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呂洞賓 - Wikipedia

りょほらまろうど

中国ちゅうごく代表だいひょうてき仙人せんにんであるはちせん一人ひとり

りょ ほらまろうど(りょ どうひん、貞元さだもと12ねん4がつ14にち796ねん5月4にち) - ?)は、中国ちゅうごく代表だいひょうてき仙人せんにんであるはちせん一人ひとり

雪村ゆきむらあまねつぎさくりょほらまろうど
りょほらまろうど

概要がいよう

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(嵓、いわおいわおいわともく。もとの)といい、ほらまろうどである。ごうじゅん陽子ようしじゅん真人しんじんともび、あるいはたんりょ(りょそ)ともばれる。

民間みんかん信仰しんこう対象たいしょうとなり人々ひとびと敬愛けいあいされたことから、13世紀せいきもとたけはじめから「じゅんえんじせい警化まことたすくみかどくん」の称号しょうごうおくられ、正式せいしき神仙しんせんとなった。以後いご王朝おうちょうからもかみ公認こうにんされ、道教どうきょうでの普遍ふへんてき称号しょうごうまことたすくみかどくんしょうされる[1]

かばのしゅう永楽えいらくけん現在げんざい山西さんせいしょううん城市じょうし芮城けん)のひと祖父そふとうれいさむらいろうりょ渭。ちちうみしゅう刺史ししりょゆずる

鍾離けんであり、おわり南山なんざん秘法ひほうけんばし退治たいじする「てん遁剣ほう」、また雷雨らいうあやつる「かみなりほう」)をさずかり、道士どうしとなったとされる。その姿すがたけんった書生しょせいで、青年せいねんあるいは中年ちゅうねん男性だんせいとしてえがかれる。

りょほらまろうどかんする資料しりょうとして「じゅんりょ真人しんじん文集ぶんしゅう」「りょこころざし」「りょ全書ぜんしょ」「りょ彙集」などがある。 科挙かきょ受験じゅけんしゃであり、教養きょうようのある出自しゅつじであることからすぐれた詩歌しかいくつものこしたという伝承でんしょうがあり、現代げんだいにもりょほらまろうどさく名乗なの修行しゅぎょうしょ詩歌しか作品さくひん多数たすうのこされているが、そうふう特徴とくちょう作品さくひんおおく、作者さくしゃがその人気にんきあやかって仮託かたくしたものとかんがえられる[1]

曹国しゅうとなど。かん湘子なにせんしゅうとふくめるせつもある。

伝承でんしょう

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まれながらにかねがた木質もくしつつるいただきかめこつひだりまゆかく黒子くろこがあるなどの異形いぎょうだった、母親ははおやいち白鳥はくちょう室内しつないはいゆめたあとに出生しゅっしょうした、などの異常いじょう誕生たんじょうたんがある[1]おさなころから聡明そうめいで、いちにち万言まんげんしるしたという。身長しんちょう8しゃく2すんこのんで華陽かようはばこうむり、黄色おうしょくの襴衫をて、くろいたをぶらげていた。20さいになってもつまめとろうとはしなかった。

出世しゅっせ目指めざし、科挙かきょかいけたが、落第らくだいしてしまう。長安ながやす酒場さかばにて、くもぼう名乗なの一人ひとり道士どうし(鍾離けん)に出逢であい、修行しゅぎょうさそいをけるが、出世しゅっせゆめれず、これをことわった。

鍾離けん粱をいているあいだりょほらまろうどはうたたをし、ゆめる。科挙かきょ及第きゅうだい出世しゅっせし、良家りょうけむすめ結婚けっこんし、たくさんの子供こどもをもうけた。そうして40ねんぎるが、あるとき重罪じゅうざいわれてしまい、家財かざい没収ぼっしゅうされ、家族かぞくはなばなれとなり、左遷させんされてしまう。

そこでめるが、まだ粱はけていなかった。俗世ぞくせはかなさをさとり、鍾離けん弟子入でしいりをもとめると、じゅう試練しれんされることとなる。これを見事みごとこなしたりょほらまろうどは、れて鍾離けん弟子でしとなり、しばし修行しゅぎょうしたのち仙人せんにんとなった[2]

このはなしは、『まくらちゅう』の「粱のゆめ」と酷似こくじしている[1]。また、この「粱のゆめ」に登場とうじょうするりょおきなりょほらまろうどのことであるともされる。

はちせん得道とくどうでん』『はちせん東遊あずまあそび』など、あききよしあきらかい小説しょうせつにおいては、りょほらまろうどは鍾離けんであるひがしはなみかどくんまれわりである、という記述きじゅつおおられる。

じゅうためし

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りょほらまろうどが鍾離けんからけたじゅう試練しれん以下いかのようなものである[2]

だいいちためし
あるほらまろうど外出がいしゅつもどってくると、家族かぞく全員ぜんいん病死びょうししていた。かれなげくことなく淡々たんたん葬儀そうぎ準備じゅんびをした。しばらくすると、死者ししゃはみなかえったが、りょほらまろうどまったあやしまなかった。
だいためし
あるほらまろうどものりにき、その値段ねだんめたが、相手あいて前言ぜんげん撤回てっかいし、値段ねだん半分はんぶんしかはらわなかった。しかし、ほらまろうどなにわなかった。
だいさんためし
ほらまろうどもともんようとしたところ、乞食こじきほどこしをもとめてきたので、ほらまろうどものあたえた。しかし、乞食こじきはさらにもの要求ようきゅうし、そのうえののしりだした。しかし、ほらまろうどはただわらってあやまるのみであった。
だいよんためし
ほらまろうど山中さんちゅうひつじ放牧ほうぼくしていると、いちひきえたとらひつじれをいかけてきた。ほらまろうどひつじ下山げざんさせ、をもってとらまえちふさがると、とらっていった。
だいためし
ほらまろうど山中さんちゅうみちしゃ読書どくしょをしていると、突然とつぜん、17、8さい絶世ぜっせい美女びじょがやってきた。ははもとからかえるところなのだが、にちれてしまったので、やすませてしいという。よるになると、女性じょせいなん誘惑ゆうわくしたが、ほらまろうど最後さいごまでしんうごかさなかった。女性じょせいさんにちったのちっていった。
だいろくためし
あるほらまろうど外出がいしゅつもどってくると、いえ財産ざいさんすべぬすまれていた。しかしほらまろうどいかりのいろせず、みずかたがやはじめた。すると、すきなにたるものがある。こしてみると、すうじゅうきむじょう貨幣かへいとなる金塊きんかい)であった。しかし、ほらまろうどはそれをめ、ひとつもらなかった。
だいななためし
あるほらまろうどまち銅器どうきってかえったが、るとそれはすべきんでできていた。ただちに銅器どうきぬしさがし、これをかえした。
だいはちためし
くるった道士どうしがあぜみちくすりっており、「このくすりんだものはたちどころにに、ふたたかえって得道とくどうできる」とっていたが、10日とおかってもものはいなかった。ほらまろうどがこれをうと、道士どうしが「すみやかに死後しごそなえるがよい」とった。ほらまろうどはこのくすりんでみたが、なにおこらなかった。
だいきゅうためし
ほらまろうど大勢おおぜい人々ひとびとともかわわたっていた。しかし中流ちゅうりゅういたるとかわ氾濫はんらんし、ふうはげしくれ、荒波あらなみがどっとせた。人々ひとびとはみなおそれおののいたが、ほらまろうどはしうごかなかった。
だいじゅうためし
ほらまろうどがひとり部屋へやすわっていると、突然とつぜん奇妙きみょうもの無数むすうあらわれ、ほらまろうどおそいかかりころそうとした。しかしほらまろうど正座せいざしたままで、すこしもおそれることがなかった。つぎすうじゅうもの夜叉やしゃおそいかかってきた。また、をしたたらせた死刑しけいしゅうきながら「おまえ前世ぜんせいわたしころした。いまわたしいのちつぐなってくれ」とうったえる。ほらまろうどは「ひところしたのなら、つぐなうのがだ」とい、かたな自殺じさつしようとした。

すると突然とつぜん空中くうちゅう大声おおごえひびわたったかとおもうと、鬼神きじんたちはみな姿すがたした。ただ一人ひとりたたいて大笑おおわらいするものがいる。ると、それは鍾離けんであった。「あなたを10かいためしてみたが、しんかた何事なにごとにもどうじない。きっと仙人せんにんとなることができるだろう」とい、かれりょほらまろうど弟子でしとした。

づるろう

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中国ちゅうごくよん大名だいみょうろう中国語ちゅうごくごばんひとつであるづるろうのいいつたえに登場とうじょうする仙人せんにんが、りょほらまろうどであるともわれている。

楊家はた演義えんぎ

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また、かれ楊家はた演義えんぎにも登場とうじょうする。そうりょうあらそっているころりょほらまろうどと鍾離けんそうをした。おこったりょほらまろうど椿つばきじゅせいれて外界がいかいくだり、りょうたすけることとし、それをった鍾離けんそう味方みかたする。

民間みんかん信仰しんこう

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りょほらまろうど悪政あくせいくるしむ民衆みんしゅうたすけるために出現しゅつげんしたという伝承でんしょう各地かくちにあり、さんこく時代じだい武将ぶしょうであるせきはねかたならべるほどの人気にんきがある。癒神、武神ぶしん試験しけんかみざいしん砂金さきんりのかみ)、かみくじうらなかみ理髪りはつ文具ぶんぐ遊女ゆうじょごうしんとして、道教どうきょうでは主神しゅしんとしてまつびょうおお[1]

また、ちょん真教まさのり開祖かいそであるおう重陽ちょうよう田舎いなか酒屋さかやきむまことどう口訣くけつあたえたという説話せつわから、ちょん真教まさのりではとく重要じゅうようされており[1]江南こうなんちょん真教まさのり道士どうしであったなえときそうもとだいりょほらまろうど奇跡きせきたんをまとめた「じゅんみかどくん神化しんかみょうどおり」を編纂へんさんした。

  • いぬ咬呂ほらまろうどいぬりょほらまろうどのようなひとむ) - 悪人あくにん善人ぜんにん見分みわけがつかないこと

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f 福島ふくしま一浩かずひろ松枝まつえだいたへん)「仙人せんにん誕生たんじょうちょん真教まさのりりょほらまろうど信仰しんこう中心ちゅうしんとして」『象徴しょうちょう図像ずぞう研究けんきゅう動物どうぶつ象徴しょうちょう言叢社げんそうしゃ 2006 ISBN 4862090079 pp.535-543.
  2. ^ a b 伝説でんせつ仙人せんにん りょほらまろうどけた10かい試練しれん”. epochtimes.jp. 株式会社かぶしきがいしゃだい紀元きげん, 特定とくてい営利えいり活動かつどう法人ほうじんエポックメディア (2018ねん2がつ28にち). 2020ねん6がつ7にち閲覧えつらん

参考さんこう外部がいぶリンク

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