村井 純
1955 | |
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インターネット インターネット e-Japan | |
Internet Society Jonathan B.Postel Service Award (2005 IEEE Internet Award (2011 Internet Society Internet Hall of Fame (Pioneers) (2013 フランス C&C | |
プロジェクト: |
概要
1995
2000
2007
経歴
- 1955
年 3月東京 都 世田谷 区 成城 生 まれ[5] - 1967
年 3月世田谷 区立 明正 小学校 卒業 [6] - 1970
年 3月世田谷 区立 千 歳 中学校 卒業 [6] - 1973
年 3月慶應義塾 高等 学校 卒業 [7] - 1979
年 3月慶應義塾大学 工学部 数理 工学 科 卒業 [8] - 1984
年 7月 慶應義塾大学 大学院 工学 研究 科 後期 博士 課程 単位 取得 退学 [8] - 1984
年 8月 - 1987年 3月 東京工業大学 総合 情報処理 センター助手 - 1987
年 3月工学 博士 号 (慶應義塾大学 )取得 。博士 論文 題目 は、「分散 環境 用 オペレーティングシステムのためのネットワークソフトウェアに関 する研究 」。 - 1987
年 4月 - 1990年 3月東京大学 大型 計算 機 センター助手 - 1988
年 7月 WIDE (Widely Integrated Distributed Environment) プロジェクト発足 。代表 就任 (2010年 3月よりFounder(現任 )) - 1990
年 4月 - 1997年 3月慶應義塾大学 環境 情報 学部 助教授 - 1993
年 インターネットイニシアティブ (IIJ)特別 技術 顧問 - 1993
年 3月 - 1995年 4月 Member of Internet Architecture Board (IAB)[9] - 1993
年 5月日本 ネットワークインフォメーションセンター(JPNIC)理事 長 就任 (2005年 より理事 、2012年 より顧問 (現任 )) - 1997
年 4月 - 2020年 3月慶應義塾大学 環境 情報 学部 教授 - 1997
年 6月 - 2000年 Board of trustee of Internet Society (ISOC)[10] - 1998
年 10月 - 2003年 6月 Board of Director of the Internet Corporation for Assigned Names and Numbers (ICANN)[11] - 1999
年 1月 Root Server System Advisory Committee就任 (現任 ) 1999年 1月 – 2014年 12月までChairとして活動 [12] - 1999
年 6月 - 2011年 ソフトバンク株式会社 社外 取締役 [13] - 1999
年 10月 - 2005年 5月慶應義塾大学 SFC研究所 所長 - 2005
年 5月 - 2009年 5月慶應義塾 常任 理事 - 2007
年 4月 Yahoo! JAPAN研究所 最高 技術 顧問 [14] - 2007
年 4月 - 2010年 スカパーJSAT株式会社 (現 株式会社 スカパーJSATホールディングス)取締役 - 2008
年 5月 - 2023年 一般 社団 法人 IPTVフォーラム理事 長 [15] - 2009
年 10月 - 2017年 9月慶應義塾大学 環境 情報 学部 長 - 2011
年 9月株式会社 ブロードバンドタワー社外 取締役 (現任 )[16] - 2012
年 3月楽天 株式会社 社外 取締役 (現任 )[17] - 2017
年 10月 - 2019年 9月慶應義塾大学 大学院 政策 ・メディア研究 科 委員 長 - 2018
年 4月 慶應義塾大学 サイバー文明 研究 センター共同 センター長 (現任 ) - 2018
年 6年 株式会社 ラック社外 取締役 (現任 )[18] - 2019
年 11月 - 2021年 3月 HAPSモバイル株式会社 社外 取締役 [19] - 2020
年 1月 慶應義塾大学 環境 情報 学部 教授 として最後 の講義 が行 われた。 - 2020
年 4月 - 2022年 6月 一般 財団 法人 アジア・パシフィック・イニシアティブ API地 経学 研究所 所長 兼 APIシニアフェロー[20] - 2020
年 4月 特定 の学部 に所属 しない慶應義塾大学 教授 (有期 )(現任 ) - 2020
年 10月内閣 官房 参与 (デジタル政策 担当 )(現任 )[3] - 2021
年 9月 デジタル庁 顧問 (現任 ) - 2022
年 7月 - 2023年 6月 公益 財団 法人 国際 文化 会館 顧問 兼 シニアフェロー(一般 財団 法人 アジア・パシフィック・イニシアティブと国際 文化 会館 との合併 に伴 い以下 に肩書 変更 ) - 2023
年 7月 公益 財団 法人 国際 文化 会館 顧問 (現任 )
インターネット発展 への貢献
- 1984
年 JUNETを設立 (東工大 と慶應義塾 を接続 ) - 1985
年 1月 JUNETをアメリカのUSENETと接続 - 1986
年 1月 JUNETをアメリカのCSNETと接続 (日本 ネットワーク初 の海外 接続 ) - 1986
年 8月 IANAのジョン・ポステル氏 より、.jp ccTLDの権限 を氏 個人 に委任 される - 1987
年 5月 InetClub設立 に貢献 - 1987
年 10月 JUNETを東大 と接続 - 1988
年 7月 WIDE (Widely Integrated Distributed Environment) プロジェクト発足 。WIDEプロジェクト初 の回線 開設 (東大 -東工大 間 64kbps) - 1989
年 1月 専用 線 でのアメリカ (NSFNET) との接続 を実現 させる - 1989
年 2月 アドレス調整 委員 会 がIPアドレスの割 り当 てを開始 - 1989
年 4月 JUNETが.JPへ移行 - 1991
年 12月 JNIC(のちの日本 ネットワークインフォメーションセンター (JPNIC))発足 - 1992
年 第 1回 インターネット協会 (ISOC)総会 が神戸 で開催 される - 1992
年 WIDEプロジェクトがNifty-Serve、PC-VANとの接続 実験 を開始 - 1993
年 日本 初 の商用 インターネットサービスプロバイダIIJの設立 に貢献 - 1993
年 WIDEプロジェクトがNifty-Serve、PC-VANと相互 に電子 メール送受 を開始 - 2001
年 12月 IANAは.jp ccTLDの委任 先 について、氏 からJPRSへの移管 請求 を受理 [21]
主 な受賞 歴
- 1986
年 第 一 回 元岡 達 賞 - 1999
年 大川 出版 賞 [22] - 2001
年 情報 通信 月間 総務 大臣 表彰 - 2002
年 情報 化 月間 経済 産業 大臣 表彰 - 2004
年 国際 協力 の日 総務 大臣 表彰 - 2005
年 Internet Society Jonathan B. Postel Service Award[23] - 2006
年 情報 通信 月間 総務 大臣 表彰 - 2007
年 情報処理 学会 FIT船井 業績 賞 [24] - 2011
年 IEEEインターネット賞 [25] - 2012
年 大川 賞 [26] - 2013
年 インターネットソサエティのインターネットの殿堂 (パイオニア部門 )殿堂 入 り[27] - 2017
年 情報 通信 技術 賞 総務 大臣 表彰 - 2019
年 フランス共和 国 レジオン・ドヌール勲章 (シュヴァリエ)[28] - 2019
年 福澤 賞 - 2020
年 C&C賞 [29]
エピソード
教育 - 1980
年代 東京大学 の助手 を勤 めていた1980年代 の終 わりに慶應義塾大学 の新 しいキャンパス(湘南 藤沢 キャンパス)創設 にあたり、教員 の誘 いがあった。村井 は当時 、正統 派 とされていた通信 工学 の系統 でない自覚 があったが、全 く新 しい教育 にチャレンジする新 しいキャンパスという前提 があったため、インターネットを前提 とする世界 で初 めてのキャンパスを作 ることに挑戦 した。そのためにまず村井 が準備 したことは、1)まだ出 始 めのIBM PCアーキテクチャーの可 搬コンピューター(ラップトップコンピューター)を全 学生 に持 たせること。2)教室 で授業 中 にラップトップコンピューターを使 わせるために、全 教室 の全 ての学生 用 の机 にAC電源 を配置 すること。3)学生 のコンピューターが常 にインターネットに繋 がるためにネットワーク接続 のコネクターを全 ての座席 に配置 することであった。当時 としてはとんでもないことであり、世界中 のどのキャンパスもこの様 な環境 はまだなかった。[30]
- 1980
社会 - e-Japan
構想 - IT
戦略 会議 について - プロバイダが
続々 と誕生 し始 めた1995年 、テレホーダイが登場 し、ヤフーなどの検索 サービスが登場 するなど、一般 ユーザーにとってもインターネットが使 いやすくなり始 めた。一方 、98年 には失業 率 が史上 初 めて4パーセントを突破 するなど、先行 きの見 えない経済 不安 を日本 は抱 えていた。90年代 後半 、アジアの中 でも日本 と韓国 は同様 に落 ち込 んだが、韓国 ではADSLを国内 インフラにするなどのIT政策 が成功 して一気 に立 ち上 がり始 めていた。そこで日本 では98年 11月に打 ち出 された政府 の緊急 経済 対策 の内 、情報 通信 分野 ではブロードバンド推進 に乗 り出 し、先端 電子 立国 を形成 し、光 ファイバ網 を整備 すると謳 われた。所信 表明 演説 で森 喜朗 首相 がe-Japan構想 を打 ち出 す。2000年 にはIT戦略 会議 が設置 され、IT基本 法 が成立 した。2001年 には内閣 にIT戦略 本部 が作 られた。IT戦略 本部 のメンバーだった村井 は、「経済 が落 ち込 む、これはインターネットがちゃんと使 われてないからじゃないか?という議論 がまず起 こりました。技術 的 なことは僕 らがずっとやってたんで、僕 らとしては日本 は進 んでると思 ってた。でも良 く考 えてみると社会 の中 での普及 が遅 れてるんですね。これは社会 制度 や法的 規制 の問題 です。で、政府 としてやらなきゃダメな部分 があるな、という話 になったんです。」とIT戦略 会議 の経緯 を説明 する。[31] - IT
基本 法 について - 「(
略 )..........とにかくインターネットという技術 が何 を意味 するのか、どなたも分 かってなかったですからね。ITがなぜ経済 の振興 に役立 つのか、日本 の活性 化 のためになるのか。これらの結 びつきが誰 も説明 できないんです。コンピュータでどう経営 がよくなり、行政 が変 わるのか?と言 われても難 しいですよね。............ (略 )」日本 国民 全員 がデジタル情報 を自由 にやりとりする。また、様々 な知識 や情報 を交換 することで日本 を活性 化 する。これを基本 法 としてまず決 めた。IT基本 法 が3年 で見直 されることになってのも、村井 のアイデアだった。「デジタル情報 を使 ってみんなんが生 き生 きする国 を作 るんだ、と基本 法 で定 めたことは大 きな礎 です。このコンセンサスをまず最初 に作 っておかなければ、じゃあそれでどうなるの?みたいな話 になっちゃう。これでは議論 が拡散 してしまいますからね。それからインターネットの世界 では必 ず新 しい技術 が出 てくる。だから僕 は2年 で見直 したいと言 ったんです。........(略 )」[32]
- IT
- Winny
事件 - 2006/2/16
京都 地方裁判所 でファイル交換 ソフト「Winny」を開発 した金子 勇 氏 が著作 権 法 違反 幇助 の罪 にあたるとして争 われた裁判 の第 19回 公判 が開 かれた。弁護 側 の証人 として村井 が出廷 。村井 は検察 側 の質問 に、「P2Pのコンセプトに基 づいて、ファイルを共有 するソフトだと理解 した。ファイルを発見 して共有 する性能 が優 れており、中央 のサーバーを持 たない純粋 のP2P型 ソフト」、「ネットワークの効率 を上 げるための洗練 された技法 と、それを利用 の目的 と結 び付 けて考 えるのは理解 できない。」、「P2Pは大事 な概念 だが、その研究 開発 にブレーキがかかったと思 う。」などと答 えた。[35][36] - 2009
年 WIDEプロジェクトの研究 報告 書 の第 一部 にて、ーWinny開発 者 に対 する大阪 高等 裁判所 の判決 と技術 者 の社会 的 ・道義 的 責任 についてー意見 表明 を掲載 。[37][38][39] - 2010/3/11
逆転 無罪 に導 いた弁護士 壇 俊光 氏 が第 25回 WIDE賞 を受賞 。[40][41] - 2013/7/6
金子 勇 氏 死去 。当時 、慶應義塾大学 環境 情報 学 部長 だった村井 は、日経 コンピュータ誌 電子 版 に追悼 のコメントを寄 せた。以下 一部 コメントから引用 「金子 勇 さんが受 け止 めた困難 の社会 的 要因 を追求 し、金子 勇 さんのスピリットが健全 に羽 ばたける世 に治 すことは、金子 勇 さんとのお別 れに際 し私 たちの硬 い約束 とさせていただきたいと思 います。」[42] - 2023/3/10 Winny
事件 をモデルにした映画 『Winny』が公開 された。脚本 ・監督 は松本 優作 。村井 は映画 の公開 に際 しての取材 で、「WinnyはP2Pを使 った洗練 された日本 製 の技術 で、当時 の技術 力 としては他国 を遥 かに超越 しており、金子 氏 が生 きていればその後 のGAFAの景色 は変 わっていたかもしれない」などと述 べる。[43]映画 を見 て、「証言 内容 について、こちらが言 いたいことは決 まっていました。それは、Winnyが大事 なソフトウェアであること、こういう事件 が起 きてしまうと、今後 、技術 の発展 に支障 が出 るということです。劇 中 で金子 さんがプログラムを直 させてほしいと言 ったのに、それができなかった。もしも修正 できていたらこんな問題 にはならなかったのにと、ご本人 がすごく悔 しがっていたのが印象 的 でした」と村井 が言 うと壇 弁護士 もうなずいた。[44]
- 2006/2/16
- e-Japan
- インターネットを
繋 ぐための活動 - 1970
年代 - 1980
年代 下水道 に潜 ってコンピュータを接続 /S&Tnet/慶應 キャンパスLANプロジェクト[46][47][48]慶應大学 工学部 数理 工学科 斉藤 信雄 研究 室 では、1978年 にPDP-11上 にUNIX version6を導入 し計算 機 科学 の基盤 にしようとしていた。斎藤 研 の院生 だった村井 は当時 数少 ないUNIXの専門 家 に近 い状況 にあり、後輩 にUNIXやCプログラミングを教 えていた。黎明 期 のインターネットの成長 はUNIXの存在 が大 きく影響 する。
同 時期 にコンピュータの世界 ではイーサネットの標準 化 の議論 が進 み始 めていて、慶應 でも電気 工学科 相磯 秀雄 研究 室 でAcknowledging Ethernetが研究 され、自作 したイーサネットのハードウェアでキャンパスLANを構築 し、UNIX上 のソフトウェアで繋 ごうとした。このUNIX使 いとして村井 に白羽 の矢 が立 てられた。キャンパスネットワークを構築 するプロジェクトはS&Tnetプロジェクトと呼 ばれ、2つの研究 室 で共同 して進 められた。この時 、相磯 研究 室 と斎藤 研究 室 が矢上 キャンパス内部 の別 の棟 にあったため、マンホールの中 に潜 り込 んで下水道 にこっそり回線 を引 いて2 つの研究 室 を回線 で繋 いだ。- 81
年 の夏 、はじめて斎藤 研 と相磯 研 の間 でパケットの送信 実験 が成功 した時 、喜 びのあまり村井 は床 を転 げ回 ったという話 も伝 わっている。[49] 当時 の村井 は、全 学科 をつなぐネットワークを目標 にして、暇 を見 つけては他 の学科 の先生 に話 しに行 き、UNIXを買 わせてネットワーク作 りに精 を出 していた。一方 で、当時 のネットワークは遅 く犬 にフロッピーを背負 わせてデータを運 ばせた方 が早 い、犬 に勝 てないという問題 には頭 を悩 ませながらも、なかなかUNIXを購入 してくれない先生 らにネットワークの利点 を啓蒙 してキャンパスを回 った。- IPアドレスの
割 り当 てとドメイン名 の分散 管理 を求 める 日本 でコンピュータネットワークが本格 的 に構築 され始 めた1980年代 、日本 の大学 や研究 機関 などがインターネットに接続 するためには、当時 全 世界 のIPアドレスの割 り当 て業務 を行 っていた米国 のSRI-NIC(Stanford Research Institute - Network Information Center)へ、それぞれの組織 から個別 に申請 しなければならず、その申請 作業 は全 て英語 で行 われた。また、日本 のインターネットの現状 には必 ずしも適 したものではなかったため、村井 はインターネットの神様 と呼 ばれるJon Postelを訪 ね、世界 的 に広 がっていくであろうインターネットの資源 管理 、つまり、IPアドレスの割 り当 てとドメイン名 の登録 管理 を今後 どのように進 めていけばよいのか、話 し合 った。(非 英語 圏 の国々 を多 く抱 えるヨーロッパ地域 では日本 と同様 の問題 を抱 えており、当時 同 地域 でインターネットの構築 に携 わっていたDaniel Karrenbergが、Postelに似 たような相談 をしていた)その後 日本 では、1989年 2月 より、SRI-NICからIPアドレスブロックの委任 を受 けた「ネットワークアドレス調整 委員 会 」が、日本 でのIPアドレスの割 り当 て業務 を行 うことになり、ドメイン名 についても、1988年 8月 に村井 がPostelからJPドメイン名 の割 り当 てを受 け、JUNETの管理 グループであるjunet-adminが管理 してきたjunetドメイン名 を、1989年 にJPドメイン名 に移行 しました。その後 JPドメイン名 は、JUNET以外 のネットワークにおいても使用 されることになるが、実質 的 なドメイン名 割 り当 て組織 の不在 から、引 き続 きjunet-adminがボランタリーに登録 管理 を行 っていた。[50]地域 レジストリーへの移譲 は、日本 から実験 的 に始 まっている。IPアドレスの配布 とドメイン名 の登録 は日本 で引 き受 けるから、運用 をIANAから移譲 してほしいとかけ合 い、やがて世界 もそうなるから日本 から始 めてみようとした。その際 に、.jpなどのccTLD(国 別 コードトップレベルドメイン)が考 え出 された。地域 レジストリーでの運用 は、日本 で問題 ないことがわかり、世界 でも展開 されることになった。[51]日本 初 IX(インターネット・エクスチェンジ)を作 る 1989会員 が増大 し続 けるJUNETの管理 は限 られた研究 資金 で運用 しており、需要 が伸 び続 けるインターネットの今後 に悩 んだ村井 はインターネット分野 そのものを学術 研究 範囲 を超 えたビジネス領域 に広 め、民間 企業 の領域 にネットワークを拡張 する。1989年 1月 岩波書店 の地下 にNOC(ネットワーク・オペレーション・センター/ネットワークを管理 する拠点 )、後 のIX(インターネット・エクスチェンジ)を作 る。国家 資産 である国立 大学 と民間 企業 が専用 線 で直接的 につなぐことを潔 しとしない人 が必 ずいることを考慮 し、岩波書店 というアカデミックなブランドにより、学術 と民間 を繋 ごうとしたのである。これにより、東大 、東工大 、慶應大 、岩波書店 が専用 線 で結 ばれ、TCP/IPで常時 接続 されたネットワーク、日本 版 インターネットを使 う環境 が整 った。[52]
- 2010
年代 技術 ・工学 エミー賞 受賞 式 [53][54]- 2019/04/08 W3Cを
代表 してエミー賞 受賞 式 に出席 。第 70回 技術 ・工学 エミー賞 (Technology & Engineering Emmy Award)を受賞 。Standardization of HTML5, Encrypted Media Extensions (EME) and Media Source Extensions (MSE) for a Full TV Experience部門 。 村井 による受賞 時 のコメント「ウェブには境界 線 はありません。そしてウェブ上 の各 メディアの視聴 者 は、世界 で40億 人 を超 えています。 W3Cはウェブ上 で動画 再生 を可能 にし、ウェブ上 の完全 なFull TV experienceを実現 するための技術 標準 に取 り組 んでいます。これはW3Cが取 り組 んできた多 くの分野 の1つですが、W3Cが開発 したウェブ技術 の中 でもHTML5はウェブに動画 をもたらし、メディア再生 のためのプラグイン方式 を収束 しました。現在 ではW3Cの技術 が全 てのウェブメディアアプリケーションの中核 となっています。ウェブは今 や、いつでもどこでも、どんなデバイスでも、どんな解像度 でも、そして誰 にでも利用 できるプラットフォームとなりました。私 はW3Cを代表 して、私 たちの技術 を評価 したNATASに感謝 します。そしてFull TV experienceの標準 化 に貢献 されてきた各 企業 ・個人 にも深 い謝意 を表 したく思 います。」- W3Cが
技術 ・工学 部門 でエミー賞 を受賞 するのは、2016年 にW3C TTML (Timed Text Mark-up Language)技術 に対 する受賞 に次 ぐ2回 目 。 - 2008
年 頃 からのW3Cを舞台 にしたHTML5開発 はビデオストリームの配信 交換 をWEBのアーキテクチャ上 でいかに共通 化 できるかが中核 にあった。それまではプラグイン方式 で異 なるビデオストリームがあり知 財 が絡 むなどした部分 を統一 しセキュアなストリームをWEB基盤 に組 み込 んだことが受賞 対象 となった。YoutubeやNetflixなどのビデオストリームによる産業 が創出 できた背景 には、このような商用 サービスの根幹 となる技術 標準 が実現 したことにある。[55]Web and TVは過去 20年間 にわたりW3C議論 のテーマであり開発 技術 だが、もはやウェブ上 の動画 は当 たり前 のものとなっている。[56]
- 1970
著書
自著 - 『インターネット』 (
岩波 新書 )岩波書店 ISBN 4004304164 1995年 - 『インターネットII〜
次世代 への扉 〜』 (岩波 新書 )岩波書店 ISBN 4004305713 1998年 - 『インターネット「
宣言 」―急 膨張 する超 モンスターネットワーク インターネットがよくわかる入門 書 』講談社 ISBN 406207480X 1995年 - 『インターネットの
不思議 、探検 隊 !』太郎 次郎 社 エディタス ISBN 4811807510 2003年 (絵本 形式 ) - 『インターネット
新 世代 』 (岩波 新書 )岩波書店 ISBN 4004312272 2010年 - 『
角川 インターネット講座 』第 1巻 「インターネットの基礎 情報 革命 を支 えるインフラストラクチャー」(角川 学芸 出版 )ISBN 4046538813 2014年
- 『インターネット』 (
共著 - 『インターネット
法学 案内 ―電脳 フロンティアの道 しるべ』(日本 評論 社 、1998年 )共著 :インターネット弁護士 協議 会 著 - 『IT2001 なにが
問題 か』岩波書店 ISBN 4000098497 2000年 共著 :林 紘 一郎 ・牧野 二郎 との共同 監修 - 『コンピューターってどんなしくみ?』
誠 文 堂 新光 社 ISBN 9784416518069 2018年 共同 監修 :佐藤 雅明 - 『
日本 大 災害 の教訓 ―複 合 危機 とリスク管理 』10章 「災害 時 情報 通信 基盤 マネジメント」(東洋経済新報社 ) - 『DX
時代 に考 える シン・インターネット』(インターナショナル新書 )共著 :竹中 直純 ISBN 4797680806 2021年 - 『アンワイアード デジタル
社会 基盤 としての6Gへ』(インプレスR&D)共著 :湧川 隆次 ISBN 4844379941 2021年
- 『インターネット
監訳 - ダニエル・C. リンチほか『インターネットシステムハンドブック』インプレス ISBN 4844347462 1996
年 - 『IPv6:
次世代 インターネットプロトコル』プレンティスホール出版 ISBN 4887350104 1996年 - アレックス・ライトマン『アンワイアード
果 てしなきインターネットの未来 -4Gへのシナリオ』(インプレス、2005年 )村井 純 監修
- ダニエル・C. リンチほか『インターネットシステムハンドブック』インプレス ISBN 4844347462 1996
脚注
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関連 項目
外部 リンク
慶應義塾 研究 者 情報 データベース- WIDE Project
- サイバー
大学 - ウェイバックマシン(2014年 9月 28日 アーカイブ分 ) - IT's Point of View - ウェイバックマシン(1998
年 1月 27日 アーカイブ分 ) - JPNIC:
(社) 日本 ネットワークインフォメーションセンター - ISOC:Inernet Society
総務 省 情報 通信 審議 会 地上 デジタル放送 推進 に関 する検討 委員 会 一般 社団 法人 IPTVフォーラム村井 純 - KAKEN科学 研究 費 助成 事業 データベース論文 一覧 (KAKEN)村井 純 - researchmap村井 純 - J-GLOBAL- インターネットの
父 、戦 いの歴史 。“アンワイアード”な現在 に思 うこと。(2018年 12月11日 、Wired.jp、インタビュー記事 )
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