西川にしかわ 幸治こうじ(にしかわ こうじ、1930年ねん12月20日にち[1] - )は、日本にっぽんの歴史れきし学者がくしゃ。専攻せんこうは都市とし史し。京都大学きょうとだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ、滋賀県立大学しがけんりつだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ・元もと学長がくちょう。
滋賀しが県けん彦根ひこね市し出身しゅっしん。京都大学きょうとだいがく工学部こうがくぶ建築けんちく学科がっか卒業そつぎょう後ご、同どう大学院だいがくいん工学こうがく研究けんきゅう科か(建築けんちく学がく専攻せんこう)単位たんい取得しゅとく。1959年ねん京都大学きょうとだいがく助手じょしゅ、1964年ねん講師こうし、1966年ねん助教授じょきょうじゅ、1977年ねん教授きょうじゅを務つとめる傍かたわら、1985年ねんから1991年ねんまで同どう埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい研究けんきゅうセンター長ちょうを併任へいにんし、1994年ねん同どう退官たいかん、名誉めいよ教授きょうじゅ。1995年ねんより、滋賀県立大学しがけんりつだいがく教授きょうじゅおよび人間にんげん文化ぶんか部長ぶちょうを経へて、2001年ねんより日高ひだか敏隆としたかの後任こうにんとして同どう学長がくちょうを2005年ねんまで務つとめた。2005年ねんより国際こくさい日本にっぽん文化ぶんか研究けんきゅうセンター客員きゃくいん教授きょうじゅを務つとめる。
1968年ねん京都大学きょうとだいがくより工学こうがく博士はかせ。論文ろんぶんの題だいは「都市とし構成こうせいに関かんする史的してき考察こうさつ」[2]。