(Translated by https://www.hiragana.jp/)
汎神論 - Wikipedia コンテンツにスキップ

汎神論はんしんろん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

汎神論はんしんろん(はんしんろん、えい: pantheism)またはまん有神論ゆうしんろんとは、現実げんじつ神性しんせい同一どういつである[1]、あるいは、すべてのものはすべてを包含ほうがんする内在ないざいてきかみ構成こうせいしているという信条しんじょう[2]かみ擬人ぎじんした人格じんかくしんみとめず[3]一切いっさいすべてをかみ同一どういつする神学しんがくてき宗教しゅうきょうてき哲学てつがくてき立場たちば[4]創造そうぞうしゃかみてき存在そんざい)と造物ぞうぶつ世界せかい自然しぜん)とに断絶だんぜつかない立場たちばであり[5]、「いちにしてぜん(ヘン・カイ・パン)」、「梵我一如いちにょ(ぼんがいちにょ)」、「かみそく自然しぜん」などが標語ひょうごとして使つかわれる[6]すべては創造そうぞうしゃによって創造そうぞうされた ―― すなわち、「世界せかい」は「世界せかいそとにあるかみ」によって創造そうぞうされたとするのが有神論ゆうしんろんだが、汎神論はんしんろんはそのような対立たいりつ否定ひていし、すべては創造そうぞうしゃあらわれである、または、すべては創造そうぞうしゃうちふくんでいる、と実体じったい一元論いちげんろんてきなす[6][7]。「かみ」のみが実在じつざいしており、「世界せかい」はかみ流出りゅうしゅつ表現ひょうげん展開てんかいにすぎない、とれば世界せかいろんつうじるが、「世界せかい」のみが実在じつざいしており、「かみ」は世界せかい総和そうわにすぎない、とればかみろん唯物ゆいぶつろんつうじる[8][5]

宗教しゅうきょう哲学てつがくでは汎神論はんしんろん有神論ゆうしんろんてき一神教いっしんきょういち形態けいたい定義ていぎされている[9]汎神論はんしんろんしゃ自称じしょうする自然しぜん神秘しんぴ主義しゅぎしゃたちは、「自然しぜん」をスピノザや汎神論はんしんろんしゃ自然しぜん法則ほうそくとう説明せつめいするさい使つかっていたひろ意味いみでの「自然しぜん」とはことなる意味いみ使つかうことでみずからの信仰しんこう汎神論はんしんろんだと混同こんどうするようになった[10][11]汎神論はんしんろんしゃによる崇拝すうはい礼拝れいはいいのり)は自分じぶんよりすぐれた人格じんかくてき存在そんざいけられるため適切てきせつでないとかんがえられている[12]

定義ていぎ

[編集へんしゅう]

汎神論はんしんろんとは、すべてのものはすべてを包含ほうがんする内在ないざいてきかみ一部いちぶであるという見解けんかいである[13]現実げんじつのすべての形態けいたいは、その存在そんざい様式ようしきであるか、またはそれと同一どういつであるとかんがえられる[14]汎神論はんしんろんとは、宇宙うちゅう(すべての存在そんざい総体そうたいという意味いみで)とかみ同一どういつであるという見解けんかいであり、かみ人格じんかくや(れいたましいとう)超越ちょうえつせい否定ひていみちびかれる[10]

汎神論はんしんろん有神論ゆうしんろんてき一神教いっしんきょういち形態けいたいであり、人格じんかくてき有神論ゆうしんろん定義ていぎできる。汎神論はんしんろんしゃ唯一ゆいいつかみすべてをふく統一とういつたい同一どういつかみへの信仰しんこうをもつが、かみ人格じんかくがある、またはひとのようなものだとはしんじていない[9]

宗教しゅうきょう哲学てつがくでは人格じんかくしん世界せかい存在そんざいひとつとしてかんがえる。世界せかいにおける存在そんざいすうがNなら、人格じんかくしん以外いがい存在そんざいかずはN-1である。人格じんかくしん以外いがい存在そんざいかずはNのままである。したがって人格じんかくしん独立どくりつした存在そんざいけいれることができない[15][注釈ちゅうしゃく 1]

バールーフ・デ・スピノザの汎神論はんしんろん

[編集へんしゅう]

スピノザの汎神論はんしんろんはデカルトの「res extensa」(ラテン語らてんごで「拡張かくちょうするもの」)の概念がいねん基本きほんてき合意ごういする[17]

  • 存在そんざいしない特定とくてい事物じぶつ様式ようしき観念かんねんは、特定とくてい事物じぶつ様式ようしき形式けいしきてき本質ほんしつかみ属性ぞくせいふくまれているのと同様どうように、かみ無限むげん観念かんねん包含ほうがんされなければならない。『倫理りんりがくいちかん命題めいだいVIII[18]
  • かみひとつであり宇宙うちゅうにはひとつの物質ぶっしつしかみとめられず、その物質ぶっしつはすでにしめしたように絶対ぜったいてき無限むげんである。『倫理りんりがくいちかん一部いちぶ命題めいだいXIVろん1[19]
  • 存在そんざいするだけでなく、特定とくてい方法ほうほう存在そんざいし、作用さようするというかみ性質せいしつ必然ひつぜんせいによって、万物ばんぶつ条件付じょうけんづけられており、偶発ぐうはつてきなものはなにもない。『倫理りんりがくいちかん一部いちぶ命題めいだいXXIX証明しょうめい[20]

スピノザが証明しょうめいした命題めいだい定義ていぎによると宇宙うちゅう無限むげん決定けっていろんてき偶発ぐうはつてき)である。

分類ぶんるい

[編集へんしゅう]

汎神論はんしんろん分類ぶんるいするには決定けっていろん強弱きょうじゃく信仰しんこう度合どあい、一元論いちげんろん形態けいたいなければならない。

決定けっていろん

[編集へんしゅう]

哲学てつがくしゃのチャールズ・ハーツホーンは、スピノザやストアなどの決定けっていろんてき哲学てつがくを「古典こてんてき汎神論はんしんろん」という用語ようご表現ひょうげんした。汎神論はんしんろん(すべてはかみなり)は、しばしば一元論いちげんろん(すべてはひとつなり)と関連かんれんしており、論理ろんりてきには決定けっていろん(すべてはいまなり)を意味いみするとする意見いけんもある[21][22][23][24]。このようなかたち汎神論はんしんろんは「極端きょくたん一元論いちげんろん」とばれており、ある解説かいせつしゃ言葉ことばりれば『我々われわれ想定そうていされる決定けっていふくめてかみがすべてを決定けっていしている』ということになる[25]

決定けっていろんかたむいた汎神論はんしんろんほかれいとしては、ラルフ・ウォルドー・エマーソン[26] やヘーゲルのものがある[27]

決定けっていろん量子りょうし物理ぶつりがくにおいてアインシュタインとニールス・ボーアのあいだおこなわれた有名ゆうめいなボーア・アインシュタイン論争ろんそうのテーマともなった。いちれいとして優先ゆうせんてき一元論いちげんろんには以下いかのような命題めいだいがある[28]

  1. 全体ぜんたいが(量子りょうしもつれによる)創発そうはつてき性質せいしつっている。
  2. 全体ぜんたい創発そうはつてき性質せいしつっているなら、全体ぜんたい部分ぶぶんよりもさきにある。
  3. 全体ぜんたい部分ぶぶん先行せんこうする。

優先ゆうせんてき一元論いちげんろん以下いか項目こうもく定義ていぎする。

信仰しんこう

[編集へんしゅう]

汎神論はんしんろんには宗教しゅうきょうてきなものと、哲学てつがくてきなものの2種類しゅるいがあるとかんがえられている。コロンビア百科ひゃっか事典じてんは、この区別くべつについてこういている。

汎神論はんしんろんしゃが、永遠えいえんにして無限むげんである唯一ゆいいつ偉大いだい現実げんじつかみであるという信念しんねんから出発しゅっぱつするならば、有限ゆうげん一時いちじてきなすべてのものはかみ一部いちぶぎない。かみから分離ぶんりしたものはなにもなく、かみ宇宙うちゅうであるからだ。一方いっぽうおおいなる包括ほうかつてき統一とういつたい世界せかいそのもの、すなわち宇宙うちゅうであるというかんがえをシステムの基礎きそとした場合ばあいかみはその統一とういつたいまれており、それは自然しぜんばれるかもしれない[29]

すべてをふく包括ほうかつてき統一とういつたい同一どういつかみ存在そんざい(あるしゅ唯一ゆいいつかみ[9])をしんじていたとしても、汎神論はんしんろんしゃ礼拝れいはいいのささげることは汎神論はんしんろんにそぐわないとされている。崇拝すうはい対象たいしょう意識いしき人格じんかく上位じょうい存在そんざいへと一般いっぱんてき収束しゅうそくしてしまうため、崇拝すうはい行為こうい汎神論はんしんろんしゃにとってれがたい宗教しゅうきょうてき実践じっせんであるとかんがえられている[12]

一元論いちげんろん形態けいたい

[編集へんしゅう]
中立ちゅうりつ一元論いちげんろんをデカルトてき二元論にげんろん物理ぶつり主義しゅぎ観念論かんねんろん比較ひかくした

哲学てつがくしゃ神学しんがくしゃ汎神論はんしんろん一元論いちげんろんいち形態けいたいとすることがある[30]ことなるタイプの一元論いちげんろんにはつぎのようなものがある[31][32]

  1. 実体じったい一元論いちげんろん(substance monism)、 「かけじょう複数ふくすう実体じったいは、単一たんいつ実体じったいことなる状態じょうたいまたは外観がいかんによるものであるとする見解けんかい[31]。(汎神論はんしんろん唯物ゆいぶつろんもちいられる[33])。
  2. 属性ぞくせいてき一元論いちげんろん、「物質ぶっしつかずなにであれ、それらは単一たんいつ究極きゅうきょくてき種類しゅるいであるという見解けんかい[31]
  3. 部分ぶぶんてき一元論いちげんろん、「ある存在そんざい領域りょういきなかで(どんなにおおくても)物質ぶっしつひとつだけである」[31]
  4. 存在そんざい一元論いちげんろん、「具体ぐたいてき対象たいしょうとなるトークンひとつだけである」という見解けんかいザ・ワンまたはモナド)。[28]
  5. 優先ゆうせんてき一元論いちげんろん:「全体ぜんたい部分ぶぶん先行せんこうする」「世界せかいには部分ぶぶんがあるが、部分ぶぶん統合とうごうされた全体ぜんたい依存いぞんてき断片だんぺんである」[32]一神教いっしんきょうもちいられる。(不動ふどうどうしゃ宇宙うちゅうろんてき証明しょうめい)
  6. 性質せいしつ一元論いちげんろん:「すべての性質せいしつ単一たんいつのタイプであるとするかんがかた」(れい物理ぶつりてき性質せいしつしか存在そんざいしない)。
  7. 種類しゅるい一元論いちげんろん:「最高さいこうのカテゴリーが存在そんざいするという見解けんかいれい存在そんざい)」[32]

実体じったい一元論いちげんろん汎神論はんしんろん唯物ゆいぶつろん共通きょうつうこうであり、ルネ・デカルト提唱ていしょうした実体じったい二元論にげんろん(substance dualism)の対立たいりつ概念がいねんとしてかんがえられてきた。古典こてんてき汎神論はんしんろん決定けっていろん緩和かんわすれば万有ばんゆう内在ないざいしんろんひとし神学しんがくてき探求たんきゅう対象たいしょうにもなる。

一神教いっしんきょうもちいられることがある存在そんざい一元論いちげんろん優先ゆうせんてき一元論いちげんろん適切てきせつ区別くべつされてこなかった。存在そんざい一元論いちげんろん優先ゆうせんてき一元論いちげんろんともな論理ろんり関係かんけいにあるが、その一元論いちげんろん基本きほんてき独立どくりつしている。たとえば存在そんざい多元たげんろんものでありながら、優先ゆうせんてき一元論いちげんろんしゃである場合ばあいがある。これによるとおおくのものが存在そんざいすると仮定かていしつつ、世界せかい全体ぜんたいすべてに先行せんこうする[28]

優先ゆうせんてき一元論いちげんろんにおいて、存在そんざいするすべてのものは、それらとはことなるみなもともどり、存在そんざい一元論いちげんろんでは、宇宙うちゅうという単一たんいつのものしか存在そんざいせず、それを恣意しいてきおおくのものに分割ぶんかつすることしかできない[34]実体じったい一元論いちげんろんにおいては実体じったいしんなど様々さまざまなものが存在そんざいしていても、単一たんいつ種類しゅるいのものしか存在そんざいしない[35]

キリスト教きりすときょうスコラがく論拠ろんきょとされたアリストテレスは心身しんしん二元論にげんろん問題もんだいでは一元論いちげんろんてき立場たちばをとった。

物質ぶっしつなかには一般いっぱんてき身体しんたいとく自然体しぜんたいふくまれており、それらはのすべての身体しんたい原理げんりである。自然体しぜんたいなかには、生命せいめいつものとたないものがある。生命せいめいとは自然しぜん治癒ちゆりょく成長せいちょう(それにともなおとろえ)を意味いみする。生命せいめい自然体しぜんたいは、ふく合体がったい意味いみでの物質ぶっしつであることがわかる。しかし、生命せいめい種類しゅるいからだでもあることから、からだたましいであるはずがない。したがってたましいは、生命せいめい潜在せんざいてき自然体しぜんたいかたちという意味いみで、物質ぶっしつでなければならない。しかし物質ぶっしつとは現実げんじつせいのことである。したがってたましいとは上記じょうき特徴とくちょうとおり、身体しんたい現実げんじつせいのことである。
霊魂れいこんろん、2かん1しょう

たましい肉体にくたいしめ性質せいしつであり、かずあるなかひとつである。アリストテレスは、破壊はかいされるとそのかたちえるように、からだほろびるとたましいほろびると提唱ていしょうした[36]

プラトンの二元論にげんろんとアリストテレス哲学てつがく統合とうごうさせたしんプラトン主義しゅぎ存在そんざい一元論いちげんろんだけでなく優先ゆうせんてき一元論いちげんろん立場たちばをとり、すべてのものはザ・ワンから派生はせいまたは流出りゅうしゅつするとした[37]

スコラがく代表だいひょうてき神学しんがくしゃカトリック教会きょうかいせい公会こうかいでは聖人せいじん、カトリック教会きょうかいの33にん教会きょうかい博士はかせのうちの1人ひとりであるトマス・アクィナス(1225-1274)は、不動ふどうどうしゃから宇宙うちゅうろんてき証明しょうめいかみ存在そんざい証明しょうめい)を導出みちびきだしたことでられるが、アリストテレスと同様どうようしんからだ一体いったいであり、一体いったいであるかどうかをうことは無意味むいみであるとかんがえた。しかし肉体にくたい一体いったいであるにもかかわらず、肉体にくたい死後しごたましい存続そんぞくすることを主張しゅちょうし、たましいを「この特殊とくしゅなもの」とんだ。かれかんがかたは、哲学てつがくてきというよりも、神学しんがくてきなものであったため、一元論いちげんろんもの物理ぶつり主義しゅぎもの)や二元論にげんろんものという分類ぶんるいおさめることはできなかった[38]

現代げんだい哲学てつがくにおける一元論いちげんろんは、おおきく3つにけられる。

  1. 観念論かんねんろん現象げんしょうろん精神せいしん一元論いちげんろん精神せいしんだけが実在じつざいするとする[39]
  2. 中立ちゅうりつ一元論いちげんろん。1種類しゅるいのものが根本こんぽんてき存在そんざいするとする[40]だい3の1種類しゅるいのものに精神せいしんてきなものも物理ぶつりてきなものも還元かんげんされうる[41]
  3. 物質ぶっしつ一元論いちげんろん(material monism、物理ぶつり主義しゅぎ唯物ゆいぶつろんともばれる)。物理ぶつりてきなものだけが実在じつざいし、精神せいしんてきなものは物理ぶつりてきなものに還元かんげんできるとする[39][40]

機能きのう主義しゅぎ変則へんそくてき一元論いちげんろん反射はんしゃてき一元論いちげんろんなど、上記じょうきのカテゴリーに簡単かんたんおさまらない立場たちばもある。

関連かんれんする概念がいねん

[編集へんしゅう]

自然しぜん崇拝すうはい自然しぜん神秘しんぴ主義しゅぎは、しばしば汎神論はんしんろん混同こんどうされることがある。専門せんもん一人ひとりであるハロルド・ウッド(Universal Pantheist Societyの創設そうせつしゃ)は、汎神論はんしんろん哲学てつがくにおいてスピノザがかみ自然しぜん同一どういつしていたことは、環境かんきょう倫理りんり関心かんしん自称じしょう汎神論はんしんろんしゃ最近さいきんかんがえとはおおきくことなると指摘してきしている。かれ自分じぶん世界せかいかんあらわすのに使つかった「自然しぜん」という言葉ことばは、現代げんだい科学かがくの「自然しぜん」とはおおきくことなる。汎神論はんしんろんしゃ名乗なの自然しぜん神秘しんぴ主義しゅぎしゃたちは、「自然しぜん」を(人工じんこうてきつくられた環境かんきょうではなく)かぎられた自然しぜん環境かんきょう言葉ことばとして使つかっている。このような「自然しぜん」の使つかかたは、スピノザや汎神論はんしんろんしゃ自然しぜん法則ほうそく物理ぶつり世界せかい現象げんしょう全体ぜんたい説明せつめいするさい使つかっていたひろ意味いみでの「自然しぜん」とはことなる[11]

汎神論はんしんろんは、かみ宇宙うちゅう、またはかみ自然しぜんとは同一どういつであるとみなす哲学てつがくてき宗教しゅうきょうてき立場たちばである[42]古代こだいインドのヴェーダウパニシャッド哲学てつがくソクラテス以前いぜんのギリシア思想しそう近代きんだいにおいては、スピノザゲーテシェリングひとし思想しそうがこれにぞくする。

汎神論はんしんろんにおいては、一切いっさいのものはかみ顕現けんげんであるとされる[43][よう検証けんしょう]。あるいは世界せかいにおけるかみ内在ないざい遍在へんざい強調きょうちょうされる。一切いっさいのものとかみとを一元論いちげんろんてき理解りかいしようとする汎神論はんしんろんにおいては、理論りろんじょうかみ人格じんかくてき原理げんりとしてのそれである場合ばあいおおいが、人格じんかくしんてる有神論ゆうしんろんてき宗教しゅうきょう理論りろんてき思弁しべん神秘しんぴ主義しゅぎ、あるいは祭祀さいしじょう習合しゅうごうからも汎神論はんしんろんてき傾向けいこうしょうじる[44]汎神論はんしんろん歴史れきしじょうそれ自体じたいとして存立そんりつしたものではなく、さまざまな宗教しゅうきょうのなかにみられる一定いってい傾向けいこうであり[44]汎神論はんしんろんてき態度たいど古代こだい中世ちゅうせいにもあったが、ヨーロッパ頻出ひんしゅつするようになるのは16世紀せいき以降いこうである[42]

英語えいごの pantheism (パンセイズム)は、ギリシアの pan(すべて)と theos(かみ)の合成ごうせいで、文字もじどおり「すべてはかみ」で「かみすべて」を意味いみする[45]。つまりかみ一切いっさい万物ばんぶつ(または宇宙うちゅう世界せかい自然しぜん)とが同一どういつであるとする思想しそうであるが、一口ひとくち汎神論はんしんろんといってもさまざまな形態けいたいがある。一方いっぽうでは「かみすべてである」ことを強調きょうちょうする宇宙うちゅうろん (acosmismがあり、他方たほうでは「森羅万象しんらばんしょうかみである」ことを強調きょうちょうするひろし宇宙うちゅうろん(pancosmism)がある。後者こうしゃ立場たちば一種いっしゅ唯物ゆいぶつろんつうじ、かみ人格じんかくせい顕著けんちょであるためかみろんてきとされる場合ばあいがある[44]。ドイツの哲学てつがくしゃK・C・F・クラウゼ英語えいごばんは、万物ばんぶつかみ内包ないほうとらえる万有ばんゆうざいかみろん (panentheism) を主張しゅちょうした[44]

日本にっぽんにおける神道しんとうは、八百万やおよろずかみがいるひろしかみきょうともえる。ご神木しんぼくやまもりいわなどに、かみ宿やどるとしんじられている。[独自どくじ研究けんきゅう?]神道しんとう・アニミズムと汎神論はんしんろん比較ひかくについては#アニミズム・神道しんとうとのちが後述こうじゅつする。

有神論ゆうしんろん

[編集へんしゅう]

有神論ゆうしんろんは、伝統でんとうてき有神論ゆうしんろんわない様々さまざま宗教しゅうきょう包括ほうかつてき用語ようごであり、かみろん付随ふずいする「一切いっさい神秘しんぴ主義しゅぎ否定ひていする見解けんかい」との混同こんどうけるためにもちいられることがある[11]

万有ばんゆう内在ないざいしんろん

[編集へんしゅう]

万有ばんゆう内在ないざいしんろん(ギリシャπぱいνにゅー(pân)「すべての」、ἐνにゅー(en)「なかの」、θεός(theós)「かみ」)は、19世紀せいきにドイツで正式せいしきつくられた造語ぞうごで、かみ物理ぶつりてき宇宙うちゅう実質じっしつてき遍在へんざいしているが、その創造そうぞうぬし維持いじしゃとして「それとはべつに」あるいは「それをえて」存在そんざいしているとし、伝統でんとうてき有神論ゆうしんろん汎神論はんしんろん哲学てつがくてき統合とうごうしようとしたものである[46]:p.27。このように万有ばんゆう内在ないざいしんろんはそれ自体じたい汎神論はんしんろんから分離ぶんりし、かみ我々われわれっているような世界せかいうわこうに存在そんざいしているという追加ついかてき主張しゅちょう提起ていきしている[47]:p.11汎神論はんしんろん万有ばんゆう内在ないざいしんろんあいだではかみ様々さまざま定義ていぎおうじて曖昧あいまいになることがあるので、特定とくてい著名ちょめい人物じんぶつ万有ばんゆう内在ないざいしんろん汎神論はんしんろんむすびつけるさいには意見いけん相違そういまれることがある[46]:pp. 71–72, 87–88, 105[48]

ひろしかみろん

[編集へんしゅう]

ひろしかみろん汎神論はんしんろんから派生はせいしたべつ用語ようごであり、汎神論はんしんろんかみろん和解わかい可能かのう要素ようそわせとして特徴とくちょうづけられている[49]。ある時点じてん宇宙うちゅうとはことなる創造そうぞうぬし仮定かていし、それが宇宙うちゅう変化へんかし、その結果けっか現在げんざい本質ほんしつにおいては汎神論はんしんろんてきなものにているが、起源きげんにおいてはことなっている。

ひろししんろん

[編集へんしゅう]

ひろししんろんとは、意識いしきしん、あるいはたましい万物ばんぶつ普遍ふへんてき特徴とくちょうであるという哲学てつがくてき見解けんかいである[50]。「すべての事物じぶつきているという見解けんかいである」ものかつろんと、それにちかいすべてのものにたましい精神せいしんがあるという見解けんかいであるアニミズムと対比たいひされることがある[51]

アニミズムはすべてのものにたましいがあると主張しゅちょうし、ものかつろんはすべてのものがきていると主張しゅちょうする。[52]:149[53] こうした立場たちばひろししんろん解釈かいしゃくすることについては、現代げんだい学術がくじゅつかいでは支持しじされていない[54]現代げんだいひろしこころ論者ろんしゃは、このたね理論りろんから距離きょりこうとしており、経験けいけん遍在へんざいせいしん認知にんち遍在へんざいせいとのあいだ区別くべつをつけるように注意ちゅういしている[55]

現代げんだいひろししんろん学術がくじゅつてき支持しじしゃたちは、感覚かんかく主観しゅかんてき経験けいけんはどこにでもあるとしながらも、より複雑ふくざつ人間にんげん精神せいしんてき属性ぞくせいとは区別くべつしている[54]。したがって物理ぶつりがく基礎きそてきなレベルの存在そんざい光子こうしクォーク)には精神せいしん原型げんけいみとめるが、いわ建物たてものなどの集合しゅうごうたいには精神せいしんみとめないのである[55][56][57]

デイヴィッド・チャーマーズつぎのようにひろししんろんについて言及げんきゅうしている。

ひろししんろんとは文字通もじどおるなら「すべてのものにしんがある」という教義きょうぎとなる。実際じっさいにはひろしこころ論者ろんしゃばれるひとたちは、それほどつよ教義きょうぎにコミットしているわけではない。数字すうじとう都市とし存在そんざいすることはしんじていても「2」という数字すうじしんがある、エッフェル塔えっふぇるとうしんがある、キャンベラしんがあるといったテーゼにコミットしているわけではない。そのわりひろししんろんは、ある基本きほんてき物理ぶつりてき実体じったい心的しんてき状態じょうたいつというテーゼとして理解りかいすることができる。たとえばいわ数字すうじしん状態じょうたいがなくても、クォーク光子こうししん状態じょうたいがあるとすればひろししんろん成立せいりつすることになる。おそらく、たったいち光子こうし精神せいしん状態じょうたいつだけでは十分じゅうぶんではない。この線引せんひきは曖昧あいまいだが、ある基本きほんてき物理ぶつりてきタイプ(たとえば、すべての光子こうし)のすべてのメンバーが精神せいしん状態じょうたいつことを要求ようきゅうしているとむことができる[57]

アニミズム・神道しんとうとのちが

[編集へんしゅう]

アニミズム汎神論はんしんろんとはことなるが、この2つは混同こんどうされることがある。おもちがいのひとつは、アニミズムは、すべてのものが精神せいしんてき性質せいしつ(たましいれいとう)をつとしんじるが、汎神論はんしんろんしゃのように、存在そんざいするすべてのものの精神せいしんてき本質ほんしつ統一とういつされている(一元論いちげんろん)とはかんがえていないことである。アニミズムでは個々ここたましい独自どくじせい前提ぜんていとするが、汎神論はんしんろんでは、すべてのものは、それぞれの精神せいしんたましいつのではなく、おな本質ほんしつ(えい:essence、ラテン:essentia)を共有きょうゆうしている[58][59]

神道しんとうにはアニミズム特徴とくちょうがあるとされている[60]汎神論はんしんろんではかみひとつ(有神論ゆうしんろんてき一神教いっしんきょういち形態けいたい)と規定きていしているが[19][9]神道しんとうでは天神てんじん地祇ちぎ天津てんしんしん国津くにつしんひとし複数ふくすう擬人ぎじんされたかみ人格じんかくしん崇拝すうはい対象たいしょうとする[61]

ヒンドゥーきょう

[編集へんしゅう]

汎神論はんしんろんしゃかみひとつ(一神教いっしんきょう)と規定きていするが[19]ヒンドゥーきょうでは汎神論はんしんろん多神教たしんきょう一神教いっしんきょうかみろんならんで、万有ばんゆう内在ないざいしんろんてき見解けんかい存在そんざいする[62][63][64]。ヴェーダ時代じだい[65]には一神教いっしんきょうへの傾倒けいとうられ、『リグヴェーダ』ではとく比較的ひかくてき後期こうきだい10かん[66]ブラフマン一神教いっしんきょう概念がいねんられた。宇宙うちゅう開闢かいびゃくうた(Nāsadīya Sūkta)などは鉄器てっき時代じだい初期しょきのものとされている。古代こだいヒンドゥーきょう神学しんがく一神教いっしんきょうであったが、一人ひとり最高さいこうしんブラフマンの側面そくめんとして想定そうていされるおおくのかみ々の存在そんざい依然いぜんとして維持いじしていたため、厳密げんみつには一神教いっしんきょうてき崇拝すうはいではなかった[67]

汎神論はんしんろん一元論いちげんろん一種いっしゅ分類ぶんるいされるが[30]、ヒンドゥーきょう一元論いちげんろん哲学てつがくひろまったのは比較的ひかくてきあたらしく、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学てつがく一元論いちげんろん)のシャンカラ(8世紀せいきごろ)、修正しゅうせい一元論いちげんろんラーマーヌジャ(1017ねん - 1137ねん)、ヴァラバハカルヤ・マハプラブ(1479 – 1531ねん)、ニンバルカリーヤ(c.1130 - c.1200ねん)、チャイタニヤ・マハプラブ(1486 - 1534ねん)が一元論いちげんろんとなえている。シャンカラはヒンドゥーきょうでは「アートマンたましい自我じが)が存在そんざいする」と主張しゅちょうし、仏教ぶっきょうは「たましい自我じがもない」とべている[68][69][70]何人なんにんかの学者がくしゃは、シャンカラ歴史れきしてき名声めいせい文化ぶんかてき影響えいきょうすう世紀せいきとくイスラム教いすらむきょう侵略しんりゃくとその結果けっかとしてのインド荒廃こうはい時代じだいたかまったと指摘してきしている[71][72]ヴェーダーンタ学派がくはなかでもマドバ・アーチャリア(1238 – 1317ねん)はドヴァイタ(二元論にげんろん)をいている。

ヴィシュヌは、ヴィシュヌとそのアヴァターへの献身けんしん中心ちゅうしんとした宗教しゅうきょうである。シュヴァイクによれば、ヴィシュヌがおおくの形態けいたいをとっているように、本来ほんらいかみにはおおくの形態けいたいがあることから、「かたちてき一神教いっしんきょう、すなわち、唯一ゆいいつ無二むに神性しんせいおおくの形態けいたい(ananta rupa)をみとめる神学しんがく」であるという[73]置田おきた清和きよかずは、ヴィシュヌが「有神論ゆうしんろん」「汎神論はんしんろん」「万有ばんゆう内在ないざいしんろん」というかたち表現ひょうげんされうるとしている[74]

仏教ぶっきょうとのちが

[編集へんしゅう]

哲学てつがくしゃ汎神論はんしんろん一元論いちげんろんいち形態けいたいとするが[30]大乗だいじょう仏教ぶっきょうちゅうかん世界せかい究極きゅうきょくてき性質せいしつを、感覚かんかくてきなものやのものとははなせない「そら」として表現ひょうげんする。一見いっけん一元論いちげんろんのようにえるが、ちゅうかん見解けんかい究極きゅうきょくてき存在そんざいする実体じったい主張しゅちょうすることはない。そのわりに究極きゅうきょく存在そんざいかんする詳細しょうさいな、あるいは概念的がいねんてき主張しゅちょう不条理ふじょうり結果けっかをもたらすとして解体かいたいされる。現在げんざい大乗だいじょう仏教ぶっきょうにのみられる少数しょうすう唯識ゆいしき見解けんかいもまた一元論いちげんろん否定ひていしている[75]

仏教ぶっきょう学者がくしゃのエドワード・コンツェは論文ろんぶん「Buddhism and Gnosis」のなか[76]大乗だいじょう仏教ぶっきょうグノーシス主義しゅぎとの現象げんしょうがくてき共通きょうつうてん指摘してきしている[77][注釈ちゅうしゃく 2]克服こくふくされずにのこっている、あるいは克服こくふくするためには特別とくべつ霊的れいてき知識ちしき必要ひつようとする邪悪じゃあく傾向けいこう存在そんざい釈迦しゃかかぎりにおいて仏教ぶっきょうは、「はん宇宙うちゅうろん」・「はん宇宙うちゅうてき二元論にげんろん」でられているグノーシス主義しゅぎ一派いっぱだとしている。グノーシス主義しゅぎ物理ぶつりてき世界せかい肉体にくたいてき世界せかいから「霊的れいてき知識ちしき認識にんしき」によって救済きゅうさいされるとするはん宇宙うちゅうてき二元論にげんろん極端きょくたん霊肉れいにく二元論にげんろんをとる[81][82]人間にんげん肉体にくたい宇宙うちゅうとう本来ほんらいてきなものによって阻害そがいされているというはん宇宙うちゅうてき二元論にげんろん立場たちばから、物理ぶつりてき宇宙うちゅうえる超越ちょうえつてき存在そんざい人間にんげん本来ほんらいてき自己じこ本質ほんしつてき同一どういつの「認識にんしき」を救済きゅうさいとみなす[83]。コンツェの8つの類似るいじてんもとづいて、ホーラーは解放かいほうのための洞察どうさつであるグノーシスとジュニャーナ智慧ちえをソフィアと般若はんにゃとして擬人ぎじんすること、洞察どうさつりょく欠如けつじょであるアグノーシスと無明むみょうによって、このめられるなどの類似るいじてんげている[84]二元論にげんろんてきなグノーシス主義しゅぎ宗教しゅうきょうにはマニきょうがあるが、9世紀せいき以降いこう中国ちゅうごく歴代れきだい王朝おうちょうによる同化どうか圧力あつりょく迫害はくがいけたのち中国ちゅうごくマニきょう中国ちゅうごく南部なんぶ大乗だいじょう仏教ぶっきょう浄土宗じょうどしゅうとのかかわりをつよめ、大乗だいじょう仏教徒ぶっきょうと密接みっせつ協力きょうりょくして修行しゅぎょうしたため、なが年月としつきあいだにマニきょう浄土宗じょうどしゅう吸収きゅうしゅうされ、2つの伝統でんとう区別くべつできなくなったとされている[85][86]

汎神論はんしんろんでは、すべてのものはかみ一部いちぶであり[13]、すべての存在そんざい総体そうたいである無限むげん宇宙うちゅうと「ひとつのかみ」が同一どういつとして、物理ぶつりてき宇宙うちゅう物理ぶつり法則ほうそく[19](すなわち「ひとつのかみ」)をえるちょう自然しぜん超越ちょうえつせい否定ひていされるが[10]仏教ぶっきょう宇宙うちゅうろんでは極楽ごくらく東方とうほう浄瑠璃じょうるり世界せかいみょう世界せかい八大地獄はちだいじごくじゅうかいひとし物理ぶつりてき宇宙うちゅうには存在そんざいしない複数ふくすう超越ちょうえつてき世界せかい規定きていすることがある。密教みっきょうにおけるパーターラひとしもある。

キリスト教きりすときょう・オメガてん

[編集へんしゅう]

フランスじんカトリック司祭しさいイエズスかい)で生物せいぶつ学者がくしゃ地質ちしつ学者がくしゃでもあるピエール・テイヤール・ド・シャルダン著書ちょしょ現象げんしょうとしての人間にんげん』において人類じんるい機械きかい自動じどう開発かいはつ、「すべてをためす」「最後さいごまでかんがえる」ことをめることはできず、かみによってこされた(宇宙うちゅうの)進化しんか科学かがくてき現象げんしょうであり、科学かがくかみ相互そうご関連かんれんし、たがいに作用さようっていると定義ていぎした。テイヤールはほんくくりで、これらの進化しんかキリスト教きりすときょうでありながら完全かんぜん汎神論はんしんろんでもあると主張しゅちょうした[87]テイヤールは「宇宙うちゅうてき精神せいしんてき中心ちゅうしん」をかみてきなものとして同定どうていし「かみはすべてのなかにある」という言葉ことば頻繁ひんぱんもちいており、テイヤール構想こうそう汎神論はんしんろんてきしていた。物事ものごと中心ちゅうしんかみがあり、すべての存在そんざい完全かんぜん一体いったいであるという確信かくしん表明ひょうめいしたが、テイヤールはかれが「しん汎神論はんしんろん」とぶものをのぞいて、あらゆる形態けいたいの「汎神論はんしんろん」を否定ひていした[88]

(オメガてん理論りろんは)……正当せいとう汎神論はんしんろんである。なぜなら、最後さいご手段しゅだんとして、世界せかい反映はんえいてき中心ちゅうしん事実じじつじょうかみ一体いったい」であるとすれば、この状態じょうたい同一どういつかみがすべてとなる)ではなく、あい分化ぶんか伝達でんたつ作用さようかみがすべてのひとなかにすべている)によりられるものだからである。そしてそれは本質ほんしつてき正統せいとうであり、キリストきょうてきである。 — Le phénomène humain(邦題ほうだい現象げんしょうとしての人間にんげん』)[89]、ピエール・テイヤール・ド・シャルダン

1962ねんイエズスかいスペインのイエズスかい司祭しさいフランシスコ・スアレス人間にんげんかんする哲学てつがくからはなれ「テイヤールてき進化しんかてき宇宙うちゅう発生はっせいろん」を支持しじするようになった。テイヤールのキリストは、啓示けいじの「宇宙うちゅうてきキリスト」あるいは「オメガ」である。かれ物質ぶっしつでできたかみ発露はつろであり、このまれぬことによって進化しんか本質ほんしつ経験けいけんした。からの復活ふっかつ天国てんごくではなく、すべてのれいせい霊的れいてき存在そんざい収束しゅうそく領域りょういきであるノウアスフィアで、キリストはわりにそこで待機たいきしているのである。地球ちきゅうがオメガ・ポイントに到達とうたつするとき、存在そんざいするすべてのものが神性しんせいひとつになるとした[90]。テイヤールの著作ちょさくローマ教皇きょうこうベネディクト16せいふくローマ・カトリック思想家しそうかたちによって支持しじされた[91]

オメガてんはそのフランク・ティプラー (1994)、デイヴィッド・ドイッチュ (1997) などの著作ちょさく展開てんかいされている[92][93][94]フランク・ティプラーによると物理ぶつりがく法則ほうそく矛盾むじゅんしないためには、知的ちてき生命せいめいたい宇宙うちゅうのあらゆる物質ぶっしつ支配しはいし、最終さいしゅうてき宇宙うちゅう崩壊ほうかいさせることが必要ひつようであるという。そのさい宇宙うちゅう計算けいさん能力のうりょく無限むげんだいとなり、その計算けいさん能力のうりょくエミュレートされた環境かんきょう無限むげんつづき、宇宙うちゅうろんてき特異とくいてんへと到達とうたつする。この特異とくいてんがティプラーのうオメガポイントである[95]。ティプラーは計算けいさん資源しげん無限むげんだい分岐ぶんきすることで、とお未来みらい社会しゃかいでは、代替だいたい宇宙うちゅうをエミュレートして死者ししゃ復活ふっかつさせることができるとしている[96]。ティプラーのかんがえでは、オメガポイントは、ユダヤきょうキリスト教きりすときょうひとし伝統でんとう宗教しゅうきょう主張しゅちょうするかみ特性とくせいすべてをそなえているので、かみ同化どうかしている[96][97]。オメガてん理論りろん反証はんしょう可能かのう物理ぶつり理論りろんであり、現代げんだい物理ぶつりてき宇宙うちゅうろんコンピュータ科学かがく由来ゆらいするもので、科学かがくてき唯物ゆいぶつろん実体じったい一元論いちげんろん)に由来ゆらいするとした[96]

ルター出身しゅっしん神学しんがくしゃヴォルフハルト・パネンベルクはアメリカの数理すうり物理ぶつり学者がくしゃフランク・J・ティプラーのオメガポイント理論りろん神学しんがく擁護ようごしている[96][98][99][100]

歴史れきし

[編集へんしゅう]

汎神論はんしんろんはギリシャπぱいνにゅー pan(「すべての」の)とθεός theos(「かみ」の)に由来ゆらいする。これらの語源ごげんわせがはじめてられたのは、1697ねん出版しゅっぱんされたジョセフ・ラフソンの著書ちょしょ『De Spatio Reali seu Ente Infinito』のなかで、スピノザらの「パンテイスムス(pantheismus)」について言及げんきゅうしている[101][102]

汎神論はんしんろんてき思想しそう古代こだいからあるが、汎神論はんしんろんという用語ようご自体じたい西洋せいよう近代きんだいつくられた。ジョン・トーランド英語えいごばんが1705ねんに「一切いっさいは〔大文字おおもじの〕かみであるとしんずるひと」という意味いみ汎神論はんしんろんしゃ (pantheist) という造語ぞうごもちいたのがはじまりである。1732ねんには神学しんがくしゃダニエル・ウォーターランド英語えいごばん汎神論はんしんろん (pantheism) というかたり使用しようした[103]。その、18世紀せいき後半こうはんのドイツでは、それまでかみろんとしてあつかわれ無視むしされることがおおかったスピノザの「かみそく自然しぜん」の思想しそうをめぐって汎神論はんしんろん論争ろんそうこり、この論争ろんそう影響えいきょうけたドイツロマンやシェリングらをつうじて、ドイツ観念論かんねんろんにおいて汎神論はんしんろんてき傾向けいこうをもつさまざまな思弁しべん展開てんかいされた[45]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ アブラハムの宗教しゅうきょう聖典せいてんには人格じんかくしん人格じんかくしんしめぶんのこされているが、人格じんかく表層ひょうそうてき現実げんじつであり、人格じんかくしん現実げんじつ最奥さいおうにあるとひじり解釈かいしゃくする注釈ちゅうしゃくしゃがいる[16]
  2. ^ The idea that Gnosticism was derived from Buddhism was first proposed by the Victorian gem collector and numismatist Charles William King (1864).[78] Mansel (1875) [79] considered the principal sources of Gnosticism to be Platonism, Zoroastrianism, and Buddhism.[80]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ The New Oxford Dictionary of English. Oxford: Clarendon Press. (1998). p. 1341. ISBN 978-0-19-861263-6 "the term 'pantheist' designates one who holds both that everything constitutes a unity and that this unity is divine."
  2. ^ Encyclopedia of Philosophy ed. Paul Edwards. New York: Macmillan and Free Press. (1967). pp. 34 
  3. ^ Charles Taliaferro; Paul Draper; Philip L. Quinn, eds. A Companion to Philosophy of Religion. p. 340. "They deny that God is "totally other" than the world or ontologically distinct from it." 
  4. ^ 松村まつむら 2020b, p. 「汎神論はんしんろん」.
  5. ^ a b 平凡社へいぼんしゃ 2020b, p. 「汎神論はんしんろん」.
  6. ^ a b 藤澤ふじさわ 2020, p. 「汎神論はんしんろん」.
  7. ^ ブリタニカ・ジャパン 2020b, p. 「汎神論はんしんろん」.
  8. ^ 平凡社へいぼんしゃ 2020a, p. 「汎神論はんしんろん」.
  9. ^ a b c d Routledge Companion to Philosophy of Religion, edited by Chad Meister, Paul Copan, Routledge; 1st edition (September 1, 2007), ISBN 978-0415380386, p. 275 "Like "atheism" the term "pantheism" was used in the eighteenth century as a term of "theological abuse," and it often still is (Tapper 1987). A.H. Armstrong says the term "pantheistic" is a "large, vague term of theological abuse," (Armstrong 1976: 187). With some exceptions, pantheism is non-theistic, but it is not atheistic. It is a form of non-theistic monotheism, or even non-personal theism. It is the belief in one God, a God identical to the all-inclusive unity, but pantheists (generally) do not believe God is a person or anything like a person. The fact that pantheism clearly is not atheistic, and is an explicit denial of atheism, is disputed by its critics. The primary reason for equating pantheism with atheism is the assumption that belief in any kind of "God" must be belief in a personalistic God, because God must be a person."
  10. ^ a b c The New Oxford Dictionary Of English. Oxford: Clarendon Press. 1998. p. 1341. ISBN 978-0-19-861263-6.
  11. ^ a b c Levine, Michael, Pantheism: A Non-Theistic Concept of Deity, Psychology Press, 1994, ISBN 9780415070645, pgs 44, 274-275.
    • "The idea that Unity that is rooted in nature is what types of nature mysticism (e.g. Wordsworth, Robinson Jeffers, Gary Snyder) have in common with more philosophically robust versions of pantheism. It is why nature mysticism and philosophical pantheism are often conflated and confused for one another."
    • "[Wood's] pantheism is distant from Spinoza's identification of God with nature, and much closer to nature mysticism. In fact it is nature mysticism
    • "Nature mysticism, however, is as compatible with theism as it is with pantheism."
  12. ^ a b Pantheism: A Non-Theistic Concept of Deity, By Michael P. Levine, Routledge; 1st edition (May 19, 2014), Chapter 5.2 Worship and Prayer, pp. 314-315 "Worship and prayer are not suitable to pantheism. It has often been claimed by theists and atheists that pantheistic worship (e.g. worshipping the Unity) is idolatrous. It is worshipping a false god. Unlike the theist or atheist, however, the pantheist believes a divine Unity exists — a kind of god. So pantheists, if they do worship the Unity, reject the idea that they are worshipping a false god. What is wrong with pantheistic worship is not that it is idolatrous, but something more basic having to do with both the nature of worship and Unity. Even if the Unity exists, worshipping it would not be proper pantheistic practice.... What makes it unsuitable is that worship, and especially prayer, are basically directed at "persons" — or at a being with personal characteristics separate and superior to oneself. Whether one's reasons for worship are petitionary or devotional is irrelevant; and so is one's motivation — whether a Freudian way of coping with guilt, or a rationally-based sense of duty. Objects of worship are not oneself, and perhaps not even ontologically distinct from oneself as theism claims, but they are generally taken to be conscious, personal and superior."
  13. ^ a b Mastin, Luke. "Pantheism - By Branch / Doctrine - The Basics of Philosophy". www.philosophybasics.com.
  14. ^ Owen, H. P. Concepts of Deity. London: Macmillan, 1971, p. 65..
  15. ^ Non-personal God: A Quantum Logical Explanation, Siavash Asadi, International Journal of Philosophy and Theology December 2016, Vol. 4, No. 2, pp. 29-39. "When we use the term “personal God” we are contemplating such a God who is one of the beings of the world. Therefore if we suppose the number of beings n, for people who are believers in a personal God the number of beings except God is n-1, and for people who are believers in a non-personal God the number is, as before, n. In other words, a personal God implicates at least one other person. A non-personal God, however, cannot accept another thing as an independent being."
  16. ^ Non-personal God: A Quantum Logical Explanation, Siavash Asadi, International Journal of Philosophy and Theology December 2016, Vol. 4, No. 2, pp. 29-39. "On the other hand, although there are a lot of verses in sacred texts that designate a personal God, there are some that indicate a non-personal God. Most sacred texts commentators, of course, expound these verses in such a way that, despite the non-personal God idea, beings still have their personality. Therefore, for believers in a nonpersonal God, especially in Abrahamic religions, beings ‘personalities are surface realities and they are the appearance of God but, the non-personal God is the deepest layer of the reality of beings. On this basis, there is a phrase that has been converted to a famous motto in the non-personal God context: "
  17. ^ Spinoza’s Physical Theory, The Stanford Encyclopedia of Philosophy, URL=https://plato.stanford.edu/entries/spinoza-physics/
  18. ^ バールーフ・デ・スピノザ『倫理りんりがくいちかん命題めいだいVIII、"Ethics, Baruch Spinoza, translated by R.H.M. Elwes (1883), Book I, Part II, Propositions VIII The ideas of particular things, or of modes, that do not exist, must be comprehended in the infinite idea of God, in the same way as the formal essences of particular things or modes are contained in the attributes of God."
  19. ^ a b c d バールーフ・デ・スピノザ『倫理りんりがくいちかん一部いちぶ命題めいだいXIVろん1、"Ethics, Baruch Spinoza, translated by R.H.M. Elwes (1883), Book I Part I PROP XIV Corollary I.-- Clearly, therefore: 1. God is one, that is (by Def. vi.) only one substance can be granted in the universe, and that substance is absolutely infinite, as we have already indicated (in the note to Prop. x.)"
  20. ^ バールーフ・デ・スピノザ『倫理りんりがくいちかん命題めいだいXXIX証明しょうめい "Ethics, Baruch Spinoza, translated by R.H.M. Elwes (1883), Book I Part I PROP. XXIX. Proof ... Wherefore all things are conditioned by the necessity of the divine nature, not only to exist, but also to exist and operate in a particular manner, and there is nothing that is contingent. Q.E.D."
  21. ^ Goldsmith, Donald; Marcia Bartusiak (2006). E = Einstein: His Life, His Thought, and His Influence on Our Culture. New York: Stirling Publishing. pp. 187. ISBN 9781402763199. https://books.google.com/books?id=zGzcV40b3IkC&pg=PA187 
  22. ^ F.C. Copleston, "Pantheism in Spinoza and the German Idealists," Philosophy 21, 1946, p. 48
  23. ^ Literary and Philosophical Society of Liverpool, "Proceedings of the Liverpool Literary & Philosophical Society, Volumes 43–44", 1889, p 285
  24. ^ John Ferguson, "The Religions of the Roman Empire", Cornell University Press, 1970, p 193
  25. ^ Lindsay Jones, ed (2005). Encyclopedia of Religion: Volume 10 (2nd ed.). USA: MacMillan. ISBN 978-0028657332. https://archive.org/details/encyclopediaofre0000unse_v8f2 
  26. ^ Dependence and Freedom: The Moral Thought of Horace Bushnell By David Wayne Haddorff [1] Emerson's belief was "monistic determinism".
    • Creatures of Prometheus: Gender and the Politics of Technology By Timothy Vance Kaufman-Osborn, Prometheus ((Writer)) [2] "Things are in a saddle, and ride mankind."
    • Emerson's position is "soft determinism" (a variant of determinism) [3]
    • "The 'fate' Emerson identifies is an underlying determinism." (Fate is one of Emerson's essays) [4]
  27. ^ "Hegel was a determinist" (also called a combatibilist a.k.a. soft determinist) [5]
    • "Hegel and Marx are usually cited as the greatest proponents of historical determinism" [6]
  28. ^ a b c Schaffer, Jonathan, "Monism", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Summer 2015 Edition), Edward N. Zalta (ed.), [URL=http://plato.stanford.edu/archives/sum2015/entries/monism/]
  29. ^ "Pantheism". The Columbia Electronic Encyclopedia, Sixth Edition. Columbia University Press. 2012. 2012ねん6がつ13にち閲覧えつらん "If the pantheist starts with the belief that the one great reality, eternal and infinite, is God, he sees everything finite and temporal as but some part of God. There is nothing separate or distinct from God, for God is the universe. If, on the other hand, the conception taken as the foundation of the system is that the great inclusive unity is the world itself, or the universe, God is swallowed up in that unity, which may be designated nature."
  30. ^ a b c Owen, H. P. Concepts of Deity. London: Macmillan, 1971, p. 65..
  31. ^ a b c d Urmson 1991, p. 297.
  32. ^ a b c Schaffer, Jonathan, Monism: The Priority of the Whole, http://www.jonathanschaffer.org/monism.pdf
  33. ^ The Stanford Encyclopedia of Philosophy substantive revision Tue Jan 21, 2020, URL = https://plato.stanford.edu/entries/pantheism/
  34. ^ Strawson, G. (2014 in press): "Nietzsche's metaphysics?". In: Dries, M. & Kail, P. (eds): "Nietzsche on Mind and Nature". Oxford University Press.
  35. ^ Cross, F.L.; Livingstone, E.A. (1974), The Oxford Dictionary of the Christian Church, OUP, art. monism
  36. ^ Shields, Christopher. "Aristotle's Psychology". In Edward N. Zalta (ed.). The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Spring 2011 Edition).
  37. ^ Brugger, Walter (ed) (1972), Diccionario de Filosofía, Barcelona: Herder, art. dualismo, monismo, pluralismo
  38. ^ McInerny, Ralph; O'Callaghan, John (Summer 2018). “Saint Thomas Aquinas”. The Stanford Encyclopedia of Philosophy. https://plato.stanford.edu/archives/sum2018/entries/aquinas/ 2018ねん11月7にち閲覧えつらん. 
  39. ^ a b Brugger 1972.
  40. ^ a b Mandik 2010, p. 76.
  41. ^ Luke Mastin (2008),Monism
  42. ^ a b 竹内たけうち良和よしかず近世きんせい汎神論はんしんろん」『概念がいねん歴史れきしがわかる西洋せいよう哲学てつがくしょう事典じてんなままつ敬三けいぞう木田きだはじめ伊藤いとう俊太郎しゅんたろう岩田いわた靖夫やすおへん筑摩書房ちくましょぼう〈ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ〉、2011ねん、308ぺーじ
  43. ^ SHOGAKUKAN INC. (2010, ひろしかみきょう)
  44. ^ a b c d 田丸たまる徳善とくぜん汎神論はんしんろん」『宗教しゅうきょうがく辞典じてん小口こぐちえらいちほり一郎いちろう 監修かんしゅう東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、1973ねん、615-616ぺーじ
  45. ^ a b 宮嶋みやじま俊一しゅんいち汎神論はんしんろん」『宗教しゅうきょうがく辞典じてん星野ほしの英紀ひでのり池上いけがみ良正よしまさへん丸善まるぜん、2010ねん
  46. ^ a b John W. Cooper, The Other God of the Philosophers, Baker Academic, 2006
  47. ^ Levine, Michael Philip (1994). Pantheism: A Non-Theistic Concept of Deity. Psychology Press. ISBN 9780203014776. https://books.google.com/books?id=HtS2TR8859sC&pg=PR7 
  48. ^ Routledge Encyclopedia of Philosophy: Genealogy to Iqbal edited by Edward Craig, pg 100 [7].
  49. ^ Sean F. Johnston (2009). The History of Science: A Beginner's Guide. pp. 90. ISBN 978-1-85168-681-0. https://archive.org/details/historyofscience0000john/page/90 
  50. ^ Seager, William and Allen-Hermanson, Sean, "Panpsychism", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2012 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <http://plato.stanford.edu/archives/win2012/entries/panpsychism/
  51. ^ Haught, John F. (1990). What Is Religion?: An Introduction. Paulist Press. p. 19.
  52. ^ Skrbina, David. (2005). Panpsychism in the West. MIT Press. ISBN 0-262-19522-4
  53. ^ Carus, Paul. (1893). "Panpsychism and Panbiotism." The Monist. Vol. 3, No. 2. pp. 234–257. JSTOR 27897062
  54. ^ a b Panpsychism”. Internet Encyclopedia of Philosophy. 2019ねん5がつ1にち閲覧えつらん
  55. ^ a b Goff, Philip; Seager, William; Allen-Hermanson, Sean (2017). "Panpsychism". In Zalta, Edward N. (ed.). Stanford Encyclopedia of Philosophy. 2018ねん9がつ15にち閲覧えつらん
  56. ^ Clarke, David S. (2012) (英語えいご). Panpsychism and the Religious Attitude. Albany, NY: State University of New York Press. pp. 1. ISBN 978-0-7914-5685-9 
  57. ^ a b Chalmers, David (2015). “Panpsychism and Panprotopsychism”. In Alter, Torin; Nagasawa, Yugin. Consciousness in the Physical World: Perspectives on Russellian Monism. Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-992735-7. http://consc.net/papers/panpsychism.pdf  "Panpsychism, taken literally, is the doctrine that everything has a mind. In practice, people who call themselves panpsychists are not committed to as strong a doctrine. They are not committed to the thesis that the number two has a mind, or that the Eiffel tower has a mind, or that the city of Canberra has a mind, even if they believe in the existence of numbers, towers, and cities. Instead, we can understand panpsychism as the thesis that some fundamental physical entities have mental states. For example, if quarks or photons have mental states, that suffices for panpsychism to be true, even if rocks and numbers do not have mental states. Perhaps it would not suffice for just one photon to have mental states. The line here is blurry, but we can read the definition as requiring that all members of some fundamental physical types (all photons, for example) have mental states."
  58. ^ Harrison, Paul A. 2004. Elements of Pantheism. p. 11.
  59. ^ McColman, Carl. 2002. When Someone You Love Is Wiccan: A Guide to Witchcraft and Paganism for Concerned Friends, Nervous parents, and Curious Co-Workers. p. 97.
  60. ^ Nelson 1996, p. 7; Picken 2011, p. 40.
  61. ^ Bocking 1997, p. 70; Hardacre 2017, p. 31.
  62. ^ Fowler 1997, p. 2.
  63. ^ Fowler 2002, p. 15-32.
  64. ^ Long 2011, p. 128.
  65. ^ Sharma, Chandradhar (1962). “Chronological Summary of History of Indian Philosophy”. Indian Philosophy: A Critical Survey. New York: Barnes & Noble. p. vi 
  66. ^ HYMN CXC. Creation.
  67. ^ Gnuse, Robert Karl (1 May 1997). No Other Gods: Emergent Monotheism in Israel. Sheffield Academic Press. p. 225. ISBN 1-85075-657-0. https://books.google.com/books?id=pBSJNDndGjwC&pg=PA225 
  68. ^ Edward Roer (Translator), to Brihad Aranyaka Upanishad. Shankara's Introduction - Google ブックス
  69. ^ KN Jayatilleke (2010), Early Buddhist Theory of Knowledge, ISBN 978-81-208-0619-1, p. 246–249, from note 385 onwards;
    Steven Collins (1994), Religion and Practical Reason (Editors: Frank Reynolds, David Tracy), State Univ of New York Press, ISBN 978-0-7914-2217-5, p. 64; Quote: "Central to Buddhist soteriology is the doctrine of not-self (Pali: anattā, Sanskrit: anātman, the opposed doctrine of Ātman is central to Brahmanical thought). Put very briefly, this is the [Buddhist] doctrine that human beings have no soul, no self, no unchanging essence.";
    Edward Roer (Translator), Shankara's Introduction - Google ブックス]
    Katie Javanaud (2013), Is The Buddhist 'No-Self' Doctrine Compatible With Pursuing Nirvana?, Philosophy Now;
    John C. Plott et al. (2000), Global History of Philosophy: The Axial Age, Volume 1, Motilal Banarsidass, ISBN 978-81-208-0158-5, p. 63, Quote: "The Buddhist schools reject any Ātman concept. As we have already observed, this is the basic and ineradicable distinction between Hinduism and Buddhism".
  70. ^ Edward Roer (Translator), Shankara's Introduction, p. 3, - Google ブックス to Brihad Aranyaka Upanishad at p. 3, OCLC 19373677
  71. ^ Paul Hacker, Philology and Confrontation: Paul Hacker on Traditional and Modern Vedanta (Editor: Wilhelm Halbfass), State University of New York Press, ISBN 978-0-7914-2582-4, pp. 29–30
  72. ^ R. Blake Michael (1992), The Origins of Vīraśaiva Sects, Motilal Banarsidass, ISBN 978-81-208-0776-1, pp. 60–62 with notes 6, 7 and 8
  73. ^ Schweig 2013, p. 18.
  74. ^ Kiyokazu Okita (2010), Theism, Pantheism, and Panentheism: Three Medieval Vaishnava Views of Nature and their Possible Ecological Implications, Journal of Vaishnava Studies, Volume 18, Number 2, pp. 5–26
  75. ^ David Kalupahana, Causality: The Central Philosophy of Buddhism. The University Press of Hawaii, 1975, page 88. The passage is SN 2.77.
  76. ^ Verardi 1997, p. 323.
  77. ^ Conze 1967.
  78. ^ Nicholas Goodrick-Clarke, Clare Goodrick-Clarke G. R. S. Mead and the Gnostic Quest 2005 p. 8. Quote: "The idea that Gnosticism was derived from Buddhism was first postulated by Charles William King in his classic work, The Gnostics and their Remains (1864). He was one of the earliest and most emphatic scholars to propose the Gnostic debt to Buddhist thought."
  79. ^ H. L. Mansel, Gnostic Heresies of the First and Second Centuries (1875); p. 32
  80. ^ International Standard Bible Encyclopedia: E–J ed. Geoffrey W. Bromiley  (1982). Quote: "Mansel ... summed up the principal sources of Gnosticism in these three: Platonism, the Persian religion, and the Buddhism of India." p. 490.
  81. ^ ブリタニカ・ジャパン 2021a, p. 「グノーシス」.
  82. ^ 小学館しょうがくかん 2021a, p. 「グノーシス」.
  83. ^ 小学館しょうがくかん 2021b, p. 「グノーシス」.
  84. ^ Hoeller 2012, p. 180.
  85. ^ Yar 2012.
  86. ^ Ma & Meng 2011.
  87. ^ The British Journal for the Philosophy of Science, Vol. 12, No. 47 (Nov., 1961), pp. 235-245 Published by: The University of Chicago Press on behalf of The British Society for the Philosophy of Science。
  88. ^ God and the cosmos according to Teilhard de Chardin and Alfred North Whitehead, doctoral dissertation, July 1974. Dr. John S. Homlish, Jr.(Professor at Washburn University)
  89. ^ Pierre Teilhard de Chardin, The Phenomenon of Man (translated by BernardWall),with an Introduction by Sir Julian Huxley. Collins, London, 1959. p. 310 "Lastly, to put an end once and for all to the fears of ' pantheism ', constantly raised by certain upholders of traditional spirituality as regards evolution, how can we fail to see that, in the case of a converging universe such as I have delineated, far from being bom from the fusion and confusion of the elemental centres it assembles, the universal centre of unification (precisely to fulfil its motive, collective and stabilising function) in use be conceived as pre-existing and transcendent. A very real pantheism if you like (in the etymological meaning of the word) but an absolutely legitimate pantheism—for if, in the last resort, the reflective centres of the world are effectively "one with God", this state is obtained not by identification (God becoming all) but by the differentiating and communicating action of love (God all in everyone). And that is essentially orthodox and Christian."
  90. ^ Teilhard de Chardin, Pierre (1 January 1968). Science and Christ. Collins. https://archive.org/details/sciencechrist0000teil 
  91. ^ Bryant, M. Darrol (2018-04-20). Out of Galilee: Christian Thought as a Great Conversation. Eugene, OR: Wipf and Stock Publishers. pp. 300. ISBN 9781532638497 
  92. ^ Steinhart, Eric (2008). “Teilhard de Chardin and Transhumanism”. Journal of Evolution and Technology 20 (1): 1–22. ISSN 1541-0099. http://jetpress.org/v20/steinhart.htm 2015ねん6がつ3にち閲覧えつらん. 
  93. ^ Green, Ronald (2012). “Challenging Transhumanism's Values”. Hastings Center Report 43 (4): 45–47. doi:10.1002/hast.195. 
  94. ^ Lilley, Stephen (2013). Transcend or Transgress?. SpringerBriefs in Philosophy. pp. 13–24. doi:10.1007/978-94-007-4981-8_2. ISBN 978-94-007-4980-1 
  95. ^ Tipler et al. 2007.
  96. ^ a b c d Tipler 1989.
  97. ^ Tipler 1997, p. 560
  98. ^ Tipler 1994.
  99. ^ Tipler 2007.
  100. ^ Pannenberg, Wolfhart (1995). “Breaking a Taboo: Frank Tipler's the Physics of Immortality”. Zygon 30 (2): 309–314. doi:10.1111/j.1467-9744.1995.tb00072.x. 
  101. ^ Ann Thomson; Bodies of Thought: Science, Religion, and the Soul in the Early Enlightenment, 2008, page 54.
  102. ^ Taylor, Bron (2008). Encyclopedia of Religion and Nature. A&C Black. pp. 1341–1342. ISBN 978-1441122780. Retrieved 27 July 2017.
  103. ^ 井上いのうえじゅんこうかみ」『現代げんだい宗教しゅうきょう事典じてん井上いのうえじゅんこうへん弘文こうぶんどう、2005ねん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]