(Translated by https://www.hiragana.jp/)
Project MAC - Wikipedia

Project MACMACプロジェクト)は、マサチュまさちゅセッツ工科大学せっつこうかだいがくおこなわれたプロジェクトであり、オペレーティングシステム人工じんこう知能ちのう計算けいさん理論りろんなどの先駆せんくてき研究けんきゅう成果せいかされた研究けんきゅう機関きかんである。のちMITコンピュータ科学かがく研究所けんきゅうじょ(MIT Laboratory for Computer Science、LCS)となった。どう時代じだい同様どうよう研究けんきゅうおこなった組織そしきとしては、カリフォルニア大学だいがくバークレーこうProject Genieスタンフォード人工じんこう知能ちのう研究所けんきゅうじょ、(すこになるが)みなみカリフォルニア大学だいがく情報じょうほう科学かがく研究所けんきゅうじょがある。

"MAC"は頭字かしらじである。当初とうしょMathematics and Computation であったが、からかんがえられたバクロニムとしては Machine Aided Cognition とか Multiple Access Computer(Multi Access Computing とする資料しりょうもある[1]) といったものがある(前者ぜんしゃ人工じんこう知能ちのうてき応用おうよう認識にんしきとう)の、後者こうしゃ多重たじゅう制御せいぎょ意味いみでOSとうのシステムをす)。さらに後年こうねん、MITでそれぞれのグループをひきいていたリーダーにけた冗談じょうだんとして、Minsky Against Corbyりゃくともわれた(前者ぜんしゃMIT AIラボ を、後者こうしゃMultics先導せんどうした。つまり、さきべた2つのバクロニムに対応たいおうしている)。

Project MAC は1963ねん7がつ1にちARPAからの200まんドルの補助ほじょきんによって開始かいしされた。初期しょき責任せきにんしゃはMIT電子でんし工学こうがく研究所けんきゅうじょ(RLE)のロバート・ファーノ。ARPAからの補助ほじょきんかんする責任せきにんしゃは、かつてMIT電子でんし工学こうがく研究所けんきゅうじょ研究けんきゅうしていたJ・C・R・リックライダーであり、かれはファーノの後任こうにんとして Project MAC の責任せきにんしゃとなった。Project MAC の資金しきんおもに ARPA(のちにDARPA)と米国べいこく科学かがく財団ざいだんヴァネヴァー・ブッシュだい大戦たいせんちゅう設立せつりつしたアメリカ科学かがく基金ききん母体ぼたい)がしている。ファーノがMACを研究所けんきゅうじょではなくプロジェクトとんだのにはMITない政治せいじてき問題もんだいがあった。MACを研究所けんきゅうじょんでしまうと、MITのほか部門ぶもんから研究けんきゅうしゃくことがむずかしくなるからである。

Project MAC の創立そうりつメンバー(ファーノ、フェルナンド・J・コルバト以前いぜん同僚どうりょうジョン・マッカーシー推薦すいせんによるマービン・ミンスキー)は「コンピュータ・ユーティリテイ」の創造そうぞうかんがえていた。それは、電力でんりょく施設しせつ(Electric Utility)が電力でんりょくげんとして使つかわれているように計算けいさん能力のうりょくみなもととなる信頼しんらいせいたかいものをつくろうというかんがかたである。この目的もくてきのため、コルバトは最初さいしょタイムシェアリングシステムであるCTSSをMIT計算けいさんセンターからもたらし、ARPAの資金しきんIBM 7094研究けんきゅうよう購入こうにゅうするのにてた。Project MACの初期しょき研究けんきゅうのひとつとしてCTSSの後継こうけいシステムMultics開発かいはつがある。それは世界せかいはつこう可用かようコンピュータシステムとなるはずだった。この開発かいはつゼネラル・エレクトリックベル研究所けんきゅうじょとの共同きょうどうおこなわれた。

1960年代ねんだいまつ、ミンスキーの人工じんこう知能ちのうグループはもっとひろ場所ばしょさがしていたが、プロジェクト責任せきにんしゃのリックライダーからは満足まんぞくできる回答かいとうられなかった。大学だいがく方針ほうしんでは Project MAC というひとつの組織そしきにそれ以上いじょうのスペースは提供ていきょうされないということをったミンスキーは、Project MAC からけてあらたな研究所けんきゅうじょ設立せつりつすることでスペースをることにした。結果けっかとしてMIT人工じんこう知能ちのう研究所けんきゅうじょ1970ねん設立せつりつされ、ミンスキーの人工じんこう知能ちのうグループのほとんどはそちらにうつっていき、のこったメンバーは1975ねんにコンピュータ科学かがく研究所けんきゅうじょ設立せつりつすることとなった。また、ハル・エイベルソンジェラルド・ジェイ・サスマンはどちらにもぞくさず、その30年間ねんかん Project MAC とえばかれらのことを意味いみするようになる。

LISP言語げんご一種いっしゅMACLispは Project MAC の一環いっかんとして開発かいはつされた。

コンピュータ科学かがく研究所けんきゅうじょとなって以降いこう様々さまざま先駆せんくてき研究けんきゅうおこなわれ、とくインターネット発展はってんへの寄与きよおおきい。

Project MAC 発足ほっそく40周年しゅうねんである2003ねん7がつ1にち、コンピュータ科学かがく研究所けんきゅうじょ人工じんこう知能ちのう研究所けんきゅうじょ合併がっぺいし、MITコンピュータ科学かがく人工じんこう知能ちのう研究所けんきゅうじょCSAIL)となった。この合併がっぺいによってMITキャンパスでも最大さいだい研究所けんきゅうじょができ(600にん以上いじょう人員じんいん)、Project MAC の多彩たさい要素ようそさい結合けつごうなされた。

関係かんけいした著名ちょめいじん

編集へんしゅう

Project MAC に従事じゅうじした人々ひとびとなかには、のちコンピュータ業界ぎょうかいおおきな足跡あしあとのこしたひとがいる。ロバート・メトカーフパロアルト研究所けんきゅうじょうつってからイーサネット発明はつめいし、のち3COMしゃ設立せつりつした。また、世界せかいはつおもて計算けいさんソフトであるVisiCalcいたボブ・フランクストンは、VisiCalcの初期しょきのプロトタイプ作成さくせいのために Multics を使用しようしたという。

歴代れきだい Project MAC 責任せきにんしゃ

編集へんしゅう

歴代れきだいコンピュータ科学かがく研究所けんきゅうじょ所長しょちょう

編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ ハワード・ラインゴールド ちょ栗田くりた昭平しょうへい 監訳かんやく青木あおき真美まみ やく思考しこうのための道具どうぐ 異端いたん天才てんさいたちはコンピュータになにもとめたか?』パーソナルメディア株式会社かぶしきがいしゃ、1988ねん8がつ10日とおか、204ぺーじISBN 4-89362-035-5