出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
印刷用ページはサポート対象外です。表示エラーが発生する可能性があります。ブラウザーのブックマークを更新し、印刷にはブラウザーの印刷機能を使用してください。
さとう とうか
佐藤東華 |
---|
|
生誕 |
慶應3年 岩手県一関市東山町長坂字町63番地 |
---|
死没 |
大正12年12月16日 北海道北見市 |
---|
墓地 |
北海道北見市野付牛峠 |
---|
国籍 |
日本 |
---|
職業 |
ジャーナリスト |
---|
親 |
佐藤洞潭(さとう どうたん) |
---|
テンプレートを表示 |
佐藤東華(さとう とうか、1867年(慶應3年)- 1923年(大正12年)12月16日)は、明治・大正時代のジャーナリスト。本名は佐藤敬吉(さとうけいきち)。
生涯
猊鼻渓(岩手県一関市東山町)の観光地開発に携わった佐藤猊巌(さとうげいがん)の実弟。1916年(大正5年)「磐井(いわい)の名勝」を出版、猊鼻渓の項あり。仙臺風藻(せんだいふうそう)1912年(大正元年)9月27日出版によると、慶應3年 丁卯 生まれで、中陸新聞、仙臺新聞、秋田魁新報などの記者として従事中と記載がある。後に北海道に移住した。また、「胆振公論」(いぶりこうろん)という雑誌を発行していた。生前に、3冊の書籍を出版している。大正12年12月16日に没す。[要出典]享年57。北海道北見國野付牛峠(のっけうしとうげ)に墓がある。[要出典]野付牛は現在の北見市である。
著作等
参考文献
関連項目