アシエント

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カディス地図ちず(1662ねん
サン・フアン・デ・ウルア、メキシコにあるスペインの城塞じょうさい(2008ねん
サン・フェリペ、コロンビアにあるスペインの城塞じょうさい

アシエントスペイン:asiento)は、スペインで「契約けいやく」を意味いみする歴史れきし用語ようごで、王室おうしつがある特定とくてい個人こじん団体だんたい徴税ちょうぜい貿易ぼうえきなどの独占どくせんけんあたえることを意味いみした。日本語にほんごで「アシエント」という単語たんごもちいられるさいには、16世紀せいきから18世紀せいきなかばにかけてスペイン国王こくおう特定とくてい個人こじん会社かいしゃわした黒人こくじん奴隷どれい供給きょうきゅう契約けいやくすことがおおい。

アシエントの一般いっぱんてき仕組しく[編集へんしゅう]

16世紀せいき以降いこうスペイン国王こくおうは、ヨーロッパ各地かくちでの戦争せんそう遂行すいこうするために、膨大ぼうだい資金しきん必要ひつようとしていた。しかし、この資金しきん通常つうじょう税収ぜいしゅうではまかないきれず、商人しょうにんたちからの前借まえがりに依存いぞんすることがおおかった。たとえば、フランドル地方ちほうオランダなどの独立どくりつ戦争せんそうきると、スペイン国王こくおうぐんへの給与きゅうよ支払しはらいなどの出費しゅっぴ余儀よぎなくされた。そこで、スペイン国王こくおう契約けいやくした商人しょうにんグループが資金しきん調達ちょうたつし、それをフランドル地方ちほうとどけることと引換ひきかえに、将来しょうらい国家こっか収入しゅうにゅうから利息りそくをつけた返済へんさいをうけることをめたのが、もともとのアシエントである。このアシエントの返済へんさいには、特定とくてい税源ぜいげんてられることがおおく、しかもぜい徴収ちょうしゅうそのものが商人しょうにんグループに委託いたくされる傾向けいこうがあった。

黒人こくじん奴隷どれいアシエントの仕組しく[編集へんしゅう]

黒人こくじん奴隷どれいアシエントはこうしたスペイン王室おうしつ資金しきん調達ちょうたつ手法しゅほうのヴァリエーションだとかんがえられる。この場合ばあい、ある商人しょうにんグループが、王室おうしつたいして、一定いってい資金しきん前渡まえわたしする。引換ひきかえとして、かれらはアフリカから新大陸しんたいりくいち定数ていすう黒人こくじん奴隷どれい輸送ゆそうして販売はんばいする権利けんり独占どくせんてき獲得かくとくする。したがって、奴隷どれい売却ばいきゃくがくから、奴隷どれい貿易ぼうえき必要ひつようなコスト(輸送ゆそうりょう奴隷どれい購入こうにゅう資金しきん)と王室おうしつへの前渡金ぜんときんがく、さらには奴隷どれい取引とりひきにかかる税金ぜいきん手数料てすうりょういたがくが、商人しょうにん集団しゅうだん収益しゅうえきになった。

黒人こくじん奴隷どれいアシエントの歴史れきしてき展開てんかい[編集へんしゅう]

はじめはスペインじんポルトガルじん個人こじん集団しゅうだんとしてスペイン国王こくおう契約けいやくし、17世紀せいき後半こうはんにはジェノヴァじんオランダじん参加さんかするようになった。1701ねんからはフランスのギニア会社かいしゃ契約けいやくむすばれた。

1713ねんユトレヒト条約じょうやくむすばれるとイギリス南海なんかい会社かいしゃ契約けいやくし、年間ねんかん4800にん奴隷どれいふね1せきぶん商品しょうひん(500トン)を新大陸しんたいりく供給きょうきゅうする権利けんり獲得かくとくした。この契約けいやく当初とうしょ会社かいしゃ莫大ばくだい利潤りじゅんがもたらすとかんがえられていたが、予想よそうしたほどの利益りえきげることができなかったため、1750ねんにこの契約けいやく放棄ほうきされた。

そのは、カディス黒人こくじん会社かいしゃが1765ねんから1779ねん契約けいやくをおこなったが、供給きょうきゅうりょう年間ねんかん1000にん以下いかみ、これ以降いこう契約けいやくはおこなわれていない。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]