするしん執行しっこう発足ほっそくすると、ズンは1998ねん1がつ政治せいじきょく常務じょうむ委員いいん退任たいにんした[1][2]。 その同年どうねん5がつから1999ねん12月までベトナム国家こっか銀行ぎんこう総裁そうさい兼務けんむし、金融きんゆうシステムの改革かいかく尽力じんりょくした。

2001ねん4がつだい9かいとう大会たいかいにおいてとう政治せいじ局員きょくいん再選さいせんされ、序列じょれつだい5まで昇格しょうかく。40だいとう中枢ちゅうすう抜擢ばってきされ、ながらくファン・ヴァン・カイ首相しゅしょう後継こうけいしゃされていたズンは、2006ねん4がつだい10かいとう大会たいかいでもとう政治せいじ局員きょくいん再選さいせんされて序列じょれつだい3となり、同年どうねん6月27にちだい11だい9かい国会こっかいにおいて首相しゅしょう選出せんしゅつされた。

2007ねん7がつだい12だい1かい国会こっかいにおいて首相しゅしょう再任さいにん

2016ねん1がつだい12かいとう大会たいかいにおいては、とう書記しょきちょう後任こうにんされていたが、結局けっきょくとう中央ちゅうおう委員いいん候補こうほからはずされて引退いんたいすることが確定かくていした[3][4]。4月6にちだい13国会こっかいだい11かい会議かいぎにおいて、首相しゅしょう退任たいにんした[5][6]

外交がいこう

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日本にっぽん

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かん直人なおと内閣ないかく総理そうり大臣だいじんと(2010ねん10がつ4にち

一部いちぶ報道ほうどうでは親中しんちゅう日本にっぽんたいする関心かんしんひくい、あるいは「日本にっぽんぎらい」とつたえられていたが、2006ねん10月19にち日本にっぽん皇居こうきょ宮殿きゅうでんにて、公式こうしき訪問ほうもんちゅうのズン首相しゅしょう夫妻ふさい天皇てんのう皇后こうごう会見かいけん。16世紀せいきさかえた日本人にっぽんじんまちホイアン)が話題わだいのぼり、天皇てんのういま状況じょうきょうたずねると、ズン首相しゅしょうは「世界せかい遺産いさんになっています。りょう陛下へいか是非ぜひベトナムを訪問ほうもんしていただき、そのさいください」とこたえたという。

また同日どうじつ安倍晋三あべしんぞう首相しゅしょうとのはつ首脳しゅのう会談かいだんおこない、2007ねん1がつにちえつあいだ経済けいざい連携れんけい協定きょうてい(EPA)交渉こうしょう正式せいしきにスタートさせることで合意ごういした。ズン首相しゅしょう会談かいだんで、日本にっぽん政府せいふによる開発かいはつ援助えんじょODA)と日本にっぽん企業きぎょう投資とうし環境かんきょう整備せいびのための支援しえん感謝かんしゃ表明ひょうめいし、「日本にっぽんはODA、貿易ぼうえき投資とうしのいずれのめんでもつねにベトナムのさい重要じゅうようパートナーだ」とべている。

2010ねん10月31にちには、ハノイでひらかれたASEAN首脳しゅのう会議かいぎさいかん直人なおと首相しゅしょう会談かいだんし、ベトナムが建設けんせつ予定よていしているニントゥアンだい原子力げんしりょく発電はつでんしょのうち2日本にっぽん受注じゅちゅう、またレアアース共同きょうどう開発かいはつ合意ごういしていたが[7]原発げんぱつ建設けんせつ計画けいかくかれ退任たいにんわせるかのように2016ねん11月22にち財政難ざいせいなんおよび地元じもと住民じゅうみん反対はんたい理由りゆう計画けいかく中止ちゅうし決定けっていされた[8]

2013ねん1がつだい2安倍あべ内閣ないかく発足ほっそくはつ外遊がいゆうおとずれした安倍晋三あべしんぞう首相しゅしょう会談かいだんした[9]

中国ちゅうごく

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中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく南シナ海みなみしなかい原油げんゆ採掘さいくつ強行きょうこうしていることについて、「地域ちいき平和へいわへの脅威きょうい」と批判ひはんしている[10]

夫人ふじんのチャン・タイン・キエムとのあいだに2なん1じょをもうけている。長男ちょうなんグエン・タイン・ギホーチミン建築けんちく大学だいがくふく学長がくちょう建設けんせつ次官じかん歴任れきにん。35さいだい11とう中央ちゅうおう委員いいん候補こうほ選出せんしゅつかれ異例いれい出世しゅっせは、ズン首相しゅしょうによる身内みうち贔屓びいきとして党内とうないがいから批判ひはんされている[11][12]長女ちょうじょグエン・タイン・フオン大手おおてベトキャピタル証券しょうけん (Viet Capital Securities, VCSC) 共同きょうどう創業そうぎょうしゃけん会長かいちょう[13]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ グエン・タン・ズン首相しゅしょう略歴りゃくれき”. 外務省がいむしょう (2007ねん10がつ). 2010ねん9がつ23にち閲覧えつらん
  2. ^ 武田たけだ康裕やすひろ (2000ねん2がつ16にち). “刷新さっしんのベトナムのせいぐん関係かんけい国防こくぼう戦略せんりゃくへの影響えいきょう”. データベース「世界せかい日本にっぽん」. 2013ねん6がつ8にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2010ねん9がつ23にち閲覧えつらん
  3. ^ 次期じきとう中央ちゅうおう執行しっこう委員いいん200にん選出せんしゅつ、ズン首相しゅしょうとサン国家こっか主席しゅせき引退いんたい」 『VIETJOニュース』 2016ねん1がつ27にち
  4. ^ 「ベトナムとう書記しょきちょう留任りゅうにん 後任こうにん本命ほんめいのズン首相しゅしょう引退いんたい」 『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』 2016ねん1がつ27にち
  5. ^ VNA (2016ねん4がつ6にち). “Lawmakers agree to relieve Prime Minister of post”. VietnamPlus (Vietnam News Agency). http://en.vietnamplus.vn/lawmakers-agree-to-relieve-prime-minister-of-post/91444.vnp 2016ねん4がつ9にち閲覧えつらん 
  6. ^ 国会こっかい、ズン首相しゅしょう解任かいにん―9ねん10かげつ任務にんむまく」 『VIETJOニュース』 2016ねん4がつ7にち
  7. ^ “ベトナム原発げんぱつ 日本にっぽん受注じゅちゅう (日本語にほんご). 読売新聞よみうりしんぶん. (2010ねん11月1にち). http://job.yomiuri.co.jp/news/ne_10110106.htm 2010ねん11月4にち閲覧えつらん 
  8. ^ ベトナム、原発げんぱつ中止ちゅうし 日本にっぽんのインフラ輸出ゆしゅつ逆風ぎゃくふう”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (2016ねん11月23にち). 2017ねん2がつ5にち閲覧えつらん
  9. ^ 安倍あべ総理そうり大臣だいじんのベトナム訪問ほうもん概要がいよう)” (日本語にほんご). 外務省がいむしょう. (2013ねん1がつ17にち). https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_abe2/vti_1301/vietnam.html 2020ねん12月1にち閲覧えつらん 
  10. ^ 中国ちゅうごくは「地域ちいき脅威きょうい世界せかい経済けいざい悪影響あくえいきょうとベトナム首相しゅしょう演説えんぜつ. 産経さんけいニュース (産経新聞さんけいしんぶん). (2014ねん5がつ22にち). https://web.archive.org/web/20141231072320/http://www.sankei.com/world/news/140522/wor1405220008-n1.html 2014ねん12月31にち閲覧えつらん 
  11. ^ “ズン首相しゅしょう縁故えんこ登用とうよう人材じんざい流出りゅうしゅつも:えい金融きんゆう警鐘けいしょう政治せいじ]”. NNA.ASIA. (2011ねん11月26にち). http://nna.jp/free/news/20111128icn001A.html 2011ねん11月27にち閲覧えつらん 
  12. ^ グエン・タイン・ギ同志どうし (ベトナム
  13. ^ ベトキャピタル証券しょうけん(マネーベトナムドットコム)

外部がいぶリンク

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先代せんだい
ファン・ヴァン・カイ
ベトナム社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく
首相しゅしょう
2006ねん - 2016ねん
次代じだい
グエン・スアン・フック