1989年の中日ドラゴンズ(1989ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1989年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、星野仙一監督の3年目のシーズンである。
元号が昭和から平成に代わった最初のシーズン、星野監督はこの年も大型トレードで捕手の中尾孝義を巨人へ放出し、代わって西本聖を獲得。また、前年退団のゲーリー・レーシッチに代わりジョージ・ヒンショーが入団し、戦力が厚くなったかに見えたが開幕前に前年優勝の立役者立浪和義や新外国人ジョージがケガでリタイア。チームも4月は5勝9敗1分と負け越し、首位の広島に8ゲームも付けられる最悪のスタート。投手陣は前年最多勝の小野和幸や12勝の小松辰雄が勝てず、西本や山本昌広の奮闘が目立ち、リリーフも守護神の郭源治を除いて崩壊。この年西本が20勝をあげたもののチーム防御率が3.20から3.68へ低下。打撃陣は1番で26本塁打の彦野利勝、4番の落合博満、6番の宇野勝とルーキーの大豊泰昭を除いて機能せず、本塁打はリーグ1位の149本を記録するも打率が.256のリーグ4位に終わった。チームは前年同様7月になって反撃を開始するが首位巨人の背中は遠く、最後は優勝の巨人に15.5ゲームも付けられて星野監督の3年目は3位で終了した。シーズン終了後、1973年の入団以来先発やリリーフで活躍した鈴木孝政と1982年の優勝に貢献した都裕次郎が現役を引退した。タイトルでは落合が打点王を獲得し、ヤクルトのラリー・パリッシュと本塁打王を争うも2本差の40本に終わった。
[1]
1989年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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広島 |
--
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広島 |
--
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
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巨人 |
--
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
巨人 |
3.5
|
巨人 |
0.0
|
広島 |
2.5
|
広島 |
7.0
|
広島 |
8.0
|
広島 |
4.5
|
広島 |
9.0
|
3位
|
ヤクルト |
8.0
|
阪神 |
10.5
|
阪神 |
15.5
|
中日 |
14.0
|
中日 |
13.0
|
中日 |
13.0
|
中日 |
15.5
|
4位
|
阪神 |
8.0
|
ヤクルト |
11.5
|
ヤクルト |
15.5
|
ヤクルト |
20.0
|
ヤクルト |
24.5
|
ヤクルト |
23.0
|
ヤクルト |
28.5
|
5位
|
中日 |
8.0
|
中日 |
12.0
|
中日
|
阪神 |
22.0
|
阪神 |
29.0
|
阪神 |
28.0
|
阪神 |
30.5
|
6位
|
大洋 |
8.5
|
大洋 |
14.0
|
大洋 |
17.0
|
大洋 |
24.0
|
大洋 |
30.5
|
大洋 |
33.5
|
大洋 |
36.5
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ベストナイン
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選手名 |
ポジション |
回数
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落合博満 |
三塁手 |
3年ぶり4度目[注 1]
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彦野利勝 |
外野手 |
初受賞
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ゴールデングラブ賞
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選手名 |
ポジション |
回数
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西本聖 |
投手 |
4年ぶり8度目
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彦野利勝 |
外野手 |
2年連続2度目
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- ^ 一塁手部門と二塁手部門で2度ずつ受賞しており、通算8度目。