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桓公(かんこう、紀元前?年 - 紀元前771年)は、鄭の初代君主。周の厲王の末子で宣王の弟。
生涯
厲王の末子として生まれる。
宣王22年(前807年)、友(以降は桓公と表記)は鄭に封ぜられた。
桓公33年(前774年)、鄭の領民はみな安堵して桓公を敬愛するようになった。そこで周の幽王は桓公を周の司徒に任命した。
桓公34年(前773年)、桓公は周王室の将来を危ぶみ、太史伯(伯陽)に相談したうえ、鄭を洛水の東に遷した。すると、虢と鄶の2国が10邑を桓公に献上してきた。
桓公36年(前771年)、幽王の失政がたたり、申后の父である申侯は犬戎[1]などを招き寄せて幽王を驪山の麓で殺害し、桓公をも殺害した。鄭の人たちは共に桓公の子である掘突(くつとつ)を立てて鄭君(武公)とした。
鄭の桓公を主人公とした作品
脚注
- ^ 西の異民族。
参考資料