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サツキコカ・コーラキャンニング - Wikipedia
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サツキコカ・コーラキャンニングは、かつて存在そんざいした日本にっぽん唯一ゆいいつかん製品せいひんせんもんコカ・コーラ製造せいぞう会社かいしゃである。

キャンニング事業じぎょう黎明れいめいからサツキ社きしゃ発足ほっそくまでの概要がいよう

編集へんしゅう

日本にっぽんコカ・コーラ当初とうしょかん製品せいひん日本にっぽん各地かくちのボトリング会社かいしゃとはべつ自社じしゃでの生産せいさん方針ほうしんとしていた。自前じまえ工場こうじょう完成かんせいするまで明治製菓めいじせいか小田原おだわら工場こうじょう生産せいさん委託いたくしていたが、1967ねん11月に大阪おおさか高槻たかつきにキャンニング(缶詰かんづめ)プラントとして大阪おおさか工場こうじょう完成かんせい。ここから全国ぜんこく出荷しゅっかしていたが需要じゅよう増大ぞうだいこたえるためのあらたな工場こうじょう建設けんせつせまられ、1971ねん6がつ埼玉さいたまけん吉見よしみまち埼玉さいたま工場こうじょう完成かんせいさせた。この埼玉さいたま工場こうじょうがサツキ社きしゃ原点げんてんとなる。ちなみにどう時期じき建設けんせつ計画けいかくすすんでいた広島ひろしまのキャンニングプラントは山陽さんよコカ・コーラボトリング本郷ほんごう缶詰かんづめ工場こうじょうげんコカ・コーラウエストプロダクツ本郷ほんごう工場こうじょう)として建設けんせつされた。

しかし、上記じょうき工場こうじょうからの出荷しゅっかだけではとしうごとに需要じゅよう急増きゅうぞうするかん製品せいひん供給きょうきゅうこたえることに無理むりしょうはじめたこと、全国ぜんこくのボトラーからのかん製品せいひん自社じしゃ生産せいさん要望ようぼうするこえたかまると、日本にっぽんコカ・コーラも当初とうしょ方針ほうしんえてかくボトラーによる自前じまえでのキャンニングライン設置せっち許可きょかするようになっていく。こうして1971ねん5がつには東京とうきょうコカ・コーラボトリング多摩たま工場こうじょうにキャンニングラインが設置せっちされた。近畿きんコカ・コーラボトリングや、中京ちゅうきょコカ・コーラボトリングなど大手おおてボトラーも追随ついずいする。

おなじくかん製品せいひん自社じしゃ生産せいさん熱望ねつぼうしていた三国みくコカ・コーラボトリング以下いかさんこくしゃ)は当初とうしょ自社じしゃ群馬ぐんま工場こうじょうちかくに自前じまえでキャンニング工場こうじょう建設けんせつする予定よてい土地とち確保かくほまでしていたが、日本にっぽんコカ・コーラからの工場こうじょうれのもうれを譲渡じょうと金額きんがくいがつけば三井物産みついぶっさん買収ばいしゅうする方針ほうしん決定けっていする。そして三井物産みついぶっさん90%、さんこくしゃ10%の出資しゅっしによりサツキ飲料いんりょう株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつした(昭和しょうわ53ねんさんこくしゃ55%、三井物産みついぶっさん45%に変更へんこう)。同社どうしゃ昭和しょうわ49ねん1がつにサツキコカ・コーラキャンニング株式会社かぶしきがいしゃ商号しょうごう変更へんこうし、営業えいぎょう開始かいしする。この買収ばいしゅう工場こうじょうだけでなく、労働ろうどうしゃ一括いっかつれもふくんでいた。日本にっぽんコカ・コーラとさんこくしゃ労働ろうどう条件じょうけんおよ待遇たいぐうにはおおきながあったため、早急そうきゅう合併がっぺいむずかしい問題もんだいでありそのためさんこくしゃへの吸収きゅうしゅう合併がっぺいでなく将来しょうらい合併がっぺい視野しやれながらのべつ法人ほうじん設立せつりつとなったのである。

こうした背景はいけい設立せつりつされたサツキ社きしゃは250ml・350mlかん製品せいひん高速こうそく充填じゅうてん可能かのう製造せいぞう設備せつび当初とうしょからゆうするさい新鋭しんえいのキャンニング工場こうじょうとして、さんこくしゃのキャンニングプラント、設備せつび関係かんけいボトラーが自社じしゃ生産せいさんできない製品せいひん委託いたく生産せいさん自社じしゃ工場こうじょうにキャンニングラインをたないボトラーけへの製品せいひん出荷しゅっかおもみちのくコカ・コーラボトリングおよ長野ながコカ・コーラボトリング)とおもに3つの機能きのうになうこととなる。その1983ねんのポストミックスようシロップライン、1984ねんジョージア生産せいさんようレトルトライン設置せっちて1985ねんさんこくしゃ正式せいしき吸収きゅうしゅう合併がっぺいされ同社どうしゃ埼玉さいたまだい工場こうじょうとなる。2017ねん現在げんざいではコカ・コーライーストジャパン埼玉さいたま工場こうじょうとして関東かんとう地方ちほう中心ちゅうしんかん製品せいひん製造せいぞう出荷しゅっかしている。

東洋製罐とうようせいかん工場こうじょうはコカ・コーラの工場こうじょう隣接りんせつして建設けんせつされているところが数箇所すうかしょあるがこれは偶然ぐうぜんではない。コカ・コーラウエスト本郷ほんごう工場こうじょうおよ基山きやま工場こうじょうにも工場こうじょう隣接りんせつしており、「バイプラント方式ほうしき」とばれるかんをリアルタイムで製造せいぞう供給きょうきゅうする方式ほうしきにて生産せいさんされたかんはコカ・コーラ工場こうじょう直結ちょっけつするラインではこばれ効率こうりつてき生産せいさん可能かのうとする。これはかん供給きょうきゅうがわがわ両社りょうしゃともにおおきなコストダウンをもたらし、商売しょうばいじょう戦略せんりゃくとしては非常ひじょう効果こうかてき方法ほうほうである。東洋製罐とうようせいかん日本にっぽんのコカ・コーラボトラーのおおくに出資しゅっししており、さんこくしゃにもだい株主かぶぬしひとつとしてつらねている。

サツキコカ・コーラキャンニング末期まっき製造せいぞうライン能力のうりょく

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  • 1号機ごうき 
1200かん/1ぶんの250ml炭酸たんさんかん製品せいひん製造せいぞう可能かのうであった。
  • 2号機ごうき
1号機ごうき同等どうとう機能きのう
  • 3号機ごうき
1000かん/1ぶんの350ml炭酸たんさんかん製品せいひん製造せいぞう可能かのうで、のちに500mlサイズも対応たいおうした。
350mlサイズはおも長野ながコカ・コーラボトリングけに出荷しゅっかされた。
  • 4号機ごうき
1・2号機ごうき同等どうとう機能きのうであったが、1976ねんHI-Cエード発売はつばいともな果汁かじゅう飲料いんりょう製造せいぞうのためのホット充填じゅうてん対応たいおう
  • 5号機ごうき
1984ねん設置せっちされ、700かん/1ぶんのジョージア製品せいひん製造せいぞう可能かのうであった。
  • ポストミックスシロップライン
1983ねんにカップベンダーとう供給きょうきゅうするシロップ製造せいぞうのために設置せっちされた。

サツキ社きしゃよりかん製品せいひん供給きょうきゅうけていたボトラー

編集へんしゅう
自社じしゃ工場こうじょうにキャンニングラインをっていなかったため、サツキ社きしゃ三国みくコカ・コーラボトリングに吸収きゅうしゅうされたのち花巻はなまき工場こうじょう完成かんせいまでのあいだだい部分ぶぶん製品せいひん供給きょうきゅうけていた。
1975ねんまで350mlかん製品せいひん、1976ねん仙台せんだい工場こうじょうキャンニングライン設置せっちまで250mlかん製品せいひん大半たいはんについて供給きょうきゅうけていた。ファンタグレープとう一部いちぶ製品せいひんについては自社じしゃ製造せいぞう開始かいしまでつづ供給きょうきゅうけた。
さんこくしゃのキャンニングプラントの機能きのうおも役割やくわりであったことから、自社じしゃ生産せいさん開始かいしまえのジョージア製品せいひん(1984ねん以前いぜん)や農協のうきょう委託いたく加工かこう製品せいひんであるHI-Cかん製品せいひん以外いがいのほぼすべての製品せいひん供給きょうきゅうけていた。
みちのくしゃ同様どうようキャンニングラインをっていなかったためだい部分ぶぶん商品しょうひん調達ちょうたつしていた(おもに350mlかん製品せいひん)。北陸ほくりくコカ・コーラボトリング傘下さんかはいってからは北陸ほくりくしゃからの調達ちょうたつにシフトしていった。
350mlかん製品せいひん供給きょうきゅうけていたが、武生たけふ工場こうじょう完成かんせいは350mlかん製品せいひん販売はんばい中止ちゅうし一部いちぶ製品せいひんのぞき250mlかん製品せいひん自社じしゃ生産せいさん全面ぜんめんてきえた。

上記じょうきボトラーへの供給きょうきゅうくわえ、かくボトラーしゃ製造せいぞう設備せつびでは対応たいおうしきれていなかったHI-Cエード(のちにHI-Cサンフィルに改称かいしょうかん天然てんねん色素しきそ直後ちょくごのファンタグレープかん、コカ・コーラの500mlかんとう製品せいひんはサツキ社きしゃ生産せいさんかくボトラーに供給きょうきゅうした。

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編集へんしゅう
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