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アドルフ・サックス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アドルフ・サックス
2002ねんまでもちいられていた200ベルギー・フランの肖像しょうぞう

アントワーヌ・ジョゼフ・アドルフ・サックスAntoine Joseph Adolphe Sax, 1814ねん11月6にち - 1894ねん2がつ4にち)は、ベルギー楽器がっき製造せいぞうしゃサクソフォーン(Saxophone)やサクソルン(Saxhorn)などの管楽器かんがっき考案こうあんし、制作せいさくしたことでられる。

かつてベルギーで発行はっこうされていた200フラン紙幣しへい肖像しょうぞう使用しようされていた。

生涯しょうがい業績ぎょうせき

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アドルフ・サックスはベルギーのディナンまれた[1]ちちシャルル=ジョセフ(en:Charles-Joseph Sax)もまた楽器がっき製作せいさくしゃであり、ホルンの設計せっけい功績こうせきのこしている。アドルフ自身じしんはや時期じきから楽器がっき製作せいさくみ、15さいときには、コンペティションにフルートとクラリネットを出展しゅってんし、入賞にゅうしょうたしている。

ブリュッセル楽器がっき製作せいさくまなんだのち本格ほんかくてき楽器がっき製作せいさくはじめた。20さいときには、バスクラリネット設計せっけい特許とっきょ取得しゅとくした。

1841ねんには永住えいじゅうとなるパリに移住いじゅうし、バルブ機構きこうきの金管楽器きんかんがっき開発かいはつられるようになった。1844ねんには、のちサクソルンとしてられるようになる、キーきのビューグル展覧てんらんかい出展しゅってんした。この楽器がっきそれ自体じたいかれ発明はつめいによるものではなかったが、かれのライバルたちによるものよりもすぐれたものだった。このサクソルンには7種類しゅるいかんがあり、ユーフォニアムとよく外見がいけんっており、のちにはフリューゲルホルン発明はつめいみちひらくものだった。かれはまた、1845ねんにサクソトロンバ(saxotromba)という金管楽器きんかんがっき発明はつめいしたが、こちらはごく短命たんめいわった。

この1840年代ねんだいには、かれもっともよくらしめているサクソフォーンの発明はつめいおこなわれている。サクソフォーンのもととなる発明はつめい特許とっきょ1838ねん取得しゅとくされていたが、楽器がっきについての特許とっきょ取得しゅとくされたのは1846ねんのことであり、そのころにはソプラノ・サクソフォーンからバス・サクソフォーンまでの、今日きょうつらなるサクソフォーンぞく開発かいはつされていた。

サックスは、生涯しょうがいつうじて楽器がっき製作せいさくパリ音楽おんがくいんでのサクソフォーン教育きょういくたずさわった。しかし、かれのライバルの楽器がっきせい作業さぎょうしゃたちは、サックスの特許とっきょ正当せいとうせいかえ攻撃こうげきくわえ、サックスとかれ会社かいしゃたいして長期ちょうきにわたる訴訟そしょう仕掛しかけてきたために、21856ねんおよび1873ねん)にわたって破産はさんうことになった。ながきにわたる法廷ほうてい闘争とうそうはサックスの健康けんこうそこね、1853ねん1858ねんの2にわたってがんのために入院にゅういん余儀よぎなくされた。ちなみにすうじゅうねんのち、パリ音楽おんがくいん教授きょうじゅしょく後任こうにんマルセル・ミュール就任しゅうにんし、サクソフォーンの地位ちい飛躍ひやくてき向上こうじょうすることとなる。

1894ねん、パリにて死去しきょモンマルトル墓地ぼち埋葬まいそうされた。

1936ねん12月15にちにベルギーの天文学てんもんがくしゃウジェーヌ・デルポルト発見はっけんした小惑星しょうわくせい番号ばんごう3534の小惑星しょうわくせいは、かれ業績ぎょうせきとなえてサックス (Sax) と命名めいめいされた[2]

文献ぶんけん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 松尾まつお秀哉ひでや物語ものがたり ベルギーの歴史れきし ヨーロッパの十字路じゅうじろ中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2014ねん、85ぺーじISBN 978-4-12-102279-0 
  2. ^ (3534) Sax = 1936XA”. MPC. 2019ねん10がつ30にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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