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墳丘墓 - Wikipedia

墳丘ふんきゅう

うえあるいはいしかさねておかのようなかたちとした墳墓ふんぼ
墳丘ふんきゅうから転送てんそう

墳丘ふんきゅう(ふんきゅうぼ)は、一般いっぱんに、うえあるいはいしかさねておかのようなかたち墳丘ふんきゅう)とした墳墓ふんぼをいう。墳丘ふんきゅうづかマウンド(mound)、土饅頭どまんじゅうなどとぶこともある。世界せかい様々さまざま地域ちいきにある。なお石造せきぞうよん角錐かくすいじょうのものはとくピラミッドばれ、墳丘ふんきゅうとは区別くべつされる。

スウェーデンガムラ・ウプサラ墳丘ふんきゅうはかぐん

日本にっぽんでも弥生やよい時代じだい弥生やよい墳丘ふんきゅう)から現代げんだい陵墓りょうぼいたるまでつくられている。とく古墳こふん時代じだい古墳こふん発展はってんげた。なお慣習かんしゅうじょう古墳こふん時代じだいのものは墳丘ふんきゅうばれることはすくない。

古代こだいおうあるいは権力けんりょくしゃ巨大きょだい墳丘ふんきゅうきずいたれいがよくられるが、庶民しょみんほうむられたとおもわれる小型こがた群集ぐんしゅうふんなどもある。またはかかぎらず(はかかどうか不明ふめいのものもあるが)記念きねんぶつあるいは宗教しゅうきょうてき目的もくてきからつくられた同様どうようのものもある(日本にっぽん山岳さんがく信仰しんこうもとづく富士塚ふじづかなど)。

ひがしアジア

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日本にっぽん

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弥生やよい時代じだい墳丘ふんきゅう弥生やよい時代じだいはかせい参照さんしょう)、および古墳こふん時代じだい発展はってんげた古墳こふん代表だいひょうてき東北とうほく地方ちほう北海道ほっかいどう西部せいぶでは7〜9世紀せいきごろ末期まっき古墳こふん造営ぞうえいされている。

朝鮮ちょうせん

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さんこく時代じだい百済くだらしん高句麗こうくり伽耶かやつくられたものがられ、とく有名ゆうめいなのは慶州けいしゅうにあるしんおうはかぐんと、高句麗こうくり古墳こふんぐんである。

日本にっぽん前方後円墳ぜんぽうこうえんふん韓国かんこく南西なんせい伽耶かや百済くだらさかい付近ふきん)でも見出みいだされている。また高句麗こうくり古墳こふん影響えいきょうけたとおもわれるせき石塚いしづか日本にっぽん一部いちぶ古墳こふんられる。

中国ちゅうごく

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はた始皇帝しこうていりょう有名ゆうめい

ひがしヨーロッパ・中央ちゅうおうアジア

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青銅器せいどうき時代じだい鉄器てっき時代じだい多数たすうつくられ、クルガン(トルコ起源きげんのロシア)と総称そうしょうされる。青銅器せいどうき時代じだい初期しょきロシアウクライナ周辺しゅうへんのクルガンについては、はらインド・ヨーロッパ民族みんぞくのものとするせつクルガン仮説かせつ)がある。

カザンラクスヴェシュタリにあるトラキアじん墳墓ふんぼ有名ゆうめい

ヴェルギナ現在げんざいはギリシャりょう)の墳墓ふんぼ一説いっせつにはマケドニアおうピリッポス2せいのものという。

中東ちゅうとう

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巨大きょだい墳丘ふんきゅう多数たすうられるが、なかでもとく巨大きょだいなものとしてられるのがつぎの3つである。

西にし中央ちゅうおうヨーロッパ

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しん石器せっき時代じだいから鉄器てっき時代じだいにかけて多数たすう墳丘ふんきゅうつくられた。先史せんしヨーロッパにはまた、ドルメンささえせきはか)、メンヒルその巨石きょせき記念きねんぶつおおつくられた。北欧ほくおうではキリスト教きりすときょう(11世紀せいき)まで墳丘ふんきゅうつくられ、とくスウェーデンガムラ・ウプサラ巨大きょだいおう有名ゆうめいである。イギリスでもアングロサクソン時代じだいにこの影響えいきょうけたとかんがえられるものがある。アイルランドでも独自どくじ墳丘ふんきゅうがキリスト教化きょうか以前いぜんつくられた。

 
カンタベリーのデーン・ジョン古墳こふん
イギリス
スキップシーじょう英語えいごばんは、鉄器てっき時代じだい最大さいだい墳丘ふんきゅううえっている[1]。このように墳丘ふんきゅうおかのようになっていることから戦略せんりゃくじょう要塞ようさいとなることがまれきる[2]。18-19世紀せいき富裕ふゆうそう趣味しゅみで「塚堀つかぼりり」(barrow-digging)というみがおこなわれ、墳丘ふんきゅう研究けんきゅうすすんだ半面はんめん墳丘ふんきゅう破壊はかいされるめんもあった[3]古墳こふんうえてられたしろにはマールバラじょう英語えいごばんトラボッホじょう英語えいごばんメイデンじょう英語えいごばんなどがげられる。

きたアメリカ

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しん石器せっき時代じだい以降いこう墳丘ふんきゅう多数たすうられており、これらをつくった人々ひとびとは“Mound builder”とばれる。とくミシシッピ文化ぶんか紀元きげん700-1500ねんごろミシシッピがわ流域りゅういき)で大型おおがたのものが多数たすうつくられている。カホキア参照さんしょう

おおくのネイティブ アメリカンの文化ぶんか建設けんせつされた動物どうぶつなどの人形にんぎょうエフィジー英語えいごばん)にかたどられたるいエフィジー・マウンド英語えいごばんてられ、儀式ぎしきとする以外いがいにも、その一部いちぶ埋葬まいそう使つかわれた[4]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Largest Iron Age monument found at Skipsea Castle BBC 3 October 2016
  2. ^ Kenyon, John R. (2005) Medieval Fortifications. London: Continuum. 978-0-8264-7886-3.pp.9-10.
  3. ^ The Early Barrow Diggers ちょ:Barry M Marsden ISBN 9780752462240 Published: 01-03-2011 出版しゅっぱんしゃThe History Press英語えいごばん
  4. ^ Effigy Mounds Culture” (英語えいご). Wisconsin Historical Society (2012ねん8がつ3にち). 2022ねん8がつ25にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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