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瀬田川大橋 - Wikipedia

瀬田川せたがわ大橋おおはし

滋賀しがけんはし

瀬田川せたがわ大橋おおはし(せたがわおおはし)は滋賀しがけん大津おおつ瀬田せた1丁目ちょうめ - 松原まつばらまち瀬田川せたがわかる国道こくどう1ごうはしである。

瀬田川せたがわ大橋おおはし
基本きほん情報じょうほう
くに 日本にっぽん
所在地しょざいち 大津おおつ
交差こうさ物件ぶっけん 瀬田川せたがわ
用途ようと 道路どうろきょう
路線ろせんめい 国道こくどう1ごう
管理かんりしゃ 国土こくど交通省こうつうしょう近畿きんき地方ちほう整備せいびきょく滋賀しが国道こくどう事務所じむしょ
座標ざひょう 北緯ほくい3458ふん41.0びょう 東経とうけい13554ふん25.2びょう / 北緯ほくい34.978056 東経とうけい135.907000 / 34.978056; 135.907000座標ざひょう: 北緯ほくい3458ふん41.0びょう 東経とうけい13554ふん25.2びょう / 北緯ほくい34.978056 東経とうけい135.907000 / 34.978056; 135.907000
構造こうぞうしょもと
全長ぜんちょう 221 m
はば 11 m
地図ちず
瀬田川大橋の位置(滋賀県内)
瀬田川大橋
関連かんれん項目こうもく
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国道1号標識
国道こくどう1ごう標識ひょうしき

概要がいよう

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全長ぜんちょう221 m(メートル[1]ながさ22 mの橋脚きょうきゃくが4もうけられ、完成かんせい当時とうじ幅員ふくいんは9.5 m[2]。その幅員ふくいんは11 mに拡幅かくふくされている[3]中央ちゅうおう3みちあいだ連続れんぞくはりで、それ以外いがい単純たんじゅんはりである[1]しゅけたを2ほんもうけたはがねせいはこけたきょうとしてつくられた[1]中央ちゅうおう橋脚きょうきゃく間隔かんかくを65 mにひろげ、大型おおがた観光かんこうせん通過つうかできるようになっている[4]縦断じゅうだん勾配こうばいは350ぶんの1、横断おうだん勾配こうばいは50ぶんの1の放物線ほうぶつせんえが線形せんけい[1]基礎きそとしてながさ20 mが2と22 mが4けい6鉄筋てっきんコンクリートせい井筒いづつもうけられている[5]。また、橋脚きょうきゃく橋台きょうだいいずれも鉄筋てっきんコンクリートせいである[6]瀬田唐橋せたのからはしのバイパスとして建設けんせつされ、唐橋からはしの500 m上流じょうりゅう架橋かきょうして鳥居川とりいがわ瀬田大江せたおおえあいだむす[7]。セメントは4トンみトラック400だいぶんてつおなじく250だいぶんようしたといわれる[2]そう工費こうひ2おくえん[2]地元じもとでは瀬田川せたがわ景観けいかんこわさないよう「しんとうきょう」にふさわしいデザインをもとめ、上部じょうぶ円形えんけい下部かぶかくがたすりや擬宝珠ぎぼうしゅした古風こふう水銀すいぎんとうけられた[8]

瀬田川せたがわ大橋おおはし取付とりつけ道路どうろはし先立さきだって建設けんせつされ、西側にしがわ大阪おおさかがわ)は350 mの高架こうか道路どうろ石山いしやま高架こうかきょう)、東側ひがしがわ東京とうきょうがわ)は900 mの道路どうろもうけられた[6][4]。なお、西側にしがわ高架こうか道路どうろははじめ盛土もりつち建設けんせつ予定よていだったが、国鉄こくてつ東海道本線とうかいどうほんせん地域ちいき分断ぶんだんされた経験けいけん地元じもと反対はんたい運動うんどう展開てんかいしたことで高架こうか道路どうろとしての建設けんせつ変更へんこうされた[9]

沿革えんかく

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京都きょうと方面ほうめんから大津おおつ松原まつばらまちまでの区間くかん1950ねん昭和しょうわ25ねん)にバイパスが開通かいつうしたが、名神めいしん高速こうそく道路どうろ開通かいつうしていない当時とうじ瀬田せたまち方面ほうめんかうには瀬田せた唐橋からはし経由けいゆしなければならなかった[2]。しかし、当時とうじ瀬田せた唐橋からはし建設けんせつから30ねん以上いじょう経過けいかし、老朽ろうきゅうによる破損はそんいちじるしい状態じょうたいであった[2]

1958ねん昭和しょうわ33ねん)4がつ工事こうじ開始かいし[4]特殊とくしゅ工法こうほうによって当時とうじ架橋かきょう常識じょうしきよりすくなめの橋脚きょうきゃく建設けんせつすすめられた[4]水深すいしんが4 m以上いじょうふかいところがおおいため、はがね矢板やいた人工じんこうとうつくるのではなく鉄製てつせいかたわく進水しんすいして所定しょてい位置いちで沈設させる工法こうほうによって工費こうひ削減さくげん工期こうき短縮たんしゅくはかった[6]とめすい基礎きそ井筒いづつおく工法こうほうにより沈下ちんかさせ、沈下ちんか井筒いづつ周辺しゅうへんおく気管きかんそこ面部めんぶそこばんコンクリートを利用りようしてグラウト注入ちゅうにゅうした[6]橋桁はしげた格子こうし構造こうぞうであり、土木どぼく研究所けんきゅうじょ設計せっけいされた[6]現場げんばせっしゅすべリベット接合はぎあわさせ、それ以外いがい工場こうじょう溶接ようせつした[6]けた架設かせつ単純たんじゅんけたは3分割ぶんかつ連続れんぞくけたは11分割ぶんかつして搬入はんにゅうし、現地げんちでリベット接合せつごうして単純たんじゅんけたは1ブロック、連続れんぞくけたは7ブロックとしてんだ[10]けた架設かせつケーブル工法こうほうおこなわれたが、連続れんぞくけた中央ちゅうおうみちあいだのブロックはステージングじょうげて架設かせつした[10]石山いしやま高架こうかきょう建設けんせつ工事こうじでは、工事こうじによる交通こうつう規制きせい騒音そうおんによってげの減少げんしょう発生はっせいしたため、同年どうねん6がつには地元じもと国道こくどう高架こうか工事こうじ被害ひがいしゃ協議きょうぎかい結成けっせい補償ほしょう要求ようきゅうおこなっている[8]

瀬田川せたがわ大橋おおはし開通かいつう1959ねん昭和しょうわ34ねん)3がつである[11]開通かいつう瀬田せた唐橋からはし国道こくどう1ごう指定していからはずされた[4]

1985ねん昭和しょうわ60ねん)から1988ねん昭和しょうわ63ねん)にかけて3.4おくえんをかけて9.5 mから11 mに拡幅かくふくされ、橋西はしにしがわ交差点こうさてんたいする右折うせつ専用せんよう車線しゃせん追加ついかされた[3]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d 奥野おくの多喜夫たきお田原たはら保二やすじ 1959, p. 33.
  2. ^ a b c d e 大津おおつ市役所しやくしょ 1962, p. 1187.
  3. ^ a b 右折うせつ専用せんよう車線しゃせんできる 交通こうつう難所なんしょ国道こくどう1ごう瀬田川せたがわ大橋おおはし 改良かいりょう工事こうじでラッシュ緩和かんわ”. 京都きょうと新聞しんぶん. (1988ねん3がつ8にち) 
  4. ^ a b c d e 大津おおつ市役所しやくしょ 1983, p. 453.
  5. ^ 奥野おくの多喜夫たきお田原たはら保二やすじ 1959, pp. 33–34.
  6. ^ a b c d e f 奥野おくの多喜夫たきお田原たはら保二やすじ 1959, p. 34.
  7. ^ 大津おおつ市役所しやくしょ 1983, p. 452.
  8. ^ a b 大津おおつ市役所しやくしょ 1962, p. 1188.
  9. ^ 晴嵐せいらん編集へんしゅう委員いいんかい 1980, pp. 251–252.
  10. ^ a b 奥野おくの多喜夫たきお田原たはら保二やすじ 1959, p. 35.
  11. ^ 大津おおつ市役所しやくしょ 1983, p. 17.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 奥野おくの多喜夫たきお田原たはら保二やすじ瀬田川せたがわ大橋おおはし架設かせつ工事こうじ報告ほうこく」『土木どぼく学会がっかいだい44かんだい12ごう、1959ねん、33-38ぺーじ 
  • しん大津おおつ した大津おおつ市役所しやくしょ、1962ねん3がつ31にち 
  • 晴嵐せいらん編集へんしゅう委員いいんかい晴嵐せいらん史話しわ晴嵐せいらんコミュニティ推進すいしん委員いいんかい、1980ねん9がつ1にち 
  • あたらしおさむ大津おおつ 6 現代げんだい大津おおつ市役所しやくしょ、1983ねん8がつ7にち 

外部がいぶリンク

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