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柳田やなぎだかくこれしん

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柳田やなぎだかくこれしん(やなぎだかくのしん)は古典こてん落語らくご演目えんもく別名べつめい柳田やなぎだ堪忍袋かんにんぶくろ(やなぎだのかんにんぶくろ)もしくは碁盤割ごばんわり(ごばんわり)[1]。「柳田やなぎだかくすすむ」ともく。ほこたか武士ぶしきざまをえがいた人情噺にんじょうばなし

もと講釈こうしゃくネタであったものを落語らくごにしたはなしであり、さん代目だいめ春風しゅんぷうていやなぎえだ得意とくいとした。近年きんねんでは代目だいめ古今ここんていこころざしなま、そして子息しそくじゅう代目だいめ金原かなはらちんせいさん代目だいめ古今ここんていちょう得意とくいネタであった。

あらすじ

柳田やなぎだかくこれしんは、生来せいらい正直しょうじきさがわざわいして主家しゅか藤堂とうどうはん[1]彦根ひこねはんとする場合ばあいもある)から放逐ほうちくされる。そのつま先立さきだたれむすめのおきぬとともに浅草あさくさ阿部あべ川町かわまち裏店うらだな逼塞ひっそくしている。今日きょうべいにもこまくらしぶりだが、そんななかにあっても武士ぶしほこりをてない実直じっちょく人柄ひとがらすこしもわることはない。かれした浅草あさくさ馬道うまみちいち丁目ちょうめ両替りょうがえしょう万屋よろずや源兵衛げんべえとともにさけわすのが、ただひとつのたのしみだった。

8がつ15にちよるかくこれしん万屋よろずやたく月見つきみうたげり、いつものようにはな座敷ざしきつ。かくこれしん帰宅きたく番頭ばんがしら徳兵衛とくべえ主人しゅじん源兵衛げんべえ最中さいちゅうあづけた50りょうはどうなりましたかとたずねる。そこで50りょう大金たいきんくなっていることにづき徳兵衛とくべえかくこれしんうたがうが、みなもと兵衛ひょうえは「あのおかたかぎってそれはない、かりにそうだとしてもなに仔細しさいがあったのだ」と、番頭ばんがしらさとす。しかし、徳兵衛とくべえ主人しゅじん内緒ないしょかくすすむたくおもむき50りょう行方ゆくえいただす。「いやしくもども武士ぶしなにゆえあってかようなうたがいをかけるか」とげきするかくこれしんたいし、徳兵衛とくべえはいずれにしても大金たいきんえたのは事実じじつだから奉行ぶぎょうしょかね紛失ふんしつとどけるという。たとえおぼえはなくとも、奉行ぶぎょうしょ調しらべをけることは不名誉ふめいよとし、かくこれしん明日あしたまでにかね支度したくをすると約束やくそくする。

かくこれしん自害じがいするつもりで、おきぬにそれとなくわかれをげるが、おきぬはみずか吉原よしわらきん工面くめんするという。そしてぬすんでない以上いじょう、いずれ50りょうつかるでしょうから、そうしたらそのかね身請みうけし、みなもと兵衛ひょうえ徳兵衛とくべえって武士ぶし体面たいめんまもってくださいとい、かくこれしん断腸だんちょうおもいでむすめってかねつくる。かくこれしんは、やってきた徳兵衛とくべえにあくまで自分じぶんぬすんでいないとねんしてかねわたし、もしつかった場合ばあいは、みなもと兵衛ひょうえ徳兵衛とくべえくびもらうとう。かねがある以上いじょうかくこれしんぬすんだと確信かくしんした徳兵衛とくべえふた返事へんじでもしきんつかったら自分じぶん主人しゅじんくびすことを約束やくそくする。

徳兵衛とくべえかえってくると主人しゅじんことのあらましを報告ほうこくする。かりかくこれしんぬすんでいたとしてもほっとけばいとかんがえていたみなもと兵衛ひょうえいかり、余計よけいなことをして柳田やなぎださま無礼ぶれいはたらいたとしかばす。そして謝罪しゃざいするべくいそいでかくすすむたくかう2人ふたりであったが、すでいえはらわれたのちだった。しばらくみなもと兵衛ひょうえかくこれしんさがすようてんものいつけるか、次第しだいわすれられとしとなった。

年末ねんまつのすすはらいで、くなった50りょうつかる。そこでみなもと兵衛ひょうえ小用しょうようさい自分じぶんかくしたことをおもし、かくこれしんもうわけないことをしたとやみ再度さいどかれさがすようてんものたち号令ごうれいした。としけて正月しょうがつの4にち徳兵衛とくべえ年始ねんしまわりのかえりに湯島天神ゆしまてんじん切通きりどおしで、なりの立派りっぱ武士ぶしからこえけられる。それは柳田やなぎだかくこれしんであり、けば、かくこれしん主家しゅかへの帰参きさんかない、いま江戸えど留守居るすいやく出世しゅっせしたのであった。徳兵衛とくべえふるえながらもかくこれしん茶屋ちゃやはいると、むせびながら50りょうつかったことをはなびる。これをいたかくこれしんはからからとわらい、明日あしたみせまいるからくびあらっててとつたえる。

徳兵衛とくべえからはなしいたみなもと兵衛ひょうえ翌日よくじつかれ無理むりそと使つかいにすと、覚悟かくごしてかくこれしんむかえる。そしてみなもと兵衛ひょうえ自分じぶんかくこれしんてを命令めいれいしたと徳兵衛とくべえかばい、くびつのは自分じぶんだけにしてしいとう。そこに主人しゅじん思惑おもわくづいていた徳兵衛とくべえがやってきてあくまで自身じしん勝手かってにやったことだとうったえる。2人ふたりのいいぶんいたかくこれしんかたなくがくびではなく碁盤ごばんふたつにる。かくこれしんかば2人ふたりなさけにたれるにれなかったとい、身請みうけした(あるいはすで身請みうけされていた)むすめとも2人ふたりゆるす。

えんかた

登場とうじょう人物じんぶつ名前なまえ主人公しゅじんこう境遇きょうぐう背景はいけいなどは演者えんじゃによって若干じゃっかん相違そういがある。

5代目だいめ古今ここんていこころざしなま古今ここんていちょうばん

  • 5代目だいめこころざしなまばんではかくこれしん来訪らいほう、まだむすめ身請みうけされていない。
  • 碁盤ごばんったのちかくこれしんはどうやって50りょう用意よういしたのかをかす。みなもと兵衛ひょうえいそいでおきぬを身請みうけし、おきぬも「父上ちちうえがよろしければわたくしはなにもうすことはございません。」と万屋よろずやゆるす。
  • 5代目だいめこころざしなまは「おや囲碁いごあらそいをしたから、むすめ娼妓しょうぎ将棋しょうぎ)になった」というサゲをつけていた[1]

金原かなはらちんせい柳家やなぎやさんたかしばん

  • うませいばんではかくこれしん来訪らいほう帰参きさん支度したくきんによってむすめすで身請みうけされている。しかし、精神せいしんふかきずい、からだほそくなって黒髪くろかみ白髪はくはつというまるで老婆ろうばのようなちで、部屋へやすみただいてばかりとなっている。
  • 最後さいご万屋よろずやたくのやりとりで事情じじょうった徳兵衛とくべえは、その必死ひっしにおきぬを看病かんびょうし、二人ふたりはいつのにかこい夫婦ふうふとなる。かくこれしん元通もとどおりに万屋よろずや交誼こうぎむすび、徳兵衛とくべえとおきぬのあいだにできた男子だんし柳田やなぎだ跡目あとめ相続そうぞくさせる。

その

  • 柳田やなぎだ碁盤ごばん場面ばめんで「番頭ばんがしらせめ主人しゅじんにあるとするならことこりはこの碁盤ごばんである」とって碁盤ごばんる、とえんじることもある。

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

出典しゅってん

  1. ^ a b c 東大とうだい落語らくごかい 1969, p. 439, 『柳田やなぎだかくこれしん』.

参考さんこう文献ぶんけん

  • 東大とうだい落語らくごかい (1969), 落語らくご事典じてん 増補ぞうほ (改訂かいていばん(1994) ed.), 青蛙あおがえるぼう, ISBN 4-7905-0576-6