(Translated by https://www.hiragana.jp/)
セドゥリウス・スコトゥス - Wikipedia

セドゥリウス・スコトゥスラテン語らてんご: Sedulius Scottus)は、アイルランドじん教師きょうしラテン語らてんご文法ぶんぽう聖書せいしょ注釈ちゅうしゃくしゃ9世紀せいききた。

セドゥリウスはわかセドゥリウスばれることもあるが、それはコエリウス・セドゥリウス5世紀せいき詩人しじん)と区別くべつするためである。セドゥリウスのアイルランド・ゲールかたちはSiadhalである。

わかセドゥリウスは840ねんから860ねんにかけて活発かっぱつ活動かつどうした。『よん君主くんしゅ年代ねんだい英語えいごばん』には、785ねんから855ねんにかけて6にんのセドゥリウスがいたことがしるされている。その6にんのうちで、1人ひとりは721ねんひらかれたローマでの教会きょうかい会議かいぎ参加さんかしており、べつ1人ひとりキルデア修道院しゅうどういん院長いんちょうになって828ねんんだ。

生涯しょうがい

編集へんしゅう

アイルランドじん教師きょうしあつまっていたロタール1せい(840ねん - 855ねん治下ちかリエージュ宮廷きゅうていで、セドゥリウスはもっともよくられていたというわけでももっと重要じゅうようというわけでもない。9世紀せいき記録きろく(の写本しゃほん)から、リエージュのせいランベール広場ひろばにセドゥリウス・スコトゥスとしてられる教師きょうしがいて、写本しゃほん筆記ひっきしゃ詩人しじんとして活動かつどうしたとかんがえられている。かれギリシアまなんでおり、Montfauconによれば、『ひじりえい』(now no. 8047 in the "Bibliothèque de l'Arsenal", Paris)を筆写ひっしゃしたのはかれであるという。90へんたっするかれは『Monumenta Germaniae Historica』の一部いちぶである『Poetae Aevi Carolini』に収録しゅうろくされてルートヴィヒ・トラウベによって発表はっぴょうされた。

かれ同郷どうきょうのボッビオのドゥンガル(パヴィア学校がっこうてた人物じんぶつ)のれいならって、生涯しょうがいミラノごした。んだ年代ねんだい場所ばしょ不明ふめいである。

著作ちょさく

編集へんしゅう

セドゥリウスのもっと重要じゅうよう著作ちょさくは、ポルピュリオスの『エイサゴーゲー』の注解ちゅうかいしょである『キリスト教徒きりすときょうと君主くんしゅについて』(:De Rectoribus Christianis)と、聖書せいしょ註解ちゅうかいである『ひじりパウロぜん書簡しょかんしゅう』(:Collectanea in omnes beati Pauli Epistolas)である。前者ぜんしゃキリスト教きりすときょう倫理りんりがくにおいていちじるしい功績こうせきとされる。『キリスト教徒きりすときょうと君主くんしゅについて』はキリスト教徒きりすときょうと君主くんしゅ教育きょういくするためにかれた論文ろんぶん本有ほんゆう特有とくゆう義務ぎむろんじた論文ろんぶん、かなり時代じだいに「君主くんしゅかがみ」とばれるような作品さくひんなが歴史れきしなかでもあきらかに最初さいしょ著作ちょさくである。

セドゥリウスの著作ちょさくでは、のどの特徴とくちょうにもまして、ふか道徳どうとくてき感覚かんかく国家こっか使命しめい純粋じゅんすい経済けいざいてきなものでもなければ他方たほう排他はいたてき教会きょうかいてきなものでもないという事実じじつ認識にんしきしめされている。実際じっさい教会きょうかい国家こっかとの関係かんけい問題もんだい提起ていきされ、セドゥリウスは教会きょうかい擁護ようごするために教会きょうかい正当せいとうせい断言だんげんしている。カール大帝たいていという一人ひとり人物じんぶつなか理想りそう教皇きょうこう理想りそう世俗せぞく君主くんしゅ両方りょうほう見出みいだし、それどころか世俗せぞく君主くんしゅ宗教しゅうきょうてき問題もんだいをも左右さゆうすることに賛成さんせいするような人々ひとびとにセドゥリウスはくみしない。ぎゃくに、かれ世俗せぞく権力けんりょく宗教しゅうきょう権力けんりょく区別くべつをはっきりさせることに賛成さんせいし、教会きょうかい権力けんりょく特権とっけんかたまもることを世俗せぞく君主くんしゅ要求ようきゅうする。女王じょおう資格しかくかんする記述きじゅつ(pp. 34 sq. in Hellmann's ed.)は、キリストきょうてき調子ちょうしそなえるのみならず、もっともいい意味いみでヒューマニスティックでもある。

『エイサゴーゲー』にたいする註解ちゅうかいしょは、西欧せいおうではラテン語らてんごばんのみでられている。

かれ書簡しょかんはセドゥリウスの著作ちょさくのうちでもっと興味きょうみをひかない、というわけではない。それらのうちいくつかは『Neues Archiv』, II, 188, and IV, 315として公刊こうかんされている。それらからは、アイルランドから大陸たいりくへの移住いじゅうしゃたちの栄枯盛衰えいこせいすいれ、大衆たいしゅうによってとおなじだけ世俗せぞくあるいは教会きょうかい権威けんいによってそういった移住いじゅうしゃたちにたいする姿勢しせい洞察どうさつあたえられる。

クロナードの学者がくしゃたち

編集へんしゅう

『クロナードの学者がくしゃたち』というがセドゥリウスにかえせられている:

  • Look on the marble columns surpassing the stars,
  • which the sand of the saint-bearing land supports here
  • happy, famous Ailerán, Vinnau, Fergus,
  • shining lights made by gift-carrying God.
  • O He sent a great present of Scotia [i.e.Ireland],
  • rich relics which Pictonia [i.e. Poitiers] wishes to be its own,
  • whence comes Titan and where night established the stars
  • and where midday is hot with blazing hours
  • [i.e. the east and the west and the south].

(The Celtic Latin Tradition of Biblical Style, p. 129, edited and translated by David Howlett, Dublin, 1995)

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • Hellmann, Sedulius Scotus (Munich 1906); Cath. Univ. Bulletin (April, 1898, and July, 1907)
  • Montague, John, ed. The Faber Book of Irish Verse (1974); Nune Viridant Segetes and Apologia Pro Vita Sua, p. 65.

外部がいぶリンク

編集へんしゅう

  この記事きじにはパブリックドメインであるつぎ百科ひゃっか事典じてん本文ほんぶんふくむ: Herbermann, Charles, ed. (1913). "Sedulius Scotus". Catholic Encyclopedia. New York: Robert Appleton Company.