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映画用カメラ - Wikipedia

映画えいがようカメラ(えいがようカメラ)とは、フィルムうえ映像えいぞう連続れんぞくして露光ろこうし、動画どうが撮影さつえいするための装置そうちである。その大枠おおわく定義ていぎのなかでも、映画えいがるためのカメラを、撮影さつえい(さつえいき)という[1]。その機構きこうは、レンズ可変かへんひらけ角度かくどシャッター英語えいごばんフィルム間欠かんけつ輸動装置そうち英語えいごばんからなり、現在げんざいではフィルム走行そうこう原動力げんどうりょくには電動でんどうモーターもちいるが、初期しょきからあるいは現代げんだいいた一部いちぶ小型こがた映画えいがよう撮影さつえいには手回てまわし、あるいは時計とけい仕掛しかのモータードライヴをもちいている[2]フィルモクラスノゴルスクロモキノひとし)。

基本きほんてき動作どうさ:シャッターひらいたときフィルム一瞬いっしゅん感光かんこうする。シャッターがまったとき、パーフォレーション使つかい、つぎコマおくる。(GIF動画どうが
ゼンマイしきボレックス16mmじゅうろくみりカメラ

フィルムじょうへの記録きろく基本きほん原理げんりは、1820年代ねんだいにフランスで開発かいはつされたスチル写真しゃしん原理げんりうことがだいであり、19世紀せいきまつ以来いらいほとんどわっていない。 モーション(うごき)の記録きろく成功せいこうした最初さいしょの2つのカメラは、トーマス・エジソンのキネトグラフ(キネトスコープ)とリュミエール兄弟きょうだいシネマトグラフであった。両者りょうしゃともひかり遮断しゃだん映画えいがようフィルムを収容しゅうようするカメラ本体ほんたい採用さいようしていた。

基本きほん原理げんり

編集へんしゅう

フィルムは、レンズのついたアパーチャー通過つうかし、レンズによってごくわずかの時間じかん露光ろこうされることによって、レンズのまえにある映像えいぞう記録きろくする。 映写えいしゃされるとうごいているかのような錯覚さっかく十分じゅうぶんあたえうる映像えいぞう記録きろくするには、フィルムに連続れんぞくてき露光ろこうする必要ひつようがある。 連続れんぞくてきおくられているフィルムは、回転かいてんしきのシャッターがひらいているあいだはアパーチャーのまえめられ、露光ろこうされる。シャッターがじられるとフィルムはつぎコマおくられ、露光ろこうする。これらの間欠かんけつてき動作どうさかえすことによって連続れんぞくてき映像えいぞう記録きろくすることができる。フィルムは一定いっていのスピードで、そしてアパーチャーないではずれることなく露光ろこうされる必要ひつようがある。これを実現じつげんするためには、アパーチャーの背後はいご露光ろこう十分じゅうぶんなあいだフィルムをめ、一定いっていだが間欠かんけつてき速度そくどでフィルムをうごかすことができるスプロケット・ホイールなどの仕組しくみを使つかってフィルムを安定あんていさせる高度こうど精密せいみつなメカニズムが必要ひつようである。

初期しょき映画えいがには、露光ろこうときにフィルムを安定あんていさせるメカニズムが不完全ふかんぜんであったために、ぎくしゃくした質感しつかん時々ときどきあった。1920年代ねんだいには初期しょき木製もくせいカメラから金属きんぞくせいカメラに移行いこうしたときに、うご部品ぶひんがより正確せいかくつくられ固定こていされるようになったために、純粋じゅんすい機械きかいてきおおくの問題もんだい解決かいけつされはじめた。20世紀せいきは、ふるいものはどんどん改善かいぜんされ小型こがたされる世紀せいきだったのである。

最初さいしょ映画えいがカメラをつくった人物じんぶつかんしては複数ふくすうせつがある。1888ねんルイ・ル・プランスによって原型げんけい設計せっけいされ、イングランドの国立こくりつメディア博物館はくぶつかん展示てんじされている。ル・プランスはかみテープとジョン・カーバットフランス語ふらんすごばんと、あるいはブレア&イーストマン( Blair & Eastman )の1 3/4 インチはばのセルロイド・フィルム(可燃かねんフィルム)を使用しようした。

先駆せんくしゃとして、イングランドのブリストルのウィリアム・フリーズ=グリーン英語えいごばんがいた。1888ねん-89ねんかれはA. Légé をて、かみのフィルムにわりかれのカメラでパーフォレーションのフィルムを供給きょうきゅうした。

ジョルジュ・ドムニー英語えいごばんは、エチエンヌ=ジュール・マレイ製造せいぞうした撹拌かくはん装置そうちを1893ねん採用さいようした。フィルムのはばは60mmだった。

リュミエール兄弟きょうだいのカメラは、原型げんけいがリュミエール工場こうじょう主任しゅにんメカニックのシャルル・モワソンによるもので、1894ねんリヨンでつくられた。35mmはばみじかかみせいのフィルムを使用しようした。1895ねん、リュミエールはセルロイドせいのフィルムをニューヨークセルロイド製造せいぞう会社かいしゃから購入こうにゅう、これに感光かんこう乳剤にゅうざい塗布とふしてみぞとパーフォレーションをつけた。陽画ようが使用しようする方法ほうほうられていなかった。

最初さいしょぜん金属きんぞくせい映画えいがカメラはベル&ハウエルが、1911-12ねん発売はつばいしたスタンダード・シネマトグラフである。

今日きょう、もっとも普及ふきゅうした35mmカメラはアリフレックスムービーカム(いずれもアーノルド&リヒターグループ)とパナビジョン機種きしゅである。高速度こうそくど撮影さつえいにおいてはフォトソニック( PhotoSonic )が使用しようされる。

現代げんだい映画えいがようカメラ

編集へんしゅう

サウンドの同時どうじ録音ろくおん可能かのうにするため、防音ぼうおん仕切じきりのなかにおさめられたゼンマイしきのモーターを依然いぜんとしてもちいる大変たいへんちいさなカメラもあるにはあるが、実質じっしつ上今かみいまではすべてのカメラは、動力どうりょくげんとして電動でんどうモーターをもちいている。

また現在げんざいでは、カメラ本体ほんたいは、軽量けいりょうされ手持ても可能かのうになり、ブームのかたわくあるいはそののコントロール可能かのう機械きかいじょう使用しようできる。その上今かみいまでは、さまざまな撮影さつえいそしてさまざまな予算よさんてきした、おおくのフィルム規格きかく存在そんざいしている。

現在げんざいのほとんどのプロようカメラは、レンズきのカメラ本体ほんたい(ボディ)、そして独立どくりつ分離ぶんり可能かのう部品ぶひんであるビューファインダー、マガジン(ここにフィルムを収容しゅうようする)の3つからおも成立せいりつしている。とくにこの本体ほんたい軽量けいりょうされたために、多様たようなシチュエーションで映画えいが撮影さつえいできるようになり、映画えいが美学びがくふか影響えいきょうあたえた。1960年代ねんだいヌーヴェル・ヴァーグ監督かんとくおよびシネマ・ヴェリテダイレクト・シネマのドキュメンタリー映画えいが製作せいさくしゃたちは、手持ても撮影さつえい技術ぎじゅつをより頻繁ひんぱんに、そして幅広はばひろ目的もくてきのためにもちいることによって、進化しんかつづける技術ぎじゅつ自分じぶんたちの映画えいが活用かつようした。

現在げんざいコンピュータグラフィックス画像がぞう合成ごうせい、さらに編集へんしゅうなど映画えいが製作せいさくプロセスの大半たいはんがデジタルされており、撮影さつえいにおいても業務ぎょうむようビデオカメラ高画質こうがしつともない、それらをもちいたデジタル撮影さつえいえている。(ただ、資金しきんめん余裕よゆうのあるハリウッドメージャーの場合ばあい映画えいが大型おおがたテレビドラマはいま35mmフィルム撮影さつえいほう圧倒的あっとうてき主流しゅりゅうである。)デジタルシネマ構想こうそう推進すいしんしゃであるジョージ・ルーカスが2002ねん公開こうかいの『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃こうげき』にて、最初さいしょHD24Pによる完全かんぜんデジタル撮影さつえいおこなっており、撮影さつえいした映像えいぞう即座そくざに(デジタル回線かいせんでデータ転送てんそうすれば遠隔えんかくでも)確認かくにんできる、フィルムの現像げんぞうやデジタルスキャンの手間てまはぶかれる、フィルムちょうによる連続れんぞく撮影さつえい時間じかん制限せいげん解消かいしょうされる、などの利点りてんがある。

ドイツのアーノルド&リヒターやアメリカのパナビジョンレッド・デジタル・シネマカメラ・カンパニー日本にっぽんソニー代表だいひょうてき映画えいがようカメラメーカーである。

脚注きゃくちゅう

  1. ^ デジタル大辞泉だいじせん撮影さつえい』 - コトバンク、2011ねん11月28にち閲覧えつらん
  2. ^ 百科ひゃっか事典じてんマイペディア『撮影さつえい』 - コトバンク、2011ねん11月28にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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