スティーヴ・スティーヴンス

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Steve Stevens
スティーヴ・スティーヴンス(ひだり)&ビリー・アイドル(みぎ) 2003ねん
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい Steve Schneider
生誕せいたん (1959-05-05) 1959ねん5月5にち(65さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく ニューヨークしゅうニューヨーク
ジャンル ハードロック
ニュー・ウェイヴ
プログレッシブ・ロック
インストゥルメンタル
フラメンコ
職業しょくぎょう ギタリスト作曲さっきょく
担当たんとう楽器がっき ギターギターシンセサイザーベースキーボード
活動かつどう期間きかん 1980ねん-
レーベル ワーナー・ブラザーズ・レコード
Ark 21
マグナ・カルタ・レコード
共同きょうどう作業さぎょうしゃ ビリー・アイドル
ヴィンス・ニール
ボジオ・レヴィン・スティーヴンス
氷室ひむろ京介きょうすけ
公式こうしきサイト stevestevens.net

スティーヴ・スティーヴンス(Steve Stevens、1959ねん5月5にち-)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくロックギタリストビリー・アイドルのサポート・ギタリストとしてせたのちヴィンス・ニール氷室ひむろ京介きょうすけひとし様々さまざまなミュージシャンと共演きょうえんスタジオ・ミュージシャンとしても活動かつどうし、映画えいがトップガン』のサウンドトラックへの参加さんかでもられる。

来歴らいれき

1980年代ねんだいまで

ブルックリン出身しゅっしん。7さいでギターをはじめ、そのプログレッシブ・ロック傾倒けいとうしていく。

ローカル・バンドでの活動かつどうて、1982ねんもとキッスピーター・クリス共演きょうえんどう時期じきもとジェネレーションXイギリスじんシンガー、ビリー・アイドル出会であい、ビリーのソロ・ワークを演奏えんそう作曲さっきょく両面りょうめんでサポート。ビリーのセカンド・アルバム『Rebel Yell』(1983ねん)はぜんえい2全米ぜんべい6成功せいこうおさめ、ニュー・ウェイヴてきおとづくりとハードロックてきなギターの融合ゆうごう話題わだいとなった[1]

ビリーとの活動かつどう並行へいこうし、様々さまざまなアーティストと仕事しごとおこなう。1985ねんにはトンプソン・ツインズのアルバムに参加さんかし、ライヴエイドではトンプソン・ツインズ、マドンナナイル・ロジャースとの共演きょうえんで「Revolution」(ビートルズのカバー、当時とうじトンプソン・ツインズがうたとしていた)を演奏えんそう1986ねん映画えいがトップガン』で使用しようされた「Top Gun Anthem」は、スティーヴのギター・テクニックが存分ぞんぶん発揮はっきされたインストゥルメンタルで、グラミーしょうのベスト・ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス部門ぶもん受賞じゅしょう。また、マイケル・ジャクソンのヒット・シングル「Dirty Diana」にも参加さんか

ビリーとたもとかったスティーヴは、1989ねん、ウォリアーというヘヴィメタル・バンドのボーカリストだったペリー・マッカーティーとうしたがえ、アトミック・プレイボーイズというソロ・プロジェクトをげるが、アルバム『Atomic Playboys』(ジャケット・デザインはH・R・ギーガー)1まいのこして、このプロジェクトは解体かいたい

1990年代ねんだい

そのマイケル・モンローもとハノイ・ロックス)とともにレコーディングをおこなう。しかし、アルバムの完成かんせいないまま、スティーヴは当時とうじモトリー・クルー脱退だったいしていたヴィンス・ニールかれた。このとき音源おんげんはエルサレム・スリム名義めいぎで1992ねん発売はつばいされるが、すでどうバンドは存在そんざいしなかった。なお、マイケル・モンローはこのプロジェクトにかんしておもはないようで、1992ねん日本にっぽん公演こうえんでも、スティーヴとレコーディングしたきょく一切いっさいうたわなかった[2]

スティーヴは、ヴィンスのファースト・ソロ・アルバム『Exposed』(1993ねん)と、どうさくともなうツアー(日本にっぽん公演こうえんふくむ)に参加さんかするが、そのヴィンスのバンドを脱退だったいし、一時いちじてきビリー・アイドル復縁ふくえんして、1994ねん映画えいがスピード』の主題歌しゅだいか「Speed」で共演きょうえん

1996ねん11月、『マグナ・カルタ・レコード』のオーナーのマイク・ヴァーニーが、テリー・ボジオにスティーヴを紹介しょうかい。それがけとなって、スティーヴとテリーとトニー・レヴィンによるしんバンド、ボジオ・レヴィン・スティーヴンス結成けっせい。ファースト・アルバム『Black Light Syndrome』(1997ねん)は、わずか9にち制作せいさく(うち5にちはギター・パートのオーヴァー・ダビング)[3]され、かくメンバーの即興そっきょう演奏えんそう重視じゅうししたプログレッシブ・ロック・アルバムとなった。

1997ねん氷室ひむろ京介きょうすけのアルバム『I・DE・A』に参加さんか翌年よくねんには氷室ひむろのツアーに帯同たいどうしたほかスティーヴ・ヴァイがプロデュースを担当たんとうしたロック・ギタリストによるクリスマス・アルバム『Merry Axemas, Vol.2: More Guitars for Christmas』に参加さんかし、クリスマスソングの定番ていばんきょく「Do You Hear What I Hear?」を演奏えんそう[4]

1999ねんにはソロ・アルバム『Flamenco A Go-Go』発表はっぴょう。スティーヴはかねてからフラメンコからの影響えいきょうをギター・プレイに反映はんえいさせており、ヴィンス・ニールの楽曲がっきょく「Edge」のイントロでもフラメンコてきなフレーズをいていたが、どうさくではほとんどのきょくガット・ギター使用しようし、本格ほんかくてきなフラメンコ・アルバムとなった。なお、どうさく収録しゅうろくきょく「Dementia」は、氷室ひむろ京介きょうすけ横浜よこはまスタジアム公演こうえんで、スティーヴをふくめた氷室ひむろのバック・バンドにより演奏えんそうされたライブ音源おんげんどうさくにはその屋敷やしきつよしふとしヴィニー・カリウタひとし参加さんか

21世紀せいき

2001ねん、ビリー・アイドルが音楽おんがく活動かつどう再開さいかいすると、スティーヴも合流ごうりゅう。ビリーの2005ねんのアルバム『Devil's Playground』にも全面ぜんめん参加さんかした。また、ビリー・アイドル・バンドのサポート・キーボーディスト、デレク・シェリニアンもとドリーム・シアター)のソロ・アルバムにも参加さんか

2008ねん、『マグナ・カルタ』から、9ねんぶりのソロ・アルバム『Memory Crash』発表はっぴょう

ディスコグラフィー

ソロ・アルバム

  • Atomic Playboys(1989ねん
  • Flamenco A Go-Go(1999ねん
  • Memory Crash(2008ねん

ビリー・アイドル

  • Billy Idol(1982ねん
  • Rebel Yell(1983ねん
  • Whiplash Smile(1986ねん
  • Vital Idol(1987ねん
  • Devil's Playground(2005ねん

エルサレム・スリム

  • Jerusalem Slim(1992ねん

ヴィンス・ニール

  • Exposed(1993ねん

ボジオ・レヴィン・スティーヴンス

  • Black Light Syndrome(1997ねん
  • Situation Dangerous(2000ねん

氷室ひむろ京介きょうすけ

  • I・DE・A(1997ねん
  • Collective SOULS(1998ねん) - 新曲しんきょくおよびしんろくきょく参加さんか
  • The One Night Stands〜TOUR "COLLECTIVE SOULS"1998〜(1998ねん) - ライブ・アルバム
  • MELLOW(2000ねん
  • beat haze odyssey(2000ねん
  • FOLLOW THE WIND(2003ねん

その参加さんか作品さくひん

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ 『Rebel Yell』レビュー(allmusic)
  2. ^ マイケル・モンロー公式こうしきサイト
  3. ^ 『Situation Dangerous』日本にっぽんばんCDライナーノーツ(伊藤いとう政則まさのり、2000ねん
  4. ^ Merry Axemas, Vol.2レビュー(allmusic)

外部がいぶリンク