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笠原十九司 - Wikipedia

笠原かさはらじゅうきゅうつかさ

日本にっぽん歴史れきし学者がくしゃ

笠原かさはら じゅうきゅうつかさ(かさはら とくし、1944ねん - )は、日本にっぽん歴史れきし学者がくしゃ都留文科大学つるぶんかだいがく名誉めいよ教授きょうじゅせんもん中国ちゅうごくきん現代げんだい

笠原かさはらじゅうきゅうつかさ
生誕せいたん 1944ねん
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
影響えいきょうけたもの ほら富雄とみお
敵対てきたいしゃ 東中野ひがしなかの修道しゅうどう
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人物じんぶつ経歴けいれき

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群馬ぐんまけんまれ。群馬ぐんま県立けんりつ前橋まえばし高等こうとう学校がっこう東京教育大学とうきょうきょういくだいがく文学部ぶんがくぶ卒業そつぎょうどう大学院だいがくいん修士しゅうし課程かてい中退ちゅうたい宇都宮大学うつのみやだいがく教育きょういく学部がくぶ教授きょうじゅ都留文科大学つるぶんかだいがく教授きょうじゅて、1999ねんより南京なんきん師範しはん大学だいがく南京なんきんだい虐殺ぎゃくさつ研究けんきゅうセンター客員きゃくいん教授きょうじゅ2000ねんより南開みなみびらき大学だいがく歴史れきし学部がくぶ客員きゃくいん教授きょうじゅつとめる。

2009ねん東京大学とうきょうだいがくより博士はかせ学術がくじゅつ学位がくい取得しゅとく学位がくい論文ろんぶんだいは「だいいち世界せかい大戦たいせん中国ちゅうごく民族みんぞく運動うんどうひがしアジア国際こくさい関係かんけい[1]

にちちゅう戦争せんそう初期しょききたとされる南京なんきん事件じけん研究けんきゅうしゃ1人ひとり本来ほんらい中国ちゅうごく近代きんだい経済けいざい専門せんもんだったが、1980年代ねんだいなかばから南京なんきん事件じけん研究けんきゅう開始かいしし、歴史れきし認識にんしき論争ろんそうまれたことで、戦史せんし研究けんきゅうおもとなった。現在げんざい韓国かんこく東北とうほくアジア歴史れきし財団ざいだんピースボート主催しゅさいする国際こくさい教科書きょうかしょ会議かいぎ日本にっぽんがわ代表だいひょうとして参加さんかしている[2]

写真しゃしん誤用ごよう問題もんだい

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笠原かさはら自著じちょ南京なんきん事件じけん』に掲載けいさいした写真しゃしん

1998ねん笠原かさはらは、前年ぜんねん11がつ発行はっこう著書ちょしょ南京なんきん事件じけん』IIIあきらとびら写真しゃしんとして、米国べいこくスタンフォード大学だいがくフーバー研究所けんきゅうじょひがしアジア文庫ぶんこ閲覧えつらんした『にち寇暴行実ぎょうじつろく』(中国ちゅうごく国民こくみん政府せいふ軍事ぐんじ委員いいんかい政治せいじ、1938ねん)に掲載けいさいされていた写真しゃしんを、「日本にっぽんへい拉致らちされる江南こうなん地方ちほう中国人ちゅうごくじん女性じょせいたち」のキャプションで掲載けいさいした(原典げんてんのキャプションは「江南こうなん地方ちほう農村のうそん婦女ふじょが、一群いちぐんまた一群いちぐん日本にっぽんぐん司令しれいまで押送おうそうされてき、陵辱りょうじょくされ、輪姦りんかんされ、銃殺じゅうさつされた」というものであった)。しかし、この写真しゃしん実際じっさいには『アサヒグラフ昭和しょうわ12ねん11月10にちごう掲載けいさいされた「兵士へいし日本にっぽんぐん)に援けられて野良のら仕事しごとより部落ぶらくへかへるまる部落ぶらくおんな子供こどもれ」という写真しゃしんであることがはたいくにより『産経新聞さんけいしんぶん[3]ならびに『諸君しょくん![4]において指摘してきされた。笠原かさはらは、朝日新聞あさひしんぶんカメラマンがった写真しゃしん中国ちゅうごく国民こくみん政府せいふ軍事ぐんじ委員いいんかい政治せいじ悪用あくようしたものであったことにづかずみずからが誤用ごようしたとして、撮影さつえいしゃゆえ熊崎くまざき玉樹たまきカメラマン・朝日新聞あさひしんぶん読者どくしゃ謝罪しゃざいし、はた謝意しゃいあらわした[5][6]。これをけ、岩波書店いわなみしょてんおなじページに「読者どくしゃみなさまへ」とだいした謝罪しゃざいぶん掲載けいさいして出品しゅっぴん一時いちじ停止ていしし、笠原かさはら相談そうだんうえで『村瀬むらせまもる写真しゃしんしゅう わたし従軍じゅうぐん中国ちゅうごく戦線せんせん』(日本にっぽん機関きかん出版しゅっぱんセンター、1987ねん)の日本にっぽんへい強姦ごうかんされたという老婆ろうば写真しゃしんえ、はつ版本はんぽんえにもおうじた[注釈ちゅうしゃく 1] [9] 。なお、本多ほんだ勝一かついち著書ちょしょ中国ちゅうごく日本にっぽんぐん』で同様どうよう写真しゃしん誤用ごようこしている[10]

未来みらいをひらく歴史れきし

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日本にっぽん中国ちゅうごく韓国かんこく研究けんきゅうしゃ編集へんしゅうした学校がっこうふく教材きょうざい未来みらいをひらく歴史れきし』の執筆しっぴつしゃである。

著書ちょしょ

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たんちょ

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  • 『ファミリーばん 世界せかい日本にっぽん歴史れきし(9)現代げんだい1』(大月書店おおつきしょてん、1988ねん
  • 『アジアのなか日本にっぽんぐん――戦争せんそう責任せきにん歴史れきしがく歴史れきし教育きょういく』(大月書店おおつきしょてん、1994ねん
  • 南京なんきん難民なんみんひゃくにち――虐殺ぎゃくさつ外国がいこくじん』(岩波書店いわなみしょてん、1995ねん/岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2005ねん
    • 中国語ちゅうごくごばん『难民ひゃくにち 亲历军大ほふ杀的西方せいほうじん』(南京なんきん师范大学だいがく出版しゅっぱんしゃ、2005ねん
  • にちちゅう全面ぜんめん戦争せんそう海軍かいぐん――パナイごう事件じけん真相しんそう』(青木あおき書店しょてん、1997ねん
  • 南京なんきん事件じけん』(岩波いわなみ新書しんしょ、1997ねん
  • 南京なんきん事件じけん三光さんこう作戦さくせん未来みらいかす戦争せんそう記憶きおく』(大月書店おおつきしょてん、1999ねん
  • 南京なんきん事件じけん日本人にっぽんじん――戦争せんそう記憶きおくをめぐるナショナリズムとグローバリズム』(柏書房かしわしょぼう、2002ねん
  • どう時代じだい 笠原かさはらじゅうきゅうつかさ歌集かしゅう』(本阿弥書店もくあみしょてん、2003ねん
  • 体験たいけんしゃ27にんかた南京なんきん事件じけん――虐殺ぎゃくさつの「そのとき」とその人生じんせい』(こうぶんけん、2006ねん
  • 南京なんきん事件じけん論争ろんそう日本人にっぽんじん史実しじつをどう認識にんしきしてきたか』(平凡社へいぼんしゃ新書しんしょ、2007ねん
    • 中国語ちゅうごくごばん南京なんきん事件じけんそう论史 日本人にっぽんじん怎样认知实的』(社会しゃかい科学かがく文献ぶんけん出版しゅっぱんしゃ、2011ねん
  • 『「ひゃくにん競争きょうそう」と南京なんきん事件じけん』(大月書店おおつきしょてん、2008ねん
  • 日本にっぽんぐん治安ちあんせん――にちちゅう戦争せんそう実相じっそう』(岩波書店いわなみしょてん、2010ねん
  • だいいち世界せかい大戦たいせん中国ちゅうごく民族みんぞく運動うんどう』(汲古書院しょいん、2014ねん
  • 海軍かいぐんにちちゅう戦争せんそう: アジア太平洋戦争たいへいようせんそうへの自滅じめつのシナリオ』(平凡社へいぼんしゃ、2015ねん
  • にちちゅう戦争せんそうぜんうえした)』(高文たかふみとげ、2017ねん
  • 増補ぞうほ 南京なんきん事件じけん論争ろんそう 日本人にっぽんじん史実しじつをどう認識にんしきしてきたか』(平凡社へいぼんしゃライブラリー、2018ねん

共編きょうへんちょ

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 後年こうねん、『村瀬むらせまもる写真しゃしんしゅう わたし従軍じゅうぐん中国ちゅうごく戦線せんせん』は東中野ひがしなかの修道しゅうどうからその信憑しんぴょうせいについて疑義ぎぎされた[7]が、それについても笠原かさはら批判ひはん反論はんろんしている[8]

出典しゅってん

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  1. ^ 博士はかせろん文書ぶんしょデータベース
  2. ^ 民団みんだん新聞しんぶん 2011-11-02 欧州おうしゅうの「教科書きょうかしょ対話たいわ」にまなぶ…かんにちちゅう未来みらい志向しこう最良さいりょう共通きょうつう教材きょうざいづくりへ [1]
  3. ^ 岩波いわなみ新書しんしょ南京なんきん事件じけん」に疑惑ぎわく写真しゃしん ⽇本へい拉致らちじつ農作業のうさぎょうからの帰路きろ”. 産経新聞さんけいしんぶん東京とうきょう夕刊ゆうかん (産経新聞さんけいしんぶんしゃ): p. 8. (1998ねん2がつ28にち) 
  4. ^ はたいく彦「『南京なんきん虐殺ぎゃくさつ』ー証拠しょうこ写真しゃしん鑑定かんていする」『諸君しょくん!』1998ねん4がつごう
  5. ^ 岩波いわなみ新書しんしょ南京なんきん事件じけん」のニセ写真しゃしん問題もんだい 著者ちょしゃ出版しゅっぱんしゃ謝罪しゃざい 出荷しゅっかとま⽌、え”. 産経新聞さんけいしんぶん東京とうきょう朝刊ちょうかん (産経新聞さんけいしんぶんしゃ): p. 25. (1998ねん4がつ9にち) 
  6. ^ 岩波書店いわなみしょてん図書としょ』1998ねん4がつごう岩波書店いわなみしょてん、pp. 26-27.
  7. ^ 東中野ひがしなかの南京なんきん事件じけん証拠しょうこ写真しゃしん」を検証けんしょうする』 [ようページ番号ばんごう]
  8. ^ 笠原かさはら南京なんきん事件じけん論争ろんそう日本人にっぽんじん史実しじつをどう認識にんしきしてきたか』 [ようページ番号ばんごう]
  9. ^ 井沢いざわ元彦もとひこ逆説ぎゃくせつのニッポン歴史れきしかん』176ぺーじ
  10. ^ 水間みずま政憲まさのり完結かんけつ 南京なんきん事件じけん