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オシリス

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オシリス
Osiris
冥界めいかいかみ
ヒエログリフ表記ひょうき
Q1
D4
A40
信仰しんこう中心地ちゅうしんち タップ・オシリス・マグナ神殿しんでん
シンボル ヘカつえ、ネケクしゃく
配偶はいぐうしん イシス
おや ゲブヌト
兄弟きょうだい イシスセトネフティス
子供こども ホルス
テンプレートを表示ひょうじ
パピルスせい巻物まきものかれたエジプトの死者ししゃしょオシリス姿すがた
ハトシェプスト女王じょおうそう祭殿さいでんのオシリスばしら

オシリス(Osiris)は、エジプト神話しんわにおける冥界めいかいかみヘリオポリスきゅうはしらしんかぞえられる。

概要がいよう

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大地だいちかみゲブちちに、天空てんくう女神めがみヌトははつ。はしらあいだまれたよんはしらかみ々の長兄ちょうけいであり、豊穣ほうじょう女神めがみイシスたたかいのかみセト葬祭そうさい女神めがみネフティス弟妹ていまいにあたる。配偶はいぐうしんはイシスであり、彼女かのじょとのあいだ天空てんくうかみホルスした。 ながしろ衣装いしょうをまとい、うえエジプトの王冠おうかんをかぶり[1]からだミイラとして包帯ほうたいかれて王座おうざすわ男性だんせい姿すがたえがかれる。

名称めいしょう

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オシリス(オシーリス)とはギリシャみで、オフェアリスとも。エジプトではAsar(アサル)、Aser(アセル)Ausar(アウサル)、Ausir(アウシル)、Wesir(ウェシル)、Usir(ウシル)、Usire、Ausareとぶ。

神性しんせい

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信仰しんこう隆盛りゅうせい初期しょきにおけるオシリスしんは、冥界めいかいかみではなく、植物しょくぶつ再生さいせい神格しんかくした存在そんざいすなわち植物しょくぶつかみであったとされる。 毎年まいとしのようにおこなわれる植物しょくぶつ再生さいせいはエジプトの農事のうじれき合致がっちしており、その象徴しょうちょうとされた。 土地とち乾燥かんそうし、ナイルがわ氾濫はんらんがすると灌漑かんがいよう運河うんがつたい、ナイルのみずてた土地とちかれ、植物しょくぶつ再生さいせいする。これは、のちひろまるオシリス信仰しんこう代表だいひょうてき神話しんわ「オシリスとイシスの伝説でんせつ」における、オシリスしん復活ふっかつ内容ないよう一致いっちしている。

つにつれて、「オシリスとイシスの伝説でんせつ」はエジプトでひろしたしまれるようになり、オシリスしん冥界めいかい神聖しんせい裁判官さいばんかんおうとしての性格せいかくつようになった。 また、あくたいする勝利しょうり象徴しょうちょう植物しょくぶつかみとしてのたいする象徴しょうちょうとしてもあつかわれた。

オシリス信仰しんこう

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オシリスは、エジプトだい5王朝おうちょう末期まっきウナスおう時代じだい重要じゅうようかみとして登場とうじょうし、以後いごおう復活ふっかつにかかわる重要じゅうようかみとしてエジプトの葬祭そうさい儀式ぎしきでの重要じゅうようせいしていく。

古代こだいエジプトのはか遺跡いせきかれ肖像しょうぞうえがかれたり、その名前なまえ記録きろくされているのは、そのためであり、当時とうじ人々ひとびと死生しせいかんかれ存在そんざいおおきく影響えいきょうしていたことのあらわれである。

王国おうこく時代じだい

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おうだけが死後しご、オシリスとなることができたため、ピラミッド・テキストなかのオシリスにかんする項目こうもくには、おう個人こじんてき復活ふっかつのことだけがしるされている。オシリス信仰しんこうは、太陽たいよう信仰しんこう同様どうように、最初さいしょおう復活ふっかつたすけるためのものであった。太陽たいようしんラーがきているものかみであり、オシリスが死者ししゃかみであるというこそあるが、ふたつの信仰しんこうあいだには共通きょうつうするものがおおくあった。

どちらも克服こくふくするちから象徴しょうちょうし、そのいずれもが自然しぜんかいられる生命せいめい再生さいせいのサイクルを反映はんえいしていた。オシリス信仰しんこう王国おうこく時代じだいにおいてもさかんであり、ラーしん神官しんかんたちのちから対抗たいこうするために、おう支持しじけていたものとかんがえられる。さいしておうはオシリスとなり、その後継こうけいしゃは、オシリスの息子むすこでありちちてきったホルスとなった。オシリスは冥界めいかいおうであったが、きているもの生活せいかつにはかかわりをたなかったため、かみ々の信仰しんこう直接的ちょくせつてきさまたげとなることはなかった。そしてこの性格せいかくによりオシリスは、社会しゃかいのあらゆる階層かいそう人々ひとびときつけることができた。[1]

だい11王朝おうちょう以降いこうのオシリス信仰しんこう

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アビュドスのセティI葬祭そうさい殿どのは、この地域ちいき宗教しゅうきょうてき伝統でんとうしたがって建造けんぞうされたものであった。アビュドスにたいする関心かんしんひろまったのは、ヘリオポリスや太陽たいよう信仰しんこう王家おうけとの関係かんけいちたいとねがっていただい11王朝おうちょうおうたちのちからによるところがおおきく、この時代じだいからずっと、アビュドスはとく葬送そうそう信仰しんこうとの関係かんけいにおいて、エジプトにおける熱烈ねつれつ宗教しゅうきょう中心ちゅうしんとなった。セティI葬祭そうさい殿どのにあるようなオシリスに特別とくべつささげられた一連いちれん部屋へやのようなものはではられないが、資料しりょうからても、オシリスの再生さいせい、そしてかれ死者ししゃおうとなったことをいわうコイアクさいにおいて、ジェドばしらてる儀式ぎしきが、この祭礼さいれい頂点ちょうてんをなすものであったことがられている。プトレマイオスあさ時代じだいになると、この祭礼さいれいやく18日間にちかんにわたってエジプト全土ぜんど主要しゅよう都市としにおいておこなわれていたことが判明はんめいしている。

神官しんかんたちは、オシリスのなまげきとしてえんじ、また、けるおうがオシリスの後継こうけいしゃであるホルスの化身けしんとして玉座ぎょくざくのをいわうことによって、ナイルがわ氾濫はんらん植物しょくぶつ成育せいいく、そして国土こくど豊作ほうさく祈願きがんしたのであった。

こうした儀式ぎしきは、王位おうい継承けいしょう戴冠たいかんしき、セドさい(王位おうい更新こうしんさい)などと密接みっせつ関係かんけいち、オシリス信仰しんこうは、王家おうけ権力けんりょく確立かくりつ維持いじしていくうえ重要じゅうよう役割やくわりになうようになった。しかし、オシリス信仰しんこうひろ一般いっぱん人気にんきがあったのは、オシリスがかれしんずるすべてのもの永遠えいえん生命せいめいあたえるちからっていたからである。オシリスは冥界めいかい君臨くんりんしており、人々ひとびと死後しごかれ王国おうこくである冥界めいかいれられるためには、まずただしい埋葬まいそう手続てつづき供物くもつ用意よういしなければならなかったが、かみさばきを無事ぶじ通過つうかすることが、一層いっそう重要じゅうようなこととなった。

この時代じだいになると、古代こだいエジプトじんたちは、死後しご、オシリス自身じしん経験けいけんしたと同様どうように、42にんかみ々から裁判官さいばんかんたちのまえさばきをけなければならないとしんずるようになる。そこでは、トトに弁護べんごされてつみ否定ひてい告白こくはくをすることにより、死者ししゃたましい潔白けっぱく証明しょうめいするものとかんがえられ、また、裁判官さいばんかんいちにんひとりのび、生前せいぜん大罪だいざいおかしていないことを宣言せんげんした。ときには、魔法まほう呪文じゅもんちからによって、そして最終さいしゅうてきには、オシリスを信仰しんこうただしい倫理りんりしたがって生活せいかつしていれば、社会しゃかいのどの階級かいきゅう人々ひとびと死後しご復活ふっかつられるということになった。オシリス自身じしん人間にんげんおうであったとしんじられており、かれ殺害さつがいされ、その遺骸いがいをばらばらにされたのち復活ふっかつしたからである。[1]

アビュドスとオシレイオン

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アビュドスがオシリス信仰しんこう中心ちゅうしんとしてさかえていたことはたしかであるが、このがオシリス信仰しんこう発祥はっしょうであるかどうかはあきらかではない。だが、古代こだいエジプトじんにとって、もっと重要じゅうようなのは、アビュドスにオシリスの遺体いたい埋葬まいそうされた、という信仰しんこうであった。

アビュドスのセティIによって建立こんりゅうされただい19王朝おうちょう神殿しんでんのすぐ裏手うらてに、非常ひじょう独特どくとくで、その目的もくてきあきらかでない建物たてものがある。今日きょう、「オシレイオン」としてられているこの建物たてものは、古代こだいにおいては、オシリスの埋葬まいそう記念きねんしててられたものとかんがえられていた。

セティI葬祭そうさい殿どのいくつかのふる神殿しんでんうえてられたものであるが、現在げんざいでも非常ひじょう保存ほぞんされているこの建物たてもの内部ないぶうしろの部分ぶぶんにあたるオシレイオンと丁度ちょうどならぶようなかたちで、一連いちれん興味深きょうみぶか部屋へやられる。これらの部屋へや壁画へきがには、ジェドばしらてる儀式ぎしき様子ようすえがかれているが、これはおそらく祭礼さいれいのクライマックスであり、この儀式ぎしきともにオシリスが復活ふっかつするとしんじられていた。この神殿しんでんない聖域せいいきで、としいち儀式ぎしきおこなわれていたとおもわれる。

現存げんそんする神話しんわ資料しりょう

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宗教しゅうきょうテキストにはこのかみかんする記載きさいおおいものの、エジプトに現存げんそんするオシリス神話しんわというのは、いまだに発見はっけんされていない。こうした古文書こもんじょ発見はっけんされる可能かのうせいはあるが、この神話しんわ口承こうしょうによってかたがれてきた可能かのうせいたかい。

もっとふる完全かんぜんかたち神話しんわは、ギリシャかれ保存ほぞんされていたプルタルコスによるもので、かなり時代じだいになってからしるされたものである。

この神話しんわは、ギリシャてき形式けいしきをとってかれているので、これが初期しょきのエジプトのものとどれほど類似るいじしているかはあきらかでない。古代こだいエジプトの碑文ひぶんなかには、オシリスにかんする資料しりょう提供ていきょうしているものがふたつほどある。

このかみ役割やくわりべている最古さいこ資料しりょうは、王国おうこく時代じだいのビラミッド・テキストである。また、神殿しんでん壁面へきめんえがかれたレリーフやしるべぶんには、エジプト全土ぜんどのオシリス信仰しんこう中心ちゅうしんにおいて、毎年まいとし、オシリスをたたえておこなわれた祭礼さいれい様子ようす描写びょうしゃされている。しかし、これらは、しん王国おうこく時代じだいやグレコ・ローマン時代じだいのものである。[1]

これらの資料しりょうとはべつに、現在げんざいベルリン博物館はくぶつかん収蔵しゅうぞうされているイケルネフェルトのステラにしるされている碑文ひぶんが、この信仰しんこうべつ側面そくめん説明せつめいしてくれている。センウセレトⅢせい治世ちせい中心ちゅうしんてき財務ざいむかんであったイケルネフェルトは、オシリス信仰しんこう再編さいへんし、神殿しんでん品々しなじなそなえるためにアビュドスに派遣はけんされた。

かれは、オシリスのなま記念きねんするために神官しんかんたちがえんずる神秘しんぴげきに、どのようにしてみずからが参加さんかしたかをべている。こうしたげきは、アビュドスにおいてだい12王朝おうちょう以降いこう毎年まいとし上演じょうえんされ、氾濫はんらん最後さいごつき祭礼さいれい一部いちぶをなしていた。これは、神官しんかんたちだけでなく、おおくの一般いっぱん人々ひとびとにとって大変たいへんたのしい祭礼さいれいであり、アビュドスにおけるこのかみ復活ふっかつげき参加さんかするため、人々ひとびと遠隔えんかくからやってた。

こうした巡礼じゅんれい人々ひとびとは、この祭礼さいれい重要じゅうよう役割やくわりえんずるかみちなんで、「トトしんしたがものたち」としてられていた。かれらは、神殿しんでんそとおこなわれたいくつかの祭礼さいれいることができた。しかし、オシリスとかれしたがものたちの復活ふっかつ約束やくそくするもっと神聖しんせい儀式ぎしきは、神殿しんでんおく神官しんかんたちによってひそかにおこなわれた。ナイルがわ氾濫はんらん植物しょくぶつ再生さいせいは、オシリスとんでオシリスとなったおうたちの勝利しょうり象徴しょうちょうしていた。[1]

オシリスとイシスとホルス

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ヘリオポリス神話しんわによれば穀物こくもつかみとして、またエジプトのおうとして同国どうこく君臨くんりんし、トト手助てだすけをけながらみん小麦こむぎ栽培さいばいほうやパンおよびワインのつくかたおしえ、法律ほうりつつくってひろめることにより人々ひとびと絶大ぜつだい支持しじたが、これをねたんだおとうとのセトに謀殺ぼうさつされた。さらにこのさい遺体いたいは、ばらばらにされてナイルがわまれたが、つまでありいもうとでもあるイシスとアヌビスによって、さかなべられた男根だんこんのぞからだ各部かくぶひろあつめられ、ミイラとして復活ふっかつする。その一方いっぽう自身じしん遺児いじホルスをイシスをつうじて後見こうけんし、セトにうばわれた王位おうい奪還だっかんさせ、ホルスに継承けいしょうさせた。 これ以降いこう現世げんせいをホルスがおさめ、自身じしんは、冥界めいかい楽園らくえんであるアアルおうとして君臨くんりんし、死者ししゃさばくこととなった。 ただし、この神話しんわはエジプトじん自身じしん記述きじゅつではなく、ギリシアの哲学てつがくしゃプルタルコスによる「イシスとオシリスについて」にもとづくものである。オシリスの偉業いぎょう武力ぶりょくによらずエジプトと近隣きんりん国家こっか平和へいわてき平定へいていし、産業さんぎょうひろめた古代こだいシリアおうをモデルにしているとされる。かみ復活ふっかつのモチーフは、各地かくち神話しんわにおいてふゆ植物しょくぶつ枯死こしはるあらたな芽生めばえを象徴しょうちょうしており、オシリスにも植物しょくぶつしん(もしくは農耕のうこうしん)としてのめんがあるとられる。みぎにあるようにはだ緑色みどりいろなのは植物しょくぶついろ象徴しょうちょうしているからだといわれる。

他国たこくにおけるオシリス信仰しんこう習合しゅうごう

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他国たこくにおけるオシリス信仰しんこう
オシリスはギリシャローマ世界せかいではセラピスとしてイシスハルポクラテスとともに信仰しんこうされた。
習合しゅうごう
オシリスは植物しょくぶつかかわりふかかみであり、それが影響えいきょうし、先王せんおうあさ時代じだいにはあつ崇拝すうはいされていたミンという豊穣ほうじょうくにゆたかさをつかさどかみ習合しゅうごうした。そのため、オシリスのつまイシスはミンのつまでもあるという関係かんけいまれた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e Kodai ejiputojin. David, Ann Rosalie., Kondō, Jirō, 1951-, 近藤こんどう, 二郎じろう, 1951-. 筑摩書房ちくましょぼう. (1986). ISBN 4-480-85307-3. OCLC 673002815. https://www.worldcat.org/oclc/673002815 

関連かんれん項目こうもく

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エジプト神話しんわ

同一どういつされたかみ

  • サフ同一どういつされたかみ
  • ミン…オシリスと習合しゅうごうした豊穣ほうじょうかみ

ほし