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第七書簡 - Wikipedia

だいなな書簡しょかん

プラトンの『書簡しょかんしゅうちゅう書簡しょかんの1つ
書簡しょかんしゅう (プラトン) > だいなな書簡しょかん

だいなな書簡しょかん』(だいななしょかん、まれ: Ἐπιστολή ζぜーた': Epistula VIIえい: Epistle VII, Seventh Epistle, Seventh Letter)は、プラトンの『書簡しょかんしゅうちゅう書簡しょかんの1つ。

書簡しょかんしゅう全体ぜんたい半分はんぶん以上いじょうめるほどぶんりょうおおさ、歴史れきしてき哲学てつがくてき記述きじゅつ豊富ほうふさ、また自叙伝じじょでんのごときその内容ないようから、対話たいわへん以外いがいにおける、プラトン個人こじんかんするもっと信頼しんらいできる文献ぶんけん資料しりょうとされ[1]、プラトン研究けんきゅう文献ぶんけんにおいては、とても頻繁ひんぱん参照さんしょう引用いんようされる。

概要がいよう

編集へんしゅう

この書簡しょかん自体じたいは、紀元前きげんぜん352ねん、プラトンが75さいごろシケリアとうシュラクサイディオン死亡しぼうのディオンいちからの協力きょうりょく依頼いらいたいする返信へんしんであり、ディオンの遺志いしと、「法律ほうりつふくする以外いがい内紛ないふん解決かいけつみちい」ことを、かれら(たとえば、ディオンのおいであり当時とうじ20さいごろヒッパリノス2せいひとし)に忠告ちゅうこくし、鼓舞こぶ激励げきれいする体裁ていさいになっている。

そのことを理解りかいしてもらうために、プラトン自身じしんちから、ディオンとの出会であい、一連いちれんのシュラクサイにおける紛争ふんそう経緯けいい説明せつめいしている。

また、末尾まつびでは、時間じかんさかのぼって、プラトンの3かいのシラクサ訪問ほうもんたいする疑問ぎもん解消かいしょうするために、その経緯けいいをかなりのぶんりょうもっ説明せつめいしている。

内容ないよう

編集へんしゅう

おも内容ないよう以下いかとおり。

導入どうにゅう

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協力きょうりょく要請ようせいたいする回答かいとう

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まず、ディオン一派いっぱ協力きょうりょく要請ようせいたいして、かれらの見解けんかい意欲いよく故人こじんディオンのものとおなじであれば協力きょうりょくするが、そうでなければかんがえさせてもらうとべる。

ディオンの意志いし

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つづいて、その故人こじんディオンの意図いと意欲いよくについて、はじめる。だいいちかいシケリア旅行りょこうシュラクサイおとずれたさい紀元前きげんぜん387ねんころ)、自分じぶんが40さい、ディオンが21さいごろ出会であったが、そのころから、かれは「シュラクサイ市民しみんは、最良さいりょうほうによっておさめされつつ、解放かいほうされていなければならない」という見解けんかいち、それを生涯しょうがいまもいたとべる。
そうした見解けんかいてきた経緯けいい背景はいけい理解りかいしてもらうべく、プラトンは自分じぶん自身じしんちもふくめ、これまでの経緯けいいはじめる。

回想かいそう

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回顧かいこ1 ― さんじゅうにん政権せいけんたいする期待きたい失望しつぼう

編集へんしゅう
自分じぶんわかかったころ、やがては国家こっか公共こうきょう活動かつどうかおうと熱意ねついった若者わかものだった。当時とうじ国家こっか体制たいせい非難ひなんてきだったが、やがて体制たいせい変革へんかくき、さんじゅうにん政権せいけん成立せいりつした(紀元前きげんぜん404ねん)。そこには自分じぶん親類しんるい(すなわち、叔父おじであるカルミデスと、はは従兄弟いとこクリティアス)もかかわっており、わかかった自分じぶん興奮こうふんし、期待きたいいた。
ところが、短期間たんきかんのうちにその幻想げんそうくだけた。とくに、かれらが自分じぶんしたソクラテスを、死刑しけいのための強制きょうせい連行れんこうへとけようとしたこと[2]失望しつぼうした。ほかにもたような事件じけんたりにして、自分じぶんいた。

回顧かいこ2 ― 民主みんしゅせい現実げんじつ国家こっかたいする期待きたい失望しつぼう哲人てつじんおう思想しそう

編集へんしゅう
やがてさんじゅうにん政権せいけん崩壊ほうかいし、自分じぶん次第しだい政治せいじ活動かつどうへの意欲いよくもどした。民主みんしゅトラシュブロスらの政権せいけん紀元前きげんぜん403ねん)は、穏健おんけんなものだった。しかし今度こんども、一部いちぶ権力けんりょくしゃがソクラテスを死刑しけいいやってしまった(紀元前きげんぜん399ねん)。
そうした事件じけんや、国政こくせいかかわるものたち観察かんさつし、法律ほうりつ慣習かんしゅうって考察こうさつすればするほど、国事こくじまさしくつかさどることが困難こんなんおもえてきた。味方みかた同志どうし必要ひつようともかんじた[3]
また、成文せいぶん法律ほうりつ不文ふぶん風習ふうしゅう荒廃こうはい一途いっと辿たどるばかりであり、はじめは公共こうきょう活動かつどうへの意欲いよくむねいっぱいだったものの、ほう習が支離滅裂しりめつれつまわされるのをて、眩暈げんうんがした。したがって、それらばかりでなく、くにせい全体ぜんたいをどうすれば改善かいぜんできるかも、考察こうさつはしつづけたものの、実際じっさい行動こうどうひかえているほかなかった。
また、現今げんこん様々さまざま国家こっかて、すべひとのこらず悪政あくせいおこなわれていることを認識にんしきし、もはや哲学てつがくしゃ国家こっか元首げんしゅになるか[3]国家こっか権力けんりょくしゃ哲学てつがくしゃにするか、どちらかでなければ人類じんるいわざわいからのがれることはできないとおもうようになった(哲人てつじんおう思想しそう)。

回顧かいこ3 ― だいいちかいシケリア旅行りょこうとディオン

編集へんしゅう
そうしたおもいをかかえつつ、(40さいごろだいいちかいイタリアシケリア旅行りょこう紀元前きげんぜん388ねん-紀元前きげんぜん387ねん)へった。しかし、イタリアふう・シュラクサイふう料理りょうりりだくさんをに2かいべ、よるけっして1人ひとりない(つね性的せいてきパートナーとともる)といったるいかれらのらしぶりをて、落胆らくたんした。こうした習俗しゅうぞくからは、思慮しりょふかい、節度せつどった、とくそなえた人物じんぶつは(すなわち哲人てつじんおうは)けっしてまれないから。
そうしたなか青年せいねんディオンと交際こうさいするようになり、かれ自分じぶん思想しそう哲学てつがくおしえ、実行じっこうせよとすすめた。それがはからずも、一連いちれんのシュラクサイにおける事件じけん発端ほったんとなった。
哲学てつがく馴致じゅんちされたディオンは、のイタリアじん・シケリアじんとはちがったかたねがうようになり、周囲しゅういにも警戒けいかいされるようになっていった。

回顧かいこ4 ― だいかいシケリア旅行りょこうとディオニュシオス2せい

編集へんしゅう
やがて僭主せんしゅディオニュシオス1せいに(紀元前きげんぜん367ねん)、ディオニュシオス2せい即位そくいする。(当時とうじ42さいごろの)ディオンは、かつての自分じぶんのように、ディオニュシオス2せい哲学てつがくによって馴致じゅんちされれば善政ぜんせいおこなわれるようになるのではないかと期待きたいし、ディオニュシオス2せい説得せっとくして自身じしん(プラトン)を招請しょうせいさせた。ディオンは自分じぶん勢力せいりょくや、親類しんるいとしてのディオニュシオス2せいとの関係かんけいかれ自身じしん哲学てつがくへの意欲いよくふくめ、そのときがまさに千載一遇せんざいいちぐうのチャンスだとかんがえていた。
自身じしん(プラトン)はその熱心ねっしんさにうごかされ、2かいのシケリア旅行りょこうかった(紀元前きげんぜん367ねん-紀元前きげんぜん366ねん)。しかし、いざいてみると、ディオニュシオス2せい周囲しゅういは、派閥はばつあらそいやディオンへの中傷ちゅうしょうたされていた。自身じしん(プラトン)は必死ひっし弁護べんごしたが、4ヶ月かげつ、ディオンは追放ついほうされてしまった。さら自身じしん(プラトン)も、共謀きょうぼうしゃとして風評ふうひょうながされた。ディオニュシオス2せいは、体裁ていさいをつくろい、自身じしん(プラトン)に残留ざんりゅうもとめつつ、城壁じょうへきない軟禁なんきん状態じょうたいいた。
ディオニュシオス2せいは、自身じしん(プラトン)に徐々じょじょ愛着あいちゃくせるようになったが、中傷ちゅうしょう口入くちいれで哲学てつがくみちへはんでなかった。
自身じしん(プラトン)とディオンは、ディオニュシオス2せいに、
  1. できるかぎみずからにち、信頼しんらいける友達ともだち仲間なかま獲得かくとくすること (成功せいこうれいとしてペルシアおうダレイオス、失敗しっぱいれいとしてディオニュシオス1せい
  2. 同年輩どうねんぱいものたちから友人ゆうじん協力きょうりょくしゃを、自分じぶん自身じしんのためにも獲得かくとくすること
助言じょげんしていたが、ディオニュシオス2せい反逆はんぎゃくたくらんでいるという風評ふうひょうによって、ディオンは追放ついほうされてしまった。

回顧かいこ5 ― ディオンのと、忠告ちゅうこく

編集へんしゅう
ディオンはペロポネソスおよびアテナイからへいげて、シュラクサイを解放かいほうした(紀元前きげんぜん357ねん)。ディオンはディオニュシオス2せい教育きょういくのぞんでいたが、しかし、またしても僭主せんしゅ周辺しゅうへん中傷ちゅうしょうによる喧伝けんでんによって、ディオニュシオス2せいおよびシュラクサイ市民しみんあいだに、ディオンにたいする反感はんかん情緒じょうちょ形成けいせいされてしまった。そしてディオンの二人ふたりのアテナイじん従者じゅうしゃ加担かたんするかたちで、ディオンはころされてしまった(紀元前きげんぜん353ねん)。
再度さいど忠告ちゅうこく。「国家こっかは、専制せんせいしゃあおぎそのした従属じゅうぞくするものであってはならず、ほうしたにこそ従属じゅうぞくせねばならない」。この説得せっとくを、最初さいしょはディオンに、つぎにディオニュシオス2せいに、そして3度目どめこん諸君しょくんこころみている。
また、シケリアふう生活せいかつもとめるようなもの仲間なかまにするべきではなく、それよりはむしろ外部がいぶ人間にんげん援助えんじょしゃとしてまねくべき。ギリシアじんなかから、高齢こうれいしゃで、妻子さいしち、名家めいかで、財産ざいさんもの要請ようせいしてむかえ、法律ほうりつ制定せいてい委嘱いしょくする。そして、法律ほうりつ制定せいていされたら、勝者しょうしゃみずか法律ほうりつふくしてみせる。そうすれば、すべてが安全あんぜん至福しふくたされ、あらゆる災害さいがいからの脱出だっしゅつ可能かのうになる。
もし、こうした「みずかほうふくする」という意志いしがないのであれば、自身じしん(プラトン)を協力きょうりょくしゃとしてまねくべきではない。
じつはこの方策ほうさくは、ディオンも、(ディオニュシオス2せいぜんおうへの教育きょういくというだい一策いっさくいで、)番目ばんめさくとして実行じっこうしようとこころみていた。

補足ほそく回顧かいこ6 ― だいさんかいシケリア旅行りょこう哲学てつがく

編集へんしゅう
だいさんかいシケリア旅行りょこう紀元前きげんぜん361ねん-紀元前きげんぜん360ねん)についての経緯けいい説明せつめい
軟禁なんきん状態じょうたいにおかれただいかいシケリア旅行りょこうは、シュラクサイとカルタゴとの戦争せんそうじょうじて、平和へいわ回復かいふく再訪さいほう約束やくそくしつつ帰国きこく合意ごういをとりつけた(紀元前きげんぜん366ねん)。
平和へいわ回復かいふくして、ディオニュシオス2せいおよび、追放ついほうちゅうのディオンのつよ要請ようせいで、ディオニュシオス2せい教育きょういくのため、ふたたびシュラクサイへとかった(紀元前きげんぜん361ねん)が、はなしいていたディオニュシオス2せい哲学てつがくねつが、虚栄きょえいしんもとづく半可通はんかつうなものだと到着とうちゃく早々そうそうかんづいた。
(ここで、哲学てつがくなにであるか、また、本物ほんもの哲学てつがくしゃ労苦ろうく忍従にんじゅうについて、そして、ディオニュシオス2せいの「半可通はんかつう」ぶりについてのぶんりょういた説明せつめいつづく。)
全体ぜんたい課題かだい、その性質せいしつ、その過程かてい問題もんだい、それにともな労苦ろうく」などについて指摘してきしてあげると、愛知あいちしゃ気質きしつった人間にんげんであれば、各自かくじ仕事しごと従事じゅうじしながらも、哲学てつがくけて、め、こころがけをって、っていちにちいちにち執心しゅうしん精進しょうじんしていくが、愛知あいちしゃとしての気質きしつわせない人間にんげんは、えないとせいさなくなったり、問題もんだい事柄ことがらすべおそわったと自分じぶんにいいきかせてわらせてしまう。このように、これは労苦ろうくしのべる人間にんげんかを見極みきわめる明確めいかく検証けんしょうほうとなる。
ディオニュシオス2せいたいしても、こうしたことを概要がいようだけろんじたが、かれはまさに自分じぶんすでなに不足ふそくなく理解りかいしているといったかおをしていたし、のちいたところによると、かれはその事柄ことがらについて自分じぶん独自どくじ解説かいせつしょであるかのように書物しょもつあらわしたらしい。しかし、哲学てつがく知識ちしきっているとしょうし、それを書物しょもついたりこうとしている人々ひとびと間違まちがっている。それは学問がくもんのように言葉ことばかたるものではないし、おしえるものおしえられるもの生活せいかつともにしながら、問題もんだい事柄ことがらげて数多かずおおはないをかさねていくうちに、「によっててんぜられた燈火ともしび」のように、まなものたましいうちしょうじ、それ自身じしんがそれ自体じたいやしなそだてていくような性質せいしつのものだから。
こうしたことをあえて著述ちょじゅつしようとする人達ひとたち反駁はんばくできるように、真理しんりにかなった論拠ろんきょ提示ていじしておく。
るもの」各々おのおのについての「知識ちしき」をれる場合ばあい依拠いきょしなければならないものが3つあり、とうの「知識ちしき」はそのつぎの4番目ばんめる。そして、られるがわの「実在じつざい」は5番目ばんめる。
  1. しめ言葉ことば」(オノマ、名詞めいしめい
  2. 定義ていぎ
  3. 模造もぞう
  4. 知識ちしき
たとえば「えん」にかんしては、
  1. 「エン」と発音はつおんした音声おんせいが、「しめ言葉ことば」(オノマ、名詞めいしめい)であり、
  2. 末端まったんから中心ちゅうしんまでの距離きょりが、どの方向ほうこうにおいてもひとしいもの」といった、「しめ言葉ことば」(オノマ、名詞めいしめい)に「言葉ことば」(レーマ、述語じゅつご)がてられたものが、「定義ていぎ」であり、
  3. えがかれたりされたりするえん」や「まるめられてできたりこわされたりするたまぞう」が、「模造もぞう」であり、
  4. そうした音声おんせい外的がいてき物体ぶったいではなく、たましいなかにあるものとして、「知識ちしき」「知性ちせい」「しんなるおもいなし」がある(このなか実在じつざいとしての「えんそのもの」にもっとちかいのは「知性ちせい」である)
これは直線ちょくせんいろいもの、うつくしいもの、ただしいもの、みずといった人工じんこうてきなもの自然しぜんてきなものふく物体ぶったい全般ぜんぱんすべての生物せいぶつ諸々もろもろたましいにそなわる性格せいかくすことされること全般ぜんぱんについてもてはまる。つまり、さきの4つをなにとかして把握はあくしないかぎりは、5番目ばんめ実在じつざい直接ちょくせつ把握はあくするに、到達とうたつできない。
しかも、その4つを把握はあくしたとしても、「言葉ことば」は、個々ここ事柄ことがらが「なにであるか」ではなく、「どのようなものであるか」をしめすにぎない。したがって、こころあるひとならば、自分じぶん自身じしんの「知性ちせい」によって把握はあくされたものを、「言葉ことば」という脆弱ぜいじゃくうつわに、ましてや「かれたもの」というえもかぬ状態じょうたいに、あえてもうとはしない
再度さいどおさらいすると、上記じょうきの4つはどれも、5番目ばんめのものとはことなるものであり、脆弱ぜいじゃくなもの。そして、「なにであるか」ではなく「どのようなものであるか」を、言葉ことばなり具体ぐたいれいなりですものでしかない。したがって、それは反駁はんばくされやすく、論駁ろんばく得意とくいとするものであれば、その4つの脆弱ぜいじゃくさにんで操縦そうじゅうできてしまうもの。したがって、信頼しんらいできる関係かんけいせいなかで、上記じょうきの4つをわせ、好意こういちた偏見へんけん腹蔵ふくぞうもない吟味ぎんみ反駁はんばく問答もんどうが、一段いちだんいちだんきつもどりつおこなわれることではじめて、個々ここ問題もんだいについての思慮しりょ知性ちせいてき認識にんしきが、人間にんげんゆるされるかぎりのちからをみなぎらせてかがやすし、すぐれた素質そしつのあるひとつ「」を、おなじくすぐれた素質そしつのあるひとたましいなかみつけることが、かろうじて可能かのうになる。それが哲学てつがく愛知あいち)のいとなみであり、およそ真面目まじめひとならば、真面目まじめ探求たんきゅうされるべき真実しんじつざいそのものについて、書物しょもつあらわすことはないし、かれとく真剣しんけん関心事かんしんじは、たましいなかもっとうつくしい領域りょういき知性ちせい)にかれているものである。
したがって、ディオニュシオス2せいがもしそのような書物しょもついたのであれば、自身じしん(プラトン)がべた事柄ことがら真意しんいまったまなんでいなかったことになる。そして、それはずべき虚栄きょえいしんによっておこなわれたものにちがいない。
事実じじつかれおしえをけるにふさわしいひとではなかったし、自分じぶん(プラトン)もさきのようにいちいてかせたが、二度にどとそうしたことをはなすことはなかった。かれがもし哲学てつがくによる思慮しりょとくへのこころがけ、自由じゆう精神せいしん育成いくせい充分じゅうぶん意義いぎがあるとおもっていたならば、それらの事柄ことがら権威けんいある指導しどうしゃである自分じぶん(プラトン)にたいして、(しもじゅつするように)あのように軽々かるがるしく侮辱ぶじょくしたりしなかっただろう。
(こうして、もとはなしもどる。)
1ヶ月かげつほどち、早々そうそうろうとするも、ディオニュシオス2せい逗留とうりゅう要求ようきゅうされ、ことわると、時間じかんかせぎのため、「追放ついほうちゅうのディオンへの一部いちぶ資産しさん提供ていきょうと、さんしゃあいだ合意ごうい成立せいりつすればディオンの帰国きこくゆるす」といった条件じょうけんしたに、いちねんまることを提案ていあんされた。熟考じゅっこう結果けっか、その提案ていあんれ、ディオンへ内容ないよう確認かくにん手紙てがみすようもとめた。そうしてあきになりせんなくなったころになって、ディオニュシオス2せい一方いっぽうてきにディオンの資産しさん勝手かって条件じょうけん処分しょぶんしてしまった。
1ねんち、ディオニュシオス2せい傭兵ようへい減給げんきゅう処分しょぶんともな暴動ぼうどう発生はっせい首謀しゅぼうしゃとされたヘラクレイデスは逃亡とうぼう。ディオニュシオス2せいは、自身じしん(プラトン)にディオンの処分しょぶん財産ざいさんわたさないよう敵対てきたい関係かんけいつくるために、自身じしん(プラトン)をしろがいし、ヘラクレイデス一味いちみとして冷遇れいぐう自身じしん(プラトン)はアルキュタスらに窮状きゅうじょう手紙てがみおくると、かれらはさんてこてい寄越よこしてくれた。ディオニュシオス2せい出国しゅっこく同意どういし、ようやく出国しゅっこく
オリュンピアでディオンにい、これまでの経緯けいい説明せつめいすると、ディオンはディオニュシオス2せいへの報復ほうふくびかけはじめる。自身じしん(プラトン)は賛成さんせいせず、双方そうほう仲裁ちゅうさいこころみるもどちらもみみかたむけなかった。こうして災禍さいかいたった。
ディオンの願望がんぼうは、節度せつどこころざしあるものならだれでもいだくものであり、くにせい確立かくりつすぐれた法律ほうりつ制定せいていこころざしたものであったが、その瀬戸際せとぎわ頓挫とんざしてしまった。ディオンは自分じぶんをつまずかせた連中れんちゅう卑劣ひれつかんであることは気付きづいていたが、その連中れんちゅう無知むち卑劣ひれつさ・貪欲どんよくさが、いかにはなはだしいものであるかにまではおもいがおよばなかった。

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 『プラトン全集ぜんしゅう14』岩波書店いわなみしょてん pp240-241
  2. ^ ソクラテスの弁明べんめいないでも言及げんきゅうされている事件じけん
  3. ^ a b アカデメイア開設かいせつ理由りゆう

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