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原風景 - Wikipedia

はら風景ふうけい

かく個人こじんにとっての原初げんしょ風景ふうけい

はら風景ふうけい(げんふうけい)は、ひとしんおくにある原初げんしょ風景ふうけいなつかしさの感情かんじょうともなうことがおおい。また実在じつざいする風景ふうけいであるよりは、心象しんしょう風景ふうけいである場合ばあいもある。個人こじんのもののかんがかたかんかたおおきな影響えいきょうおよぼすことがある。

概要がいよう

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カミーユ・コロー『モルトフォンテーヌのおも』(1864ねん


ひとがある程度ていど年齢ねんれいいたったときに、もっとふる印象いんしょうのこっている風景ふうけいやイメージがある。戦時せんじちゅう幼少ようしょうごしたものは、爆撃ばくげきされ荒涼こうりょうとしたあとである場合ばあいもあれば、漁村ぎょそんせいけたものにとっては、それはカモメがい、干上ひあがったイワシの死骸しがい点在てんざいするてたさびれた漁港ぎょこう風景ふうけいかもしれない。おおくは幼少ようしょう生活せいかつ環境かんきょう根本こんぽんにある場合ばあいおおい。しかし、生活せいかつしていた環境かんきょうではなく、たまたま旅行りょこうおこなったさき景色けしきである場合ばあいもある。おおくの場合ばあい、それらは「郷愁きょうしゅう風景ふうけい」であり、なつかしさの感情かんじょうともな愛着あいちゃくかんじることがおおいが、そのひとちによっては不快ふかい感情かんじょうともな場合ばあいつよ感傷かんしょうもよお場合ばあいがある。また、しばしばはら風景ふうけい美化びかされたり、みずからが都合つごうのいいように変化へんかしていたりする。

しばしば「日本にっぽんげん風景ふうけい」というような使つかわれかたをするが、この場合ばあい個人こじん単位たんいによって「日本にっぽんげん風景ふうけい」のイメージはことなって当然とうぜんである。それは「かや屋根やね民家みんかち、よく手入ていれされた田畑たはたのある農村のうそん風景ふうけい」であるかもしれないし、あるひとにとっては「東京とうきょうのビルがい」である場合ばあいもあれば、夕暮ゆうぐ味噌汁みそしるにおいのたちめるひくのきなら下町したまちまちかもしれない。しかし「日本にっぽんの-」という場合ばあい日本人にっぽんじんおもかべる最大公約数さいだいこうやくすうてきふる日本にっぽん平均へいきんてき風景ふうけい意味いみするように使つかわれるのが普通ふつうである。

ひとは、無意識むいしきにそれぞれのげん風景ふうけい実在じつざいする風景ふうけい見出みいだ場合ばあいがある。このときはじめてるにもかかわらず、なつかしさの感情かんじょうもよおしたりデジャビュ経験けいけんしたりする。

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