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2005-2006シーズンは開幕戦のグンダーセンで4位となったほかスプリントで2度3位に入るなど好調を維持して[[トリノオリンピックにおけるノルディック複合競技|トリノオリンピック]]に出場しグンダーセン11位、スプリント4位、団体5位となった。シーズン最終戦のスプリント([[日本]]、[[札幌]])でワールドカップ初勝利、シーズン総合5位となった。 |
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2005-2006シーズンは開幕戦のグンダーセンで4位となったほかスプリントで2度3位に入るなど好調を維持して[[トリノオリンピックにおけるノルディック複合競技|トリノオリンピック]]に出場しグンダーセン11位、スプリント4位、団体5位となった。シーズン最終戦のスプリント([[日本]]、[[札幌]])でワールドカップ初勝利、シーズン総合5位となった。 |
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2006-2007シーズンの開幕戦([[フィンランド]]、[[クーサモ]])で勝利、[[2007年ノルディックスキー世界選手権札幌大会|2007年世界選手権]]ではスプリント7位、グンダーセン15位、団体6位。ホールメンコーレンスキー大会スプリントで優勝しワールドカップ総合は2位に躍進、スプリント部門では総合1位となった。 |
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2006-2007シーズンの開幕戦([[フィンランド]]、[[クーサモ]])で勝利、[[2007年ノルディックスキー世界選手権札幌大会|2007年世界選手権]]ではスプリント7位、グンダーセン15位、団体6位。[[ホルメンコーレンスキー大会]]スプリントで優勝しワールドカップ総合は2位に躍進、スプリント部門では総合1位となった。 |
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2007-2008シーズンのワールドカップでは2勝をあげて総合5位、2008-2009シーズンの[[2009年ノルディックスキー世界選手権]]ではマススタートと10kmラージヒルの2種目で銅メダルを獲得、このシーズンのワールドカップ総合も5位だった。 |
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2007-2008シーズンのワールドカップでは2勝をあげて総合5位、2008-2009シーズンの[[2009年ノルディックスキー世界選手権]]ではマススタートと10kmラージヒルの2種目で銅メダルを獲得、このシーズンのワールドカップ総合も5位だった。 |
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2009-2010シーズンはワールドカップ開幕戦で勝利するなどオリンピックまでに5勝をあげ総合トップで[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]に乗り込んだ。2月14日の個人ノーマルヒル前半のジャンプでは換算タイムで首位から46秒差の5位となった。後半のクロスカントリーは5番目のタイムで走り、[[アメリカ合衆国]]の[[ジョニー・スピレーン]]をわずか0.4秒差でかわして金メダルを獲得した。団体では5位、個人ラージヒルでは18位に終わった。オリンピック後のホルメンコーレン大会でも勝利し、ワールドカップ総合優勝も達成した。 |
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2009-2010シーズンはワールドカップ開幕戦で勝利するなどオリンピックまでに5勝をあげ総合トップで[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]に乗り込んだ。2月14日の個人ノーマルヒル前半のジャンプでは換算タイムで首位から46秒差の5位となった。後半のクロスカントリーは5番目のタイムで走り、[[アメリカ合衆国]]の[[ジョニー・スピレーン]]をわずか0.4秒差でかわして金メダルを獲得した。団体では5位、個人ラージヒルでは18位に終わった。オリンピック後の[[ホルメンコーレンスキー大会]]でも勝利し、ワールドカップ総合優勝も達成した。 |
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2009-2010シーズン終了時点でワールドカップ通算11勝(2位9回、3位11回)を記録、2009年のフランス選手権では3位となっている。またスキージャンプ選手として2007年と2009年の[[スキージャンプ・ワールドカップ]]で団体戦に出場したことがある。 |
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2009-2010シーズン終了時点でワールドカップ通算11勝(2位9回、3位11回)を記録、2009年のフランス選手権では3位となっている。またスキージャンプ選手として2007年と2009年の[[スキージャンプ・ワールドカップ]]で団体戦に出場したことがある。 |
2011年1月23日 (日) 10:20時点における版
ジャゾン・ラミー=シャプイ(仏: Jason Lamy-Chappuis、1986年9月9日 - )は、アメリカ合衆国生まれ、フランス国籍のノルディック複合およびスキージャンプ選手。
プロフィール
ラミー=シャプイはアメリカ合衆国モンタナ州ミズーラでフランス人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、翌年コロラド州カッパーマウンテンに移り住み、スキーを始めた[1]。1990年の3月には早くもアルペンスキーのレースに参加[1]。5歳の時父の母国フランスのジュラ県ボア=ダモン村に移住した[1]。
フランスに移り住んだ後も引き続きアメリカのNASTARスキーレースに参加した[1]。
また、飛行機の操縦を趣味とし、18歳の時から訓練をうけ70時間の飛行経験を持つ[2]。
彼の公式ウェブサイトも飛行機の操縦席を模したものとなっている[3]。2009-2010シーズンにはパイロットのライセンスを取得する計画を立てている。
また、彼はフランスの国境警備隊に勤務している[1]。
ジュニア時代から国際大会でも活躍し、2003年ノルディックスキージュニア世界選手権では団体戦で銅メダルを獲得、2004年2月28日のホルメンコーレンスキー大会を兼ねたスプリントでノルディック複合・ワールドカップにデビューして27位となった。翌シーズンの2005年ノルディックスキー世界選手権ではグンダーセン33位、スプリント21位、団体7位、続く2005年ジュニア世界選手権ではグンダーセン8位、スプリント6位、団体銀メダルを獲得した。
2005-2006シーズンは開幕戦のグンダーセンで4位となったほかスプリントで2度3位に入るなど好調を維持してトリノオリンピックに出場しグンダーセン11位、スプリント4位、団体5位となった。シーズン最終戦のスプリント(日本、札幌)でワールドカップ初勝利、シーズン総合5位となった。
2006-2007シーズンの開幕戦(フィンランド、クーサモ)で勝利、2007年世界選手権ではスプリント7位、グンダーセン15位、団体6位。ホルメンコーレンスキー大会スプリントで優勝しワールドカップ総合は2位に躍進、スプリント部門では総合1位となった。
2007-2008シーズンのワールドカップでは2勝をあげて総合5位、2008-2009シーズンの2009年ノルディックスキー世界選手権ではマススタートと10kmラージヒルの2種目で銅メダルを獲得、このシーズンのワールドカップ総合も5位だった。
2009-2010シーズンはワールドカップ開幕戦で勝利するなどオリンピックまでに5勝をあげ総合トップでバンクーバーに乗り込んだ。2月14日の個人ノーマルヒル前半のジャンプでは換算タイムで首位から46秒差の5位となった。後半のクロスカントリーは5番目のタイムで走り、アメリカ合衆国のジョニー・スピレーンをわずか0.4秒差でかわして金メダルを獲得した。団体では5位、個人ラージヒルでは18位に終わった。オリンピック後のホルメンコーレンスキー大会でも勝利し、ワールドカップ総合優勝も達成した。
2009-2010シーズン終了時点でワールドカップ通算11勝(2位9回、3位11回)を記録、2009年のフランス選手権では3位となっている。またスキージャンプ選手として2007年と2009年のスキージャンプ・ワールドカップで団体戦に出場したことがある。
脚注
外部リンク
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