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黒衣の花嫁 - Wikipedia

黒衣くろご花嫁はなよめ』(こくいのはなよめ、The Bride Wore Black )は、コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)のミステリサスペンス小説しょうせつフランス映画えいがされた。

出版しゅっぱん

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原書げんしょ1948ねんかん

黒衣くろご花嫁はなよめ
La Mariée était en noir
監督かんとく フランソワ・トリュフォー
脚本きゃくほん フランソワ・トリュフォー
ジャン=ルイ・リシャール
製作せいさく オスカー・リュウェンスティン
出演しゅつえんしゃ ジャンヌ・モロー
音楽おんがく バーナード・ハーマン
撮影さつえい ラウル・クタール
編集へんしゅう クローディーヌ・ブーシェ
配給はいきゅう ユナイテッド・アーティスツ
公開こうかい   1968ねん4がつ17にち
  1968ねん10がつ9にち
上映じょうえい時間じかん 107ふん
製作せいさくこく   フランス
  イタリア
言語げんご フランス語ふらんすご
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1968ねん公開こうかいフランス映画えいがフランソワ・トリュフォー監督かんとく原題げんだいLa mariée était en noir」は原作げんさくふつだいである。

指輪ゆびわ交換こうかん直前ちょくぜん婚約こんやくしゃころされた花嫁はなよめが、5にんおとこたちを次々つぎつぎころしていく復讐ふくしゅうげき

ジャンヌ・モローが『突然とつぜんほのおのごとく以来いらい6ねんぶりにトリュフォー映画えいが出演しゅつえんした。モローのあし執拗しつよううつすカメラが特徴とくちょうてき自他じたどもみとめるあしフェチであるトリュフォーの情熱じょうねつ遺憾いかんなく発揮はっきされている[1]

ジュリー(ジャンヌ・モロー)とダヴィッド(セルジュ・ルソー)はおさないころから将来しょうらいちかったなかだったが、指輪ゆびわ交換こうかん直前ちょくぜんに、ダヴィッドは何者なにものかにたれてころされてしまう。ジュリーはつめたくなったフィアンセのゆびから指輪ゆびわきとり、復讐ふくしゅうちかう。

その教会きょうかいかいがわ建物たてもの一室いっしつに、5にんおとこあつまっていた。かれらはりとおんなきな独身どくしんおとこであるという以外いがいなん共通きょうつうてんたなかったが、ときどきあつまってあそびやおしゃべりにきょうじるのだった。さけったいきおいで、教会きょうかい風見鶏かざみどりついたずらをおもいついたが、あやまって花婿はなむこってしまった。5にん一目散いちもくさんし、二度にどうことはなかった。

ジュリーは5ねんかけておとこたちの居場所いばしょをつきとめた。1人ひとりのブリス(クロード・リーシュ)はテラスからとし、2人ふたりのコラル(ミシェル・ブーケ)はくすりはいったさけませて毒殺どくさつした。3にんのモラーヌ(ミシェル・ロンスダール)はせま物置ものおきめて窒息ちっそくさせた。モラーヌはぎわに、実際じっさいじゅうったのはデルヴォー(ダニエル・ブーランジェ)であることを白状はくじょうした。ジュリーは娼婦しょうふよそおってデルヴォーのもとをたずねたが、デルヴォーはべつ事件じけん逮捕たいほされ、まえでパトカーに連行れんこうされてしまった。ジュリーはひとまずあきらめ、フェルギュス(シャルル・デネル)のもとにかった。フェルギュスは有名ゆうめい画家がかだったので、ジュリーはモデルをよそおってかれちかづき、ころ機会きかいうかがうが、ここでおもわぬ誤算ごさんきてしまう。

役名やくめい 俳優はいゆう 日本語にほんご吹替
NETテレビはん
ジュリー・コレール ジャンヌ・モロー 中西なかにし妙子たえこ
コリ― ジャン=クロード・ブリアリ 広川ひろかわ太一郎たいちろう
ファーガス シャルル・デネル 青野あおのたけし
モラン ミシェル・ロンスダール 村越むらこし伊知郎いちろう
ブリス クロード・リーシュ 納谷なや六朗ろくろう
コラル ミシェル・ブーケ 
デルヴォー ダニエル・ブーランジェ
ダヴィッド セルジュ・ルソー
不明ふめい
その
吉沢よしざわひさよしみ
菅谷すがや政子まさこ
沼波ぬなみ輝枝てるえ
金子かねこ亜矢子あやこ
きょう千英子ちえこ
上田うえだ敏也としや
仲木なかぎ隆司たかし
村松むらまつ康雄やすお
石森いしもりいたるこう
浅井あさい淑子としこ
塚田つかだ恵美子えみこ
中川なかがわまり
落合おちあい美穂みほ
演出えんしゅつ 小林こばやし守夫もりお
翻訳ほんやく 森田もりた瑠美るみ
効果こうか 芦田あしだ公雄きみお/熊耳くまがみつとむ
調整ちょうせい 前田まえだひとししん
制作せいさく 東北新社とうほくしんしゃ
解説かいせつ 淀川よどがわ長治ながはる
初回しょかい放送ほうそう 1974ねん3月24にち
日曜にちよう洋画ようが劇場げきじょう

パロディとう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ トリュフォーはこの作品さくひん失敗しっぱいだとかたっている。とくにカラーにしたことが視覚しかくてきにミステリーがまったくなくなったという(山田やまだ宏一こういち蓮實はすみ重彦しげひこ『トリュフォー 最後さいごのインタビュー』平凡社へいぼんしゃ 2014ねん pp.340-345)。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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