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マルガット城 - Wikipedia

マルガットじょうまたはマルカブじょう(Marqab、フランス語ふらんすご: le Margat, アラビア: قلعة المرقب Qal‘at al-Marqab、「見張みはとうしろ」)は、シリアきずかれた十字軍じゅうじぐん時代じだい代表だいひょうてきしろクラック・デ・シュヴァリエとならぶひじりヨハネ騎士きしだん本拠ほんきょひとつであった。

マルガットじょう
マルガットじょう

マルガットじょうは、地中海ちちゅうかいめんした海抜かいばつ500mほどのやまうえにそびえる。このやまとおむかし活動かつどう停止ていしした火山かざんであり、みなみトリポリきたラタキアあいだ街道かいどう沿いにある。海岸かいがんからは2km、バニヤースまちやく6kmみなみにあたる。

おそらくフェニキアひがしマ帝国まていこくころよりとりでがあったとおもわれるが、現存げんそんする最古さいこ遺構いこう1062ねんにアラブじん領主りょうしゅつくったものであり、だい1かい十字軍じゅうじぐん十字軍じゅうじぐん国家こっかアンティオキア公国こうこく周囲しゅうい建設けんせつされたのちもアラブじん領主りょうしゅつづけた。1104ねん、ハッラーンのたたかいでアンティオキアがムスリムに敗北はいぼくきっすると、ひがしマ帝国まていこくよわみにみアンティオキアとその周囲しゅういたいする影響えいきょうつよめ、そのさいにこのとりでをアラブじんからうばった。すうねん、アンティオキアの摂政せっしょうタンクレードがこのとりでうばいアンティオキア公国こうこく編入へんにゅうした。

1170年代ねんだい、アンティオキアのルノー2せいマゾワール(Reynald II Mazoir)がトリポリはくこくふうしんとしてマルガットじょう支配しはいした。このしろ非常ひじょう巨大きょだいだったため、宮廷きゅうていのさまざまなかかり役人やくにん下位かいふうしんだん独自どくじっていた。かれ息子むすこベルトランは1186ねん、マゾワールちからではしろ維持いじまかないきれなくなったためひじりヨハネ騎士きしだんしろった。ひじりヨハネ騎士きしだん補修ほしゅう増築ぞうちくほどこして、これをシリアにおける拠点きょてんのひとつとした。騎士きしだんまもる14のとうはどれも難攻不落なんこうふらくおもえ、1188ねんサラーフッディーン(サラディン)がマルガットじょうたいする攻囲こういせんおこなったときも結局けっきょくおとせなかった。マルガットじょうは、サラーフッディーンによるシリア遠征えんせいのち西洋せいようじんのこ数少かずすくない領地りょうちのひとつとして、その100ねんちかちこたえた。

13世紀せいきはじめには、ひじりヨハネ騎士きしだんしろ周囲しゅうい土地とち道路どうろ支配しはいき、そこを通行つうこうする旅人たびびと商人しょうにん巡礼じゅんれいらからおおきな利益りえきた。ひがしマ帝国まていこくキプロス太守たいしゅだったイサキオス・コムネノス(Isaakios Komnēnos、Isaac Komnenos)は、だい3かい十字軍じゅうじぐんさいにイングランドおうリチャード1せいらえられキプロスをうばわれたのちひじりヨハネ騎士きしだんわたされ1194ねんまでマルガットじょう幽閉ゆうへいされた。ちかくのまちヴァレニア(Valenia、現在げんざいバニヤース)の司教しきょうも、1240ねんごろ以降いこうまもりのかたいマルガットじょう拠点きょてんうつした。マルガットじょうひじりヨハネ騎士きしだんとりでしろなかでも格段かくだんおおきく、これよりおおきなしろみなみ内陸ないりくにあるクラック・デ・シュヴァリエしかなかった。

エジプトのマムルークあさのスルタン・カラーウーン1285ねん4がつ25にちからマルガットじょう包囲ほういかった。工兵こうへいきた城壁じょうへきあなり、1ヵ月かげつしろ陥落かんらくした。カラーウーンはしろ巨大きょだいさと騎士きしだん勇気ゆうき感心かんしんし、騎士きしだんたいし、てるものすべって安全あんぜん撤退てったいできるようはからった。カラーウーンはとしたとりでこわしてきたが、このしろかんしてはマムルークの駐屯ちゅうとんとして使つかつづけた。

ギャラリー 編集へんしゅう

外部がいぶリンクおよび文献ぶんけん 編集へんしゅう

  • photograph on Google Maps
  • Maxime Goepp, Les forteresses de Syrie, Margat
  • Amin Maalouf, Les croisades vues par les Arabes , Éd. J'ai lu, 1985, (『アラブが十字軍じゅうじぐんアミン・マアルーフ、ちくま学芸がくげい文庫ぶんこISBN 4-480-08615-3
  • Georges Pillement, Liban, Syrie et Chypres inconnus, Éd. Albin Michel, Les guides Pillement, 1971.

座標ざひょう: 北緯ほくい3509ふん04びょう 東経とうけい3556ふん57びょう / 北緯ほくい35.15111 東経とうけい35.94917 / 35.15111; 35.94917