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片岡寛光 (国学者) - Wikipedia

片岡かたおかひろしこう (国学こくがくしゃ)

片岡かたおか ひろしこう(かたおか ひろみつ、生年せいねんしょう天保てんぽう9ねん1がつ15にち1838ねん2がつ9にち)は、江戸えど時代じだい後期こうき国学こくがくしゃ歌人かじんで、江戸えど神田佐久間かんださくままち名主なぬし通称つうしょうしゅう輔・権太郎けんたろう仁左衛門にざえもんごう郁子むべえん(むべぞの)・かつらみつる(かつらまろ)・つた垣内かきうち(つたのかきつ)など。

経歴けいれき

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医師いしところまれ、片岡かたおか養子ようしとなる。清原きよはらつよしふう村田むらた春海しゅんかいらにまなび、本間ほんまゆうきよしとともに江戸えど歌人かじん代表だいひょうてき存在そんざいであった。また、三島みしまひろし蒲生がもう君平くんぺい屋代やしろ弘賢ひろかた小山田おやまだ与清ともきよらとの親交しんこうふかかった。だが、晩年ばんねん精神せいしんんでくなったとされている。

著書ちょしょとして『古今ここんしゅう集成しゅうせい』『参考さんこうせまころも草子そうこ』・随筆ずいひついまはむかし』などがある。

斎藤さいとうがつちち幸孝ゆきたか親交しんこうがあり、『江戸えど名所めいしょ図会ずえ』に序文じょぶんせた。『浮世絵うきよえるいこう』をつき岑にうつさせた片岡かたおか一声いっせいどう一人物いちじんぶつとして紹介しょうかいされることがあるが、詳細しょうさい不明ふめい中嶋なかじまおさむ考証こうしょうでは片岡かたおかひろしこう片岡かたおか一声いっせい別人べつじんであり、片岡かたおか一声いっせい可能かのうせいたか人物じんぶつとして松永まつながまち名主なぬし片岡かたおか正蔵しょうぞう名前なまえげている。[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 中嶋なかじまおさむ山東さんとう京伝きょうでん実像じつぞう 馬琴ばきん呪縛じゅばくく』パブフル、2022ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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