第 七 書簡
プラトンの『書簡 集 』中 の書簡 の1つ
『
『
概要
この
そのことを
また、
内容
導入
協力 要請 に対 する回答
- まず、ディオン
一派 の協力 要請 に対 して、彼 らの見解 ・意欲 が故人 ディオンのものと同 じであれば協力 するが、そうでなければ考 えさせてもらうと述 べる。
故 ディオンの意志
続 いて、その故人 ディオンの意図 ・意欲 について、述 べ始 める。第 一 回 シケリア旅行 でシュラクサイに訪 れた際 (紀元前 387年 頃 )、自分 が40歳 、ディオンが21歳 頃 出会 ったが、その頃 から、彼 は「シュラクサイの市民 は、最良 の法 によって治 めされつつ、解放 されていなければならない」という見解 を持 ち、それを生涯 守 り抜 いたと述 べる。- そうした
見解 が出 てきた経緯 ・背景 を理解 してもらうべく、プラトンは自分 自身 の生 い立 ちも含 め、これまでの経緯 を述 べ始 める。
回想
回顧 1 ― 三 十 人 政権 に対 する期待 と失望
自分 も若 かった頃 、やがては国家 の公共 活動 へ向 かおうと熱意 を持 った若者 だった。当時 の国家 体制 は非難 の的 だったが、やがて体制 変革 が起 き、三 十 人 政権 が成立 した(紀元前 404年 )。そこには自分 の親類 (すなわち、叔父 であるカルミデスと、母 の従兄弟 クリティアス)も関 わっており、若 かった自分 は興奮 し、期待 を抱 いた。- ところが、
短期間 のうちにその幻想 は砕 けた。特 に、彼 らが自分 の慕 うソクラテスを、死刑 のための強制 連行 へと差 し向 けようとしたこと[2]に失望 した。他 にも似 たような事件 を目 の当 たりにして、自分 は身 を引 いた。
回顧 2 ― 民主 政 ・現実 国家 に対 する期待 と失望 、哲人 王 思想 へ
- やがて
三 十 人 政権 は崩壊 し、自分 も次第 に政治 活動 への意欲 を取 り戻 した。民主 派 トラシュブロスらの政権 (紀元前 403年 )は、穏健 なものだった。しかし今度 も、一部 の権力 者 がソクラテスを死刑 に追 いやってしまった(紀元前 399年 )。 - そうした
事件 や、国政 に関 わる者 達 を観察 し、法律 ・慣習 に立 ち入 って考察 すればするほど、国事 を正 しく司 ることが困難 に思 えてきた。味方 ・同志 が必要 とも感 じた[3]。 - また、
成文 法律 、不文 風習 も荒廃 の一途 を辿 るばかりであり、始 めは公共 活動 への意欲 で胸 いっぱいだったものの、法 習が支離滅裂 に引 き回 されるのを見 て、眩暈 がした。したがって、それらばかりでなく、国 制 全体 をどうすれば改善 できるかも、考察 はし続 けたものの、実際 行動 は控 えている他 なかった。 - また、
現今 の様々 な国家 を見 て、全 て一 つ残 らず悪政 が行 われていることを認識 し、もはや哲学 者 が国家 元首 になるか[3]、国家 権力 者 を哲学 者 にするか、どちらかでなければ人類 が禍 から逃 れることはできないと思 うようになった(哲人 王 思想 )。
回顧 3 ― 第 一 回 シケリア旅行 とディオン
- そうした
思 いを抱 えつつ、(40歳 頃 )第 一 回 目 のイタリア・シケリア旅行 (紀元前 388年 -紀元前 387年 )へ行 った。しかし、イタリア風 ・シュラクサイ風 料理 の盛 りだくさんを日 に2回 食 べ、夜 は決 して1人 で寝 ない(常 に性的 パートナーと共 に寝 る)といった類 の彼 らの暮 らしぶりを見 て、落胆 した。こうした習俗 からは、思慮 深 い、節度 を持 った、徳 を備 えた人物 は(すなわち哲人 王 は)決 して生 まれ得 ないから。 - そうした
中 、青年 ディオンと交際 するようになり、彼 に自分 の思想 ・哲学 を教 え、実行 せよと勧 めた。それが図 らずも、一連 のシュラクサイにおける事件 の発端 となった。 哲学 に馴致 されたディオンは、他 のイタリア人 ・シケリア人 とは違 った生 き方 を願 うようになり、周囲 にも警戒 されるようになっていった。
回顧 4 ― 第 二 回 シケリア旅行 とディオニュシオス2世
- やがて
僭主 ディオニュシオス1世 が死 に(紀元前 367年 )、ディオニュシオス2世 が即位 する。(当時 42歳 頃 の)ディオンは、かつての自分 のように、ディオニュシオス2世 も哲学 によって馴致 されれば善政 が行 われるようになるのではないかと期待 し、ディオニュシオス2世 を説得 して自身 (プラトン)を招請 させた。ディオンは自分 の勢力 や、親類 としてのディオニュシオス2世 との関係 、彼 自身 の哲学 への意欲 を含 め、その時 がまさに千載一遇 のチャンスだと考 えていた。 自身 (プラトン)はその熱心 さに動 かされ、2回 目 のシケリア旅行 へ向 かった(紀元前 367年 -紀元前 366年 )。しかし、いざ着 いてみると、ディオニュシオス2世 の周囲 は、派閥 争 いやディオンへの中傷 で満 たされていた。自身 (プラトン)は必死 に弁護 したが、4ヶ月 後 、ディオンは追放 されてしまった。更 に自身 (プラトン)も、共謀 者 として風評 を流 された。ディオニュシオス2世 は、体裁 をつくろい、自身 (プラトン)に残留 を求 めつつ、城壁 内 で軟禁 状態 に置 いた。- ディオニュシオス2
世 は、自身 (プラトン)に徐々 に愛着 を寄 せるようになったが、中傷 屋 の口入 れで哲学 の道 へは踏 み込 んで来 なかった。 自身 (プラトン)とディオンは、ディオニュシオス2世 に、- できる
限 り自 らに克 ち、信頼 の置 ける友達 ・仲間 を獲得 すること (成功 例 としてペルシア王 ダレイオス、失敗 例 としてディオニュシオス1世 ) 同年輩 の者 達 から友人 ・協力 者 を、自分 自身 のためにも獲得 すること
- できる
- を
助言 していたが、ディオニュシオス2世 に反逆 を企 んでいるという風評 によって、ディオンは追放 されてしまった。
回顧 5 ― ディオンの死 と、忠告
- ディオンはペロポネソス
及 びアテナイから兵 を挙 げて、シュラクサイを解放 した(紀元前 357年 )。ディオンはディオニュシオス2世 の教育 を望 んでいたが、しかし、またしても僭主 周辺 の中傷 屋 による喧伝 によって、ディオニュシオス2世 及 びシュラクサイ市民 の間 に、ディオンに対 する反感 情緒 が形成 されてしまった。そしてディオンの二人 のアテナイ人 従者 が加担 する形 で、ディオンは殺 されてしまった(紀元前 353年 )。 再度 忠告 。「国家 は、専制 者 を仰 ぎその下 に従属 するものであってはならず、法 の下 にこそ従属 せねばならない」。この説得 を、最初 はディオンに、次 にディオニュシオス2世 に、そして3度目 に今 諸君 に試 みている。- また、シケリア
風 の生活 を追 い求 めるような者 を仲間 にするべきではなく、それよりはむしろ外部 の人間 を援助 者 として招 くべき。ギリシア人 の中 から、高齢 者 で、妻子 を持 ち、名家 で、財産 家 の者 を要請 して迎 え、法律 の制定 を委嘱 する。そして、法律 が制定 されたら、勝者 自 ら法律 に服 してみせる。そうすれば、全 てが安全 と至福 に満 たされ、あらゆる災害 からの脱出 が可能 になる。 - もし、こうした「
自 ら法 に服 する」という意志 がないのであれば、自身 (プラトン)を協力 者 として招 くべきではない。 実 はこの方策 は、ディオンも、(ディオニュシオス2世 の善 王 への教育 という第 一策 に次 いで、)二 番目 の策 として実行 しようと試 みていた。
補足 :回顧 6 ― 第 三 回 シケリア旅行 と哲学
第 三 回 シケリア旅行 (紀元前 361年 -紀元前 360年 )についての経緯 の説明 。軟禁 状態 におかれた第 二 回 シケリア旅行 時 は、シュラクサイとカルタゴとの戦争 に乗 じて、平和 回復 後 の再訪 を約束 しつつ帰国 の合意 をとりつけた(紀元前 366年 )。平和 が回復 して後 、ディオニュシオス2世 及 び、追放 中 のディオンの強 い要請 で、ディオニュシオス2世 教育 のため、再 びシュラクサイへと向 かった(紀元前 361年 )が、話 に聞 いていたディオニュシオス2世 の哲学 熱 が、虚栄 心 に基 づく半可通 なものだと到着 早々 感 づいた。- (ここで、
哲学 が何 であるか、また、本物 の哲学 者 の労苦 ・忍従 について、そして、ディオニュシオス2世 の「半可通 」ぶりについての文 量 を割 いた説明 が続 く。) - 「
全体 の課題 、その性質 、その過程 の問題 、それに伴 う労苦 」などについて指摘 してあげると、愛知 者 の気質 を持 った人間 であれば、各自 の仕事 に従事 しながらも、哲学 に向 けて、気 を引 き締 め、心 がけを持 って、張 り切 って一 日 一 日 執心 ・精進 していくが、愛知 者 としての気質 を持 ち合 わせない人間 は、手 に負 えないと精 を出 さなくなったり、問題 の事柄 は全 て教 わったと自分 にい聞 かせて終 わらせてしまう。このように、これは労苦 を忍 べる人間 か否 かを見極 める明確 な検証 法 となる。 - ディオニュシオス2
世 に対 しても、こうしたことを概要 だけ論 じたが、彼 はまさに自分 は既 に何 不足 なく理解 しているといった顔 をしていたし、後 に聞 いたところによると、彼 はその事柄 について自分 独自 の解説 書 であるかのように書物 を著 したらしい。しかし、哲学 の知識 を持 っていると称 し、それを書物 に書 いたり書 こうとしている人々 は間違 っている。それは他 の学問 のように言葉 で語 り得 るものではないし、教 える者 と教 えられる者 が生活 を共 にしながら、問題 の事柄 を取 り上 げて数多 く話 し合 いを重 ねていく内 に、「飛 び火 によって点 ぜられた燈火 」のように、学 ぶ者 の魂 の内 に生 じ、それ自身 がそれ自体 を養 い育 てていくような性質 のものだから。 - こうしたことをあえて
著述 しようとする人達 を反駁 できるように、真理 にかなった論拠 を提示 しておく。 - 「
在 るもの」各々 についての「知識 」を手 に入 れる場合 、依拠 しなければならないものが3つあり、当 の「知識 」はその次 の4番目 に来 る。そして、知 られる側 の「真 実在 」は5番目 に来 る。- 「
示 し言葉 」(オノマ、名詞 、名 辞 ) - 「
定義 」 - 「
模造 」 - 「
知識 」
- 「
例 えば「円 」に関 しては、- 「エン」と
発音 した音声 が、「示 し言葉 」(オノマ、名詞 、名 辞 )であり、 - 「
末端 から中心 までの距離 が、どの方向 においても等 しいもの」といった、「示 し言葉 」(オノマ、名詞 、名 辞 )に「述 べ言葉 」(レーマ、述語 )が充 てられたものが、「定義 」であり、 - 「
図 に描 かれたり消 されたりする円 」や「丸 められてできたり壊 されたりする球 像 」が、「模造 」であり、 - そうした
音声 や外的 物体 ではなく、魂 の中 にあるものとして、「知識 」「知性 」「真 なる思 いなし」がある(この中 で真 実在 としての「円 そのもの」に最 も近 いのは「知性 」である)
- 「エン」と
- これは
直線 、色 、良 いもの、美 しいもの、正 しいもの、火 や水 といった人工 的 なもの自然 的 なもの含 む物体 全般 、全 ての生物 、諸々 の魂 にそなわる性格 、成 すこと成 されること全般 についても当 てはまる。つまり、先 の4つを何 とかして把握 しない限 りは、5番目 の真 実在 を直接 把握 する知 に、到達 できない。 - しかも、その4つを
把握 したとしても、「言葉 」は、個々 の事柄 が「何 であるか」ではなく、「どのようなものであるか」を示 すに過 ぎない。したがって、心 ある人 ならば、自分 自身 の「知性 」によって把握 されたものを、「言葉 」という脆弱 な器 に、ましてや「書 かれたもの」という取 り換 えも効 かぬ状態 に、あえて盛 り込 もうとはしない。 再度 おさらいすると、上記 の4つはどれも、5番目 のものとは異 なるものであり、脆弱 なもの。そして、「何 であるか」ではなく「どのようなものであるか」を、言葉 なり具体 例 なりで差 し出 すものでしかない。したがって、それは反駁 されやすく、論駁 を得意 とする者 であれば、その4つの脆弱 さに漬 け込 んで操縦 できてしまうもの。したがって、信頼 できる関係 性 の中 で、上記 の4つを突 き合 わせ、好意 に満 ちた偏見 も腹蔵 もない吟味 ・反駁 ・問答 が、一段 一 段 、行 きつ戻 りつ行 われることではじめて、個々 の問題 についての思慮 と知性 的 認識 が、人間 に許 される限 りの力 をみなぎらせて輝 き出 すし、優 れた素質 のある人 の持 つ「知 」を、同 じく優 れた素質 のある人 の魂 の中 に生 みつけることが、かろうじて可能 になる。それが哲学 (愛知 )の営 みであり、およそ真面目 な人 ならば、真面目 に探求 されるべき真実 在 そのものについて、書物 を著 すことはないし、彼 の特 に真剣 な関心事 は、魂 の中 の最 も美 しい領域 (知性 )に置 かれているものである。- したがって、ディオニュシオス2
世 がもしそのような書物 を書 いたのであれば、自身 (プラトン)が述 べた事柄 の真意 を全 く学 んでいなかったことになる。そして、それは恥 ずべき虚栄 心 によって行 われたものに違 いない。 事実 、彼 は教 えを受 けるにふさわしい人 ではなかったし、自分 (プラトン)も先 のように一 度 は説 いて聞 かせたが、二度 とそうしたことを話 すことはなかった。彼 がもし哲学 による思慮 や徳 への心 がけ、自由 な精神 の育成 に充分 意義 があると思 っていたならば、それらの事柄 の権威 ある指導 者 である自分 (プラトン)に対 して、(下 述 するように)あのように軽々 しく侮辱 したりしなかっただろう。- (こうして、
元 の話 に戻 る。) - 1
ヶ月 ほど経 ち、早々 に立 ち去 ろうとするも、ディオニュシオス2世 に逗留 を要求 され、断 ると、時間 稼 ぎのため、「追放 中 のディオンへの一部 資産 提供 と、三 者 間 で合意 が成立 すればディオンの帰国 を許 す」といった条件 の下 に、一 年 留 まることを提案 された。熟考 の結果 、その提案 を受 け入 れ、ディオンへ内容 確認 の手紙 を出 すよう求 めた。そうして秋 になり船 が出 なくなった頃 になって、ディオニュシオス2世 は一方 的 にディオンの資産 を勝手 な条件 で処分 してしまった。 - 1
年 経 ち、ディオニュシオス2世 の傭兵 減給 処分 に伴 う暴動 が発生 。首謀 者 とされたヘラクレイデスは逃亡 。ディオニュシオス2世 は、自身 (プラトン)にディオンの処分 済 み財産 を渡 さないよう敵対 関係 を作 るために、自身 (プラトン)を城 外 へ追 い出 し、ヘラクレイデス一味 として冷遇 。自身 (プラトン)はアルキュタスらに窮状 の手紙 を送 ると、彼 らは三 〇梃 櫓 艇 を寄越 してくれた。ディオニュシオス2世 も出国 に同意 し、ようやく出国 。 - オリュンピアでディオンに
会 い、これまでの経緯 を説明 すると、ディオンはディオニュシオス2世 への報復 を呼 びかけ始 める。自身 (プラトン)は賛成 せず、双方 の仲裁 を試 みるもどちらも耳 を傾 けなかった。こうして後 の災禍 に至 った。 - ディオンの
願望 は、節度 と志 あるものなら誰 でも抱 くものであり、国 制 確立 、優 れた法律 制定 を志 したものであったが、その瀬戸際 で頓挫 してしまった。ディオンは自分 をつまずかせた連中 が卑劣 漢 であることは気付 いていたが、その連中 の無知 ・卑劣 さ・貪欲 さが、いかに甚 だしいものであるかにまでは思 いが及 ばなかった。