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アブシール

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Busiri
ヒエログリフ表示ひょうじ
pr
Z1
stirA40

アブシール(Abusir、エジプト: pr wsjrコプト: ⲃⲟⲩⲥⲓⲣⲓ (busiri)、ギリシア: Βούσιριςアラビア: ابوصير‎)はエジプト考古こうこ遺跡いせき地名ちめいで、「オシリスいえまたは神殿しんでん」を意味いみする。エジプト王国おうこくネクロポリスがあり、後世こうせい遺跡いせき追加ついかされている。カイロ近郊きんこうにある。隣接りんせつするナイルがわ河畔かはんむらおな名称めいしょうである。サッカラからすうキロメートルきたにあり、サッカラと同様どうよう古代こだいエジプトの首都しゅとメンフィス高級こうきゅう役人やくにん墓地ぼちとしても使つかわれた。エジプトにはほかにもアブシールまたはブシリとばれるむらがある。

アブシールは、ギーザ北部ほくぶからサッカラ以南いなんまで南北なんぼくつづ広大こうだいな「ピラミッド平原へいげん」のなかでは比較的ひかくてきせま区域くいきだが、王国おうこくだい5王朝おうちょう時代じだい首都しゅとだったメンフィスの西にし名誉めいよある葬送そうそう儀礼ぎれい中心ちゅうしんとして使つかわれた。隣接りんせつするギーザエジプトだい4王朝おうちょう巨大きょだいピラミッドなどの記念きねんてたため「いっぱい」になり、エジプトだい5王朝おうちょうのファラオは埋葬まいそう記念きねんてるあらたな場所ばしょさが必要ひつようがあった。

アブシールからは王国おうこく時代じだいパピルスであるアブシール・パピルス (en) が大量たいりょうつかっている。19世紀せいき後半こうはん西洋せいようのいくつかの博物館はくぶつかんネフェルイルカラー・カカイおう埋葬まいそうかんする記録きろく文書ぶんしょ(パピルス)の断片だんぺんをコレクションにくわえた。20世紀せいき後半こうはんにはチェコの調査ちょうさたいネフェルエフラーとそのはは Khentkaus II の2つのピラミッドふく合体がったい発掘はっくつ調査ちょうさで、さらにパピルスを発見はっけんしている。

古代こだい都市としブシリス (Busiris) のちかくには多数たすう地下ちか墓地ぼちがある[1]。ブシリスからみなみ平原へいげん広大こうだい墓地ぼちひろがっている。

ネクロポリス

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アブシールのネクロポリスの地図ちず

アブシールには全部ぜんぶで14のピラミッドがあり、だい5王朝おうちょう王室おうしつおもなネクロポリスとして使つかわれていたことをしめしている。アブシールのピラミッドはだい4王朝おうちょうのものにくらべると粗雑そざつつくりであり、王権おうけん低下ていかまたは国家こっか経済けいざいりょく低下ていかしめしているともわれている。おおきさのめんでもぜん王朝おうちょうよりちいさく、品質ひんしつひくちかじょういし使つかっている。

なかでも有名ゆうめいなピラミッドは、もっと状態じょうたいのよいニウセルラーのピラミッド、ネフェルイルカラー・カカイのピラミッド、サフラーのピラミッドである。また、ネフェルエフラーのピラミッドは未完成みかんせいである。アブシールのおもなピラミッドはすべ階段かいだんピラミッドとして建設けんせつされた。最大さいだいのネフェルイルカラーのピラミッドも元々もともとたかやく70メートルの階段かいだんピラミッドとして建設けんせつされたが、あとから大雑把おおざっぱいしして「しんの」ピラミッドに転換てんかんされたとられている。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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  1. ^ だいプリニウス、『博物はくぶつだい36かん、12. s. 16

外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい2954ふん 東経とうけい3112ふん / 北緯ほくい29.900 東経とうけい31.200 / 29.900; 31.200