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ケン・ウィルバー

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Ken Wilber
ケン・ウィルバー
ケン・ウィルバー(2006)
生誕せいたん (1949-01-31) 1949ねん1がつ31にち(75さい
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく オクラホマしゅうオクラホマシティ
時代じだい ニュー・エイジ
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ケネス・アール・ウィルバー・ジュニアKenneth Earl "Ken" Wilber Junior, 1949ねん1がつ31にち - )は、現代げんだいアメリカのニューエイジ思想家しそうかトランスパーソナル心理しんりがく論客ろんかく哲学てつがくしゃアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくオクラホマしゅうまれ。心理しんりがく範疇はんちゅうえたアメリカを代表だいひょうする哲学てつがくしゃ[1]、インテグラル思想しそう提唱ていしょうしゃである。東洋とうよう思想しそう修行しゅぎょう影響えいきょうおおきくけており、東洋とうよう宗教しゅうきょうてき知見ちけん霊的れいてき発達はったつ思想しそう現代げんだい心理しんりがく総合そうごうてき統合とうごうするという巨大きょだいこころみをし、「フロイトブッダ結合けつごうさせた」というキャッチフレーズでられている[2][3]

23さいときに、トランスパーソナル心理しんりがく方面ほうめん様々さまざまなセラピーや古今ここん東西とうざい宗教しゅうきょう思想しそうとを鳥瞰図ちょうかんずてきわせ、わかりやすくまとめただい1さく意識いしきのスペクトル』を公刊こうかんしてベストセラーとなり、一躍いちやく時代じだい寵児ちょうじとなった[1]トランスパーソナル心理しんりがく代表だいひょうてき論客ろんかくとして、その発展はってんおおきく貢献こうけんし、もっと影響えいきょうりょくっており、その評価ひょうか賛否さんぴ両論りょうろんであった[4]世界せかい伝統でんとう宗教しゅうきょうにみられる、高次こうじ微細びさいなエネルギーに対応たいおうする身体しんたいせいであるほろ細身ほそみ概念がいねん前提ぜんていとし、エネルギーが階層かいそうをなし多次元たじげんつくしているという普遍ふへんてき霊的れいてき伝統でんとう永遠えいえん哲学てつがく」につらなる思想家しそうかであり、ヒンドゥーきょうヴェーダーンタ仏教ぶっきょうといった「永遠えいえん哲学てつがく」が提示ていじするものがただしいという前提ぜんていって思想しそう展開てんかいされている[5]。『アートマン・プロジェクト』では、人間にんげんしん発達はったつは、ウパニシャッドの「梵我一如いちにょ」の「わがアートマン)」であるところのしん自己じこ希求ききゅうしてすすんでいく運動うんどうであるとき、その心理しんりてき発達はったつ意識いしきの evolution(進化しんかそとてん)の過程かていしめした[6]。ウィルバーは、自己じこ意識いしきしょうじるぜん段階だんかい自我じが意識いしきしょうじるパーソナルな意識いしき自我じが領域りょういきえてアイデンティティが拡張かくちょうするトランスパーソナルな意識いしきいた発達はったつ過程かていとしてモデルし、さらにトランスパーソナルな意識いしきを3段階だんかいけて説明せつめいしている[4]

1990年代ねんだい中期ちゅうき以降いこう、トランスパーソナル思想しそうからの決別けつべつ宣言せんげんし、これを構成こうせい要素ようそとして統合とうごうするより包括ほうかつてき理論りろんとして、「すべてはただしいが、部分ぶぶんてきである」を原理げんりとするインテグラル思想しそう提唱ていしょうし、自身じしん心理しんりがくアプローチを「統合とうごうてき」とこのんで説明せつめいしている[7][4]

代表だいひょうさくは『進化しんか構造こうぞう』(Sex, ecology, spirituality / Shambhala, 1995)、 『宗教しゅうきょう科学かがく統合とうごう』(The marriage of sense and soul / Random House, 1998)、『万物ばんぶつ歴史れきし』(A Brief history of Everything / Shambhala, 1996)など。 20以上いじょうにもおよ著作ちょさく世界中せかいじゅう言語げんご翻訳ほんやくされ、専門せんもん一般いっぱん読者どくしゃ双方そうほう幅広はばひろまれている。

インテグラル思想しそう研究けんきゅう組織そしきであるIntegral Instituteを主催しゅさいし、2005ねんには総合大学そうごうだいがくであるIntegral Universityを発足ほっそく現在げんざいどう大学だいがくのPresidentとして運営うんえい中核ちゅうかくになっている。

かれのインテグラル思想しそうは、コーチングにおいてひとつの流派りゅうはになっている。また、コンサルタントのフレデリック・ラルーは、インテグラル理論りろんにおける「意識いしきのスペクトラム」をもとに、組織そしきのフェーズを5段階だんかいけてとらえ、進化しんかがた組織そしきモデル「ティール組織そしき」を提唱ていしょうした[8]

略歴りゃくれき

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ケン・ウィルバーは、1949ねん1がつ31にちアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのオクラホマしゅうまれた。合衆国がっしゅうこく空軍くうぐん在籍ざいせきしていた父親ちちおや頻繁ひんぱん配置はいち転換てんかんにともない、幼児ようじ国内こくない転々てんてんとした(転居てんきょさきには、バミューダ・エルパソ・テキサス・アイダホ・グレイトフォールズ・モンタナがふくまれる)。ウィルバーは、当時とうじ回想かいそうして、頻繁ひんぱん転居てんきょ苦痛くつうであったこと、そして、そうした経験けいけんのなかで物事ものごと執着しゅうちゃくしない態度たいど習得しゅうとくしたことを述懐じゅっかいしている。いずれにしても、この時期じきからウィルバーは、勉強べんきょうにおいて非常ひじょう優秀ゆうしゅう成績せいせきをおさめ、数々かずかずしょう受賞じゅしょうしていた。また、当時とうじから非常ひじょう社交しゃこうてき性格せいかくで、運動うんどう自治じち活動かつどうとう課外かがい活動かつどうにも積極せっきょくてきんでいたという。

高校こうこう生活せいかつネブラスカしゅうリンカーン修了しゅうりょう、1968ねんにウィルバーはデューク大学だいがく医学部いがくぶ進学しんがくする。しかし、ウィルバーは、進学しんがくすぐに、老子ろうし道徳どうとくけいの「みち(みち)のみちとすべきは、つね(つね)のみち(あら)ず。(な)のとすべきは、つねず。きは天地てんち(てんち)のはじめ、るは万物ばんぶつ(ばんぶつ)のはは。」という冒頭ぼうとう一文いちぶん出会であった[9]かれ科学かがくあいする青年せいねんだったが、この出会であいにより、それまでに自己じこささえてきた現代げんだい科学かがくかくとする思想しそうてき基盤きばん根本こんぽんてきさぶられる深刻しんこく精神せいしんてき危機きき経験けいけんすることになる。こうした危機ききのなか、ウィルバーはデューク大学だいがく退学たいがくし、ネブラスカにもどり、ネブラスカ大学だいがくさい入学にゅうがくする。このころ、ウィルバーは、化学かがく生物せいぶつがく専攻せんこうしながら、同時どうじに、みずからの人生じんせい意味いみ回復かいふくしようという内的ないてき欲求よっきゅううごかされ、東西とうざい哲学てつがくしょむさぼるように読破どくはし、また、日本にっぽんからのぜん修行しゅぎょうチベット仏教ぶっきょう修行しゅぎょう集中しゅうちゅうてきむようになったという。その、ウィルバーは、生物せいぶつ化学かがく専攻せんこうせいとして大学院だいがくいん進学しんがくするが、そのころすでに哲学てつがくてき思索しさく修行しゅぎょう実践じっせん自己じこ重心じゅうしん移行いこうしていたウィルバーは、学位がくい取得しゅとく目前もくぜん退学たいがくをすることになる。

退学たいがく、ウィルバーは、家庭かてい教師きょうし皿洗さらあらいをはじめとする諸々もろもろのアルバイトをして生計せいけいてながら、思索しさく修行しゅぎょう執筆しっぴつ生活せいかつ従事じゅうじする。1972ねんには、家庭かてい教師きょうし生徒せいとのひとりであったエイミー・ワグナー(Amy Wagner)と結婚けっこんしている。結婚けっこん生活せいかつは1981ねんまでつづいた。また、このころ、ウィルバーは、みずからの文章ぶんしょう技術ぎじゅつみがくために、著名ちょめい東洋とうよう思想しそうぜん研究けんきゅうしゃであるアラン・ワッツ(Alan Watts)のぜん著作ちょさくをノートにきうつしたという。

ウィルバーの執筆しっぴつ作業さぎょうは、普通ふつう、まず10がつあいだほど資料しりょうみこむ作業さぎょうをすることからはじまるという。そして、あるとき(「あるあさ目覚めざめると」)、みずからのなかに作品さくひん完全かんぜんなかたちで完成かんせいしていることにづくのだという。それからのすうがつあいだは、この「作品さくひん」を文字もじとしてきとめていく作業さぎょう没頭ぼっとうすることになる。今日きょうまで継続けいぞくするウィルバーの旺盛おうせい創造そうぞう活動かつどうは、基本きほんてきに、つねにこうした過程かていをとおして展開てんかいしているということだが、それはこの時期じき著者ちょしゃのなかで確立かくりつされたものである。

1973ねん、ウィルバーは『意識いしきのスペクトル』(The Spectrum of Consciousness)を完成かんせいする。この作品さくひんは、20以上いじょう出版しゅっぱんしゃことわられたのち、1977ねんにQuest Booksより出版しゅっぱんされる。この作品さくひん非常ひじょう評価ひょうかされ、ウィルバーはまたた意識いしき研究けんきゅうにおけるあたらしいパイオニアとして認識にんしきされることになる。この成功せいこう契機けいきとして、ウィルバーのもとには多数たすう教職きょうしょく招待しょうたいいこむようになる。ウィルバーは、こうしたリクエストにこたえて、短期たんきてきにレクチャーやワークショップの提供ていきょう中心ちゅうしんとした教育きょういく活動かつどう従事じゅうじすることになる。しかし、教育きょういく活動かつどうよろこびを満喫まんきつしながらも、ウィルバーは、もなく執筆しっぴつ生活せいかつみずからの活動かつどう集中しゅうちゅうすることを決意けついする。この決断けつだんについて、ウィルバーはこう述懐じゅっかいする。

それはいまという時間じかんをどう活用かつようするかについての決断けつだんということできるものでした。この瞬間しゅんかんに、わたしは、過去かこきあげたものについて説明せつめいをすることもできますし、また、あたらしいものをみだすこともできます。それは、これらのうちどちらを選択せんたくするかということでした。

1978ねん、ウィルバーは、ジャック・クリッテンデン(Jack Crittenden)と協力きょうりょくして、雑誌ざっしReVisionを創刊そうかんする。1979ねんには、『意識いしきのスペクトル』(The Spectrum of Consciousness)の「要約ようやく」である『境界きょうかい』(No Boundary)を出版しゅっぱん。そのすうねんには、ウィルバーの理論りろん体系たいけいしん段階だんかい到来とうらいげる『アートマン・プロジェクト』(The Atman Project)(1980ねん)と『エデンより』(Up from Eden)(1981ねん)を発表はっぴょうする。また、このころ、ReVision編集へんしゅう作業さぎょう集中しゅうちゅうするために、マサチューセッツしゅうケンブリッジに移動いどうする。

1983ねん、ウィルバーはカリフォルニアしゅうマリンぐん移動いどうする。あいだもなくして、ウィルバーはロジャー・ウォルシュ(Roger Walsh)とフランシス・ヴォーン(Francis Vaughan)の紹介しょうかいでトレヤ・キラム(Treya Killam)と出逢であい、結婚けっこんする。しかし、結婚けっこん数日すうじつ、トレヤは乳癌にゅうがん診断しんだんされ、1984ねんから1987ねんまで、ウィルバーは、執筆しっぴつ活動かつどうをほぼ完全かんぜん停止ていしして、彼女かのじょ看病かんびょう集中しゅうちゅうすることになる。後日ごじつウィルバーは、この過酷かこく状況じょうきょうのなかで、みずからが一時いちじてき瞑想めいそう実践じっせん放棄ほうきし、アルコールに依存いぞんするようになったことを報告ほうこくしている。また、1985ねん療養りょうよう生活せいかつのために夫婦ふうふ訪問ほうもんしたネバダしゅうレイク・タホで、ウィルバーは、汚染おせん物質ぶっしつ流出りゅうしゅつのためにひきおこされた疾病しっぺいRNase)に罹患りかんする(ウィルバーは、今日きょうも、この慢性まんせい疾患しっかんとの闘病とうびょう生活せいかつつづけている)。1987ねん夫婦ふうふコロラドしゅうボルダー移動いどうし、1989ねんのトレヤのまで、比較ひかくてき平穏へいおんのなかで時間じかんごすことになる。ウィルバーは、トレヤののこした日記にっきぜながら、ふたりの出逢であいから離別りべつまでを著作ちょさく『グレース・アンド・グリット』(Grace and Grit)(1991)にまとめている。

すう年間ねんかんふくしたのち、1993ねんに、ウィルバーは10ねんぶりの理論りろんしょ完成かんせいさせた(出版しゅっぱんは1995ねん)。それが、今日きょう、ウィルバーの代表だいひょうさくとして認知にんちされている『進化しんか構造こうぞう』(Sex, Ecology, Spirituality)である(この作品さくひんのまえに発表はっぴょうした最後さいご理論りろんしょはTransformations of Consciousness)。この作品さくひんについて、著者ちょしゃは、「みずからの最初さいしょ成熟せいじゅくした作品さくひん」("my first mature work")と形容けいようしており、現在げんざい構想こうそうされている「コスモスさんさく」(Kosmos Trilogy)のだい一部いちぶ構成こうせいする作品さくひんであるという。

1996ねんには『進化しんか構造こうぞう』の「要約ようやく」として『万物ばんぶつ歴史れきし』(A Brief History of Everything)を、そして、1997ねんには『進化しんか構造こうぞう』についてげかけられた批判ひはん応答おうとうすることを目的もくてきとして執筆しっぴつされた論文ろんぶんをまとめた『統合とうごう心理しんりがくへのみち』(The Eye of Spirit)を発表はっぴょうした。また、1998ねんには、Random Houseより、『科学かがく宗教しゅうきょう統合とうごう』(The Marriage of Sense and Soul)を発表はっぴょうしている。

1997ねん、ウィルバーは、日々ひび哲学てつがくてき考察こうさつ日記にっき形式けいしきでまとめて、これを1999ねんに『ワン・テイスト』(One Taste)として出版しゅっぱんしている。この作品さくひんで、ウィルバーは、みずからの理論りろんとしての側面そくめんのみならず、実践じっせんとしての側面そくめん強調きょうちょうしている。その、1999ねんには Integral Psychology を、2000ねんには『万物ばんぶつ理論りろん』(A Theory of Everything)を、そして、2002ねんにははじめての小説しょうせつ作品さくひんである Boomeritis を発表はっぴょうしている。ウィルバーは、この時期じきをそれまでの執筆しっぴつ生活せいかつにおいてもっと生産せいさんてき時期じきであると回顧かいこしている(また、この時期じき、Shambhala Publicationsは、ウィルバーのぜん著作ちょさく編纂へんさんした集成しゅうせい刊行かんこう開始かいししている――現在げんざい(2006ねん4がつ)、8かん刊行かんこうみ)。

私生活しせいかつ領域りょういきでは、1997ねんにボウルダーにあるNaropa Instituteの修士しゅうし課程かてい在籍ざいせきしていたマーシー・ウォルターズ(Marci Walters)と交際こうさいをはじめ、2001ねん結婚けっこんをし、2002ねん離婚りこんしている。そのコロラドしゅうデンバーに移動いどうして、著述ちょじゅつ活動かつどう、そして、みずからの主催しゅさいするIntegral InstituteやIntegral Universityの運営うんえい活動かつどうんでいる。

思想しそう

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ウィルバーの思想しそうは、オルダス・ハクスリーが『永遠えいえん哲学てつがく』(1947)でかたった、すべての宗教しゅうきょう教義きょうぎ経験けいけんにおいてふか構造こうぞう共有きょうゆうしているという信念しんねんもとづく[4]。また、世界せかい宗教しゅうきょう哲学てつがく研究けんきゅうするようになった20だいころから、日本にっぽんからのぜん修行しゅぎょうチベット仏教ぶっきょう修行しゅぎょうおこなっており、この修行しゅぎょうによる境涯きょうがい境地きょうち思想しそう基盤きばんとなっている[1]

20だい思想しそうてき探究たんきゅうはじめたウィルバーは、世界中せかいじゅう宗教しゅうきょう哲学てつがく著作ちょさくみふけり、心理しんりがく東洋とうよう宗教しゅうきょう内容ないようことなるのは、おなしんたいして対立たいりつ矛盾むじゅんする見方みかたをしているのではなく、しん別々べつべつのスペクトルをているからであり、そうれば、それぞれの理論りろん主張しゅちょうおぎなうものとして統合とうごうできるのではないかというアイデアを[10]最初さいしょ著作ちょさく意識いしきのスペクトル』は、西洋せいよう心理しんりがく東洋とうよう宗教しゅうきょうしんについての様々さまざませつ意識いしきのスペクトルというモデルで統合とうごうてきとらえた[10]かれが『意識いしきのスペクトル』で提示ていじしたようなスペクトル・モデルが、トランスパーソナル心理しんりがく基盤きばん基礎きそ理論りろんとなっている[9]

世界せかい伝統でんとう宗教しゅうきょうにおいて、宇宙うちゅうはエネルギー(、プラーナなどとばれる)にちており、エネルギーは微細びさい次元じげんから粗雑そざつ次元じげん展開てんかいするとかんがえ、微細びさいなエネルギーに対応たいおうする身体しんたいせいであるほろ細身ほそみという概念がいねん前提ぜんていとし、かみてきなエネルギーがスペクトルてき自己じこ展開てんかい階層かいそうをなす多次元たじげんつくしているという宇宙うちゅうかんおおくみられ、こうした普遍ふへんてき霊的れいてき伝統でんとうは「永遠えいえん哲学てつがく」とばれるが、ウィルバーはこの「永遠えいえん哲学てつがく」につらなる思想家しそうかであり、「永遠えいえん哲学てつがく」の提示ていじするものがただしいという前提ぜんていって思想しそう展開てんかいしている[5]。こうした態度たいどは、実証じっしょうされないものはすべてうたがうという近代きんだい知的ちてき態度たいどとはまったことなっている[5]かれ仮説かせつは、科学かがくてき認識にんしき方法ほうほう限界げんかい自覚じかくから出発しゅっぱつしており、検証けんしょう手段しゅだんとして、「科学かがくてき認識にんしき」の方法ほうほうではなく、たましい次元じげん固有こゆう方法ほうほうがあると主張しゅちょうする[5]。「永遠えいえん哲学てつがく」にもとづく階層かいそうろんモデルをはっきりとパラダイムとしてしている[5]

かれにとって「永遠えいえん哲学てつがく」とは、「存在そんざいおおいなる連鎖れんさ」という物質ぶっしつてき心的しんてき霊的れいてき進化しんか過程かていにおいて、物質ぶっしつしんれい(スピリット)が相互そうご関係かんけいしていることをおしえるものであり、この進化しんか連鎖れんさは、心理しんりてき発達はったつにおいて、自己じこ意識いしきがない・もしくは原初げんしょてき身体しんたいてき自己じこ意識いしきしかないプリパーソナルな意識いしきから、自我じが意識いしきしょうじるパーソナルな意識いしき自我じが領域りょういきえてアイデンティティが拡張かくちょうするトランスパーソナルな意識いしきいた発達はったつ過程かていとしてみられるとされる[4]。さらに、トランスパーソナルな次元じげんにも段階だんかいがあるとし、心象しんしょうてきもとかたてき形態けいたい経験けいけん本性ほんしょうとの合一ごういつ経験けいけんする微細びさい意識いしき形態けいたいのない超越ちょうえつ経験けいけんもといん(コーザル)意識いしき形態けいたい世界せかいふたたあらわれるが、しんれいいや投影とうえいとしてじか経験けいけんされる究極きゅうきょく意識いしきという段階だんかい設定せっていしている[4]かれは「発達はったつとは進化しんかそとてん)であり、進化しんかとは超越ちょうえつであり、超越ちょうえつ最終さいしゅうてきなゴールはアートマン、ないしただしんにおける究極きゅうきょくてき統合とうごう意識いしきならない」とかたっており、宗教しゅうきょうてきてき資質ししつだれなかにもそなわっているとしている[3]

なお、ウィルバーの意識いしきのスペクトル・モデルは、素粒子そりゅうし物理ぶつりがくにおけるクォークモデルのように、コミュニケーションと研究けんきゅうのためつくられたひとつの科学かがくてきモデルであり、実際じっさい意識いしきがスペクトルを形成けいせいしていることを意味いみするわけではない[11]甲田こうだれつは「この意識いしきのスペクトル・モデルは、心理しんりがくにおいてみとめられるモデルの実体じったい明確めいかく拒絶きょぜつすると同時どうじに、東西とうざいしょ宗教しゅうきょうにおいてしめされてきた宗教しゅうきょう体験たいけんしょ様態ようたいを、あるひとつのありうべき意識いしき水準すいじゅんからの認識にんしきとして、包括ほうかつてき理解りかいするためのみちひらいているとえるであろう。」とべている[11]東洋とうよう宗教しゅうきょう伝統でんとうしめ体験たいけん領域りょういきしん水準すいじゅんとして概念がいねんしたことで、ウィルバーの理論りろんしん水準すいじゅん研究けんきゅうしゃから唯一ゆいいつしん水準すいじゅん基準きじゅんとみなされるという困難こんなんかかえたが、そのため、通常つうじょう人間にんげん意識いしき水準すいじゅん生成せいせいされる過程かていを「かけじょう進化しんか」としてべようとしている[11]

1990年代ねんだい中期ちゅうき以降いこう、トランスパーソナルから決別けつべつし、より包括ほうかつてき理論りろんとしてインテグラル思想しそう提唱ていしょうしているが、その原理げんりは「すべてはただしいが、部分ぶぶんてきである」というものである[7]我々われわれ経験けいけんする事物じぶつ事象じしょうは、個人こじんにおける内面ないめん主観しゅかんてき心理しんり現象げんしょう)と外面がいめん客観きゃっかんてき行動こうどう現象げんしょう)、集合しゅうごうてき領域りょういきにおける内面ないめん文化ぶんか)と外面がいめん社会しゃかい・システム)という4つの領域りょういきからることができるというよん象限しょうげんモデルを提示ていじしている[7]

かれ思想しそうは、オープンなリベラリズムという特性とくせい[1]自分じぶん思想しそうけるのではなく、こういうかんがかたもあるという態度たいど提示ていじし、その思想しそう最後さいご頂点ちょうてんは、柔和にゅうわそら境涯きょうがいとなっている[1]

ウィルバーは自身じしん思想しそうを、ウィルバーI、ウィルバーⅡ、ウィルバーⅢ、ウィルバーⅣという4つの時期じきけて説明せつめいしている[12]だい1さくの『意識いしきのスペクトラム』はウィルバーⅠにたり、『アートマン・プロジェクト』はウィルバーⅡを代表だいひょうする著作ちょさくで、個人こじん人間にんげん個体こたい発生はっせいてき心理しんり発展はってんろんじている[12]同時どうじてきに『エデンから』がかれ、こちらでは人類じんるい全体ぜんたい系統けいとう発生はっせいてき進化しんか歴史れきしあつかわれた[12]。この2さつでは、人間にんげんしん発展はってんというおな視点してんから、人間にんげん個体こたい発生はっせい系統けいとう発生はっせい軌跡きせき並行へいこうして研究けんきゅうされている[12]。こののちのウィルバーⅢでは、人間にんげんしん発展はってん一本いっぽんふと単線たんせんではなく、複数ふくすうのラインからなる複線ふくせんてき発達はったつであるというづきがあり、この時期じき代表だいひょうさく共著きょうちょの『意識いしき変容へんよう』である[12]。ウィルバーⅢの思想しそうは、つま病気びょうき看護かんごとその衝撃しょうげきのため、すぐに研究けんきゅうくわしく進展しんてんすることはなかった[12]意識いしき発展はってん段階だんかいだけでなく、それが人類じんるい文化ぶんかてき領域りょういきとどうかかわるのかまで考察こうさつし、ウィルバーIVの主著しゅちょ進化しんか構造こうぞう』が執筆しっぴつされた[12]。『進化しんか構造こうぞう』への対話たいわ形式けいしき入門にゅうもんしょとして『万物ばんぶつ歴史れきし』がかれた[12]

意識いしきのスペクトラム(ウィルバーI)

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ウィルバーの思想しそう活動かつどう基盤きばんにある根本こんぽんてき発想はっそうは、つぎのように説明せつめいすることができるだろう。

世界せかい存在そんざいするあらゆる視点してんかならずある真実しんじつ内包ないほうする。したがって、必要ひつようとされるのは、存在そんざいする多数たすう視点してんのうち、どれをもっとただしいものとして選択せんたくするかということではなく、それぞれの視点してん内包ないほうする真実しんじつ認識にんしき尊重そんちょうしたうえで、それらがどのように相互そうご関係かんけいしているかを理解りかいすることである。

こうした発想はっそうは、ウィルバーが、みずからの自己じこ探求たんきゅう過程かていにおいて、多様たよう技法ぎほう経験けいけんするうちに直面ちょくめんした事実じじつたいする素朴そぼく疑問ぎもん基盤きばんとしている。それは、いずれの自己じこ探求たんきゅう視点してん非常ひじょう重要じゅうよう洞察どうさつをもたらしてくれるものでありながら、それぞれは、みずからがもっと正当せいとうなものであることを主張しゅちょうして、相互そうごあらそいをしているという事実じじつたいする疑問ぎもん――それぞれの存在そんざい価値かち認識にんしき尊重そんちょうしたうえで、それらの共存きょうぞん許容きょようする方法ほうほうはないのだろうかという疑問ぎもんということができるだろう。

人間にんげん世界せかいそのものを体験たいけんすることはできない。人間にんげんは、(内的ないてき外的がいてき世界せかい体験たいけんするさい世界せかい体験たいけんするという行為こういそのものをとおして、不可避ふかひてき世界せかいの「創造そうぞう」に参画さんかくすることになる。その意味いみで、存在そんざいするあらゆる視点してんは、それぞれの世界せかい構築こうちくする創造そうぞう装置そうちということのできるものである。しかし、それぞれの創造そうぞう行為こういは、また、独特どくとく方法ほうほう世界せかい照明しょうめいするとともに、同時どうじに、独特どくとく方法ほうほう世界せかいおおかくしてしまう。その意味いみで、あらゆる視点してん構造こうぞうてき盲点もうてん内包ないほうするのである。

こうした事実じじつ着目ちゃくもくしたウィルバーは、それぞれの視点してん相補そうほてき存在そんざいすることを可能かのうとするための枠組わくぐみ構想こうそうむことになる。今日きょう広範こうはん認知にんちされている「意識いしきのスペクトラム」(Spectrum of Consciousness)理論りろんとは、日々ひび思索しさく修行しゅぎょう実践じっせんのなかで、こうした要求ようきゅうこたえるために創造そうぞうされたのである。その概要がいよう下記かきのように説明せつめいすることができるだろう。

人間にんげん意識いしきは、複数ふくすう階層かいそうにより構成こうせいされており、人間にんげん成長せいちょうはこれらの階層かいそう段階だんかいてき通過つうかすることをとおして実現じつげんされる。そして、この段階だんかいてき成長せいちょう過程かていは、人間にんげん生得しょうとくてき自己じこ中心ちゅうしんせい克服こくふく過程かていとしてとらえることのできるものである。そして、古今ここん東西とうざい自己じこ探求たんきゅう方法ほうほうは、この成長せいちょう過程かていかく段階だんかいにおいて経験けいけんされる諸々もろもろ課題かだい問題もんだい解決かいけつするための触媒しょくばい(catalyst)として機能きのうするのである。こうした成長せいちょう段階だんかいは、大別たいべつして3 (4) つの段階だんかい分類ぶんるいすることができるという。

  1. プリパーソナル(pre-personal):生物せいぶつとしての基盤きばんとなる肉体にくたいてき衝動しょうどう充足じゅうそく行動こうどう論理ろんりとする段階だんかい。この段階だんかいにおいて、人間にんげんは、生命せいめいたいとして生存せいぞんするために必要ひつようとなる基礎きそてき自己じこ認識にんしき確立かくりつする。世界せかいとは峻別しゅんべつされた存在そんざい――それゆえに世界せかい脅威きょういたいして脆弱ぜいじゃく存在そんざい――としての自己じこ認識にんしきし、それを防衛ぼうえい維持いじすることを最高さいこう関心事かんしんじとする。この段階だんかいにおける課題かだい問題もんだい解決かいけつするための有効ゆうこう方法ほうほうとしては、たとえば、認知にんち行動こうどう療法りょうほうがあげられる。これは、人格じんかく基盤きばんとなる基礎きそてき構造こうぞう構築こうちくすることを主眼しゅがんとするものである。
  2. 前期ぜんきパーソナル(personal):共同きょうどうたい言語げんご規範きはん習得しゅうとくして、共同きょうどうたい構成こうせいいんとしての自己じこ確立かくりつすることを行動こうどう論理ろんりとする段階だんかい共同きょうどうたいにおいて共有きょうゆうされている普遍ふへんてき規範きはん内面ないめんすることをとおして、自己じこ肉体にくたいてき衝動しょうどう呪縛じゅばく克服こくふくすることがこの成長せいちょう段階だんかいにおける重要じゅうよう課題かだいとなる。この段階だんかいにおける成長せいちょう課題かだいは、内面ないめんされた共同きょうどうたい規範きはん徐々じょじょ対象たいしょうする能力のうりょく涵養かんようすることである。これにより、自己じこ規範きはん完全かんぜん同一どういつするのではなく、それらとの関係かんけいせい自由じゆう)を確保かくほすることができるようになるのである。こうした成長せいちょう課題かだい解決かいけつするための有効ゆうこう方法ほうほうとしては、たとえば、共同きょうどうたい規範きはん内面ないめんする過程かていにおいて発生はっせいした抑圧よくあつ分裂ぶんれつとう内的ないてきひずみ(ひずみ)を解決かいけつすることを目的もくてきとする精神せいしん分析ぶんせき療法りょうほうがあげられる。
  3. 後期こうきパーソナル(personal):内面ないめんされた諸々もろもろ共同きょうどうたい規範きはん信念しんねんとう対象たいしょうして、自己じこ独自どくじ価値かち体系たいけいにもとづいて、それらをあらためて構成こうせいしなおす段階だんかい自己じこ所属しょぞくする共同きょうどうたい期待きたい盲目的もうもくてきこたえるのではなく、それらをさらに包括ほうかつてき視野しや世界せかい中心ちゅうしんてき視野しや)から検討けんとうしたうえで、自己じこ責任せきにん(response-ability)にもとづいて自律じりつてき行動こうどうをすることができる。この段階だんかいにおけるこうした成長せいちょう課題かだい解決かいけつするための方法ほうほうとしては、たとえば、実存じつぞん主義しゅぎ療法りょうほうがあげられる。これは、個人こじんとしての自己じこ存在そんざい定義ていぎする諸々もろもろ構造こうぞうてき限定げんてい条件じょうけんれい)を認識にんしき抱擁ほうようしたうえで、それらの条件じょうけん範囲はんいない自己じこ人生じんせい充実じゅうじつさせるための「思想しそう」を構築こうちく実践じっせんする能力のうりょく涵養かんよう援助えんじょする。
  4. トランスパーソナル(transpersonal・postpersonal):自己じこ感覚かんかく(self-sense)を個人こじん領域りょういきかられいせい領域りょういきへと拡張かくちょうをする段階だんかい自己じこ存在そんざい基盤きばん時空じくうあいだ存在そんざいする個人こじんとしての存在そんざいから時空じくうあいだ内包ないほう観想かんそう)する「目撃もくげきしゃ」(Soul・Spirit)へと移行いこうする段階だんかい。この段階だんかいにおける成長せいちょう課題かだい解決かいけつするための方法ほうほうとしては、たとえば、瞑想めいそう代表だいひょうされる、東洋とうよう宗教しゅうきょうにより開発かいはつされた意識いしき変容へんよう方法ほうほうがあげられる。こうした方法ほうほうは、時空じくうあいだ存在そんざいする個人こじんとしての自己じこ成熟せいじゅくではなく、自己じこ(identity)の基盤きばんをそうした個人こじんとしての自己じこをあらしめる背景はいけい(Soul・Spirit)へと移行いこうすることを目的もくてきとする。

人間にんげん意識いしき段階だんかい上記じょうきのように3 (4) つに分類ぶんるいするのは、あくまでも便宜べんぎてきなものであり、かならずしも、この数字すうじにこだわる必要ひつようはない。こうした階層かいそう構造こうぞうというのは、にじのようなものであり、そのそうすうは、識別しきべつする視点してんにより、多様たようなものとなる。実際じっさい、ウィルバーは、著作ちょさくのなかで、必要ひつようおうじて、かく階層かいそうをさらに詳細しょうさい峻別しゅんべつして説明せつめいをしている。かく段階だんかいにおいて個人こじん直面ちょくめんする課題かだい問題もんだいとそれらに適応てきおうした対応たいおう方法ほうほうについての詳細しょうさい説明せつめいは、Transformations of Consciousnessの所収しょしゅう論文ろんぶん参照さんしょうしていただきたい。)

ここで留意りゅういするべきことは、多数たすう発達はったつ心理しんり学者がくしゃ指摘してきするように、こうした成長せいちょう段階だんかいというものが、非常ひじょう流動的りゅうどうてきなものであるということである。個人こじん成長せいちょう段階だんかいとは、あくまでも重心じゅうしん(“Center of Gravity”)にすぎず、それは、個人こじん生存せいぞんじょうきょうとの関係かんけいせいのなかでつね変動へんどうしつづけているものである。また、個人こじん内的ないてき領域りょういきについて把握はあくするうえで、段階だんかい(“stages”)のみならず、状態じょうたい(“states”)・領域りょういき(“streams”)・スタイル(“styles”)とう要素ようそにも着目ちゃくもくすることが重要じゅうようになる。その意味いみでは、こうした段階だんかいてき発達はったつ理論りろんがインテグラル思想しそう人間にんげんかんの「かく」を構成こうせいするものであるとなすことは、深刻しんこく誤謬ごびゅうおかすことになるといえるだろう。

重要じゅうようなことは、ウィルバーの思想しそう活動かつどうつらぬく「統合とうごう衝動しょうどう」が、その基本きほんにおいて、人間にんげん認識にんしき能力のうりょくというものが構造こうぞうてき盲点もうてん内包ないほうすることの認識にんしきにもとづき、それを可能かのうかぎ克服こくふくすることを志向しこうして展開てんかいするものであるということを認識にんしきすることであろう。そうした問題もんだい意識いしきは、ウィルバーの思想しそう活動かつどう最初さいしょ理論りろん体系たいけいである「意識いしきのスペクトラム」にも刻印こくいんされているのである。

まえ混同こんどう(ウィルバーⅡ)

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ぜん混同こんどう」(“Pre/Post Fallacy”)とは、実際じっさいには非常ひじょうことなる2つの成長せいちょう段階だんかいをある共通きょうつうこう存在そんざい理由りゆう短絡たんらくてき混同こんどうすることを意味いみする。

『アートマン・プロジェクト』(The Atman Project)と『エデンより』(Up from Eden)(これらは、ひとつの作品さくひんとして構想こうそうされた)の執筆しっぴつちゅう、ウィルバーは、深刻しんこく思想しそうてき危機きき経験けいけんする。これは、『意識いしきのスペクトル』(The Spectrum of Consciousness)において展開てんかいされたモデルが内包ないほうしていた問題もんだいが、これらの作品さくひん執筆しっぴつ過程かていのなかで朧気おぼろげ認識にんしきされはじめたことに起因きいんするものであるという。

意識いしきのスペクトル』において、ウィルバーは、人間にんげん意識いしき成長せいちょう過程かていつぎのように描写びょうしゃした。

誕生たんじょう瞬間しゅんかんにおいて、人間にんげんは、「堕落だらく」(the Fall)を経験けいけんするまえの「至福しふく」の状態じょうたいにある。しかし、成長せいちょう過程かていのなかで、人間にんげんは、徐々じょじょに、こうした「至福しふく」の状態じょうたいから苦悩くのうたされた状態じょうたいへと「堕落だらく」していく。それは、誕生たんじょう瞬間しゅんかん存在そんざいしていたれいとのつながりを喪失そうしつすることなのである。意識いしき成長せいちょうとは、こうして「堕落だらく」をとおして「喪失そうしつ」されたれい(Spirit)とのつながりを恢復かいふくする過程かていなのである。

しかし、『アートマン・プロジェクト』と『エデンより』の執筆しっぴつちゅう、ウィルバーは、こうした認識にんしきが「堕落だらく」というものについての、誤解ごかい内包ないほうしていたことを認識にんしきする。この誤解ごかいについて、ウィルバー(1983/2005)は、後日ごじつつぎのように総括そうかつしている。

意識いしきのスペクトル』が内包ないほうしていた問題もんだいとは、2種類しゅるいの「堕落だらく」(the Fall)――「存在そんざいろんてき堕落だらく」(“metaphysical fall”)と「心理しんりてき堕落だらく」(“psychological fall”)――の混同こんどう形容けいようできるものである。「存在そんざいろんてき堕落だらく」とは、れいとの意識いしきてきどういち感覚かんかく喪失そうしつ、そして、それにもとづく「つみ」(疎外そがい別離べつり二元にげんせい有限ゆうげんせい)の世界せかいへの埋没まいぼつである。そして、「心理しんりてき堕落だらく」とは、みずからがそうした堕落だらくした状況じょうきょうにあることの内省ないせいてき認識にんしきである。

れいとは、この現象げんしょう世界せかい基盤きばんであり、あらゆる存在そんざい一瞬いっしゅんたりともそれと疎外そがいされた状態じょうたい存在そんざいすることはできない。つまり、この現象げんしょう世界せかいのあらゆる存在そんざいは、つね完全かんぜんなかたちでれいむすびついており、また、れい顕現けんげんとして存在そんざいしているのである。したがって、人間にんげん直面ちょくめんする問題もんだいは、れいとのむすびつきをいかにして確立かくりつするかということではなく、むしろ、れいとのむすびつきが確立かくりつされていることをいかにして認識にんしきするかということなのである。

人間にんげんは、成長せいちょう過程かていにおいて、内省ないせい能力のうりょく成熟せいじゅくしてくると、みずからが「つみ」の世界せかいきていることを認識にんしきするようになる。内省ないせい能力のうりょく成熟せいじゅくがもたらすこうした認識にんしきは、不可避ふかひてきに、精神せいしんてき苦悩くのう醸成じょうせいすることになる。そして、そうした苦悩くのうは――もしそれを抑圧よくあつすることなく対峙たいじすることができるならば――われわれをみずからを救済きゅうさいするための積極せっきょくてきみへととっうごかすことになる。ウィルバーは、こうした成熟せいじゅくした内省ないせい能力のうりょく確立かくりつ契機けいきとしてもたらされる精神せいしんてき転換てんかんを「外的がいてき方向ほうこうせい」(“Outward Arc”)から「内的ないてき方向ほうこうせい」(“Inward Arc”)への転換てんかん形容けいようするが、それは、人間にんげん人格じんかく成長せいちょうがより高度こうど成熟せいじゅく段階だんかいであるトランスパーソナル段階だんかいへとかうことができるために必要ひつようとされるものなのである。つまり、「存在そんざいろんてき堕落だらく」の解決かいけつ可能かのうせいは、世界せかい存在そんざいすることが構造こうぞうてき内包ないほうする問題もんだい(「つみ」)と対峙たいじすることが醸成じょうせいするこうした苦悩くのう経験けいけん――「心理しんりてき堕落だらく」――をとおしてもたらされるのである。

人間にんげんは、世界せかい誕生たんじょうすることそのものをとおして、「存在そんざいろんてき堕落だらく」を経験けいけんしている。その意味いみで、すべての人間にんげんまれながらにして「地獄じごく」(“Hell”)に存在そんざいしているのである。しかし、みずからが「地獄じごく」に存在そんざいしていることを認識にんしきすることができるためには、そうした認識にんしき可能かのうとする内省ないせい能力のうりょく構築こうちくする必要ひつようがある。そうした能力のうりょく構築こうちくされるまでは、人間にんげんは、「存在そんざいろんてき堕落だらく」というみずからの状況じょうきょうそのものを把握はあくすることができず、結果けっかとして、「無意識むいしきてき地獄じごく」(“Unconscious Hell”)をきることになる。

そうした自己じこ内省ないせいりょく欠如けつじょした状態じょうたいにある人間にんげん姿すがたは、傍目はためには平穏へいおんえるかもしれない。しかし、実際じっさいには、その自覚じかく欠如けつじょしているだけで、当人とうにん存在そんざいは「つみ」に特徴とくちょうづけられている。内省ないせいりょく欠如けつじょは、内的ないてき平穏へいおんという外観がいかんをあたえはするが、実際じっさいには、かれらの存在そんざいは、みずからの存在そんざいろんてき状況じょうきょう自覚じかくてきである人間にんげん同様どうよう、「つみ」に起因きいんする諸々もろもろ執着しゅうちゃくにより特徴とくちょうづけられているのである。むしろ、みずからが救済きゅうさい必要ひつようとしていることを認識にんしきすることができていないという意味いみでは、「天国てんごく」(“Heaven”)ともっと乖離かいりしたところにいる状態じょうたいということができるだろう。しん救済きゅうさいのために必要ひつようとされるのは、そうした虚偽きょぎ平穏へいおん状態じょうたいまることではなく、みずからが救済きゅうさい必要ひつようとすることを自覚じかくすることなのである。そして、これは、いわば、「無意識むいしきてき地獄じごく」を脱却だっきゃくして「意識いしきてき地獄じごく」(“Conscious Hell”)へ前進ぜんしんしていく行為こういということのできるものである。こうした成長せいちょうをとおして、人間にんげんは、はじめて「意識いしきてき天国てんごく」(“Conscious Heaven”)に到達とうたつするための可能かのうせいみだすことができるのである。

意識いしき成長せいちょう過程かていをとおして内省ないせい能力のうりょく確立かくりつされてくれば、結果けっかとして、人々ひとびとは、「意識いしきてき地獄じごく」のなかで、苦悩くのう苦闘くとうしながら日常にちじょうらすことになる。そうした状況じょうきょうかれた人間にんげん視点してんには、しばしば、自己じこ執拗しつよう苦悶くもんさせる苦悩くのうから「解放かいほう」されることが、救済きゅうさい証左しょうさとして意識いしきされるようになる。実際じっさいには、そうした苦悩くのうは、「無意識むいしきてき地獄じごく」から「意識いしきてき地獄じごく」への移行いこうという非常ひじょう重要じゅうよう意識いしき深化しんか過程かてい獲得かくとくしたものであるにもかかわらず、そのあまりの重圧じゅうあつのために、苦悩くのう存在そんざいしないことそのものが救済きゅうさいであるとおもいこんでしまうのである。こうした精神せいしん状態じょうたいにおいて、「無意識むいしきてき地獄じごく」と「意識いしきてき天国てんごく」とが――「意識いしきてき地獄じごく」を特徴とくちょうづける苦悩くのうわずらわされていないと意味いみにおいて――どちらもあたかもおなじものであるようにおもわれてくるのは自然しぜんなことであるといえるだろう。「ぜん混同こんどう」(“Pre/Post Fallacy”)とは、このように実際じっさいには非常ひじょうことなる成長せいちょう段階だんかいをある共通きょうつうこう存在そんざい理由りゆう短絡たんらくてき混同こんどうすることを意味いみする。そして、ウィルバーが説明せつめいするように、『意識いしきのスペクトル』は、まさに、こうした混同こんどうおかしていたのである。

普通ふつう、こうした混同こんどうは、結果けっかとして、2つの混乱こんらんみだすことになる。ひとつは、高度こうど成長せいちょう段階だんかいれい:トランスパーソナル段階だんかい)をてい成長せいちょう段階だんかいれい:プリパーソナル段階だんかい)として誤解ごかいすること(“Reductionism”)。そして、もうひとつは、てい成長せいちょう段階だんかいれい:プリパーソナル段階だんかい)を高度こうど成長せいちょう段階だんかいれい:トランスパーソナル段階だんかい)として誤解ごかいすること(“Elevationism”)である。前者ぜんしゃ典型てんけいてきれいとしては、高度こうど宗教しゅうきょうてき体験たいけん病的びょうてき退行たいこう体験たいけんとして解釈かいしゃくするものがあげられる。そして、後者こうしゃ典型てんけいてきれいとしては、幼児ようじてき体験たいけん高度こうど宗教しゅうきょうてき体験たいけんとして解釈かいしゃくするものがあげられる。

いうまでもなく、こうした理論りろんてき混同こんどうは、実践じっせんてき混乱こんらんをもたらすことになる。たとえば、前者ぜんしゃ場合ばあい突発とっぱつてき瞬間しゅんかんてき経験けいけんされた宗教しゅうきょう体験たいけん構造こうぞうてき意識いしき変容へんよう過程かてい促進そくしんすることをとおして統合とうごうすることが重要じゅうようになるときに、それを病的びょうてき退行たいこう体験たいけんとして誤解ごかいすることにより、薬物やくぶつ投与とうよとう不適切ふてきせつ介入かいにゅうがなされることになる。また、後者こうしゃ場合ばあい人格じんかく構造こうぞう脆弱ぜいじゃくであるために発生はっせいした病的びょうてき体験たいけん高度こうど宗教しゅうきょう体験たいけんとして誤解ごかいすることにより、そうした状況じょうきょうにおいて必要ひつようとなる人格じんかく構造こうぞう補強ほきょう志向しこうする介入かいにゅう方法ほうほうではなく、瞑想めいそうとう人格じんかく構造こうぞう対象たいしょうする介入かいにゅう方法ほうほう実践じっせんされることになる。これらの実践じっせんてき混乱こんらんは、臨床りんしょう現場げんばにおいては、ときとしてクライアントのなかに深刻しんこくな「きず」をみだすことになる危険きけんせいはらむものである。

ウィルバーの報告ほうこくによれば、これまでの執筆しっぴつ活動かつどうにおいて、こうした枠組わくぐみは、普通ふつう瞬間しゅんかんてき霊感れいかんのなかにもたらされるという。たとえば、この「意識いしきのスペクトラム」理論りろん場合ばあい集中しゅうちゅうてき瞑想めいそう体験たいけん最中さいちゅう経験けいけんした、この惑星わくせいにおける生命せいめい歴史れきしをその主体しゅたいとしてつい体験たいけんするような体験たいけんのなかにもたらされた洞察どうさつ理論りろんしたものであるという(こうした体験たいけん集中しゅうちゅうてき瞑想めいそう体験たいけんにおいてはかならずしもめずらしいものではない)。

発達はったつ領域りょういき(ウィルバーⅢ)

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人間にんげん人格じんかくてき発達はったつについて検討けんとうしようとするときに、複数ふくすう発達はったつ領域りょういき認識にんしきすることが重要じゅうようとなることをケン・ウィルバーは強調きょうちょうする。今日きょう注目ちゅうもくあつめているHoward GardnerのMultiple Intelligence Theoryにも象徴しょうちょうされるように、人間にんげん発達はったつ領域りょういきをひとつのものとしてとらえ、その発達はったつ測定そくていすることが個人こじん成長せいちょう段階だんかい把握はあく可能かのうとするという発想はっそうには、修正しゅうせいがくわえられはじめている(たとえば、"IQ"にたいする相補そうほてき概念がいねんとして"EQ"というものが提唱ていしょうされはじめていることは、こうした動向どうこうはしてきなあらわれといえるだろう)。これまでに使用しようされてきた視点してん測定そくてい方法ほうほう)の価値かち認識にんしきしたうえで、しかし、それでは十全じゅうぜんにとらえられない人間にんげん存在そんざい領域りょういき認識にんしき尊重そんちょうすることをとおして、はじめて人間にんげんせい包括ほうかつてき理解りかいちかづくことができるという姿勢しせいは、ウィルバーのインテグラル理論りろん非常ひじょう重要じゅうよう構成こうせい要素ようそである。

具体ぐたいてき発達はったつ領域りょういき(Lines of Development)の代表だいひょうてきなものとして、たとえば、この領域りょういきにおける代表だいひょうてき研究けんきゅうしゃであるHoward Gardner (1983/1993) は、下記かきのものをげている。

  • 言語げんご(Linguistic Intelligence)
  • 音楽おんがく(Musical Intelligence)
  • 論理ろんり数学すうがく(logical-mathematical)
  • 空間くうかん感覚かんかく(Spatial Intelligence)
  • 身体しんたい運動うんどう(Bodily-Kinesthetic Intelligence)
  • 自己じこ(Personal Intelligence―intrapersonalとinterpersonal)

また、その調査ちょうさにもとづき、Gardner (1999) は下記かきの2つをくわえている。

  • 自然しぜん(Naturalist Intelligence)
  • 実存じつぞん(Existential Intelligence)

留意りゅういするべきことは、これらの発達はったつ領域りょういきが、ある程度ていど自律じりつせいたもちながら、個人こじんのなかに並存へいそんしているということである。それぞれの発達はったつ領域りょういきは、独自どくじの「介入かいにゅう」――「支援しえん」(support)と「挑戦ちょうせん」(challenge)――を必要ひつようとしながら、独自どくじのダイナミズムにもとづいて段階だんかいてき成長せいちょうをするのである。 また、人間にんげんがこうした自律じりつてき展開てんかいする複数ふくすう領域りょういき内包ないほうする存在そんざいであるということは、必然ひつぜんてきに、個人こじん存在そんざいをあるひとつの発達はったつ段階だんかい成立せいりつするものとして定義ていぎすることが不可能ふかのうであることを示唆しさする。

ただ、複数ふくすう発達はったつ領域りょういき存在そんざい認識にんしきするとは、かならずしも、それらの発達はったつ領域りょういき列記れっきすることではない。同時どうじ重要じゅうようとなるのは、並存へいそんする発達はったつ領域りょういきがどのような相互そうご関係かんけいにあるのかということについて検討けんとうすることである。たとえば、その問題もんだいについて検討けんとうをするうえで、下記かきのような質問しつもん想起そうきされるだろう。

  • ある発達はったつ領域りょういきにおける課題かだい問題もんだいむうえで、どの並存へいそんする発達はったつ領域りょういきはたらきかけることにより、成長せいちょう治療ちりょう)を効果こうかてき促進そくしんできるのか?
  • ある発達はったつ領域りょういきにおける課題かだい問題もんだい克服こくふくすることができるまえに、まず、どの並存へいそんする発達はったつ領域りょういきにおいて成長せいちょう治癒ちゆ)が実現じつげんする必要ひつようがあるのか?

人間にんげん複雑ふくざつせい認識にんしき尊重そんちょうしたところにはっせられるこうした問題もんだい意識いしき背景はいけいには、関係かんけいせいというものへの感覚かんかく認識にんしき)が存在そんざいする。こうした感覚かんかくは、今日きょうのように、ある課題かだい問題もんだいむうえで、複数ふくすう方法ほうほう統合とうごうてき活用かつようすることの有効ゆうこうせい広範こうはん認識にんしきされはじめている現代げんだいという時代じだいにおいて、とりわけ重要じゅうようになることはいうまでもない。

ここで、ウィルバーは、これらの並存へいそんする発達はったつ領域りょういきをひとつの人格じんかく構成こうせい要素ようそとしてまとめる意識いしき統合とうごう機能きのう(integrative capacity of the psyche)に注目ちゅうもくする。これは、人格じんかく内部ないぶ存在そんざいする諸々もろもろ能力のうりょく自己じこ(identity)の重要じゅうよう構成こうせい要素ようそとして抱擁ほうようする機能きのう形容けいようできるものである。結果けっかとして、ある能力のうりょく自己じこ構成こうせい要素ようそとして重視じゅうしされることになり、また、ある機能きのう自己じこ構成こうせい要素ようそとして放擲ほうてきされることになる。こうした「取捨選択しゅしゃせんたく」の「判断はんだん」にもとづいて、自己じこ内部ないぶ存在そんざいするしょ能力のうりょく整合せいごうせいをもつ組織そしき(self-system)としてたばねる機能きのうをウィルバーは意識いしき統合とうごう機能きのう形容けいようするのである。その意味いみでは、こうした領域りょういきは、人間にんげん主体しゅたい(subjectivity)のよりどころとして、とりわけ重要じゅうようとなる発達はったつ領域りょういきであるといえるだろう。つまり、これこそが、「意識いしき進化しんか中枢ちゅうすうにあるものなのである」(Wilber, 2000, p. 35)。

この機能きのうは、(自他じた識別しきべつ機能きのう意味いみ構築こうちく機能きのうとう人間にんげん根源こんげんてき精神せいしん機能きのう可能かのうとする認知にんち能力のうりょく(cognitive capacity)として、発達はったつ心理しんりがくにより綿密めんみつ研究けんきゅうされてきたものである。インテグラル思想しそうにおいては、人間にんげん意識いしき体験たいけん基盤きばん存在そんざいする「自己じこ感覚かんかく」("the proximate self-sense")と形容けいようされている。

ウィルバーは、認知にんち能力のうりょく発達はったつは、発達はったつ領域りょういきにおける成長せいちょう可能かのうせい設定せっていするものとして、とりわけ重要じゅうようとなると指摘してきする。たとえば倫理りんり(morality)(Carol Gilligan)や信仰しんこう(faith)(James Fowler)とう領域りょういきにおける発達はったつは、認知にんち能力のうりょく発達はったつ段階だんかいえるかたちでは、展開てんかいしえないという。つまり、認知にんち能力のうりょく発達はったつとは、これら領域りょういきにおける発達はったつ上限じょうげん設定せっていするのである。その意味いみでは、倫理りんり信仰しんこう領域りょういきにおける成長せいちょう実現じつげんするためには、こうした認知にんち能力のうりょく成熟せいじゅく非常ひじょう重要じゅうようとなるといえるだろう。

ちなみに、トランスパーソナル研究けんきゅうにおいて強調きょうちょうされる「えることができるまえに、まず、構築こうちくしなければならない」("You have to be somebody before you can be nobody")(Jack Engler in Wilber, 1997, p. 353)という洞察どうさつは、あくまでも、人間にんげん主体しゅたい(subjectivity)のよりどころとして機能きのうする認知にんち能力のうりょく(cognitive capacity)というひとつの発達はったつ領域りょういきについてのみあてはまるものである。上記じょうき洞察どうさつ人間にんげん存在そんざいのどの領域りょういきにあてはまるものであるのかを明確めいかくすることなしに、その妥当だとうせいについて検討けんとうをするのは無意味むいみである。

なお上記じょうき関連かんれんする主題しゅだいである、並存へいそんする意識いしきの3領域りょういき――"Frontal Line"・"Soul Line"・"Causal Line"――については、「統合とうごう心理しんりがくへのみち」(The Eye of Spirit)を参照さんしょうしていただきたい。また、人間にんげん意識いしき成長せいちょうについて検討けんとうするうえで、「発達はったつ段階だんかい」("stages")・「発達はったつ領域りょういき」("lines")とともに重要じゅうようとなる意識いしき状態じょうたい("states")・性格せいかくタイプ("types")については、『統合とうごう心理しんりがく』(Integral Psychology)を参照さんしょうしていただきたい。

人類じんるいしゅ進化しんか

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個人こじん人格じんかくてき成長せいちょうは、つねに、関係かんけいせいのなかで展開てんかいするものである。Robert Kegan (1994) の指摘してきするように、成長せいちょうは、周囲しゅうい適切てきせつ介入かいにゅう――支援しえん(support)と挑戦ちょうせん(challenge)――を必要ひつようとする。それらは、成長せいちょうへの潜在せんざい能力のうりょくかいはっする必要ひつよう因子いんしとして機能きのうするのである。そして、そのどちらが欠落けつらくしても、成長せいちょうはありえないのである。必然ひつぜんてきに、人間にんげん意識いしき深化しんか可能かのうせいについて探求たんきゅうするうえで、「」(the individual)と「集合しゅうごう」(the collective)の有機ゆうきてき関連かんれんせい把握はあくすることは、非常ひじょう重要じゅうようとなる。

インテグラル思想しそう構築こうちくするうえで、ウィルバーは、こうした課題かだいについて綿密めんみつ議論ぎろん展開てんかいしている(Wilber, 1981/1996, 1983/2005, 1995/2000)。「」と「集合しゅうごう」が重要じゅうよう性質せいしつじょうのちがいをもつことを認識にんしきしたうえで、ウィルバーは、それらを、人類じんるい進化しんか参与さんよする2つの重要じゅうよう要素ようそとして位置いちづける。 人類じんるい進化しんかとは、「」の進化しんかと「集合しゅうごう」の進化しんか相補そうほてきなものとして内包ないほうしながら展開てんかいする過程かていである。そのため、人間にんげんは、個人こじんとしての救済きゅうさい追求ついきゅうしようとするとき、不可避ふかひてきに、共同きょうどうたい進化しんかむことを要求ようきゅうされるのである。

インテグラル思想しそうにおいては、「」の進化しんかと「集合しゅうごう」の進化しんかは、れい(Spirit)という基盤きばんのうえに、そして、れい顕現けんげんとして展開てんかいするプロセスの2つの側面そくめんである。れいとの「つながり」(identity)をみずからの本質ほんしつてき条件じょうけんとして認識にんしきすることを窮極きゅうきょくてき救済きゅうさいとしてとらえるインテグラル思想しそうにおいて、みずからの本質ほんしつてき課題かだいとして、これらの側面そくめんにおける成長せいちょう治癒ちゆ)にむことは、必須ひっす課題かだいなのである。

しかし、現代げんだいにおいて、進化しんかという概念がいねんを――自然しぜん世界せかいではなく――人類じんるい適応てきおうすることの妥当だとうせいには疑問ぎもんげかけられている。ウィルバーは、そうした状況じょうきょう存在そんざいする背景はいけいには、大別たいべつして3つの勢力せいりょく存在そんざいすることを指摘してきしている。

  • 過去かこ宗教しゅうきょうてき世界せかいかん踏襲とうしゅうする伝統でんとう主義しゅぎしゃにとり、「人類じんるい進化しんか」を伝統でんとうてき世界せかいかん否定ひていをとおして達成たっせいされるものとしてとらえる現代げんだい歴史れきしかんは、受容じゅようすることのできるものではない。伝統でんとう主義しゅぎしゃにとり、今日きょうにおいて、「進化しんか」となされているものは、むしろ、正当せいとう世界せかいかん継承けいしょうすることに失敗しっぱいする過程かてい、すなわち、「堕落だらく」の過程かていとしてなされるべきものなのである。
  • 人類じんるい歴史れきし太古たいこ存在そんざいしていた「楽園らくえん」("Eden")を「追放ついほう」されることを契機けいきとしてはじまる「堕落だらく」の過程かていとしてなす回顧かいこてき浪漫ろうまん主義しゅぎしゃ("Retro-Romantics")にとり、進化しんかのダイナミクスが人類じんるいはたらいているという見解けんかい受容じゅようできるものではない。かれらにとり、人類じんるい歴史れきしとは、「楽園らくえん」を「追放ついほう」された堕落だらくした存在そんざいによる「つみ」の歴史れきしなのである。そして、大量たいりょう消費しょうひ主義しゅぎという思想しそう基盤きばんとして惑星わくせい規模きぼ自然しぜん資源しげん搾取さくしゅする体制たいせい確立かくりつした現代げんだいという時代じだいは、人類じんるいの「つみ」が最大限さいだいげん肥大ひだいした時代じだいなのである。こうした状況じょうきょうにおいて、かれらが希求ききゅうするのは、太古たいこ存在そんざいしていた「楽園らくえん」へと回帰かいきすることである。
  • 今日きょう惑星わくせい規模きぼ展開てんかいする現代げんだい文明ぶんめい構築こうちくすることをとおして、人類じんるいが、進化しんか最終さいしゅうてき目的もくてき到達とうたつしたとしんじる合理ごうり主義しゅぎしゃにとり、今後こんご質的しつてきにさらに高度こうど認識にんしき構造こうぞう、そして、それを基盤きばんとする世界せかいかん発生はっせいするとはしんじがたい。実際じっさい、「意識いしき進化しんか」という標語ひょうごのもと、あたらしい世界せかいかん("New Paradigm")として提唱ていしょうされるものは、おうおうにして、これまでの歴史れきしのなかで獲得かくとくされた成果せいかないがしろにした退行たいこうてき(regressive)なものである。かれらにとり、人類じんるい進化しんかとは基本きほんてき完了かんりょうしているのであり、今後こんご必要ひつようとされるのは、こうして確立かくりつされた成果せいか展開てんかいしていくことなのである。

これらの「立場たちば」は、独自どくじ価値かち構造こうぞう基盤きばんとするものであるが、それぞれは、あらゆる価値かち構造こうぞうがそうであるように、なんらかの重要じゅうよう真実しんじつをとらえるものであるとともに、また、かならなんらかの盲点もうてん内包ないほうしている。現代げんだいにおいて必要ひつようとされているのは、これらの「立場たちば」の内包ないほうする真実しんじつ盲点もうてん認識にんしきしたうえで、人類じんるい進化しんか妥当だとうせい確立かくりつすることであるとウィルバーは主張しゅちょうする。人類じんるい進化しんかという概念がいねん復権ふっけんするために必要ひつようとなる重要じゅうよう法則ほうそくとしてウィルバーは、下記かきのものをあげる。

  • 進化しんか両義りょうぎせい進化しんかとは、現在げんざい段階だんかいにおいて解決かいけつすることのできない課題かだい問題もんだい高次こうじ段階だんかい構築こうちくすることをとおして解決かいけつする過程かていである。しかし、そうした高次こうじ発達はったつ段階だんかい構築こうちくすることをとおして、過去かこ段階だんかいには存在そんざいしなかった問題もんだい課題かだい創造そうぞうすることになる。その意味いみで、進化しんかとは、つねに、あたらしい可能かのうせいあたらしい危険きけんせいをもたらす過程かていであるということができる。また、進化しんか過程かていで、超越ちょうえつ継承けいしょう(transcend and include)という法則ほうそくのもと、共同きょうどうたい構造こうぞう複雑ふくざつするなかで、共同きょうどうたいは、その複雑ふくざつせいゆえに、必然ひつぜんてき比較ひかくてき単純たんじゅん構造こうぞうにおいては存在そんざいしえない問題もんだい課題かだい包含ほうがんすることになる。人類じんるい進化しんかについて検討けんとうするうえで、高次こうじ構造こうぞう構築こうちくするということが不可避ふかひてき内包ないほうすることになる両義りょうぎせい注目ちゅうもくすることが非常ひじょう重要じゅうようになる。
  • 差異さい乖離かいり識別しきべつ進化しんか過程かていはたら重要じゅうよう法則ほうそくのひとつとして、「差異さい」(differentiation)がある。これは、当初とうしょはひとつのものとして混乱こんらん混同こんどうしていたものに秩序ちつじょをあたえて、そこに内包ないほうされていた要素ようそ明確めいかくして、あたらしい関係かんけいせいのなかに位置いちづけることを意味いみする。たとえば、個人こじん意識いしき深化しんかにおいて、理性りせいてき構造こうぞうとしての自我じが確立かくりつして、自己じこ身体しんたい対象たいしょうすることは、肉体にくたいてき衝動しょうどう絶対ぜったいてき支配しはいからの自己じこ自由じゆう確保かくほするために、必須ひっす課題かだいとなる。しかし、そうした差異さい過剰かじょうなものとなるとき、身体しんたい個人こじん自己じこ(identity)の構成こうせい要素ようそとして抱擁ほうようされず、結果けっかとして、乖離かいり(dissociation)することになる。今日きょう個人こじん領域りょういきにおいて蔓延まんえんしている身体しんたいせい乖離かいりは、共同きょうどうたい領域りょういきにおいては、自然しぜん(nature)との乖離かいりをもたらす。こうした病理びょうりは、今日きょう惑星わくせい規模きぼ深刻しんこく自然しぜん破壊はかいとして結実けつじつしている。進化しんか過程かていにおいて、差異さい非常ひじょう重要じゅうよう法則ほうそくであるが、これは、また、つね乖離かいり危険きけんせい宿やどしていることを認識にんしきする必要ひつようがある。
  • 超越ちょうえつ抑圧よくあつ識別しきべつ進化しんか過程かていにおいて、高次こうじ構造こうぞうは、つねに、ていつぎ構造こうぞう対象たいしょうして、自己じこ構成こうせい要素ようそ基盤きばん)として抱擁ほうようする。これにより、高次こうじ構造こうぞうは、自己じこ構成こうせい要素ようそとして抱擁ほうようされた対象たいしょうたいして支配しはいりょく行使こうしして、操作そうさすることができるようになるのである("downward causation")。しかし、こうしたていつぎ階層かいそうへの操作そうさ能力のうりょくは、ときとして、いびつなかたちで行使こうしされ、結果けっかとして、諸々もろもろ病理びょうりみだすことになる(れい抑圧よくあつ否認ひにん歪曲わいきょく)。進化しんか過程かていにおいて、高次こうじ構造こうぞう構築こうちくは、人間にんげんに、ていつぎ構造こうぞう絶対ぜったいせい解消かいしょうすることをとおして、より包括ほうかつてき視野しやから行動こうどうすることを可能かのうにする非常ひじょう重要じゅうよう活動かつどうである。しかし、そこには、また、諸々もろもろ病理びょうりみだす可能かのうせい内包ないほうされていることをわれわれは留意りゅういしなければならない。
  • 自然しぜんなヒエラルキーと病的びょうてきなヒエラルキーの識別しきべつ進化しんか過程かていにおいて、ある発達はったつ段階だんかいにおいて全体ぜんたいであるものが、つぎ発達はったつ段階だんかいにおいてより包括ほうかつてき全体ぜんたい構成こうせい要素ようそとして抱擁ほうようされることになる。そして、より高度こうど統合とうごう能力のうりょくをもつ構造こうぞう抱擁ほうよう(embrace)されることにより、それそのものとしては所有しょゆうしていない意味いみ価値かち)を賦与ふよされるのである。 こうした高次こうじていつぎ関係かんけいせい(ヒエラルキー)は、いうまでもなく、このコスモスのあらゆるところにいだされるものである。その意味いみで、ヒエラルキーは、自然しぜん組織そしき法則ほうそく形容けいようすることができるだろう。しかし、また、「抱擁ほうよう」を基本きほん法則ほうそくとして展開てんかいするヒエラルキー構造こうぞうは、とりわけ人間にんげん活動かつどう領域りょういきにおいては、つねに、諸々もろもろ病理びょうりをひきおこす病的びょうてきなヒエラルキーへとてんじる可能かのうせい内包ないほうしている。したがい、人類じんるい進化しんかについて検討けんとうをするさい、ヒエラルキーという法則ほうそくが、実際じっさい自然しぜんなものとして発現はつげんしているのか、もしくは、病的びょうてきなものとして発現はつげんしているのかについて注意ちゅういをする必要ひつようがある。
  • 高次こうじ段階だんかいていつぎ衝動しょうどう掌握しょうあくされてしまう可能かのうせいがあること:高次こうじ構造こうぞうにより創出そうしゅつされた装置そうち技術ぎじゅつ機能きのうは、つねに、ていつぎ衝動しょうどう欲求よっきゅうにより利用りようされる危険きけんせいめている。とりわけ、今日きょうのように、大量たいりょう破壊はかい兵器へいきとう最先端さいせんたん科学かがく技術ぎじゅつ利用りようして開発かいはつされた装置そうち大量たいりょう生産せいさん大量たいりょう販売はんばいされている状況じょうきょうにおいては、そうした装置そうち開発かいはつするための必要ひつよう能力のうりょくをもちあわせていない人々ひとびと容易よういにそれらを購入こうにゅう使用しようすることができることになる。結果けっかとして、合理ごうりせい創造そうぞうぶつである装置そうちが、神話しんわてき合理ごうりせい段階だんかい部族ぶぞく主義しゅぎてき衝動しょうどうにもとづいて利用りようされることになるのである。上記じょうきのように、進化しんかとは、つねに、可能かのうせい危険きけんせい両方りょうほう増幅ぞうふくする過程かていである。人類じんるい進化しんかについて検討けんとうをするさい共同きょうどうたいのなかに並存へいそんする複数ふくすう発達はったつ段階だんかい行動こうどう論理ろんりがどのような相互そうご作用さようをしながら、可能かのうせい危険きけんせい発露はつろさせているかを慎重しんちょう考察こうさつをする必要ひつようがあるのである。

ぜん混同こんどう」("Pre/Post Fallacy")の項目こうもくにおいてもべたように、目前もくぜん展開てんかいする世界せかいがあまりにも過酷かこく苦悩くのう特徴とくちょうづけられるとき、われわれは、しばしば、そうした世界せかいをもたらした歴史れきし過程かてい進化しんか過程かていではなく退化たいか過程かていであるとおもいこむようである。そうした意識いしき状態じょうたいにおいては、それらの苦悩くのう高度こうど意識いしき構造こうぞう構築こうちくすることにより獲得かくとくされたものであることは無視むしされ、ただ、その瞬間しゅんかん経験けいけんされる苦悩くのう重圧じゅうあつのみが注目ちゅうもくされる。そして、その感覚かんかく正当せいとうするために歴史れきしかん構築こうちくされるのである。こうした「錯覚さっかく」を回避かいひするために、上記じょうき法則ほうそく非常ひじょう重要じゅうよう意味いみをもつといえるだろう。

インテグラル・ヴィジョン(ウィルバーⅣ)

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1995ねん出版しゅっぱんされた『進化しんか構造こうぞう』(Sex, Ecology, Spirituality)において、ウィルバーは、自己じこ思想しそう活動かつどうをその端緒たんしょより特徴とくちょうづけていた「個人こじん」と「集合しゅうごう」の領域りょういき相互そうご有機ゆうきてき関連かんれんするものとしてひとつの包括ほうかつてき理論りろん構想こうそうのなかに統合とうごうすることに成功せいこうする。そして、この理論りろん構想こうそうは、『進化しんか構造こうぞう』の発表はっぴょう継続けいぞくてき修正しゅうせいをくわえられながら、今日きょうの"AQAL"("All Quadrants, All Levels"を省略しょうりゃくしたもの)と形容けいようされるものへと展開てんかいしている。このあたりの理論りろん展開てんかい詳細しょうさいについては『進化しんか構造こうぞう』とKosmic Karma and Creativityを参照さんしょうしていただくとして、ここでは、これらの理論りろん構想こうそうをその基盤きばんにおいてささえている発想はっそう態度たいど)について紹介しょうかいする。

与那城よなぐすくつとむ(2006)の論文ろんぶんにおいても指摘してきされているように、インテグラル思想しそうは、「インテグラル」(統合とうごう)という大義たいぎのもと、多様たよう理論りろん体系たいけいをその構成こうせい要素ようそとして包摂ほうせつすることを意図いとするものではない。むしろ、インテグラル思想しそうとは、人間にんげん意識いしきというものが、ある視点してん(perspective)を抱擁ほうようすることをとおして、必然ひつぜんてき盲点もうてんかかえこむものであることの認識にんしきのもと、人間にんげん認識にんしき行為こうい構造こうぞうてき限定げんてい条件じょうけん建設けんせつてき活用かつようすることを意図いとするものである。つまり、それは、世界せかい認識にんしきするさい視点してんというものを利用りようせざるをえない人間にんげん認識にんしき能力のうりょく特性とくせい内省ないせいすることをとおして、認識にんしきという経験けいけん生成せいせいする背景はいけいとしての意識いしきという空間くうかんちかえることを援助えんじょしようとするものなのである。こうした観想かんそうしゃ視野しや継続けいぞくてきちかえることをとおして、人間にんげんは、はじめて、みずからの得意とくいとする視点してん執着しゅうちゃくすることなく、様々さまざま視点してん柔軟じゅうなん活用かつようすることができるようになるのである。

意識いしきのスペクトラム』は、こうした態度たいど基盤きばんとして、垂直すいちょくてき存在そんざいする認識にんしき存在そんざい)の階層かいそうをまとめたものである。そして、『進化しんか構造こうぞう以降いこう著作ちょさくのなかで提唱ていしょうされるAQALは、この意識いしき存在そんざい)の階層かいそうを、水平すいへいてき存在そんざいする認識にんしき存在そんざい)の領域りょういきへと展開てんかいしたものである。

水平すいへいてき存在そんざいする認識にんしき存在そんざい)の領域りょういきとして、ウィルバーは、"I"・"WE "・"IT"・"ITS"の4つをあげている。これらは、人間にんげん生得しょうとくてき所有しょゆうする視点してんとして普遍ふへんてき共有きょうゆうされているものであり、また、この世界せかいのあらゆる事象じしょう包括ほうかつてき認識にんしきするうえで必要ひつようとされるものであるという。

    • "I"(Individual Interior):内面ないめん領域りょういき。この視点してんは、主観しゅかんてき(subjective)な存在そんざいとしての真実しんじつせい尊重そんちょうするもので、そこでは、は、自己じこ内的ないてき意図いとにもとづいて行動こうどうする自律じりつてき存在そんざいとしてとらえられる。この領域りょういき価値かち基準きじゅんは、個人こじんが、自己じこ内的ないてき感覚かんかくをいかに正確せいかく解釈かいしゃく表現ひょうげんするかに注目ちゅうもくする主観しゅかんてきな「誠実せいじつ」(sincerity)というものである。
    • "WE "(Collective Interior):集合しゅうごう内面ないめん領域りょういき。この視点してんは、自律じりつてき内面ないめん所有しょゆうする個人こじん相互そうご理解りかい相互そうご尊重そんちょう重視じゅうしするもので、そこでは、集合しゅうごう共同きょうどうたい)は、規範きはん倫理りんり価値かちとう文化ぶんか共有きょうゆうする個人こじんによる共感きょうかんにより維持いじされるものとしてとらえられる。この領域りょういき価値かち基準きじゅんは、集合しゅうごう共同きょうどうたい)の構成こうせいいんが、相互そうご理解りかい相互そうご尊重そんちょうをとおして、いかにまとまりのある文化ぶんか空間くうかん構築こうちくするかに注目ちゅうもくする「正義まさよし」(justness)である。
    • "IT"(Individual Exterior):外面がいめん領域りょういき。この視点してんは、客観きゃっかんてき観察かんさつをすることのできる事象じしょう重視じゅうしするもので、そこでは、主観しゅかんてき要素ようそ影響えいきょうすることない、普遍ふへんてき事実じじつ追求ついきゅうされる。この領域りょういき価値かち基準きじゅんは、いかにあらゆる主観しゅかんてきな「歪曲わいきょく」に影響えいきょうされない「客観きゃっかんてき」・「普遍ふへんてき」な真実しんじつ抽出ちゅうしゅつするかに注目ちゅうもくする「真実しんじつ」(truth)である。
    • "ITS"(Collective Exterior):集合しゅうごう共同きょうどうたい)の外面がいめん領域りょういき。この視点してんは、集合しゅうごう組織そしきたいとしての整合せいごうせい尊重そんちょうするもので、そこでは、は、あくまでも、集合しゅうごう構成こうせい要素ようそとしてとらえられる。この領域りょういき価値かち基準きじゅんは、ある存在そんざい個人こじん組織そしき)が、それをとりまく外的がいてき生存せいぞんじょうきょうにいかに適合てきごうするかに注目ちゅうもくする「機能きのうてき適合てきごう」(functional fit)というものである。

上記じょうき視野しやは、独自どくじ価値かち基準きじゅんにもとづいて事象じしょう把握はあく検証けんしょうする。つまり、それらは、独自どくじ方法ほうほう事象じしょう照明しょうめいし、また、独自どくじ方法ほうほう事象じしょう隠蔽いんぺいするのである。重要じゅうようなことは、それぞれの視野しや自律じりつせい尊重そんちょうしたうえで、それらを相互そうご有機ゆうきてき関係かんけいせいのなかに位置いちづけることである。世界せかいのあらゆる事象じしょうは、すくなくともこれら4つの視野しやから認識にんしきすることのできるものである。インテグラル・アプローチは、これらの視野しや内在ないざいするひかりかげ認識にんしきしたうえで、それらを包括ほうかつてき活用かつようすることの重要じゅうようせい認識にんしきする。

ウィルバーの指摘してきするように、これらの視野しや相補そうほてき重要じゅうようせい尊重そんちょうすることなく、どれかを絶対ぜったいすること("Quadrant Absolutism")は、深刻しんこく悲劇ひげきをもたらすことになる。たとえば、今日きょう現代げんだい社会しゃかいは、内面ないめんせい価値かち溶解ようかいしようとする文化ぶんかてき潮流ちょうりゅう席巻せっけんされている。これは、ウィルバーが「フラットランド」("Flatland")とぶもので、近代きんだい科学かがく物質ぶっしつ主義しゅぎ現代げんだい思想しそう価値かち相対そうたい主義しゅぎ融合ゆうごうによりみだされた、あらゆる価値かち基準きじゅん外面がいめん浅薄せんばくながれと形容けいようすることのできるものである。そこでは、人間にんげん人間にんげんたらしめる内面ないめんせいというものが妥当だとうせいをもつ価値かち領域りょういきとして否定ひていされ、そのわりに、視覚しかく触覚しょっかくとう肉体にくたい感覚かんかくにより計測けいそくすることのできる情報じょうほう信頼しんらいできる基盤きばんとして排他はいたてき抱擁ほうようるれたのである。こうした状況じょうきょうにおいて、人間にんげん内面ないめんせい探求たんきゅうすることをとおして人格じんかく成熟せいじゅく醸成じょうせいすることを意図いとする芸術げいじゅつとう営為えいい存在そんざい価値かちは、必然ひつぜんてき軽視けいしされるようになる。こうした外面がいめん浅薄せんばく蔓延まんえんした社会しゃかいにおいては、人間にんげんとは、あくまでも自己じこ肉体にくたいてき衝動しょうどう忠実ちゅうじつ行動こうどうする物質ぶっしつてき存在そんざいにすぎず、その「治癒ちゆ」は、肉体にくたいてき衝動しょうどう充足じゅうそくをとおして可能かのうとなるものであるとされるのである。

しかし、発達はったつ心理しんりがく調査ちょうさ示唆しさするように、人間にんげん成長せいちょう治癒ちゆ)とは、内省ないせいりょく深化しんかをとおして、肉体にくたいてき衝動しょうどう高度こうどのレベルに昇華しょうかして、成熟せいじゅくした社会しゃかいせいのもとに表現ひょうげんする、自己じこ中心ちゅうしんせい克服こくふくする過程かていである。そこでは、成長せいちょう治癒ちゆ)とは、自己じこ対象たいしょうして、複数ふくすう視点してん考慮こうりょしたうえで、表現ひょうげんすることのできる意識いしき構造こうぞう構築こうちくすることをとおして達成たっせいされるものとして認識にんしきされるのである。そうした人間にんげん存在そんざい垂直すいちょくてき可能かのうせい尊重そんちょうする人間にんげんかんは、今日きょう外面がいめん領域りょういき絶対ぜったい基盤きばんとした人間にんげんかん真向まっこうから衝突しょうとつするものである。結果けっかとして、こうした内面ないめん領域りょういき否定ひていは、とりわけ先進せんしん諸国しょこくにおいて、意識いしき広範こうはん地盤じばん沈下ちんかをもたらしている。

理論りろん実践じっせん

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インテグラル思想しそうにおいては、普遍ふへんせい時代じだいせい自律じりつせい関係かんけいせい創造そうぞう継承けいしょうとう一般いっぱんてき対照たいしょうてきなものとしてなされている対極たいきょくてき事項じこう統合とうごう積極せっきょくてき志向しこうされる。われわれが瞬間しゅんかん瞬間しゅんかん経験けいけんする呼吸こきゅううごきに象徴しょうちょうされるように、人間にんげん存在そんざい無数むすう対極たいきょくてき事項じこうにより特徴とくちょうづけられているが、インテグラル思想しそうは、それらをダイナミックに往復おうふくすることの価値かち認識にんしき強調きょうちょうすることをとおして、人間にんげん可能かのうせいのより完全かんぜん実現じつげん可能かのうとしようとするのである。

無数むすう対極たいきょくせいのなかでも、インテグラル思想しそうにおいて、とりわけ重要じゅうよう意味いみをもつのが「理論りろん実践じっせん」である。これらの相補そうほてき対極たいきょくせいたくみに管理かんりすることは、非常ひじょう重要じゅうよう課題かだいとして認識にんしきされる。

上述じょうじゅつのように、インテグラル思想しそうにおいて、もっと重要じゅうようされるのが、構築こうちくぶつとしての理論りろんをのりこえていこうとする姿勢しせいである。ウィルバーは、しばしば、その著作ちょさく末尾まつびにおいて、みずからが構築こうちくした思想しそうみずからのにより「否定ひてい」することをとおして、読者どくしゃつねすで存在そんざいする観想かんそうしゃとしての自己じこにひきもどす。窮極きゅうきょくてき必要ひつようとされるのは、概念的がいねんてき構築こうちくぶつとしての思想しそう記憶きおくすることではなく、人間にんげん存在そんざい特徴とくちょうづける(Nothingness)と神秘しんぴ(Mystery)とそら(Emptiness)を自覚じかくすることなのである。そして、それは、必然ひつぜんてきに、われわれにきることを要求ようきゅうする。

こうした洞察どうさつにもとづいて、今日きょう、インテグラル・コミュニティーは、研究けんきゅう実践じっせん相補そうほてき重要じゅうようせい強調きょうちょうするAction Inquiry(行動こうどう探求たんきゅう)のコミュニティーとして、その活動かつどう展開てんかいしはじめている。活動かつどう主眼しゅがんは、個人こじん領域りょういき変容へんよう治癒ちゆ)のみならず、また、集合しゅうごう領域りょういき変容へんよう治癒ちゆ)を包含ほうがんする、包括ほうかつてきなものである。

今日きょう人類じんるいをとりまく生存せいぞんじょうきょう惑星わくせい規模きぼ急激きゅうげき劣化れっかするなかで、人類じんるい生存せいぞん可能かのうせいそのものが深刻しんこく危機ききにさらされている。こうした状況じょうきょうのなか、現代げんだい文明ぶんめいしん意味いみ持続じぞく可能かのうなものとして構築こうちくしなおすための積極せっきょくてき活動かつどう展開てんかいすることの必要ひつようせいは、ますます切迫せっぱくした課題かだいとして認識にんしきされている。しかし、実際じっさいには、そうした認識にんしきが、成熟せいじゅくした責任せきにん能力のうりょくにもとづいて、意図いとてき継続けいぞくてき変革へんかく実践じっせんとして世界せかいてき規模きぼ実現じつげんされるまでには、まだまだいたっていない。むしろ、今日きょう世界せかいてき頻発ひんぱつしているのは、生存せいぞんじょうきょう劣化れっか契機けいきとして発生はっせいする諸々もろもろ共同きょうどうたいあいだ衝突しょうとつである。Steven LeBlanc (2003) の指摘してきするように、人間にんげんは、みずからの生活せいかつする共同きょうどうたい人口じんこう収容しゅうよう能力のうりょく自然しぜん資源しげん枯渇こかつ自然しぜん環境かんきょう劣化れっかにより低下ていかするとき、周辺しゅうへん領域りょういき侵略しんりゃくすることをとおして、自己じこ生存せいぞんはかろうとする生物せいぶつである。今日きょう人類じんるい繁栄はんえい生存せいぞん可能かのうとしている重要じゅうよう資源しげんである化石かせき燃料ねんりょう枯渇こかつ局面きょくめんむかえようとするなか(Heinberg, 2003)、自己じこ生存せいぞん確保かくほするために、(国家こっか民族みんぞくとう諸々もろもろ共同きょうどうたいあいだ衝突しょうとつ頻発ひんぱつしはじめていることは、むしろ、当然とうぜんのことといえるだろう。

この惑星わくせい閉鎖へいさシステムであり、そこに存在そんざいする資源しげん有限ゆうげんである。継続けいぞくてき人口じんこう増加ぞうかもとづいた自然しぜん資源しげん大量たいりょう消費しょうひは、いずれは、人類じんるいしゅ生存せいぞん可能かのうとする重要じゅうよう資源しげん枯渇こかつまねくことになる。そして、生存せいぞん条件じょうけんという外的がいてき状況じょうきょう悪化あっかは、個人こじん共同きょうどうたい内的ないてき領域りょういきにおける退行たいこうをひきおこし、人間にんげん生得しょうとくてき自己じこ中心ちゅうしんせい増幅ぞうふくすることになる。そうした状況じょうきょう発生はっせいするとき、今日きょう先進せんしん諸国しょこくにおいて物質ぶっしつてきゆたかさの基盤きばんのうえに成立せいりつしている内面ないめんせい探求たんきゅうは、まった意味いみをもたないものにててしてしまう。

今日きょう繁栄はんえい可能かのうとしている諸々もろもろ前提ぜんてい条件じょうけん溶解ようかいするであろう危機きき時代じだいにおいて必要ひつようとされるのは、われわれにみずからをとりまく生存せいぞんじょうきょう包括ほうかつてき認識にんしきすることを可能かのうにする視野しやである。そうした認識にんしき存在そんざいしないところで創出そうしゅつされる対応たいおうさくは――たとえ、それがどれほどの誠実せいじつさにささえられたものであろうとも――効果こうかてきなものとならざるをえないだろう。

インテグラル・アプローチを特徴とくちょうづけるのは、内面ないめん外面がいめん、そして、集合しゅうごうという領域りょういき相互そうご関連かんれんするものとしてとらえる包括ほうかつてき視野しやである。また、インテグラル・アプローチは、そうした視野しや自己じこ認識にんしき構造こうぞうとして確立かくりつするために必要ひつようとなる自己じこ変容へんよう実践じっせんむことを重視じゅうしする実践じっせん思想しそうである。 そうした包括ほうかつてき視野しやをとおして自己じこかれている時代じだい状況じょうきょう対峙たいじするとき、われわれは、はじめて、しん意味いみ責任せきにん能力のうりょく所有しょゆうする存在そんざいとして人生じんせいきることができるのである。

評価ひょうか批評ひひょう

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ウィルバーは、トランスパーソナルな見方みかたおもんじることから[13]ニューエイジ分類ぶんるいされるが、近年きんねんでは哲学てつがくしゃであるとも評価ひょうかされている[14]Publishers Weeklyかれを「東洋とうようれいせいヘーゲル」とんでいる[15]

ウィルバーは、「永遠えいえん哲学てつがく」の魅力みりょく人々ひとびとひろめたとわれる。「意識いしきのスペクトル」(1977)にはじまる一連いちれん論文ろんぶん著作ちょさくにおいて、高度こうど幅広はばひろ知識ちしきをもとに広範こうはん応用おうようともな概念がいねんモデルをつくり、現代げんだい学術がくじゅつてきトランスパーソナル心理しんりがく、トランスパーソナル心理しんりがく初期しょき理論りろん構築こうちくもっと影響えいきょうあたえた[4][16]じょう寛文ひろふみは、ウィルバーのモデルは「自己じこ完結かんけつてきでなく、他者たしゃによる発展はってん修正しゅうせいにもひらかれている。いずれにせよ、宗教しゅうきょう研究けんきゅう射程しゃていひろさを確保かくほするためにも、ウィルバーの統合とうごうてきなビジョンは有益ゆうえきである」と宗教しゅうきょう研究けんきゅうにおける有用ゆうようせい評価ひょうかしている[17]

東洋とうよう修行しゅぎょうおこない、その思想しそう実践じっせんおおきな影響えいきょうけているが、清水しみず大介だいすけは「ウィルバーの思想しそうは、 東洋とうよう思想しそう修練しゅうれん受容じゅようしたとはいえ、やはり思想しそう本質ほんしつ強靭きょうじん骨格こっかくをもった西洋せいようじんのものかとおもわれる。後述こうじゅつの(ほんこうでは前述ぜんじゅつの)「まえちょう虚偽きょぎ」にしめされるように、合理ごうり主義しゅぎをしっかりまえている。北米ほくべいは、西欧せいおう文明ぶんめいけん一部いちぶであるということである。古今ここん東西とうざい思想しそう根本こんぽんてき統合とうごうされているのだが、それが西欧せいおうてき強靭きょうじん生々なまなましい思索しさくりょく合理ごうりてき精神せいしんによって遂行すいこうされている、といえるかもしれない。」と、かれ思想しそう根本こんぽん西洋せいようじんのものであるとひょうしている[1]

ビル・クリントン[18]アル・ゴア、ディパック・チョープラ、リチャード・ローア[19]、ミュージシャンのビリー・コーガンなど、様々さまざま政治せいじ文化ぶんかじんがウィルバーの影響えいきょう言及げんきゅうしている[20]。 トランスパーソナル心理しんりがく主要しゅよう論客ろんかくである一方いっぽう、その評価ひょうか賛否さんぴ両論りょうろんである[4]

前期ぜんきウィルバーのトランスパーソナル心理しんりがく中期ちゅうきウィルバーが追究ついきゅうした「世界せかい哲学てつがくあるいは統合とうごうてき哲学てつがく」は、発想はっそう発端ほったん経緯けいいから、きん未来みらいてきなビジョンまで、わかりやすく、難解なんかいまわりくどい表現ひょうげん不可視ふかし図式ずしきかくされているということもなく、明快めいかい図式ずしきされており、「ウィルバーにはふかみや奥行おくゆきがない」、過度かどにカテゴライズして客観きゃっかんしている、という批判ひはんすくなくない[17][21][22]かれ思想しそう家父長制かふちょうせいてき階層かいそうてきかんがかたによるモデルにえ、また自然しぜん神秘しんぴ主義しゅぎひく評価ひょうかしているようにえることから、一部いちぶフェミニストやトランスパーソナル・エコロジストに、男性だんせい主義しゅぎてきなアプローチ[21][22]ひとし批判ひはんされてきた[4]。また、ウィルバーのアプローチは、スピリチュアリティ商品しょうひん[23]感情かんじょうわるくとらえていると批判ひはんされてきた[24]一神教いっしんきょうてき宗教しゅうきょう経験けいけん適切てきせつ説明せつめいすることに失敗しっぱいしているという批判ひはんもある[4]おおくの批評ひひょうは、ウィルバーの解釈かいしゃくや、かれ幅広はばひろ情報じょうほうかならずしも正確せいかく引用いんようしていないこと、また、かえされる反復はんぷく無意味むいみであり、著作ちょさく過剰かじょうながく、文体ぶんたい誇張こちょうされているひとし問題もんだいげている[25]。クリストファー・バッハはウィルバーの作品さくひんのいくつかの側面そくめん賞賛しょうさんしているが、ウィルバーの文体ぶんたいは「口達者くちだっしゃ」だとひょうしている[26]

20だいころから、日本にっぽんからのぜん修行しゅぎょうチベット仏教ぶっきょう修行しゅぎょうおこなっているが、かれのトランスパーソナルてき発達はったつモデルは、ヒンドゥーきょうアドヴァイタ・ヴェーダーンタぜん、チベット仏教ぶっきょうといった東洋とうよう思想しそう偏向へんこうしすぎているという批判ひはんがある[1][4]。スティーブ・マッキントッシュは、ウィルバーの作品さくひん賞賛しょうさんしているが、かれは「哲学てつがく」を自身じしんのヴェーダーンタや仏教ぶっきょうといった「宗教しゅうきょう」と区別くべつしていないとも指摘してきしている[27]かれ思想しそうは、ヴェーダーンタや仏教ぶっきょううところが「真実しんじつ」という前提ぜんていってっているため、「科学かがくてき実証じっしょうせいとぼしい」という批判ひはん当然とうぜんある[5]菅原すがわらひろしは、ウィルバーの仮説かせつはそもそも科学かがくてき認識にんしき方法ほうほう限界げんかい自覚じかくから出発しゅっぱつし、あえて「永遠えいえん哲学てつがく」の真理しんりせいれており、むしろ、「科学かがくてき実証じっしょうせいとぼしい」と批判ひはんするがわこそ科学かがくてき認識にんしき方法ほうほう絶対ぜったいせい批判ひはん前提ぜんていとしており、「そもそもなんらかの形而上学けいじじょうがくてき前提ぜんていぬきにのパラダイムがつとかんがえるほうが幻想げんそう」であるとウィルバーへの批判ひはん反論はんろんしている[5]

精神せいしんスタニスラフ・グロフは、ウィルバーの知識ちしき仕事しごと最上級さいじょうきゅうのことばで賞賛しょうさんしている[28]。その一方いっぽう、グロフは、ウィルバーが意識いしきのスペクトルから、出生しゅっしょうまえおよび出生しゅっしょう前後ぜんこう領域りょういき省略しょうりゃくし、生物せいぶつとしての誕生たんじょう心理しんりてき重要じゅうようせい無視むししたことを批判ひはんしている[29]。グロフはウィルバーの著作ちょさくについて、「しばしば個人こじんてき攻撃こうげきといえるつよ言葉ことばふく攻撃こうげきてき極論きょくろんのスタイルであり、個人こじんてき対話たいわ促進そくしんしない」とひょうしている[30]。ウィルバーの応答おうとうは、グロフが出生しゅっしょう前後ぜんこうにあるとかんがえている重要じゅうようせいは、世界せかい伝統でんとう宗教しゅうきょうにはられないというというものだった[31]

著作ちょさく

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主著しゅちょ

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  • The Spectrum of Consciousness, 1977, anniv. ed. 1993.『意識いしきのスペクトル1・2』吉福よしふくしんいっ+かん靖彦やすひこわけ春秋しゅんじゅうしゃ1985ねん
  • No Boundary: Eastern and Western Approaches to Personal Growth, 1979, reprint ed. 2001. 『境界きょうかい吉福よしふくしんいっやく平河ひらかわ出版しゅっぱんしゃ、1986ねん
  • The Atman Project: A Transpersonal View of Human Development, 1980, 2nd ed. 『アートマン・プロジェクト』吉福よしふくしんいっ+プラブッダ+かん靖彦やすひこやく春秋しゅんじゅうしゃはつわけ1986、改訂かいてい1997ねん
  • Up from Eden: A Transpersonal View of Human Evolution, 1981, new ed. 1996.『エデンから』松尾まつお弌之やく講談社こうだんしゃ、1986ねん
  • The Holographic Paradigm and Other Paradoxes: Exploring the Leading Edge of Science (editor), 1982. 『そらぞうとしての世界せかい井上いのうえただしやく青土おうづちしゃはつわけ1983ねん改訂かいてい1992ねん
  • A Sociable God: A Brief Introduction to a Transcendental Sociology, 1983, new ed. 2005 subtitled Toward a New Understanding of Religion. 『構造こうぞうとしてのかみ井上いのうえ章子あきこやく青土おうづちしゃ、1984ねん
  • Eye to Eye: The Quest for the New Paradigm, 1984, 3rd rev. ed. 2001. 『にはを』吉福よしふくしんいっ+プラブッダ+かん靖彦やすひこ+田中たなか三彦みつひこやく青土おうづちしゃ、1987ねん
  • Quantum Questions: Mystical Writings of the World's Great Physicists (editor), 1984, rev. ed. 2001. 『量子りょうし公案こうあん田中たなか三彦みつひこやく工作こうさくしゃ邦訳ほうやく1984ねん新装しんそう1987ねん
  • Transformations of Consciousness: Conventional and Contemplative Perspectives on Development (co-authors: Jack Engler, Daniel Brown), 1986.
  • Spiritual Choices: The Problem of Recognizing Authentic Paths to Inner Transformation (co-authors: Dick Anthony, Bruce Ecker), 1987.
  • Grace and Grit: Spirituality and Healing in the Life of Treya Killam Wilber, 1991, 2nd ed. 2001. 『グレース&グリット1・2』伊東いとうひろし太郎たろうやく春秋しゅんじゅうしゃ、1999ねん
  • Sex, Ecology, Spirituality: The Spirit of Evolution, 1st ed. 1995, 2nd rev. ed. 2001. 『進化しんか構造こうぞう1・2』松永まつなが太郎たろうやく春秋しゅんじゅうしゃ、1998ねん
  • A Brief History of Everything, 1st ed. 1996, 2nd ed. 2001.『万物ばんぶつ歴史れきし大野おおの純一じゅんいちわけ春秋しゅんじゅうしゃ、1996ねん
  • The Eye of Spirit: An Integral Vision for a World Gone Slightly Mad, 1997, 3rd ed. 2001. 『統合とうごうてき心理しんりがくへのみち松永まつなが太郎たろうやく春秋しゅんじゅうしゃ、2004ねん
  • The Marriage of Sense and Soul: Integrating Science and Religion, 1998, reprint ed. 1999. 『科学かがく宗教しゅうきょう統合とうごう吉田よしだゆたかやく春秋しゅんじゅうしゃ、2000ねん
  • One Taste: The Journals of Ken Wilber, 1999, rev. ed. 2000. 『ワン・テイスト じょうした青木あおきさとしやく、コスモスライブラリー、2002ねん
  • Integral Psychology: Consciousness, Spirit, Psychology, Therapy, 2000.
  • A Theory of everything (philosophy)|Theory of Everything: An Integral Vision for Business, Politics, Science and Spirituality, 2000, paperback ed.. 『万物ばんぶつ理論りろん岡野おかの守也もりややくトランスビュー、2002ねん
  • Boomeritis: A Novel That Will Set You Free, 2002, paperback ed. 2003.
  • The Simple Feeling of Being: Visionary, Spiritual, and Poetic Writings, 2004. 『存在そんざいすることのシンプルな感覚かんかく松永まつなが太郎たろうやく春秋しゅんじゅうしゃ、2005ねん
  • Integral-Spirituality,2006. 『インテグラル・スピリチュアリティ』松永まつなが太郎たろうやく春秋しゅんじゅうしゃ、2008ねん
  • Integral Life Practice: A 21st-Century Blueprint for Physical Health, Emotional Balance, Mental Clarity, and Spiritual Awakening, 2008. 『実践じっせん インテグラル・ライフ:自己じこ成長せいちょう設計せっけい鈴木すずき 規夫のりおやく春秋しゅんじゅうしゃ(2010ねん)。

関連かんれん書籍しょせき

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  • 教育きょういくトピックの教育きょういくがくてき考察こうさつ村島むらしま 義彦よしひここうすが出版しゅっぱん、2002ねん。※巻末かんまつに”オデッセイ”の翻訳ほんやくあり
  • 『トランスパーソナル ヴィジョン 特集とくしゅう ケン・ウィルバー』吉福よしふくしんいっ監修かんしゅう雲母うんも書房しょぼう、1989ねん
  • 『アメリカ現代げんだい思想しそう [1] 』吉福よしふくしんいっ監修かんしゅう阿含宗あごんしゅう総本山そうほんざん出版しゅっぱんきょく、1986ねん。※ウィルバーの論文ろんぶん収録しゅうろく
  • 『アメリカ現代げんだい思想しそう [4] 』吉福よしふくしんいっ監修かんしゅう阿含宗あごんしゅう総本山そうほんざん出版しゅっぱんきょく、1988ねん。※ウィルバーの論文ろんぶん収録しゅうろく
  • What Survives?;Contemporary Explorations of Life After Death ,Gary Doore, 1990,『えてきるもの――霊魂れいこん永遠えいえんせいについて』ゲーリー・ドーアへん 笠原かさはら敏雄としお+上野うえの圭一けいいちやく春秋しゅんじゅうしゃ原書げんしょ1990/日本語にほんごやく1993ねん。※ウィルバーの論文ろんぶん収録しゅうろく
  • 『インテグラル理論りろん入門にゅうもんI:ウィルバーの意識いしきろん鈴木すずき 規夫のりお久保くぼ 隆司たかし甲田こうだ れつ青木あおき さとしちょ)、春秋しゅんじゅうしゃ、2010ねん
  • 『インテグラル理論りろん入門にゅうもんII:ウィルバーの世界せかいろん鈴木すずき 規夫のりお久保くぼ 隆司たかし甲田こうだ れつ青木あおき さとしちょ)、春秋しゅんじゅうしゃ、2010ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g 清水しみず 2019, p. 46.
  2. ^ 清水しみず 2019, p. 45.
  3. ^ a b 黒木くろき 2006, p. 296.
  4. ^ a b c d e f g h i j k Daniels 2009, p. 507.
  5. ^ a b c d e f g 菅原すがわら 1998.
  6. ^ 清水しみず 2019, pp. 52–53.
  7. ^ a b c 甲田こうだ 2012, pp. 119–120.
  8. ^ ティール組織そしきとは? その意味いみ事例じれい、デメリットまとめ ビジネス+IT
  9. ^ a b 竹内たけうち 1987, p. 140.
  10. ^ a b 岩井いわい國臣くにおみ トランスパーソナル心理しんりがくとウィルバー心理しんりがく 岩井いわい國臣くにおみ世界せかい
  11. ^ a b c 甲田こうだ 2003, pp. 172–173.
  12. ^ a b c d e f g h 清水しみず 2019, p. 51.
  13. ^ Wouter J. Hanegraaff, New Age Religion and Western Culture, SUNY, 1998, pp. 70 ("Ken Wilber ... defends a transpersonal worldview which qualifies as 'New Age'").
  14. ^ Marian de Souza (ed.), International handbook of the religious, moral and spiritual dimensions in education, Dordrecht: Springer 2006, p. 93. ISBN 978-1-4020-4803-6.
  15. ^ [Archived 2014-04-30 at the Wayback Machine. "The Simple Feeling of Being: Visionary, Spiritual and Poetic Writings"], publishersweekly.com, June 4, 2014.]
  16. ^ 甲田こうだ 2003, p. 172.
  17. ^ a b じょう 2009, p. 507.
  18. ^ Planetary Problem Solver Archived 2010-02-12 at the Wayback Machine., Newsweek, January 4, 2010
  19. ^ “The Perennial Tradition – Center for Action and Contemplation” (英語えいご). Center for Action and Contemplation. (2015ねん12月20にち). https://cac.org/the-perennial-tradition-2015-12-20/ 2018ねん8がつ17にち閲覧えつらん 
  20. ^ Steve Paulson. “You are the river: An interview with Ken Wilber”. salon.com. 2009ねん7がつ3にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2006ねん6がつ16にち閲覧えつらん
  21. ^ a b Thompson, Coming into Being: Artifacts and Texts in the Evolution of Consciousness pp. 12–13
  22. ^ a b Gelfer, J. Chapter 5 (Integral or muscular spirituality?) in Numen, Old Men: Contemporary Masculine Spiritualities and the Problem of Patriarchy, 2009: ISBN 978-1-84553-419-6
  23. ^ Gelfer, J. LOHAS and the Indigo Dollar: Growing the Spiritual Economy Archived 2011-01-04 at the Wayback Machine., New Proposals: Journal of Marxism and Interdisciplinary Inquiry (4.1, 2010: 46–60)
  24. ^ de Quincey, Christian (Winter 2000). “The Promise of Integralism: A Critical Appreciation of Ken Wilber's Integral Psychology”. Journal of Consciousness Studies. Vol. 7(11/12). 2006ねん5がつ7にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2006ねん6がつ15にち閲覧えつらん
  25. ^ Frank Visser, "A Spectrum of Wilber Critics", A Spectrum of Wilber Critics, essay by Frank Visser”. 2006ねん5がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2006ねん4がつ28にち閲覧えつらん
  26. ^ Notes to Chapter 6 of Dark Night Early Dawn: Steps to a Deep Ecology of Mind SUNY Press, 2000
  27. ^ Steve McIntosh, Integral Consciousness and the Future of Evolution, Paragon House, St Paul Minnesota, 2007, ISBN 978-1-55778-867-2 pp. 227f.
  28. ^

    ... ケンは、ひろ様々さまざま分野ぶんや修行しゅぎょうからした情報じょうほうを、高度こうど創造そうぞうてき統合とうごうし、並外なみはずれた仕事しごとをなしている... かれ文献ぶんけんたいする知識ちしきはまさに百科ひゃっか事典じてんてきであり、その分析ぶんせきりょく体系たいけいてきするどく、論理ろんり明晰めいせきさは見張みはるものがある。ケンの仕事しごと感動かんどうてきなまでに幅広はばひろく、包括ほうかつてき性格せいかくち、厳格げんかく知的ちてきであることから、トランスパーソナル心理しんりがく理論りろんとしてひろ評価ひょうかされ、おおきな影響えいきょうりょくつものとなっている。(Ken has produced an extraordinary work of highly creative synthesis of data drawn from a vast variety of areas and disciplines ... His knowledge of the literature is truly encyclopedic, his analytical mind systematic and incisive, and the clarity of his logic remarkable. The impressive scope, comprehensive nature, and intellectual rigor of Ken's work have helped to make it a widely acclaimed and highly influential theory of transpersonal psychology.)

    Stanislav Grof, "Ken Wilber's Spectrum Psychology"Archived 2009-12-09 at the Wayback Machine.

  29. ^ Grof, Beyond the Brain, 131–137
  30. ^ Grof, "A Brief History of Transpersonal Psychology"Archived 2011-07-16 at the Wayback Machine.
  31. ^ Visser, 269

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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