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X-1 (航空機) - Wikipedia

ベル X-1

ベルX-1ロケット飛行機(NASA写真)

ベルX-1ロケット飛行機ひこうき(NASA写真しゃしん

ベル X-1アメリカ有人ゆうじん実験じっけんで、世界せかいはじめて水平すいへい飛行ひこう音速おんそく突破とっぱした有人ゆうじん航空機こうくうき(ロケット)である。

開発かいはつ経緯けいい音速おんそく突破とっぱまで 編集へんしゅう

 
飛行ひこうちゅうのX-1 46-062、ニックネームは「グラマラス グレニス」

だい世界せかい大戦たいせん影響えいきょうもあり、1930年代ねんだいから1940年代ねんだいにかけてレシプロエンジン急激きゅうげき進化しんかし、それにともな航空機こうくうき速度そくど右肩みぎかたがりに増加ぞうかしていった。しかし航空機こうくうき速度そくどが700km/hをえるあたりになるとプロペラ先端せんたんつばさ上面うわつら空気くうきりゅう音速おんそくマッハ 1)にちかづき、衝撃波しょうげきは発生はっせいして空気くうき性質せいしつはげしく変化へんかするようになる。抗力こうりょく急増きゅうぞうするとともに、機体きたい異常いじょう振動しんどう(バフェッティング)をこし、場合ばあいによっては操縦そうじゅう不能ふのう空中くうちゅう分解ぶんかいということもあった。これがいわゆるおとかべである。

レシプロエンジンの場合ばあいこれがスピードの限界げんかいであり、音速おんそく飛行ひこうゆめはなしであった。しかし1940年代ねんだいになると、各国かっこくジェットエンジン開発かいはつされたことにより、音速おんそく飛行ひこう現実味げんじつみびてきた。

アメリカのベルしゃ1942ねんにアメリカはつのジェット戦闘せんとうXP-59開発かいはつし、1943ねんにはNACA(NASA前身ぜんしん)にたいして強力きょうりょくなジェットエンジンさえあればちょう音速おんそく製作せいさくすることは可能かのう表明ひょうめいしていた。しかし、ちょう音速おんそく飛行ひこう可能かのうとはわれていたがだい大戦たいせん影響えいきょう肝心かんじん研究けんきゅう予算よさんがなかなかりず、陸軍りくぐん航空こうくうたい資材しざいから研究けんきゅう予算よさんりたのは1944ねん1がつになってからであった。これにあわせるようにNACAは高速こうそく飛行ひこう審議しんぎかい設立せつりつした。

1944ねん3がつにはNACAと陸軍りくぐん航空こうくうたいライトフィールドの資材しざい司令しれい技術ぎじゅつ海軍かいぐん航空局こうくうきょくの3しゃ今後こんご方針ほうしんについて検討けんとうをおこなった。そのせき陸軍りくぐんいますぐにでもマッハ1をえる航空機こうくうき開発かいはつ要求ようきゅう一方いっぽう海軍かいぐんはデータをりながら慎重しんちょう開発かいはつすすめる安全あんぜんさく主張しゅちょうした。その結果けっか陸軍りくぐん海軍かいぐんはそれぞれ別個べっこちょう音速おんそく開発かいはつをNACAと協力きょうりょくしておこなっていくこととなった。

陸軍りくぐんは5月にちょう音速おんそく実験じっけん計画けいかくさい優先ゆうせん指定していし、以下いかダイブによる遷音そく飛行ひこうP-80による遷音そく飛行ひこうという3だんかまえで計画けいかくすすめていくこととした。機体きたい開発かいはつメーカーはノースアメリカンしゃリパブリックしゃの2しゃ候補こうほとしてがっていたが、この2しゃちょう音速おんそく開発かいはつおこな余裕よゆうはなかった。こうしたなか、11月にベルしゃ主任しゅにん設計せっけい技師ぎしロバート・ウッズは、この計画けいかく重要じゅうよう人物じんぶつであったイーズラ・コッチャー少佐しょうさ直接ちょくせつ機体きたい製作せいさくもう契約けいやくけた。

その高速こうそく飛行ひこう審議しんぎかい航空こうくう技術ぎじゅつ補給ほきゅう本部ほんぶのコッチャー少佐しょうさとベルしゃ協議きょうぎかさね、1944ねんまつには高速こうそく実験じっけん計画けいかく MX-524おも仕様しよう決定けっていした。MX-524の当初とうしょ目標もくひょうは、遷音そく研究けんきゅうちょう音速おんそく飛行ひこう視野しやれておくというもので、自力じりきでの離着陸りちゃくりくおこなえるなどの条件じょうけんふくまれていた。しかしエンジンについて、ロケットエンジンくら非力ひりきだが燃焼ねんしょう時間じかんながいジェットエンジンにするか、ジェットエンジンにくら強力きょうりょくだが燃焼ねんしょう時間じかんみじかいロケットエンジンにするかはまっていなかった。胴体どうたい形状けいじょうは、当時とうじ存在そんざいしたちょう音速おんそく飛翔ひしょうたいである12.7mmだん形状けいじょうをモデルとし、これにつばさをつけたような形状けいじょうとなっていた。そのため風防ふうぼう胴体どうたい一体いったいになっており、視界しかいけっしていいものではなかった。

XS-1 編集へんしゅう

XS-1

  • 全長ぜんちょう:9.42 m
  • 全幅ぜんぷく:8.53 m
  • 全高ぜんこう:3.30 m
  • 自重じちょう:3,171 kg
  • 全備ぜんび重量じゅうりょう:5,550 kg
  • エンジン:XLR11-RM-3×4
  • 推力すいりょく:2,722 kgf(合計ごうけい
  • 最高さいこう速度そくど記録きろく: マッハ1.45
 
XLR11エンジン

その MX-524 は名称めいしょうMX-653変更へんこうし、1945ねんには XS-1 (eXperimental Supersonic-1) と名称めいしょう決定けってい、3製造せいぞう契約けいやく正式せいしきにベルしゃ航空こうくう技術ぎじゅつ補給ほきゅう本部ほんぶあいだむすばれた。それと同時どうじにこの計画けいかく全体ぜんたい機密きみつあつかいに指定していされた。

XS-1のエンジンはめにめたすえロケットエンジンに決定けっていし、リアクション・モーターズしゃ開発かいはつちゅうだったXLR11使用しようすることとなった。このロケットエンジンの推進すいしんざい従来じゅうらい使用しようされていた硝酸しょうさんアニリンくら安全あんぜんせいすぐれる液体えきたい酸素さんそアルコールわせとなっていた。しかしこのエンジンは膨大ぼうだい燃料ねんりょう消費しょうひするため、自力じりきでの離陸りりくあきらめ、B-29がかくだして上空じょうくうからの発進はっしんへと方針ほうしん転換てんかんされた。

XS-1に搭載とうさいされたXLR11エンジンの正式せいしき名称めいしょうはXLR11-RM-3で、1あたりの推力すいりょくは680 kgf。XS-1にはこれが4装備そうびされた。エンジンは推力すいりょく調整ちょうせいができずオンかオフの2とおりしかないが、4のエンジンのオンとオフを調節ちょうせつすることによって4段階だんかい調節ちょうせつ可能かのうである。燃料ねんりょう搭載とうさいりょう液体えきたい酸素さんそが1,177リットル、アルコールが1,110リットルとなっており、それぞれしゅあし前方ぜんぽう後方こうほうのタンクに装備そうびされていた。

機体きたい強度きょうどは18Gまでえられるという過剰かじょうなまでの強度きょうどわせていた。これは、音速おんそくはいると機体きたいがどのような挙動きょどうこすかまったく見当けんとうもつかなかったためである。なおXS-1には射出しゃしゅつ座席ざせきなどの脱出だっしゅつ装置そうち装備そうびされていなかった。

XS-1の主翼しゅよく平面へいめん形状けいじょうちょう音速おんそく飛行ひこうてきする後退こうたいつばさではなく直線ちょくせんつばさであった。これはNACAが後退こうたいつばさ利点りてんらなかったためではなく、当時とうじまだ実績じっせきのなかった後退こうたいつばさ使用しようをためらったためである。アスペクトつばさはばの2じょう主翼しゅよく面積めんせきった細長ほそながさをしめす)は6.03とされた。つばさあつについては結論けつろんず、1号機ごうきと2号機ごうきべつのタイプの主翼しゅよくをつけることに決定けっていした。主翼しゅよく強度きょうどたせるために1まいばんからのけずりだしでつくられた。

降着こうちゃく装置そうち当初とうしょソリなども検討けんとうされたが、結局けっきょく普通ふつう車輪しゃりんいた。しかし機内きないスペースの問題もんだいから降着こうちゃくあし非常ひじょうみじかい。また、おおきな降下こうか速度そくどともあいまって降着こうちゃく装置そうち故障こしょうする事故じこすくなからず発生はっせいしている。

運用うんよう履歴りれき 編集へんしゅう

飛行ひこう開始かいし 編集へんしゅう

 
X-1の2号機ごうき記念きねん撮影さつえいするスタッフ

1946ねん1がつ19にちに、XS-1を操縦そうじゅうした最初さいしょベル・エアクラフトチーフテストパイロットであるジャック・ウーラムズ英語えいごばんは、フロリダパインキャッスル陸軍りくぐん飛行場ひこうじょう英語えいごばん上空じょうくう滑空かっくう飛行ひこうした。ウーラムズはパインキャッスル上空じょうくうをさらに9かい滑空かっくう飛行ひこうし、B-29は29,000フィート (8,800 m)で航空機こうくうき落下らっかさせ、12ふん毎時まいじやく 110マイル毎時まいじ (180 km/h)にたっし、XS-1は着陸ちゃくりくした。

1946ねん1がつ25にちにXS-1はエンジンと燃料ねんりょうタンクのわりのおもりをんでのはつ滑空かっくう試験しけんおこない、操縦そうじゅうせい失速しっそく特性とくせいのテスト、パインキャッスル飛行場ひこうじょう着陸ちゃくりくした。きゅう日本にっぽんぐん技術ぎじゅつ士官しかん三木みき忠直ただなおは、みずからが開発かいはつ担当たんとうした特攻とっこう兵器へいき桜花おうか運用うんようほう酷似こくじしていることにおどろいている[1]。その10かい滑空かっくう試験しけんおこなわれたが、4かい試験しけんひだりぬしあし左翼さよく破損はそん修理しゅうりしたのちの5かい試験しけんでもぜんあし故障こしょう機首きしゅ破損はそんするという2事故じこ見舞みまわれた。滑空かっくう試験しけんわったのち1号機ごうきニューヨーク工場こうじょうもどり、エンジンなどの装備そうびおこなわれた。

動力どうりょく飛行ひこう試験しけんは、カリフォルニアしゅうミューロックいぬいのミューロック陸軍りくぐん飛行場ひこうじょうげんエドワーズ空軍くうぐん基地きち)において、XS-1の2号機ごうきおこなわれることとなった。XLR11点火てんかは1946ねんの12月9にち通算つうさん15かい(2号機ごうきで5かい)の飛行ひこうはじめて実施じっしされ、2のエンジンでマッハ0.75(のちにマッハ0.795と判明はんめい)まで加速かそくし、1947ねん1がつ17にちには4のエンジンすべてに点火てんかしてマッハ0.828を記録きろくした。同年どうねん4がつ11にちにはつばさあつちいさい主翼しゅよく装備そうびした1号機ごうき動力どうりょく飛行ひこうがおこなわれた。

ベルしゃ当初とうしょからマッハ0.8まで安全あんぜん操縦そうじゅうできる航空機こうくうき開発かいはつもとめられていたが、これで要求ようきゅうたされ、安全あんぜんせい証明しょうめいされたため、XS-1は通算つうさん37かい試験しけんをもってベルしゃからNACAと航空こうくう資材しざい本部ほんぶきゅう航空こうくう技術ぎじゅつ補給ほきゅう本部ほんぶ)へ正式せいしき譲渡じょうとされた。

XS-1はNACAと航空こうくう資材しざい本部ほんぶわたったのちに、実験じっけんすすかたについて協議きょうぎおこなわれた。NACAはデータをかさねながら音速おんそくちかづくべきとし、航空こうくう資材しざい本部ほんぶ一気いっき音速おんそく突破とっぱしてしまおうと主張しゅちょうした結果けっか航空こうくう資材しざい本部ほんぶがXS-1の1号機ごうき使用しようして、NACAがXS-1の2号機ごうき使用しようしてそれぞれ別々べつべつ試験しけんおこなっていくことになった。

チャック・イェーガー 編集へんしゅう

航空こうくう資材しざい本部ほんぶテストパイロットなかから志願しがんしゃつのり、そのなかからチャック・イェーガー大尉たいい抜擢ばってき、その技術ぎじゅつめん補佐ほさとしてジャック・リドレイ大尉たいい予備よびのパイロットしてロバート・フーバー中尉ちゅうい選定せんていした。一方いっぽう NACA のパイロットはハーバート・フーバーとハワード・リリーの 2 めい決定けっていした。また NACA で使用しようされる 2 号機ごうき耐火たいか装備そうび改修かいしゅうほどこされ新型しんがた燃料ねんりょう投棄とうき装置そうちなどが装備そうびされた。

航空こうくう資材しざい本部ほんぶ8がつ6にちから滑空かっくうテストを開始かいしし、8がつ29にちにはイェーガーによるはつ動力どうりょく飛行ひこうでマッハ 0.85 を記録きろくした。2 かい動力どうりょく飛行ひこう試験しけん送信そうしん装置そうち故障こしょうから地上ちじょうへのデータ送信そうしんができなかったが、のち機内きない計器けいきではマッハ 0.9 をえていたことが判明はんめいした。XS-1 の試験しけんは NACA と航空こうくう資材しざい本部ほんぶ別々べつべつっているのにたいし、はは仕様しよう改造かいぞうされた B-29 は 1 しかなかった。そのため NACA の試験しけん9月25にちまで実施じっしできず、テストパイロットは XS-1 での飛行ひこう経験けいけんがなかったため、結局けっきょく NACA の飛行ひこう試験しけんもイェーガーがおこなった。10月にはいって航空こうくう資材しざい本部ほんぶ本格ほんかくてきおとかべ挑戦ちょうせんしていくこととなる。10月10にちには過去かこ最高さいこうのマッハ 0.997 を記録きろく次回じかい飛行ひこう音速おんそくえることを決定けっていする。

1947ねん10月14にち通算つうさん 50 かい飛行ひこうでイェーガーが搭乗とうじょうする XS-1 は高度こうど 6,100 m でははからはなされ、2 のエンジンに点火てんかしてなる上昇じょうしょう移行いこうつづいてのこりの 2 にも点火てんかし、高度こうど 10,670 m をマッハ 0.92 で通過つうかした。高度こうど 12,800 m に到達とうたつするまえにエンジン 2 をオフにして水平すいへい飛行ひこううつり、そのふたたびエンジンを 1 オンにしてけい 3 水平すいへい飛行ひこうおこなった。その結果けっかマッハ 1.06 を記録きろく人類じんるいはつ有人ゆうじんちょう音速おんそく飛行ひこうとなった。音速おんそく突破とっぱには予想よそうされていた衝撃波しょうげきはによる振動しんどうもほとんどく、意外いがいなほどにあっさりと音速おんそくえてしまったという。このときイェーガーがにつけた愛称あいしょうは「グラマラス グレニス (Glamorous Glennis)」(グレニスはかれつま名前なまえ)。

イェーガーは音速おんそく突破とっぱをおこなう 2 にちまえの 12 にち夜間やかん乗馬じょうばしていたところ、落馬らくば肋骨あばらぼね骨折こっせつしていた。イェーガーは当日とうじついた患部かんぶかくしながら XS-1 に搭乗とうじょうしようとしたが、XS-1 の搭乗とうじょうこうめるにはまえかがみになる必要ひつようがあり、骨折こっせつしているには困難こんなんなことであった。しかし、そのことがまわりにれればテストパイロットからろされることはあきらかであったため、イェーガーはリドレイ大尉たいいにのみ事実じじつつたえ、どうすればいいか相談そうだんをした。リドレイはモップのによって搭乗とうじょうこうめることを提案ていあんし、無事ぶじイェーガーは XS-1 の搭乗とうじょうこうめることができた。このエピソードは映画えいがライトスタッフ』にもえがかれている。

そのイェーガーは11月6にちにはマッハ 1.36、1948ねん3月26にちにはマッハ 1.45 の XS-1 でのさい高速度こうそくど記録きろくした。NACA が使用しようしていた 2 号機ごうきも1948ねん3がつ10日とおか音速おんそく突破とっぱした。しかしながら、音速おんそく突破とっぱ事実じじつはしばらくのあいだ公表こうひょうされず、一般いっぱんわたるのは1947ねん12月にニューヨーク・タイムズなどがトクダネとして発表はっぴょうしたときであった。しかしこののち空軍くうぐん(1947ねん9月18にち陸軍りくぐんから独立どくりつ)はノーコメントとし、実際じっさい事実じじつ公表こうひょうされたのは1948ねん6月15にちになってからであった。

XS-1 は1948ねんX-1名称めいしょう変更へんこうされた。

音速おんそく突破とっぱのX-1 編集へんしゅう

 
X-1とB-50

音速おんそく突破とっぱすると、基本きほん目標もくひょう音速おんそく飛行ひこうから最高さいこう高度こうど27,430 m、マッハ2へとえられ、それにあわせ1948ねん4がつ空軍くうぐん新型しんがたのX-1を発注はっちゅうした。あらたに発注はっちゅうされたX-1は基本きほん構造こうぞうおなじものの目的もくてきにより名称めいしょうことなり、X-1AX-1BX-1CX-1Dの4種類しゅるい開発かいはつされた。X-1AとX-1Bはそらりょく特性とくせいテスト、X-1Cはちょう音速おんそくいきにおける武装ぶそうテスト、X-1Dは空気くうき加熱かねつテストに使用しようされることになっていた。これらの胴体どうたい延長えんちょうされており、燃料ねんりょう搭載とうさいりょう液体えきたい酸素さんそ1,893リットル、アルコール2,158リットルへと増量ぞうりょうされていた。一方いっぽうNASAではX-1の2号機ごうき改修かいしゅうし、ちょううすきつばさのテストに使用しようされるX-1E開発かいはつされた。発進はっしんはははB-29からB-50へと変更へんこうされた。

X-1A 編集へんしゅう

 
X-1A

X-1A

  • 全長ぜんちょう:10.87 m
  • 全幅ぜんぷく:8.53 m
  • 全高ぜんこう:3.25 m
  • 自重じちょう:3,117 kg
  • 全備ぜんび重量じゅうりょう:7,469 kg
  • エンジン:XLR11-RM-5×4
  • 推力すいりょく:2,722 kgf(合計ごうけい
  • 最高さいこう速度そくど記録きろく:マッハ 2.44

X-1Aは新型しんがたX-1シリーズ最速さいそく機体きたいである。1953ねん2がつ14にち滑空かっくう試験しけん実施じっし、2がつ21にちには動力どうりょく飛行ひこう実施じっしした。

X-1Aはマッハ2を目指めざすことができる唯一ゆいいつ空軍くうぐんとして期待きたいされ、その期待きたいどお12月2にちにはマッハ1.5、8にちにはマッハ1.2を記録きろく同月どうげつ12にちにはマッハ2.44を記録きろくし、海軍かいぐんD-558-2記録きろくしたマッハ2.005の記録きろくえた。このX-1シリーズでの最高さいこう速記そっきろくしたのもチャック・イェーガーである。なおX-1Aがマッハ2.44を記録きろくした直後ちょくご機体きたいはロール・カップリング現象げんしょうによりひだりかたむき、そのままきりもみ状態じょうたい落下らっかはじめ、あわや墜落ついらくかという状態じょうたいになったが、高度こうど8,800 mあたりで機体きたいなおすことに成功せいこうし、墜落ついらくまぬかれた。

マッハ2を突破とっぱすると今度こんど速度そくど記録きろくではなく高度こうど記録きろく挑戦ちょうせんし、1954ねん8がつに27,566 mを記録きろく海軍かいぐんつ25,370 mの記録きろく世界せかい記録きろく樹立じゅりつした(ただし非公式ひこうしき)。

そのX-1AはNACAに移管いかんされ射出しゃしゅつ座席ざせきなどを装備そうびする改造かいぞうけたが、1955ねん8がつ飛行ひこうはな直後ちょくご液体えきたい酸素さんそ爆発ばくはつしたため機体きたい投棄とうきされた。

X-1B 編集へんしゅう

 
X-1B

X-1B

  • 寸法すんぽう重量じゅうりょう: X-1A におな
  • エンジン:XLR11-RM-9×4
  • 推力すいりょく:2,722 kgf(合計ごうけい
  • 最高さいこう速度そくど記録きろく:マッハ 1.94

X-1Bは新型しんがたX-1シリーズの新規しんき製造せいぞうぐみなかもっと完成かんせいおそく、1954ねん9がつはつ滑空かっくう試験しけんを、10月にはつ動力どうりょく飛行ひこう実施じっしした。空軍くうぐんちょう音速おんそくテストパイロットの訓練くんれんようとして使用しようされる予定よていであったが、1954ねん12月にNACAへ移管いかんされ、そらりょく加熱かねつなどの実験じっけん使用しようされることとなった。

X-1Bはニール・アームストロング搭乗とうじょうした1958ねん1がつ飛行ひこうのち検査けんさ結果けっか液体えきたい酸素さんそタンクに亀裂きれつつかったため退役たいえきとなり、現在げんざいでは国立こくりつアメリカ空軍くうぐん博物館はくぶつかん展示てんじされている。

X-1C 編集へんしゅう

X-1Cはちょう音速おんそく飛行ひこうにおける武器ぶき発射はっしゃテストを目的もくてき開発かいはつおこなわれた。しかし発注はっちゅうあいだもなく、モックアップの段階だんかいにおいてXP-86戦闘せんとうなる降下こうか音速おんそく突破とっぱし、試験しけん目的もくてきうしなわれたためにキャンセルされた。計画けいかくでは、機首きしゅなどに固定こてい武装ぶそうをいくつか装備そうびし、主翼しゅよく胴体どうたい安定あんていフィンを追加ついかした形状けいじょうとなっていた。

X-1D 編集へんしゅう

X-1D

  • X-1A におな
  • 最高さいこう速度そくど記録きろく記録きろくなし

X-1Dは新型しんがたX-1シリーズのなかもっとはや登場とうじょうした機体きたいで、機体きたい番号ばんごうは#48-1386。燃料ねんりょう系統けいとうなどに改良かいりょうくわえられていた。投下とうかははB-50となっている。1951ねん7がつ24にちにロジャーいぬいで、はつ滑空かっくう試験しけん実施じっしした。しかしこの試験しけん着陸ちゃくりくぜんあし破損はそん、その修理しゅうりされ同年どうねん8がつはつのロケット動力どうりょく飛行ひこうをおこなったが今度こんどはなまえこうあつ窒素ちっそタンクの圧力あつりょく低下ていかしていることが判明はんめい。テストは中断ちゅうだんされ、燃料ねんりょう投棄とうきがはじめられたところで液体えきたい酸素さんそ爆発ばくはつしたため破棄はきされた。

X-1E 編集へんしゅう

 
ジョセフ・ウォーカーとX-1E
  • 全長ぜんちょう:9.45 m
  • 全幅ぜんぷく:6.96 m
  • 全高ぜんこう:3.30 m
  • 自重じちょう:3,103 kg
  • 全備ぜんび重量じゅうりょう:6,682 kg
  • エンジン:LR8-RM-5×4
  • 推力すいりょく:2,722 kgf(合計ごうけい
  • 最高さいこう速度そくど記録きろく:マッハ 2.24

X-1Eは新型しんがたX-1シリーズとことなり、XS-1の2号機ごうきから改修かいしゅうされた機体きたいである。1951ねんまつから改修かいしゅう開始かいしされ1955ねん11がつまつ完成かんせいした。主翼しゅよくつばさあつ4%のちょううすつばさ形状けいじょう変更へんこうし、コクピットからの前方ぜんぽう視界しかい改善かいぜん射出しゃしゅつ座席ざせき装備そうびなどがなされた。エンジンはXLR11の改良かいりょうがたであるLR8-RM-5にえられ、X-1AとX-1Dの爆発ばくはつ事故じこ経験けいけんから安全あんぜんせい徹底的てっていてき見直みなおされた。

はつ滑空かっくう試験しけんは1955ねん12月12にちおこなわれ、その3にちの15にちはつ動力どうりょく飛行ひこうおこなわれた。

X-1Eは当初とうしょマッハ2.5を目標もくひょうとしていたがのちにマッハ3に目標もくひょう変更へんこうされ、安定あんていせいすためのフィンを装備そうびするなど各種かくしゅ改良かいりょうおこなわれ、燃料ねんりょうしん燃料ねんりょうにしてテストがおこなわれたが、テストの結果けっか燃料ねんりょうタンクに亀裂きれつ発見はっけんされたためマッハ3で飛行ひこうすることなく退役たいえきとなってしまった。

現在げんざいではエドワーズ空軍くうぐん基地きちにあるNASAのドライデン飛行ひこう研究けんきゅうセンター展示てんじされている。

展示てんじされている現存げんそん 編集へんしゅう

X-1-1、AFSer. No. 46-062は、現在げんざいワシントンD.C.スミソニアン航空宇宙博物館すみそにあんこうくううちゅうはくぶつかんのマイルストーンオブフライトギャラリーに、「スピリットオブセントルイスごう」と「スペースシップワン」とともに展示てんじされている。航空機こうくうきはB-29のしたでワシントンD.C.に飛行ひこうし、1950ねん当時とうじのアメリカ国立こくりつ航空こうくう博物館はくぶつかん展示てんじされていた[2]

X-1B、AFSer. No. 48-1385は、オハイオしゅうライト・パターソン空軍くうぐん基地きちにある国立こくりつアメリカ空軍くうぐん博物館はくぶつかん研究けんきゅう開発かいはつ格納庫かくのうこ展示てんじされている。

X-1E、AFSer. No. 46-063は、カリフォルニアしゅうエドワーズ空軍くうぐん基地きちにあるNASAアームストロング飛行ひこう研究けんきゅうセンター本部ほんぶビルのまえ展示てんじされている。これは通常つうじょうフロリダしゅうケープケネディ舞台ぶたいにしたテレビシリーズ「かわいい魔女まじょジニー」のエピソードでもられる。

このほかにもX-1のロケットエンジンの実物じつぶつ大阪おおさか弁天べんてんまち交通こうつう科学かがく博物館はくぶつかん展示てんじされていた。同館どうかん閉館へいかん静岡理工科大学しずおかりこうかだいがく静岡しずおか航空こうくう資料しりょうかん展示てんじされている。

仕様しようベルX-1#1および#2 編集へんしゅう

 
ベルX-1のせい投影とうえい

Data from Bell Aircraft since 1935[3] The X-Planes: X-1 to X-45[4]

一般いっぱんてき特性とくせい 編集へんしゅう

  • 乗員じょういん : 1めい
  • 全長ぜんちょう : 30 ft 11 in (9.42 m)
    • X-1A, X-1B, X-1D: 35 ft 8 in (10.87 m)
    • X-1C: 35.0 ft (10.67 m)
  • 全幅ぜんぷく : 28 ft 0 in (8.53 m)
    • X-1E: 22 ft 10 in (6.96 m)
  • 全高ぜんこう : 10 ft 10 in (3.30 m)
  • つばさ面積めんせき : 130 sq ft (12 m2) </r>
    • X-1E 115 sq ft (10.7 m2)
  • つばさがた : #1 NACA 65-110 (10% thickness)
    • #2, X-1A, X-1B, X-1D NACA 65-108 (8% thickness)
    • X-1E NACA 64A004
  • 空虚くうきょ重量じゅうりょう : 7,000 lb (3,175 kg)
    • X-1A, X-1B, X-1C, X-1D: 6,880 lb (3,120 kg)
    • X-1E: 6,850 lb (3,110 kg)
  • そう重量じゅうりょう : 12,250 lb (5,557 kg)
    • X-1A, X-1B, X-1C, X-1D: 16,487 lb (7,478 kg)
    • X-1E: 14,750 lb (6,690 kg)
  • エンジン : 1 × Reaction Motors XLR11-RM-3 4しつ液体えきたい燃料ねんりょうロケットエンジン, 6,000 lbf (27 kN) thrust
    • X-1E: Reaction Motors RMI LR-8-RM-5 6,000 lbf (27 kN)

パフォーマンス 編集へんしゅう

  • 最大さいだい速度そくど : 1,612 mph (2,594 km/h, 1,401 kn)
    • X-1E: 1,450 mph (1,260 kn; 2,330 km/h)
  • 最大さいだい速度そくど : マッハ 2.44
    • X-1E: マッハ 2.44
  • 耐久たいきゅうせい : 5分間ふんかん動力どうりょく飛行ひこう
    • X-1A, X-1B, X-1C, X-1D: 4ふん40びょう動力どうりょく飛行ひこう
    • X-1E: 4ふん45びょう動力どうりょく飛行ひこう
  • 上昇じょうしょう限度げんど : 70,000 ft (21,000 m)
    • X-1A, X-1B, X-1C, X-1D: 90,000 ft (27,000 m)
    • X-1E: 75,000 ft (23,000 m)

桜花おうかとの関係かんけい 編集へんしゅう

X-1のB-29による懸架けんか空中くうちゅう発進はっしん形式けいしきについては、日本にっぽん海軍かいぐん太平洋戦争たいへいようせんそうなか開発かいはつした特殊とくしゅ滑空かっくう桜花おうか」を参考さんこうにしたものといわれている。

桜花おうか設計せっけいしゃ三木みき忠直ただなお技術ぎじゅつ少佐しょうさ昭和しょうわ30年代ねんだいにX-1のドキュメンタリー映画えいがさい、X-1がははB-29から発射はっしゃされる姿すがた桜花おうかそのものであることおどろき、特攻とっこうのシステムが、未知みち音速おんそく突破とっぱいど機体きたいのシステムの一部いちぶとなったことにすくわれた気持きもちになったとかたっている[5]実際じっさいにアメリカが桜花おうかのシステムを参考さんこうにしたかは不明ふめいであるが、三木みきは、X‐1の開発かいはつはじまったのは終戦しゅうせん直後ちょくご1946ねんであり、時期じきてき間違まちがいないと判断はんだんしていた。

その日本にっぽん特攻とっこう兵器へいき調査ちょうさしている退役たいえきまい海軍かいぐん中佐ちゅうさ三木みきったさい中佐ちゅうさ1945ねん6がつづけべい空軍くうぐんによる桜花おうかかんしての詳細しょうさい調査ちょうさ資料しりょう[6]三木みきせ、「この資料しりょうからてX-1のテストが『桜花おうか』を参考さんこうにしたことは間違まちがいないだろう」とこたえたほか[7]チャック・イェーガー三木みき会談かいだんしたときにも、イエーガーは「桜花おうか銀河ぎんがも、当時とうじ世界せかい最高さいこう技術ぎじゅつでした。アメリカぐんが、三木みきさんの技術ぎじゅつ参考さんこうにした可能かのうせいがあります」とべたという[8]

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

  1. ^ 加藤かとう 2009, p. 487.
  2. ^ Staff, "Resting Place", Flight, 28 September 1950, page 350.
  3. ^ Pelletier, Alain J. (1992). Bell Aircraft since 1935 (1st ed.). Annapolis: Naval Institute Press. pp. 83–90. ISBN 1-55750-056--8 
  4. ^ Miller 2001, pp. 21–35.
  5. ^ 加藤かとう ひろしかみかみなり部隊ぶたい始末しまつ学研がっけんプラス、2009ねん11月11にち、488ぺーじ 
  6. ^ Baka… Flying Warhead”. Lone Sentry. 2023ねん4がつ23にち閲覧えつらん
  7. ^ いかり 義朗よしろう海軍かいぐんそらわざしょう 光人みつひとしゃ、1985ねん7がつ29にち、162,163ぺーじISBN 4-7698-0276-5 
  8. ^ 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 2010ねん9がつ特別とくべつごう特別とくべつ企画きかく日本にっぽん」40の決断けつだん しんのリーダーは、たった一人ひとり空気くうきえる! 世界一せかいいち安全あんぜん 新幹線しんかんせんんだ特攻とっこう桜花おうか設計せっけいしゃ十字架じゅうじか棚沢たなざわ直子なおこ寄稿きこう

関連かんれん資料しりょう 編集へんしゅう

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう