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パラティーノ - Wikipedia

パラティーノ

イタリアのローマにあるおか

パラティーノラテン語らてんご: Palatinus, パラティヌスイタリア: Palatino)、パラティーノのおかラテン語らてんご: Mons Palatinus モンス・パラティヌス)は、ローマのななおかのうちのひとつ。もっと歴史れきしふるいといわれている。

パラティヌス
Palatinus
(Palatino)
キルクス・マクシムスからたパラティヌスのおか
所在地しょざいち 古代こだいローマ, 首都しゅとローマ
建設けんせつ時期じき 紀元前きげんぜん8世紀せいきこう5世紀せいき
建設けんせつしゃ 王政おうせいローマ, 共和きょうわせいローマ, 帝政ていせいローマ
建築けんちく様式ようしき 王族おうぞく貴族きぞく皇帝こうてい邸宅ていたく
関連かんれん項目こうもく ローマの古代こだい遺跡いせき一覧いちらん
の位置(ローマ内)
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パラティヌスのおかには、パラティウムPalatium)とケルマヌス(Cermalus)のふたつのいただきがあるが、紀元前きげんぜん3世紀せいきごろ以降いこうは、パラティウムはパラティヌスのおか全体ぜんたいのことをすようになる[1]

フォルム・ロマヌムキルクス・マクシムスだい競技きょうぎじょう)のあいだにある。古代こだいにはローマ建国けんこく英雄えいゆうロムルスレムスがかつてんだとされ、その貴族きぞく邸宅ていたくてられ、のちに初代しょだい皇帝こうていアウグストゥス筆頭ひっとう歴代れきだい皇帝こうてい宮殿きゅうでんてられたため、イタリア英語えいご宮殿きゅうでん(Palazzo, Palace)を意味いみするかたり語源ごげんとなった。

建国けんこく神話しんわ

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ローマ神話しんわによれば、軍神ぐんしんマルスレア・シルウィアアルバ・ロンガおうヌミトルむすめ)のあいだ双子ふたごロームルスとレムスまれたとされている。おう末弟ばっていのアムリウスは王位おういうばっていたが、あにまごである双子ふたご復讐ふくしゅうおそれて、双子ふたごテヴェレがわてた。双子ふたごおおかみひろわれ、ここパラティヌスにあった洞窟どうくつそだてられた。そのため、この洞窟どうくつがあった場所ばしょはルペルカル(ラテン語らてんご: Lupercal, おおかみ=Lupaが語源ごげん)ともばれる。やがてぶたいのファウストゥルス保護ほごされ、そのつまアッカ・ラレンティア英語えいごばんそだてられる。やがて2人ふたり成長せいちょうし、祖父そふ軍隊ぐんたい山賊さんぞく間違まちがえられてとらえられ尋問じんもんされるうちにまご判明はんめいする。あいだもなく兄弟きょうだい反逆はんぎゃくしゃ叔父おじころし、祖父そふ復位ふくいさせた。兄弟きょうだいは、自分じぶんたちがてられたテヴェレがわ川岸かわぎしくに建設けんせつしようとめた。ロムルスはパラティヌスのおかが、レムスはアウェンティヌスおかいと主張しゅちょうする。兄弟きょうだいのうちのどちらが建設けんせつしゃになるかをとりうらなめることになり、あにのロームスに軍配ぐんばいがり、あたらしいまち(Roma quadrata)の城壁じょうへききずくためにみぞはじめた(かべきずはじめたというせつもある)。それにおとうとのレムスがいかけいをあざけったので、兄弟きょうだいあいだたたかいがこり、おとうとあにころされてしまった。おとうと立派りっぱ埋葬まいそうしたあにロームスは紀元前きげんぜん753ねん4がつ12にちローマを建国けんこくし、パラティヌスにおおくのひとまわせた。かれは40年間ねんかん統治とうちし、くもなかえていった。これがローマの起源きげんだとされている。

パラティヌスでこった神話しんわじょう出来事できごとほかにもあり、ヘラクレスゲーリュオーンうしぐんれてギリシアにかえ途中とちゅうこのおとずれ、うしぬすまれたためカークスたおしたといわれる場所ばしょである。そのたたかいのときにヘラクレスの棍棒こんぼう穿うがたれたが、パラティヌスのおか南東なんとうのこっているという。

発掘はっくつ調査ちょうさによれば、紀元前きげんぜん1000ねんごろにはパラティヌスにひと居住きょじゅうした痕跡こんせきつかっている。古代こだいローマの歴史れきしリウィウスによれば、(ローマ建国けんこくまえのこと)サビニじんアルバひとがローマに移住いじゅうしてきたときに、もともとここにんでいたローマじんはパラティヌスにうつむようになったとされる。共和きょうわせいローマ紀元前きげんぜん6世紀せいき紀元前きげんぜん1世紀せいき)には、貴族きぞくなど裕福ゆうふく人々ひとびとがパラティヌスにまいをかまえるようになる。帝政ていせいローマ紀元きげん前後ぜんこう〜)、この地区ちく皇帝こうてい宮殿きゅうでんなら地区ちくとなる。ティベリウスみかど在位ざいい 14ねん-37ねん)が造営ぞうえいしたドムス・ティベリアナイタリアばんドミティアヌスみかどなどフラウィウスあさ(69ねん-96ねん)のドムス・フラウィアなどである。ティベリウスみかどてた宮殿きゅうでんのぞくすべての宮殿きゅうでんぐんのことを、ドムス・アウグスターナ[2](この場合ばあいのアウグスターナは皇帝こうてい意味いみし、アウグストゥスのみを言葉ことばではない)とぶこともある。アウグストゥスみかど在位ざいい BC27ねん-14ねん)はみずかてたドムス・アウグスティのとなりアポロン神殿しんでん (パラティヌス)イタリアばん造営ぞうえいしている。古代こだいローマつうじ、パラティヌスはユノマイア崇拝すうはいするルペルカーリアさいおこなわれる場所ばしょでもあった。

概要がいよう

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アウグストゥスみかどリウィア・ドルシッラ宮廷きゅうていとみられているドムス・リウィアエイタリアばんが、現在げんざい修復しゅうふく作業さぎょうちゅうである。となりにはキュベレーまつキュベレー神殿しんでん英語えいごばん発掘はっくつ作業さぎょうちゅうで、一般いっぱん公開こうかいはされていない。ドムス・リウィアエからフォルム・ロマヌムかう斜面しゃめんにはドムス・ティベリアナイタリアばんてられている。

パラティヌスのおか中央ちゅうおう付近ふきんめるのはドムス・フラウィア建物たてものぐんで、ウェスパシアヌスティトゥスドミティアヌスといったフラウィウスあさ(69ねん-96ねん)の皇帝こうていたちが整備せいびした。また、それ以降いこう皇帝こうていたちもドムス・フラウィアをキルクス・マクシムス方向ほうこうかって増築ぞうちくしていった。キルクス・マクシムスからのぞむパラティヌスの建物たてものぐんは、おもセプティミウス・セウェルスみかど在位ざいい 193ねん-211ねん)が増築ぞうちくしたもので、ドムス・セプティミ・セウェリばれる。このセプティミウス・セウェルスみかど増築ぞうちくした宮殿きゅうでんよこにはスタディオン(ドミティアヌスのヒッポドローム)とばれる戦車せんしゃ競技きょうぎじょうキルクス施設しせつがある。戦車せんしゃ競技きょうぎにはせますぎるため、古代こだいギリシア陸上りくじょう競技きょうぎかいもよお競技きょうぎじょうだと推測すいそくするせつもあるが、実際じっさい利用りよう方法ほうほう不明ふめいである。また、競技きょうぎじょうかたちをした庭園ていえんであったとするせつもある。

現在げんざい、パラティヌスの遺跡いせきぐんは、フォルム・ロマヌムフラウィウス円形えんけい闘技とうぎじょう(コロッセウム)一体いったいとなった広大こうだい屋外おくがい博物館はくぶつかんとして一般いっぱん公開こうかいされており、同一どういつ入場にゅうじょうけん見学けんがく可能かのうである。

パラティーノ

平面へいめん

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1:ドムス・ティベリアナイタリアばん, 2:ドムス・リウィアエイタリアばん, 3:ドムス・フラウィア, 4:ドムス・アウグスターナ, 5:スタディオン, 6:ドムス・セプティミ・セウェリ, 7:アポロン神殿しんでん (パラティヌス)イタリアばん, 8:クラウディア水道すいどう水道橋すいどうばし, 9:セウェルス浴場よくじょう, A:アウグストゥスのいえ, B:キュベレー神殿しんでん英語えいごばん, C:ロムルスのいえ英語えいごばん, D:エラガバリウム, E:ホレア・アグリッピアーナイタリアばん(穀物こくもつ倉庫そうこ)

 
再現さいげん模型もけい

おもどころ

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古代こだいローマ地形ちけいとローマのななおか

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紀元前きげんぜん31ねんのローマの地図ちずじょうしめした、ローマのななおかおよびその主要しゅよう地形ちけい名称めいしょう都市としかこ黒点こくてんせんセルウィウス城壁じょうへき

初期しょきローマのななおか
都市としローマ成立せいりつまえひと定住ていじゅうしたとつたえられるななおかで、オッピウス(オッピオ)、パラティウム(パラティーノの東側ひがしがわ)、ウェリア(ヴェーリア)、ファグタル(オッピオの一部いちぶ)、ケルマルス(パラティーノの西側にしがわ)、カエリウス(チェリオ)、キスピウスの7つである。
※カッコない現代げんだいのイタリアでの表記ひょうき
ローマのななおか
都市としローマの起源きげんとなったローマのななおかは、アウェンティヌス(アヴェンティーノ)、カピトリヌス(カンピドリオ)、カエリウス(チェリオ)、エスクイリヌス(エスクイリーノ)、パラティヌス(パラティーノ)、クイリナリス(クイリナーレ)、ウィミナリス(ヴィミナーレ)の7つである。
※カッコない現代げんだいのイタリアでの表記ひょうき
現代げんだいのローマななおか
アウェンティヌス(アヴェンティーノ)、カピトリヌス(カンピドリオ)、パラティヌス(パラティーノ)、クイリナリス(クイリナーレ)、ホルトゥロルム(ピンチョ)、ヤニクルム(ジャニコロ)、オッピウス(オッピオ)の7つ[3]である。
※カッコない現代げんだいのイタリアでの表記ひょうき

参考さんこう文献ぶんけん

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  1. ^ University of Chicago Samuel Ball Platner, A Topographical Dictionary of Ancient Rome, Palatinus London: Oxford University Press, 1929.
  2. ^ University of Chicago Samuel Ball Platner, A Topographical Dictionary of Ancient Rome, Domus Augustiana London: Oxford University Press, 1929.
  3. ^ 「ローマななおか」、『世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん』(平凡社へいぼんしゃ)、1988ねん

関連かんれん項目こうもく

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