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「オリフラム」のはんあいだ差分さぶん

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これは当時とうじ騎士きし王公おうこう貴族きぞくうまってたたかうこと、ランスが馬上もうえやりであること、そして騎兵きへい存在そんざいが[[フランク王国おうこく]]/中世ちゅうせいフランス王国おうこくにとって、戦場せんじょうでの、ないし、戦場せんじょうでなくてもかれらの存在そんざい意義いぎそのもののちからと尊厳そんげん象徴しょうちょうであることから、ランスの存在そんざい重要じゅうようであったことがうかがえる。また、そのはたよりランスのほう重要じゅうようせいたかいことをまえると、はた自体じたいもっぱらランスのかざりであり、「オリフラムのはたそのもの」ではなく、「オリフラムをたずさえたランス」に特別とくべつせいがあった。ゆえに、「オリフラムのはたそのもの」が重要じゅうようとなるのは、時代じだいとも騎兵きへい以外いがい戦場せんじょうでの雌雄しゆうけっする戦法せんぽう数多かずおおえ、ランスの象徴しょうちょうせいうすまることで、はたそのものの意味合いみあいがつよまるのち時代じだいのこととかんがえられている。
これは当時とうじ騎士きし王公おうこう貴族きぞくうまってたたかうこと、ランスが馬上もうえやりであること、そして騎兵きへい存在そんざいが[[フランク王国おうこく]]/中世ちゅうせいフランス王国おうこくにとって、戦場せんじょうでの、ないし、戦場せんじょうでなくてもかれらの存在そんざい意義いぎそのもののちからと尊厳そんげん象徴しょうちょうであることから、ランスの存在そんざい重要じゅうようであったことがうかがえる。また、そのはたよりランスのほう重要じゅうようせいたかいことをまえると、はた自体じたいもっぱらランスのかざりであり、「オリフラムのはたそのもの」ではなく、「オリフラムをたずさえたランス」に特別とくべつせいがあった。ゆえに、「オリフラムのはたそのもの」が重要じゅうようとなるのは、時代じだいとも騎兵きへい以外いがい戦場せんじょうでの雌雄しゆうけっする戦法せんぽう数多かずおおえ、ランスの象徴しょうちょうせいうすまることで、はたそのものの意味合いみあいがつよまるのち時代じだいのこととかんがえられている。


オリフラムとはべつに、アズールグラウンドという「王家おうけへの忠誠ちゅうせい、もしくは王家おうけそのもの」をしめはたあった、オリフラム、アズールウンドりょうはたは[[ジャンヌダルク]]が考案こうあん使用しようした「白地しろじひゃくごうはな=[[フルールドリス]]」にってわられるかたちくなり、意味合いみあいもこのひとつのはた統合とうごうされた。
オリフラムとはべつに、15世紀せいきまでは「青地あおじ黄金おうごんひゃくごうというデザインの「[[マルタンテュール]]のはた」が王家おうけへの忠誠ちゅうせい、もしくは王家おうけそのもの」をしめはたあった一方いっぽう、オリフラム宗教しゅうきょうてきな「せいドニのはた」という意味合いみあいはうすれつつもかすかにのこりながら、おもに「フランスの王家おうけによるいかり/戦争せんそう」の意味合いみあいがしていった。マルタンテュールはた、オリフム、りょうはたは[[ジャンヌダルク]]が考案こうあん使用しようした「白地しろじひゃくごうはな=[[フルールドリス]]」にってわられるかたちくなり、意味合いみあいもこのひとつのはた統合とうごうされた。


こんにちのフランス語ふらんすごにおいて、オリフラムという言葉ことばもと意味いみもとづきながらも、もとのオリフラムのデザインでないものもふくめ「わりをしめはた/しるし/兆候ちょうこう」という意味いみ使つかわれることもある。
こんにちのフランス語ふらんすごにおいて、オリフラムという言葉ことばもと意味いみもとづきながらも、もとのオリフラムのデザインでないものもふくめ「わりをしめはた/しるし/兆候ちょうこう」という意味いみ使つかわれることもある。

2021ねん1がつ11にち (月)げつ 19:04時点じてんにおけるはん

オリフラム(Oriflamme:ふつ)は、中世ちゅうせいフランス王国おうこくおう軍旗ぐんき)で語源ごげんラテン語らてんごの"Aurea flamma"「黄金おうごんほのお」に由来ゆらいする。 もとは、せいドニないし、サン=ドニだい聖堂せいどうはたであり、宗教しゅうきょうてきな「せいなるはた」の意味合いみあいもねる。

 2種類しゅるいのオリフラムの再現さいげん。また、これらのほかたんあか無地むじはた存在そんざいしていたとされる。

中世ちゅうせいヨーロッパでは、様々さまざましょう国家こっか(ほうこく公国こうこくのような)が独立どくりつ臣従しんじゅうしてはまれたり、滅亡めつぼうしたりなどするようなきや寝返ねがえり、小規模しょうきぼからだい規模きぼ紛争ふんそう非公式ひこうしき戦闘せんとう多数たすうあるなか、フランス王国おうこく国家こっかげ、おうのもとにの戦争せんそうをするときに使用しようされた。 オリフラムがかかげられた戦場せんじょう(とくひゃくねん戦争せんそうなか)では、一切いっさい捕虜ほりょゆるさず、オリフラムがげられるまでその効力こうりょくつづいたとい、くにげての無慈悲むじひ覚悟かくごあらわれは、フランスぐん鼓舞こぶし、おおいに士気しきたかめたという。 また、自軍じぐん士気しきだけではなく、てきぐん士気しきげる効果こうかもあり、ふるくからヨーロッパの大国たいこくであったフランス王国おうこくてきまわし、一切いっさい容赦ようしゃ恩赦おんしゃあたえられないという事実じじつきつける恐怖きょうふ対象たいしょうでもあった。とりわけ、通常つうじょうなら捕虜ほりょにされた場合ばあい身代金みのしろきん釈放しゃくほうされるという手立てだてがあった王公おうこう貴族きぞくにとっては、捕虜ほりょ一切いっさいゆるされないという事実じじつ一般いっぱんへいよりさらなる恐怖きょうふ対象たいしょうであった。

ポワティエのたたか 1356. 左上ひだりうえにオリフラムがられる。

歴史れきしてきおうはたとして、はじめてオリフラムが言及げんきゅうされたのは11世紀せいきフランス語ふらんすご叙事詩じょじし武勲ぶくん)シャンソン・デ・ローラン(Chanson de Roland:ふつ) (vv. 3093-5)である。最初さいしょはロメイン(Romaine)で、その、モンジョワエ(Montjoie)とえる。伝記でんきによれば、カール大帝たいてい(シャルルマーニュ、Charlemagne:ふつ)が黄金おうごんランスった騎士きしサラセン聖地せいちからくし追放ついほうするという預言よげんもとづき、聖地せいち持参じさんしたとされる。 これは当時とうじ騎士きし王公おうこう貴族きぞくうまってたたかうこと、ランスが馬上もうえやりであること、そして騎兵きへい存在そんざいフランク王国おうこく/中世ちゅうせいフランス王国おうこくにとって、戦場せんじょうでの、ないし、戦場せんじょうでなくてもかれらの存在そんざい意義いぎそのもののちからと尊厳そんげん象徴しょうちょうであることから、ランスの存在そんざい重要じゅうようであったことがうかがえる。また、そのはたよりランスのほう重要じゅうようせいたかいことをまえると、はた自体じたいもっぱらランスのかざりであり、「オリフラムのはたそのもの」ではなく、「オリフラムをたずさえたランス」に特別とくべつせいがあった。ゆえに、「オリフラムのはたそのもの」が重要じゅうようとなるのは、時代じだいとも騎兵きへい以外いがい戦場せんじょうでの雌雄しゆうけっする戦法せんぽう数多かずおおえ、ランスの象徴しょうちょうせいうすまることで、はたそのものの意味合いみあいがつよまるのち時代じだいのこととかんがえられている。

オリフラムとはべつに、15世紀せいきまでは「青地あおじ黄金おうごんひゃくごう」というデザインの「マルタンテュールはた」が「王家おうけへの忠誠ちゅうせい、もしくは王家おうけそのもの」をしめはたであった。一方いっぽう、オリフラムの宗教しゅうきょうてきな「せいドニのはた」という意味合いみあいはうすれつつも、かすかにのこりながら、おもに「フランスの王家おうけによるいかり/戦争せんそう」の意味合いみあいがしていった。マルタンテュールのはた、オリフラム、りょうはたジャンヌダルク考案こうあん使用しようした「白地しろじひゃくごうはな=フルールドリス」にってわられるかたちくなり、意味合いみあいもこのひとつのはた統合とうごうされた。

こんにちのフランス語ふらんすごにおいて、オリフラムという言葉ことばもと意味いみもとづきながらも、もとのオリフラムのデザインでないものもふくめ「わりをしめはた/しるし/兆候ちょうこう」という意味いみ使つかわれることもある。