車力しゃりき(しゃりき)とは、平安へいあん時代じだい中期ちゅうきから明治めいじ期き頃ころまで、車両しゃりょう類るいを牽ひいて荷物にもつの運搬うんぱんを業ごうとしていた者しゃ。
康平こうへい元年がんねん(1058年ねん)10月がつに作成さくせいされた『東大寺とうだいじ修理しゅうり所しょ修理しゅうり記き』には、東大寺とうだいじが貢みつぎ納おさめ米まいの9%を運賃うんちんとして車力しゃりきを用もちいていたことが記しるされている。『新しん猿楽さるがく記き』にも馬借ばしゃく・車くるま借か・駄賃だちんとともに車力しゃりきの呼称こしょうが登場とうじょうする。
中世ちゅうせい期きには車くるま借かの下したに雇傭こようされた車力しゃりきが、車くるま借かが所有しょゆうする荷車にぐるまなどを借かりて運送うんそう労働ろうどうに従事じゅうじする例れいが多おおかった。特とくに荘園しょうえん制せいの下したにおいて、荘園しょうえん領主りょうしゅが年貢ねんぐなどを現地げんちから搬入はんにゅうするために車力しゃりきを用もちいた例れいが知しられている。
江戸えど時代じだいには大八車だいはちぐるま・べか車くるまが車両しゃりょうによる運搬うんぱんの主しゅたる地位ちいを占しめるようになり、車くるま宿やどと呼よばれる親方おやかた的てきな業者ぎょうしゃに雇やとわれる零細れいさいな車力しゃりきから、自みずから大八車だいはちぐるま・べか車くるまなどを所有しょゆうして独立どくりつして事業じぎょうを行おこなう車くるま持じの者ものまで様々さまざまな形態けいたいがあった。
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