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国引き神話 - Wikipedia

くに神話しんわ

出雲いずもこく風土記ふどき』にかれる島根しまね半島はんとう形成けいせい神話しんわ

くに神話しんわ(くにびきしんわ)は、出雲いずもこくつたわる神話しんわひとつである。『古事記こじき』や『日本書紀にほんしょき』には記載きさいされておらず、『出雲いずもこく風土記ふどき』の冒頭ぼうとう意宇いうぐん最初さいしょ部分ぶぶんかれている。

概要がいよう

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当初とうしょつくられた出雲いずもこくは「八束水やつかみしん津野つのいのち(やつかみずおみつぬのみこと)」によれば「せまぬの(さの)のややこくなるかも、はつくにちいさくつくらせり、(かれ)、つくぬいはな」という失敗しっぱいさくであったという[1]。「せまぬの」すなわちくにかたち東西とうざい細長ほそながぬののようであったという[1]。そこで、八束水やつかみしん津野つのいのちは、とおく「こころざしおさむ」「北門きたもん岐」「北門きたもんのう」「高志たかし」のあまった土地とちき、よん、「三身みつみつな」で「くに」をせて「せまぬのややこく」にわせ、できた土地とち現在げんざい島根しまね半島はんとうであるという[1]

あまった土地とち出発しゅっぱつとし、わせた場所ばしょ到着とうちゃくとして、4つの段落だんらくけて詳細しょうさいをまとめるとひょうとおりである[2]

くに神話しんわ登場とうじょうする地名ちめい
段落だんらく 出発しゅっぱつ 到着とうちゃく
こころざしおさむしらぎさんみさき まめこづおりぜっをりたえから 八穂やほなんじやほに[3] ささえまめささえきづきみさき
北門きたもんきたどさきくに 多久たくたくおりぜっをりたえ[4]から せまさだくに
北門きたもんきたどのうぬなみ[5]くに 宇波うなみ[6]おりぜっをりたえから やみくらみくに
高志たかしこしみやこつつさんみさき 三穂みほみほさき

こころざしおさむさん埼をいたつなその長浜ながはま稲佐いなさはま)に、三穂みほの埼をいたつな夜見よみしまゆみはま半島はんとう)になった。そして、くにきをえた八束水やつかみしん津野つのいのちさけごえとともに大地だいちつえすと繁茂はんもし「意宇いうもり(おうのもり)」になったという。

比定ひてい

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神話しんわ登場とうじょうする地名ちめい比定ひていは、こころざしおさむしんくにまめもとまめ神社じんじゃのある出雲いずも小津おつまちささえまめささえ埼を出雲いずも大社たいしゃまち日御碕ひのみさき北門きたもん北方ほっぽう出入口でいりぐちとし出雲いずも日本海にほんかいがわみなと伎を出雲いずも大社たいしゃまち鷺浦さぎうら多久たくをかつて多久たくしゃ多久たくがわのあったとされる松江まつえ鹿島かしままち北講武きたこうぶなど、せま松江まつえ鹿島かしままち佐陀本郷さだほんごうなど、のう松江まつえ島根しまねまち野波のなみ宇波うなみをかつてのしみ(たしみ)さととされる松江まつえ手角たすみ(たすみ)まちやみひさ良弥りょうや神社じんじゃのある松江まつえ新庄しんじょうまち高志たかし北陸ほくりく地方ちほう越前えちぜん越中えっちゅう越後えちご)、みやこ能登半島のとはんとう北端ほくたん珠洲岬すずみさきさん島根しまね半島はんとうひがしはし松江まつえ美保関みほのせきまちとするせつがある[2]

しかしこの解釈かいしゃく場合ばあいだい一段いちだんだいよんだん出雲いずもがいからしん珠洲すず出雲いずもいてきたことたいして、だいだんだいさんだん出雲いずも日本海にほんかいがわ伎やのう出雲いずもいてきたことになり「島根半島しまねはんとう内部ないぶのスケールのちいさなはなし」となり、くにきとはいえないという意見いけんがあり、北門きたもん越後えちご付近ふきんもしくは石川いしかわけん解釈かいしゃくするせつもある[7]。または北門きたもん隠岐おきとして前者ぜんしゃ隠岐おき道前みちまえ後者こうしゃ隠岐おき道後どうごとするせつもある[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d せき和彦かずひこ古代こだい出雲いずもくにのかたちをたどる」(かいvol.0035』角川書店かどかわしょてん原著げんちょ2012-3-28)。ISBN 9784041300183 
  2. ^ a b 日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけい風土記ふどき」』岩波書店いわなみしょてん、1958ねん4がつ5にち 
  3. ^ しょつてぶんには「八穂やほまい」とあるが内山うちやましんりゅう出雲いずも風土記ふどきかい」にしたがい、ここでは「べい」は「なんじ」の略字りゃくじの「尓」のあやまりとかんがえ、「八穂やほなんじ」とする。
  4. ^ 湾入わんにゅうした海岸かいがん最奥さいおうとする。
  5. ^ しょつてぶんには「りょうなみ」とあるが千家せんげ俊信としのぶ訂正ていせい出雲いずも風土記ふどき」にしたがい、ここでは「のう」とする。
  6. ^ 宇波うなみぬい」とするつてほんもある。「しみ」のあやまりとする横山よこやま永福えいふく出雲いずも風土記ふどきこう」や後藤ごとうせつのほか、「ひた」のあやまりとするかんがえもあり、岩波いわなみ日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけいでは「宇波うなみ」を「たしみ」とくんずる。
  7. ^ 大山おおやまはじめ初期しょき天皇てんのう后妃こうひなぞきこ書房しょぼう、2003ねん2がつ20日はつかISBN 4-87771-609-2 

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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