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コンテンポラリー・ダンス - Wikipedia

コンテンポラリー・ダンスえい: contemporary dance)とは、文字通もじどおりには「いまこの時代じだいの/当代とうだいの/現代げんだい舞踊ぶよう」という意味いみであるが、実際じっさいかたりとしては、フランス語ふらんすごの "danse contemporaineダンス・コンタンポレーヌ)" の意訳いやくかたりである。また、日本語にほんごとしては、英語えいごめいおとうつしかたり「コンテンポラリー・ダンス」のほかにかんやくかたり現代げんだい舞踊ぶよう」も通用つうようしている[ちゅう 1]1960年代ねんだい以降いこうアバンギャルド前衛ぜんえいてき)なダンス起源きげんもとめるせつ有力ゆうりょくだが、かか名称めいしょうばれている舞踊ぶよう芸術げいじゅつ様式ようしき発祥はっしょうフランスであるともされており、フランス起源きげんとするせつもある。

概要がいよう

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sketch showing lineage of 20th century concert dance © Ohka-
Note: this sketch is provided for illustrative purposes only

コンテンポラリー・ダンスにはアフリカン・ダンスや日本にっぽん舞踏ぶとうなどの、西洋せいよう要素ようそふくまれる場合ばあいがある[1][2]おこなわれているダンスのうち”古典こてんてきかつ前衛ぜんえいてきで、時代じだい先端せんたん体現たいげんしている”ダンス作品さくひんおよびダンステクニックを概念がいねんである。 イサドラ・ダンカンマーサ・グラハムモダンダンスや、マース・カニンガムらがつくりあげた「ポスト・モダンダンス以降いこうのダンスをさしていたが、ドイツの表現ひょうげん主義しゅぎダンスタンツテアター(de)やコンタクト・インプロビゼーション暗黒あんこく舞踏ぶとうストリートダンスヌーボーシルク(en)(現代げんだいサーカス)、各国かっこくエスニック・ダンス映像えいぞうをつかった実験じっけんてきパフォーマンスなど、かんがえうるかぎりのあらゆるパフォーマンスがまれる状態じょうたい進行しんこうしている。 過去かこバレエモダンダンスポスト・モダンダンスなどの舞踊ぶよう芸術げいじゅつ経験けいけんしてきたダンサーのうち、クラシック・ダンスの伝統でんとう解体かいたいし、創造そうぞうてきなダンスを目指めざしているダンサーやダンス・カンパニーに、コンテンポラリー・ダンスを標榜ひょうぼうする傾向けいこうられる。ダンスの定義ていぎそのものをいかける作品さくひん増加ぞうかする傾向けいこうもある。著名ちょめいなダンサーには、ピナ・バウシュや、勅使河原てしがわら三郎さぶろうらがいる[3]

詳細しょうさい

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1970年代ねんだい後半こうはん、フランスでは国策こくさくとして文化ぶんか地方ちほう(デサントラリザシオン)(fr)がはかられ、おおきな文化ぶんか予算よさんまれるようになった。その一環いっかんとして舞踊ぶよう部門ぶもんにも積極せっきょくてき資金しきん投下とうかされるようになり、皮切かわきりとして1978ねんにアンジェの国立こくりつフランス現代げんだいバレエだん (CNDC) が設置せっちされた。これは文化ぶんかしょうのイゴール・エイスナーというダンス担当たんとう役人やくにんはたらきによるもので、エイスナーは各地かくち地方ちほう振付ふりつけセンターをつくってうえからダンスのネットワーク形成けいせいはかった。首都しゅとパリのオペラにも現代げんだい舞踊ぶよう部門ぶもん設置せっちされ、その指導しどうしゃとしてフィンランドけいアメリカじんダンサー、カロリン・カールソン英語えいごばん招聘しょうへいされた。このカールソンがコンテンポラリー・ダンスのははだとされている[ちゅう 2]

りしもフランスにアメリカのモダンダンスやポスト・モダンダンスが紹介しょうかいされた時期じきかさなっていたこともあり、カールソンのあたらしいけは斬新ざんしんなものとしてれられた。ほどなくしてフランスはつ前衛ぜんえい舞踊ぶよう振付ふりつけられるようになったが、当初とうしょは「コンテンポラリー・ダンス」ではなく「ヌーヴェル・ダンス」とよばれた。ヌーヴェル・ダンスフランス語ふらんすごばんはんバレエ、あるいはだつバレエてきこころみであった。その形成けいせいにはマース・カニンガムピナ・バウシュ、フランスで「グループMA」をつくって活動かつどうした矢野やのえいせいフランス語ふらんすごばん(1943ねん - 1988ねん)らの影響えいきょうがあるとかんがえられている。

1990年代ねんだいはいると、あたらしい表現ひょうげん方法ほうほう追求ついきゅうにこだわる振付ふりつけえ、映像えいぞう音響おんきょう照明しょうめい美術びじゅつ、ITをだい規模きぼかつふくあいてき導入どうにゅうする事例じれいがみられるようになった。同時どうじストリートダンス日本にっぽん舞踏ぶとう、ヌーボーシルク、タンツ・テアターてき手法しゅほうれられるにいたり、名称めいしょうもコンテンポラリー・ダンス[4]へと変化へんかした。CINRA Netは音楽おんがくとダンスを融合ゆうごうしたイベントを開催かいさいしたりしており、ダンサーかんもと雅子まさこ出演しゅつえんしたイベントもあった[5]

世界せかい地域ちいきべつダンス

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21世紀せいきのヨーロッパのコンテンポラリーダンスは2つの現象げんしょうられ、だいいちにはひと想像そうぞうりょくをはたらかせる現象げんしょう、もうひとつは歴史れきし記憶きおくこさせる現象げんしょうで、これらのふたつにその傾向けいこう大別たいべつすることが可能かのうである[6]。 とくにフランス、オランダ、イギリス、ギリシャ、ポルトガル、オーストリア、ドイツ、ベルギーなどにおいては、作品さくひんぐんさかんに上演じょうえんされている。


みなみアメリカ

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ブラジルはCダンスがさかんであり、ブラジルのカンパニーが日本にっぽん公演こうえんをおこなった。ヨーロッパの、モノトーンでスリムなダンサーがおどるといったイメージとはことなり、カラフルで肉感的にっかんてきなダンサーもおおい。

中近東ちゅうきんとう

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イスラエルがダンスの中心ちゅうしんであるバットシェバ、インバル・ピント&アブシャロム・ポラック・ダンスカンパニーのりょうカンパニーがそのすぐれた身体しんたい能力のうりょく駆使くししたけによって、国際こくさいてきにもたか評価ひょうかけている。 宗教しゅうきょうてき事情じじょうから、中東ちゅうとうのコンテンポラリーダンスはけっしてさかんとはいえない。たとえばイランではダンスそのものが非合法ひごうほうで、アーティストはこれをあくまでも演劇えんげきとして呼称こしょうすることで、存在そんざい確保かくほしようとしている。

日本にっぽん

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1990年代ねんだい,「現代げんだい舞踊ぶよう」「舞踏ぶとうbutoh)」出身しゅっしんでありながら わくにおさまらない独自どくじ活動かつどうをするダンサーの活動かつどう活発かっぱつになり、その総称そうしょうとして「日本にっぽんのコンテンポラリーダンス」のかたり使つかわれはじめた。とくに、JCDN(NPO法人ほうじん Japan Contemporary Dance Network 代表だいひょう佐東さとう 範一のりかず)が、本来ほんらいのContemporary Dance(≒Nouvelle Danse)とは関係かんけいうすいが、この名称めいしょう使つかうことで、日本にっぽんでもコンテンポラリーダンスという名称めいしょう普及ふきゅうした。


著名ちょめい人物じんぶつ集団しゅうだん

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ダンサー振付ふりつけカンパニーなど、個人こじん集団しゅうだんのうち特筆とくひつせいたかもの一覧いちらん

  • 現代げんだい舞踊ぶようてん

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 語源ごげんがくてき解説かいせつチャート[ ja: 現代げんだい舞踊ぶよう < コンテンポラリー・ダンス < en: contemporary dance < fr: danse contemporaine ]
  2. ^ カロリン・カールソンは1943ねんまれの、フランスけいアメリカじん女性じょせいダンサー。

出典しゅってん

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  1. ^ Origins of Contemporary Dance”. 2021ねん12月1にち閲覧えつらん
  2. ^ Contemporary Dance History”. 2021ねん12月1にち閲覧えつらん
  3. ^ KARAS KARAS 2022ねん11月26にち閲覧えつらん
  4. ^ ふつ: danse contemporaine
  5. ^ CINRA Net 2022ねん12月1にち閲覧えつらん
  6. ^ Memory, History, Euro C dance 2022ねん12月2にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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