実体 じったい 二元論 にげんろん の代表 だいひょう 例 れい であるデカルト二元論 にげんろん の説明 せつめい 図 ず 。デカルトは松 まつ 果 はて 腺 せん において独立 どくりつ した実体 じったい である精神 せいしん と身体 しんたい が相互 そうご 作用 さよう するとした。1641年 ねん の著作 ちょさく 『省察 せいさつ 』より。
実体 じったい 二元論 にげんろん の概念 がいねん 図 ず 。実体 じったい 二元論 にげんろん は思 おもえ 推実体 たい 、魂 たましい 、精神 せいしん など様々 さまざま な名前 なまえ で呼 よ ばれる、能動 のうどう 性 せい をもった非 ひ 物質 ぶっしつ 的 てき な実体 じったい の存在 そんざい を仮定 かてい する。この実体 じったい は脳 のう から情報 じょうほう を受 う け取 と り、脳 のう に指令 しれい を返 かえ す。このモデルは時 とき に心 しん に関 かん する管制塔 かんせいとう モデルである、という風 ふう にも表現 ひょうげん される。
デカルトが精神 せいしん の座 ざ だと考 かんが えた松 まつ 果 はて 腺 せん (赤色 あかいろ で示 しめ す)。脳 のう のほぼ中央 ちゅうおう に位置 いち し、視床 ししょう (濃 こ い茶 ちゃ 色 しょく で示 しめ す)の背中 せなか 側 がわ で、左右 さゆう の視床 ししょう 体 たい に挟 はさ み込 こ まれるようにして存在 そんざい する。
実体 じったい 二元論 にげんろん (じったいにげんろん、英 えい : Substance dualism )とは、心身 しんしん 問題 もんだい に関 かん する形而上学 けいじじょうがく 的 てき な立場 たちば のひとつで、この世界 せかい にはモノとココロという本質 ほんしつ 的 てき に異 こと なる独立 どくりつ した二 ふた つの実体 じったい がある、とする考 かんが え方 かた 。ここで言 い う実体 じったい とは他 た の何 なに にも依 よ らずそれだけで独立 どくりつ して存在 そんざい しうるものの事 こと を言 い い、つまりは脳 のう が無 む くとも心 しん はある、とする考 かんが え方 かた を表 あらわ す。ただ実体 じったい 二元論 にげんろん という一 ひと つのはっきりとした理論 りろん があるわけではなく、一般 いっぱん に次 つぎ の二 ふた つの特徴 とくちょう を併 あわ せ持 も つような考 かんが え方 かた が実体 じったい 二元論 にげんろん と呼 よ ばれる。
この世界 せかい には、肉体 にくたい や物質 ぶっしつ といった物理 ぶつり 的 てき 実体 じったい とは別 べつ に、魂 たましい や霊魂 れいこん 、自我 じが や精神 せいしん 、また時 とき に意識 いしき 、などと呼 よ ばれる能動 のうどう 性 せい を持 も った心 しん 的 てき 実体 じったい がある。
そして心的 しんてき な機能 きのう の一部 いちぶ (例 たと えば思考 しこう や判断 はんだん など)は物質 ぶっしつ とは別 べつ のこの心 しん 的 てき 実体 じったい が担 にな っている
実体 じったい 二元論 にげんろん は心身 しんしん 二元論 にげんろん 、物心 ぶっしん 二元論 にげんろん 、霊肉 れいにく 二元論 にげんろん 、古典 こてん 的 てき 二元論 にげんろん などとも言 い われる。単 たん に二元論 にげんろん とだけ表現 ひょうげん されることもある[注 ちゅう 1]
西洋 せいよう では歴史 れきし を遡 さかのぼ れば古代 こだい ギリシアのプラトンまで遡 さかのぼ ることができるが、特 とく に代表 だいひょう 的 てき だと見 み なされているのは17世紀 せいき の哲学 てつがく 者 しゃ デカルト の二元論 にげんろん である。
実体 じったい 二元論 にげんろん は歴史 れきし 的 てき ・通俗 つうぞく 的 てき には非常 ひじょう にポピュラーな考 かんが えではあるが、現代 げんだい の専門 せんもん 家 か たちの間 あいだ でこの理論 りろん を支持 しじ するものはほとんどいない[1] [2] [3] [4] [5] 。
ただし、ペンローズ、ハメロフ、エックルズ、ベック、治部 じぶ 、保 ほ 江 え などによって二元論 にげんろん の発展形 はってんけい や改良 かいりょう 型 がた とも言 い えるような量子 りょうし 脳 のう 理論 りろん が唱 とな えられている。
また思想家 しそうか の吉本 よしもと 隆明 たかあき は、精神 せいしん と脳 のう という言葉 ことば を用 もち いているからといってそれを即 そく 「二元論 にげんろん 」と捉 とら えて批判 ひはん していること自体 じたい に自然 しぜん 科学 かがく や還元 かんげん 論 ろん が内 うち に含 ふく んでいる方法 ほうほう 論 ろん 上 じょう の問題 もんだい がある、といった内容 ないよう の指摘 してき をしている。 [要 よう 出典 しゅってん ]
紀元前 きげんぜん 4世紀 せいき の古代 こだい ギリシャ の哲学 てつがく 者 しゃ プラトン は、著作 ちょさく 『パイドン 』の中 なか で、死 し はソーマ(肉体 にくたい )からのプシュケー (いのち、心 しん 、霊魂 れいこん )の分離 ぶんり であり、そして分離 ぶんり したプシュケーは永遠 えいえん に不滅 ふめつ であるとした。不滅 ふめつ であることのひとつの理由 りゆう として、プシュケーは部分 ぶぶん を持 も たない、とした。つまり何 なに かを破壊 はかい するためにはそれを部分 ぶぶん に分 わ けなければならないが、プシュケーには部分 ぶぶん がないのだからそれは分 わ けることができない、すなわち破壊 はかい 不可能 ふかのう である、と論 ろん じた。そして不滅 ふめつ であることのもうひとつの理由 りゆう として、物事 ものごと の状態 じょうたい は互 たが いに逆 ぎゃく の状態 じょうたい からもたらされる、ということを挙 あ げた。生 い きているとはソーマとプシュケーが一 ひと つになっていることであり、死 し はその反対 はんたい 、ソーマとプシュケーとの分離 ぶんり であるとした。
こうしたプラトンの説 せつ も「二元論 にげんろん だ」とするのが従来 じゅうらい の定説 ていせつ であった。(ただし、「二元論 にげんろん 」とする従来 じゅうらい の定説 ていせつ は大 おお きな間違 まちが いで、プラトンの説 せつ の内容 ないよう は「場 ば の理論 りろん 」であると、学者 がくしゃ による緻密 ちみつ な研究 けんきゅう によって近年 きんねん 指摘 してき されている 。[6] )
17世紀 せいき のフランスの哲学 てつがく 者 しゃ ルネ・デカルト は「我 わが 思 おも う、ゆえに我 わが あり 」という表現 ひょうげん を掲 かか げつつ二元論 にげんろん を唱 とな えた。デカルトは、空間 くうかん 的 てき 広 ひろ がりを持 も つ思考 しこう できない延長 えんちょう 実体 じったい (いわゆる物質 ぶっしつ 、ラ:res extensa)と、思考 しこう することができる空間 くうかん 的 てき 広 ひろ がりを持 も たない思惟 しい 実体 じったい (いわゆる心 しん 、ラ:res cogitans)の二 ふた つの実体 じったい があるとし、これらが互 たが いに独立 どくりつ して存在 そんざい しうるものとした。この考 かんが えはデカルト二元論 にげんろん (Cartesian dualism)と呼 よ ばれ、デカルトのこの説 せつ がしばしば実体 じったい 二元論 にげんろん の代表 だいひょう 的 てき なものとして扱 あつか われている[7] 。
歴史 れきし 的 てき に直近 ちょっきん に、実体 じったい 二元論 にげんろん を唱 とな えた人物 じんぶつ としては、20世紀 せいき のオーストラリアの神経 しんけい 生理学 せいりがく 者 しゃ ジョン・エックルズ [8] が有名 ゆうめい である。エックルズはしばしば、「最後 さいご の二元論 にげんろん 者 しゃ 」などと呼 よ ばれている[9] 。
デカルト的 てき な二元論 にげんろん は、近 きん ・現代 げんだい の自然 しぜん 科学 かがく の哲学 てつがく 的 てき な基礎 きそ を作 つく ったが、同時 どうじ に自然 しぜん 科学 かがく が発展 はってん するにつれ、徐々 じょじょ に支持 しじ されなくなっていった。機械 きかい 論 ろん が普及 ふきゅう するにつれ、この世界 せかい で生起 せいき している現象 げんしょう はすべて力学 りきがく で説明 せつめい できるはず、とする考 かんが えが自然 しぜん 科学 かがく 者 しゃ らの間 あいだ で広 ひろ く受 う け入 い れられてゆき、デカルト的 てき な二元論 にげんろん は理論 りろん 的 てき に難 なん がある、と考 かんが えられるようになっていった。
デカルトは「松 まつ 果 はて 体 たい において、物質 ぶっしつ と精神 せいしん が相互 そうご 作用 さよう する」としたのである。しかし仮 かり にこうした相互 そうご 作用 さよう があるとするならば、脳 のう において力学 りきがく の説明 せつめい していないことが起 お きている、としなければならなくなる。
この相互 そうご 作用 さよう の問題 もんだい は、デカルトが理論 りろん を提出 ていしゅつ した当初 とうしょ にすでに指摘 してき されていたが、力学 りきがく が発展 はってん し機械 きかい 論 ろん 的 てき な見解 けんかい が普及 ふきゅう していくなかで、大 おお きな問題 もんだい 点 てん とされてゆくようになった。ガリレイ・ニュートン以後 いご に発展 はってん した機械 きかい 論 ろん 的 てき 世界 せかい 観 かん と整合 せいごう 性 せい を持 も たない、と考 かんが えられたからである。(その後 ご の歴史 れきし を辿 たど ると、機械 きかい 論 ろん は、力学 りきがく の自然 しぜん 科学 かがく 内部 ないぶ での位置 いち づけが低下 ていか したり、全体 ぜんたい 論 ろん や有 ゆう 機体 きたい 論 ろん からの批判 ひはん によって難点 なんてん が露呈 ろてい し不人気 ふにんき となってしまったが)そのかわり、現代 げんだい では物理 ぶつり 主義 しゅぎ を採用 さいよう して、その立場 たちば からデカルトの説 せつ の難点 なんてん を指摘 してき する人 ひと もいる。
実体 じったい 二元論 にげんろん で問題 もんだい となるのは、ひとつにはデカルトの考 かんが え方 かた はカテゴリーミステイクではないか、という点 てん である。またひとつには因果 いんが と関 かか わる問題 もんだい である。物質 ぶっしつ と精神 せいしん を完全 かんぜん に別 べつ の二 ふた つの実体 じったい とすると、両者 りょうしゃ の間 あいだ の関係 かんけい を考 かんが える必要 ひつよう が出 で てくる[要 よう 検証 けんしょう – ノート ] 。また「精神 せいしん が物質 ぶっしつ に命令 めいれい を与 あた える」とする考 かんが え方 かた は、1980年代 ねんだい に行 おこな われた自発 じはつ 的 てき な運動 うんどう にともなう準備 じゅんび 電位 でんい の前後 ぜんご 関係 かんけい に関 かん する実験 じっけん 結果 けっか を見 み ると説得 せっとく 力 りょく を失 うしな う。
1949年 ねん 、イギリスの哲学 てつがく 者 しゃ ギルバート・ライル は、著作 ちょさく "The Concept of Mind"(邦訳 ほうやく :『心 しん の概念 がいねん 』)において、実体 じったい 二元論 にげんろん を概念 がいねん 上 じょう の混乱 こんらん として批判 ひはん した。ライルは脳 のう とは別 べつ に、実体 じったい としての精神 せいしん を措定 そてい するデカルト的 てき な二元論 にげんろん を、機械 きかい の中 なか の幽霊 ゆうれい のドグマ (en:Ghost in the machine )と呼 よ び、カテゴリー・ミステイク という概念 がいねん 上 じょう の混乱 こんらん によってもたらされた誤 あやま りであるとした。
アメリカの哲学 てつがく 者 しゃ ダニエル・デネット は、1992年 ねん の著作 ちょさく "Consciousness Explained"(邦訳 ほうやく 『解明 かいめい される意識 いしき 』)の中 なか で、「因果 いんが 的 てき 閉鎖 へいさ 性 せい を破 やぶ るような心身 しんしん の相互 そうご 作用 さよう はもしそうしたものがあるとすれば、エネルギー保存 ほぞん 則 そく をやぶることになる」と説明 せつめい した。 またデネットは『仮 かり に脳 のう 内 ない のどこかで、今 いま まで静止 せいし していたものが、何 なん の物理 ぶつり 的 てき な力 ちから も受 う けずに突然 とつぜん 動 うご き出 だ したり、また今 いま まで動 うご いていたものが、何 なん の力 りょく も受 う けずに突然 とつぜん 静止 せいし したりするなら、そこではエネルギー保存 ほぞん 則 そく がやぶれている。だから、非 ひ 物質 ぶっしつ 的 てき な精神 せいしん が物理 ぶつり 的 てき なものに影響 えいきょう を及 およ ぼすという考 かんが えは、物理 ぶつり 学 がく の法則 ほうそく と矛盾 むじゅん するものであり、「考 かんが えただけでコップを宙 ちゅう に浮 う かすことが出来 でき る」といったサイコキネシス や超 ちょう 能力 のうりょく の実在 じつざい を主張 しゅちょう するのと何 なに も変 か わりない』と説明 せつめい した。
ひとつの自己 じこ に関 かん する問題 もんだい 点 てん [ 編集 へんしゅう ]
実体 じったい 二元論 にげんろん では一人 ひとり の人 ひと が、または一 ひと つの脳 のう が、分割 ぶんかつ できないひとつの精神 せいしん を持 も つとする。しかしこうした分割 ぶんかつ 不可能 ふかのう な一 ひと つの精神 せいしん 、という考 かんが えは実際 じっさい の様々 さまざま な病気 びょうき や臨床 りんしょう 例 れい を見 み ていくと、それらと整合 せいごう 的 てき に理解 りかい していくことは難 むずか しい。以下 いか 、そうした点 てん について説明 せつめい する。
高次 こうじ 脳 のう 機能 きのう 障害 しょうがい [ 編集 へんしゅう ]
実体 じったい 二元論 にげんろん においては、思考 しこう 、判断 はんだん 、言語 げんご 機能 きのう といった高次 こうじ の精神 せいしん 機能 きのう は、物質 ぶっしつ 的 てき な脳 のう ではなく、非 ひ 物理 ぶつり 的 てき な精神 せいしん によってになわれるとした。これはデカルトが述 の べた、精神 せいしん を持 も たない人間 にんげん 、の話 はなし を見 み てみると分 わ かるが、デカルトは精神 せいしん を持 も たない人間 にんげん は、ごく単純 たんじゅん な反応 はんのう しか返 かえ すことが出来 でき ず、様々 さまざま な場面 ばめん での適切 てきせつ な振 ふ る舞 ま い(礼儀 れいぎ 作法 さほう など)は行 おこな えないだろう、と考 かんが えていた[10] 。つまり人間 にんげん の持 も つ様々 さまざま な高次 こうじ 機能 きのう は、非 ひ 物理 ぶつり 的 てき な精神 せいしん が一 いち 手 て に引 ひ き受 う けている、という捉 とら え方 かた をしていた。
しかし神経 しんけい 科学 かがく や医療 いりょう 現場 げんば で、様々 さまざま な臨床 りんしょう 例 れい が集 あつ まり始 はじ めるにつれ、人間 にんげん の高次 こうじ 機能 きのう に対 たい するそうした単純 たんじゅん な考 かんが え方 かた は、徐々 じょじょ に維持 いじ するのが難 むずか しくなっていった。それは人間 にんげん の持 も つ様々 さまざま な高次 こうじ 機能 きのう が、選択 せんたく 的 てき に破壊 はかい されることが分 わ かってきたからである。例 たと えば、耳 みみ は聞 き こえ、言葉 ことば を口 くち にすることも出来 でき るのに、人 ひと の話 はなし を理解 りかい することが出来 でき なくなる事例 じれい や(ウェルニッケ失語 しつご :ウェルニッケ野 の を中心 ちゅうしん とする領域 りょういき の損傷 そんしょう で引 ひ き起 お こされる)、また古 ふる いことは覚 おぼ えているのに、新 あたら しいことを覚 おぼ える能力 のうりょく が失 うしな われる例 れい (前 ぜん 向性 こうせい 健忘 けんぼう :海馬 かいば を中心 ちゅうしん とする側 がわ 頭 あたま 葉 は 内側 うちがわ 部 ぶ の損傷 そんしょう で引 ひ き起 お こされる)など、脳 のう の部分 ぶぶん 部分 ぶぶん の障害 しょうがい が、人間 にんげん の持 も つ高次 こうじ 機能 きのう の一部 いちぶ だけを選択 せんたく 的 てき に失 うしな わせていくような例 れい が、多数 たすう 調 しら べられ、情報 じょうほう として蓄積 ちくせき されてきた。脳 のう 機能 きのう 局在 きょくざい 論 ろん なども参照 さんしょう のこと。
唯 ただ 脳 のう 論 ろん を超 こ える近年 きんねん の諸 しょ 見解 けんかい [ 編集 へんしゅう ]
エベン・アレグザンダー
2012年 ねん 10月 がつ 、脳神経 のうしんけい 外科 げか 医 い であるエベン・アレグザンダー は「死後 しご の世界 せかい は存在 そんざい する」と発言 はつげん した。かつては一元論 いちげんろん 者 しゃ で死後 しご の世界 せかい を否定 ひてい していた人物 じんぶつ であったが、脳 のう の病 やまい に侵 おか され入院 にゅういん 中 ちゅう に臨死 りんし 体験 たいけん を経験 けいけん して回復 かいふく した。退院 たいいん 後 ご 、体験 たいけん 中 ちゅう の脳 のう の状態 じょうたい を徹底的 てっていてき に調査 ちょうさ した結果 けっか 、昏睡 こんすい 状態 じょうたい にあった7日間 にちかん 、脳 のう の大 だい 部分 ぶぶん は機能 きのう を停止 ていし していたことを確認 かくにん した。そしてあらゆる可能 かのう 性 せい を検討 けんとう した結果 けっか 、「あれは死後 しご の世界 せかい に間違 まちが いない」と判断 はんだん して、自分 じぶん の体験 たいけん から「脳 のう それ自体 じたい は意識 いしき を作 つく り出 だ さないのでは?」との仮説 かせつ を立 た てている[11] 。
サム・パーニア
2013年 ねん 、蘇生 そせい 医療 いりょう の専門 せんもん 家 か で「死後 しご 体験 たいけん 」の研究 けんきゅう 者 しゃ であるサム・パーニア 博士 はかせ は脳波 のうは 停止 ていし して蘇生 そせい した患者 かんじゃ に停止 ていし 後 ご に意識 いしき が存続 そんぞく していた患者 かんじゃ が複数 ふくすう いた事 こと がわかり「意識 いしき は脳 のう とは別個 べっこ の 存在 そんざい なのかもしれません」と語 かた った。
ジム・タッカー
精神 せいしん 医学 いがく のジム・タッカー博士 はかせ は「物理 ぶつり 法則 ほうそく を超 こ える何 なに かが在 あ る、物理 ぶつり 世界 せかい とは別 べつ の空間 くうかん に意識 いしき の要素 ようそ が存在 そんざい するに違 ちが いない。その意識 いしき は単 たん に脳 のう に植 う え付 つ けられたものではない。宇宙 うちゅう 全般 ぜんぱん を見 み る際 さい に全 まった く別 べつ の理解 りかい が必要 ひつよう になって来 く るだろう」との仮説 かせつ を立 た てている[12] 。
保 ほ 江 こう 邦夫 くにお の見解 けんかい [ 編集 へんしゅう ]
数理 すうり 物理 ぶつり 学 がく ・量子力学 りょうしりきがく ・脳 のう 科学 かがく ・金融 きんゆう 工学 こうがく 者 しゃ である保 ほ 江 こう 邦夫 くにお は場 ば の量子 りょうし 論 ろん ではゼロ点 てん エネルギーの総和 そうわ が計算 けいさん 上 じょう 無限 むげん 大 だい になるという発散 はっさん の問題 もんだい をくりこみ理論 りろん によって回避 かいひ しているものの、点 てん 状 じょう の粒子 りゅうし という従来 じゅうらい の物理 ぶつり 学 がく 上 じょう の矛盾 むじゅん は内包 ないほう している。それに対 たい して素 す 領域 りょういき 理論 りろん では、粒子 りゅうし は最小 さいしょう 領域 りょういき (泡 あわ )の中 なか で惹起 じゃっき されると捉 とら えるのでその矛盾 むじゅん は生 しょう じず、また個々 ここ の粒子 りゅうし に対応 たいおう する場 ば を無限 むげん に想定 そうてい する必要 ひつよう もなく、それぞれの泡 あわ の固有 こゆう 振動 しんどう 数 すう の違 ちが い(鋳型 いがた )よって異 こと なる粒子 りゅうし が惹起 じゃっき されると捉 とら える。故 ゆえ にミクロからマクロのスケールにまで適応 てきおう される統一 とういつ 場 じょう 理論 りろん であり、超 ちょう 弦 つる 理論 りろん よりもはるかに時代 じだい を先駆 さきが けていたのが素 す 領域 りょういき 理論 りろん なのであると述 の べている。素 もと 領域 りょういき というビールの泡 あわ の外 そと と内 うち はどのような構造 こうぞう になっているのか? 保 ほ 江 え は「泡 あわ の内側 うちがわ は素粒子 そりゅうし で構成 こうせい される物質 ぶっしつ の世界 せかい であるのに対 たい して、外側 そとがわ は非 ひ 物質 ぶっしつ で、ライプニッツのいうモナド(単一 たんいつ )のような絶対 ぜったい 無限 むげん の世界 せかい 。そこは完全 かんぜん 調和 ちょうわ なので何 なに も起 お こらない。あるとき完全 かんぜん 調和 ちょうわ に崩 くず れ(ゆらぎ)が起 お きたことによって泡 あわ が発生 はっせい し、それぞれの泡 あわ の鋳型 いがた に応 おう じた素粒子 そりゅうし ・物質 ぶっしつ が生 う まれるのです。そして人間 にんげん が肉体 にくたい の死 し を迎 むか えると非 ひ 物質 ぶっしつ の魂 たましい となって元 もと の素 す 領域 りょういき (泡 あわ の外 そと =霊界 れいかい )に溶 と けていくんです」と述 の べている[13] 。
イアン・スティーヴンソンによる調査 ちょうさ [ 編集 へんしゅう ]
転生 てんせい を扱 あつか った学術 がくじゅつ 的 てき 研究 けんきゅう の代表 だいひょう 的 てき な例 れい としては、超 ちょう 心理 しんり 学 がく 研究 けんきゅう 者 しゃ ・精神 せいしん 科 か 教授 きょうじゅ のイアン・スティーヴンソン による調査 ちょうさ がある。スティーブンソンは1961年 ねん にインドでフィールドワークを行 おこな い、いくつかの事例 じれい を信頼 しんらい 性 せい の高 たか いものであると判断 はんだん し、前世 ぜんせい の記憶 きおく が研究 けんきゅう テーマたり得 え ることを確信 かくしん した[14] 。多 おお くは2~4歳 さい で前世 ぜんせい について語 かた り始 はじ め、5~7歳 さい くらいになると話 はなし をしなくなるという[15] 。日本 にっぽん の前世 ぜんせい ブームの前世 ぜんせい 少女 しょうじょ のような思春期 ししゅんき の事例 じれい やシャーリー・マクレーンのような大人 おとな の事例 じれい は、成長 せいちょう 過程 かてい で得 え た情報 じょうほう を無意識 むいしき に物語 ものがたり として再 さい 構築 こうちく している可能 かのう 性 せい を鑑 かんが みて重視 じゅうし せず、2~8歳 さい を対象 たいしょう とした。前世 ぜんせい を記憶 きおく する子供 こども たち』では、子 こ どもの12の典型 てんけい 例 れい を考察 こうさつ している[16] 。竹倉 たけくら 史 し 人 じん は、スティーヴンソンの立場 たちば は科学 かがく 者 しゃ としての客観 きゃっかん 的 てき なもので、方法 ほうほう 論 ろん も学術 がくじゅつ 的 てき であり、1966年 ねん の『生 う まれ変 か わりを思 おも わせる二 に 十 じゅう の事例 じれい 』は、いくつかの権威 けんい ある医学 いがく 専門 せんもん 誌 し からも好意 こうい 的 てき に迎 むか えられたと説明 せつめい している[17] 。赤坂 あかさか 寛 ひろし 雄 ゆう は、スティーブンソンは生 う まれ変 か わり信仰 しんこう に肯定 こうてい 的 てき であり、むしろ一連 いちれん の前世 ぜんせい 研究 けんきゅう は、前世 ぜんせい や生 う まれ変 か わりが事実 じじつ であることを証明 しょうめい しようという執拗 しつよう な意思 いし によって支 ささ えられているかのように見 み えると述 の べている[16] 。
スティーブンソンの前世 ぜんせい 研究 けんきゅう は、世界 せかい 的 てき 発明 はつめい 家 か チェスター・カールソン がパトロン として支 ささ え、子 こ どもたちが語 かた る前世 ぜんせい の記憶 きおく の真偽 しんぎ を客観 きゃっかん 的 てき ・実証 じっしょう 的 てき に研究 けんきゅう する The Division of Perceptual Studies(DOPS)がヴァージニア大学 だいがく 医学部 いがくぶ に創設 そうせつ された[18] 。死後 しご 100万 まん ドルの遺産 いさん がスティーヴンソンが属 ぞく するヴァージニア大学 だいがく に寄付 きふ され、現在 げんざい もDOPSで前世 ぜんせい 研究 けんきゅう が続 つづ けられ[15] 、2600超 ちょう の事例 じれい が収集 しゅうしゅう されている。DOPSの調査 ちょうさ データを分析 ぶんせき した中部大学 ちゅうぶだいがく 教授 きょうじゅ ・ヴァージニア大学 だいがく 客員 きゃくいん 教授 きょうじゅ の大門 だいもん 正幸 まさゆき によると、収集 しゅうしゅう された事例 じれい のうち、前世 ぜんせい に該当 がいとう すると思 おも われる人物 じんぶつ が見 み つかったのは72.9%、前世 ぜんせい で非業 ひごう の死 し を遂 と げたとされるものは67.4%である[19] 。懐疑 かいぎ 主義 しゅぎ 者 しゃ の団体 だんたい サイコップ の創設 そうせつ メンバーであるカール・セーガン は、生 う まれ変 か わりは信 しん じないが、「まじめに調 しら べてみるだけの価値 かち がある」と評 ひょう した[20] 。
量子 りょうし 脳 のう 理論 りろん [ 編集 へんしゅう ]
ケンブリッジ大学 けんぶりっじだいがく の数学 すうがく 者 しゃ ロジャー・ペンローズ とアリゾナ大学 だいがく のスチュワート・ハメロフ は、意識 いしき は何 なん らかの量子 りょうし 過程 かてい から生 しょう じてくると推測 すいそく している。ペンローズらの「Orch OR 理論 りろん 」によれば、意識 いしき はニューロン を単位 たんい として生 しょう じてくるのではなく、微小 びしょう 管 かん と呼 よ ばれる量子 りょうし 過程 かてい が起 お こりやすい構造 こうぞう から生 しょう じる。この理論 りろん に対 たい しては、現在 げんざい では懐疑 かいぎ 的 てき に考 かんが えられているが生物 せいぶつ 学 がく 上 じょう の様々 さまざま な現象 げんしょう が量子 りょうし 論 ろん を応用 おうよう することで説明 せつめい 可能 かのう な点 てん から少 すこ しずつ立証 りっしょう されていて20年 ねん 前 まえ から唱 とな えられてきたこの説 せつ を根本 こんぽん 的 てき に否定 ひてい できた人 ひと はいないとハメロフは主張 しゅちょう している[21] 。
臨死 りんし 体験 たいけん の関連 かんれん 性 せい について以下 いか のように推測 すいそく している。「脳 のう で生 う まれる意識 いしき は宇宙 うちゅう 世界 せかい で生 う まれる素粒子 そりゅうし より小 ちい さい物質 ぶっしつ であり、重力 じゅうりょく ・空間 くうかん ・時間 じかん にとわれない性質 せいしつ を持 も つため、通常 つうじょう は脳 のう に納 おさ まっている」が「体験 たいけん 者 しゃ の心臓 しんぞう が止 と まると、意識 いしき は脳 のう から出 で て拡散 かくさん する。そこで体験 たいけん 者 しゃ が蘇生 そせい した場合 ばあい は意識 いしき は脳 のう に戻 もど り、体験 たいけん 者 しゃ が蘇生 そせい しなければ意識 いしき 情報 じょうほう は宇宙 うちゅう に在 あ り続 つづ ける」あるいは「別 べつ の生命 せいめい 体 たい と結 むす び付 つ いて生 う まれ変 か わるのかもしれない。」と述 の べている[22] 。
神学 しんがく ・宗教 しゅうきょう 哲学 てつがく [ 編集 へんしゅう ]
イギリスの哲学 てつがく 者 しゃ リチャード・スウィンバーン (en:Richard Swinburne )は、いくつかの思考 しこう 実験 じっけん と帰納 きのう 推論 すいろん に関 かん する原則 げんそく を導入 どうにゅう することで、実体 じったい 二元論 にげんろん を擁護 ようご している[23] [24] [25] 。
サム・パルニアの見解 けんかい [ 編集 へんしゅう ]
英国 えいこく の医師 いし 、サム・パルニア氏 し (Sam Parnia)は、魂 たましい の存在 そんざい を科学 かがく 的 てき に実証 じっしょう することを試 こころ みた。パルニア氏 し は、天井 てんじょう の近 ちか くに一 ひと つの板 いた を吊 つ り上 あ げ、その板 いた の上 うえ に小 ちい さな物体 ぶったい を置 お いた。この物体 ぶったい が何 なに であるかは、パルニア氏 し のみが知 し っている。もし亡 な くなった人 ひと の魂 たましい が天井 てんじょう まで漂 ただよ い浮 う かび上 あ がることができるならば、魂 たましい は物体 ぶったい を見 み ることができる、という仕組 しく みだ。パルニア氏 し は、この方法 ほうほう で100人 にん の患者 かんじゃ に実験 じっけん を行 おこな った。そのうち、救急 きゅうきゅう 蘇生 そせい で生 い き返 かえ った7人 にん が全員 ぜんいん 、板 いた の上 うえ に置 お いてある物体 ぶったい を正 ただ しく認識 にんしき していたという。これによって、魂 たましい は確 たし かに存在 そんざい し、肉体 にくたい から離 はな れて存在 そんざい できると同氏 どうし は言 い う。魂 たましい は漂 ただよ うことができ、移動 いどう することができ、生命 せいめい のもう一種 いっしゅ の存在 そんざい 形式 けいしき であると結論 けつろん づけている[21] 。
疎外 そがい 論 ろん と幻想 げんそう 論 ろん [ 編集 へんしゅう ]
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日本 にっぽん の思想家 しそうか 吉本 よしもと 隆明 たかあき は、観念論 かんねんろん や唯物 ゆいぶつ 論 ろん の対立 たいりつ を乗 の り越 こ えるために、疎外 そがい 論 ろん を用 もち いた心身 しんしん 二元論 にげんろん を展開 てんかい している。疎外 そがい とは、そこから派生 はせい するがそこには還元 かんげん されないと言 い う意味 いみ である。意識 いしき は身体 しんたい がないと発生 はっせい しないが、脳 のう のような身体 しんたい の部分 ぶぶん 部分 ぶぶん には還元 かんげん できない。生命 せいめい 体 たい の身体 しんたい は、機械 きかい のように要素 ようそ や各 かく 部分 ぶぶん に分解 ぶんかい して、また組 く み立 た てなおすことはできない。分解 ぶんかい したら死 し んでしまい、意識 いしき は消 き え、生命 せいめい 体 たい ではなくなってしまうからである。要 よう 素性 すじょう ではなく、身体 しんたい 的 てき な全体 ぜんたい 性 せい こそが生命 せいめい 現象 げんしょう や意識 いしき の本質 ほんしつ なのである。よって、身体 しんたい と精神 せいしん は相対 そうたい 的 てき に自立 じりつ していると考 かんが えている。霊魂 れいこん や生命 せいめい エネルギー(ジークムント・フロイト の概念 がいねん でいうエス )は、デカルトの二元論 にげんろん のように大脳 だいのう や松 まつ 果 はて 腺 せん のような部分 ぶぶん や器官 きかん に集中 しゅうちゅう して偏在 へんざい しているのではなく、生物 せいぶつ のすべての細胞 さいぼう にまんべんなく存在 そんざい するものである。だから脳死 のうし しても他 た の器官 きかん が活動 かつどう し続 つづ けると言 い う現象 げんしょう も起 お こるのであり、死 し とは瞬間 しゅんかん 的 てき な現象 げんしょう ではなく、すべての細胞 さいぼう が死滅 しめつ するまでの段階 だんかい 的 てき な過程 かてい なのである。
意識 いしき と身体 しんたい は、炎 ほのお とロウソクの関係 かんけい に似 に ている。ロウソク(燃 も える物 もの )が存在 そんざい しないと炎 ほのお は生 う まれないが、炎 ほのお という燃焼 ねんしょう 現象 げんしょう はロウソクには還元 かんげん されない。よって、いくらロウソクを調 しら べたところで炎 ほのお という燃焼 ねんしょう 現象 げんしょう の本質 ほんしつ は理解 りかい されない。炎 ほのお はロウソクから疎外 そがい された現象 げんしょう なのである。
吉本 よしもと は、すべての生命 せいめい 体 たい を〈原生 げんせい 的 てき 疎外 そがい 〉と呼 よ び、自然 しぜん から疎外 そがい されたものであるから、自然 しぜん 科学 かがく 的 てき には心的 しんてき 現象 げんしょう やエスは観察 かんさつ できないと述 の べている。エスや心的 しんてき 現象 げんしょう とはもともと物質 ぶっしつ ではないのである。しかし、自然 しぜん 科学 かがく 的 てき に観察 かんさつ できないからと言 い って、存在 そんざい しないわけではないし、オカルト的 てき なものでもない。文学 ぶんがく や芸術 げいじゅつ が自然 しぜん 科学 かがく 的 てき に説明 せつめい できないにもかかわらず、確実 かくじつ に存在 そんざい するのと同 おな じである。心身 しんしん 二元論 にげんろん を自然 しぜん 科学 かがく 者 しゃ が否定 ひてい するのは当然 とうぜん であり、エスや心的 しんてき 現象 げんしょう はもともと自然 しぜん 科学 かがく 的 てき カテゴリーではないからである。物理 ぶつり 的 てき 現象 げんしょう ではないために、因果 いんが 的 てき 閉鎖 へいさ 性 せい など最初 さいしょ から考 かんが える必要 ひつよう がないのである。脳 のう の動 うご きが物理 ぶつり 的 てき な作用 さよう によらずに動 うご き始 はじ めたら超 ちょう 能力 のうりょく だと言 い うが、生命 せいめい とはもともとそういうものであり、無生物 むせいぶつ がなにも物理 ぶつり 的 てき な力 ちから を加 くわ えずに動 うご き始 はじ めたら確 たし かに超 ちょう 能力 のうりょく だが、生命 せいめい 体 たい が自分 じぶん の意思 いし で自分 じぶん 自身 じしん の身体 しんたい を動 うご かす分 ぶん にはなんの矛盾 むじゅん も問題 もんだい もない。自分 じぶん の意思 いし で自分 じぶん の身体 しんたい を動 うご かすことができるから生物 せいぶつ なのである。
心 しん 的 てき 現象 げんしょう とは自然 しぜん 科学 かがく 的 てき に〈観察 かんさつ 〉するのではなく、文学 ぶんがく や芸術 げいじゅつ のように人文 じんぶん 科学 かがく 的 てき に〈了解 りょうかい 〉することによって初 はじ めて出現 しゅつげん するのである。吉本 よしもと は心的 しんてき 現象 げんしょう とは〈幻想 げんそう 〉であり、自然 しぜん 科学 かがく では取 と り扱 あつか えないために、幻想 げんそう は幻想 げんそう として取 と り扱 あつか わなくてはならないと指摘 してき している。脳 のう 科学 かがく や神経 しんけい 学 がく の発達 はったつ で、知覚 ちかく の問題 もんだい は説明 せつめい できるかもしれないが、人間 にんげん の持 も つ感想 かんそう 、解釈 かいしゃく 、意味 いみ 付与 ふよ 、価値 かち 観 かん 、審美 しんび 眼 め の問題 もんだい は説明 せつめい できないのと同 おな じである。
^ ジョン・サール 著 しる 山本 やまもと 貴光 たかみつ ・吉川 よしかわ 浩 ひろし 満 まん 訳 やく 『MiND 心 しん の哲学 てつがく 』 朝日出版社 あさひしゅっぱんしゃ 2006年 ねん ISBN 4-255-00325-4 第 だい 二 に 章 しょう 第 だい 一 いち 節 せつ 「二元論 にげんろん の困難 こんなん 」pp.64-72 以下 いか p.64より引用 いんよう 。「実体 じったい 二元論 にげんろん に基 もと づけば、肉体 にくたい が滅 ほろ びた後 のち も魂 たましい は生 い きつづけられるという結論 けつろん が導 みちび かれる。そしてここから、死後 しご の生 せい があると信 しん じる信仰 しんこう 者 しゃ たちに訴 うった えるものの見方 みかた が生 う み出 だ される。だが専門 せんもん 家 か たちのあいだでは、実体 じったい 二元論 にげんろん はもはや検討 けんとう にも値 あたい しないと考 かんが えられている。」
^ ダニエル・デネット 著 しる 山口 やまぐち 泰司 やすじ 訳 やく 『解明 かいめい される意識 いしき 』 青土 おうづち 社 しゃ 1998年 ねん ISBN 4-7917-5596-0 第 だい 二 に 章 しょう 第 だい 四 よん 節 せつ 「二元論 にげんろん はなぜ見捨 みす てられるのか」pp.50-58
^ 西脇 にしわき 与作 よさく 『もの、命 いのち 、心 しん の科学 かがく と哲学 てつがく <下 した >』「第 だい 二 に 節 せつ 現代 げんだい の常識 じょうしき はデカルトの意見 いけん 」 オンラインマガジンゑれきてる 東芝 とうしば 発行 はっこう 2004年 ねん
^ Nicholas Everitt
"Substance Dualism and Disembodied Existence " Faith & Philosophy, Vol. 17, No. 3 (2000), pp. 331-347. 以下 いか 冒頭 ぼうとう 文 ぶん より引用 いんよう "Substance dualism, that most unpopular of current theories of mind,(訳 わけ :実体 じったい 二元論 にげんろん は、現在 げんざい 最 もっと も人気 にんき のない心 しん についての理論 りろん である)"
^ スーザン・ブラックモア (著 ちょ )、山形 やまがた 浩 ひろし 生 せい ,守岡 もりおか 桜 さくら (訳 わけ )『「意識 いしき 」を語 かた る』NTT出版 しゅっぱん (2009年 ねん ) ISBN 4757160178 (翻訳 ほんやく 元 もと は "Conversations on Consciousness" (2007). Oxford University Press. hardcover: ISBN 0195179595 。意識 いしき に関 かん する二 ふた つの大 おお きな国際 こくさい 会議 かいぎ 、ツーソン会議 かいぎ とASSC の会場 かいじょう で、様々 さまざま な分野 ぶんや の研究 けんきゅう 者 しゃ 20人 にん にインタビューした記録 きろく をまとめた本 ほん 。以下 いか 前書 まえが き(pp. 10-11)より引用 いんよう 「ハード・プロブレムとは、物理 ぶつり 的 てき プロセスがいかにして主観 しゅかん 的 てき 経験 けいけん を生 う み出 だ せるかを理解 りかい するのがむずかしいということ。(中略 ちゅうりゃく )誰 だれ もこの質問 しつもん に対 たい する答 こた えを持 も ち合 あ わせていませんでした。答 こた えを知 し っているつもりとおぼしき人 ひと はいましたが。(中略 ちゅうりゃく )でも、どんなに混乱 こんらん が根深 ねぶか いかを明 あ かしてくれただけでも、この質問 しつもん をした価値 かち はあったと思 おも います。ひとつだけほぼ全員 ぜんいん が同意 どうい したのは、古典 こてん 的 てき な二元論 にげんろん はあてはまらないということです。(中略 ちゅうりゃく )心 しん と体 からだ -脳 のう と意識 いしき -が異 こと なる物質 ぶっしつ であるはずがないのです。」
^ 瀬口 せぐち 昌久 まさひさ 『魂 たましい と世界 せかい : プラトンの反 はん 二元論 にげんろん 的 てき 世界 せかい 像 ぞう 』京都大学 きょうとだいがく 学術 がくじゅつ 出版 しゅっぱん 会 かい 、2002年 ねん 。ISBN 4876984492 。 NCID BA60097503 。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003989680-00 。 ISBN 9784876984497
^ Pete Mandik "Substance dualism " Dictionary of Philosophy of Mind 2004年 ねん 以下 いか 冒頭 ぼうとう 文 ぶん より引用 いんよう "Perhaps the most famous proponent of substance dualism was Descartes"
^ カール・ポパー (著 ちょ ), ジョン・C・エックルス (著 ちょ ), 大村 おおむら 裕 ひろし (翻訳 ほんやく ), 沢田 さわだ 允 まこと 茂 しげる (翻訳 ほんやく ), 西脇 にしわき 与作 よさく (翻訳 ほんやく ) 『自我 じが と脳 のう 』 新装 しんそう 版 ばん 新 しん 思索 しさく 社 しゃ 2005年 ねん ISBN 978-4783501374
^ 芋 いも 阪 ばん 直行 なおゆき 編 へん 下條 しもじょう 信 しん 輔 ・佐々木 ささき 正人 まさと ・信 しんじ 原 はら 幸弘 ゆきひろ ・山中 やまなか 康裕 やすひろ 著 ちょ 『意識 いしき の科学 かがく は可能 かのう か』 p.9 新 しん 曜社 2002年 ねん ISBN 4788508001
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^ NHKBSプレミアム「ザ・プレミアム超 ちょう 常 つね 現象 げんしょう さまよえる魂 たましい の行方 ゆくえ 」
^ “魂 たましい の構造 こうぞう が説明 せつめい できる”素 す 領域 りょういき 理論 りろん とは? 物理 ぶつり 学者 がくしゃ ・保 ほ 江 こう 邦夫 くにお 教授 きょうじゅ に取材 しゅざい ! TOCANA [出典 しゅってん 無効 むこう ]
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^ 竹倉 たけくら 2015. 位置 いち No.1617/2493
^ 竹倉 たけくら 2015. 位置 いち No.1637/2493
^ 竹倉 たけくら 2015. 位置 いち No.1790/2493
^ 竹倉 たけくら 2015. 位置 いち No.1844/2493
^ a b NHKスペシャル モーガン・フリーマン 時空 じくう を超 こ えて 第 だい 2回 かい 「死後 しご の世界 せかい はあるのか?」
^ NHK ザ・プレミアム超 ちょう 常 つね 現象 げんしょう さまよえる魂 たましい の行方 ゆくえ
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坂井 さかい 賢太 けんた 朗 ろう 「実体 じったい 二元論 にげんろん との対決 たいけつ (1) : 主体 しゅたい について 」『京都 きょうと 大学 だいがく 文学部 ぶんがくぶ 哲学 てつがく 研究 けんきゅう 室 しつ 紀要 きよう 』第 だい 13巻 かん 、京都 きょうと 大学 だいがく 大学院 だいがくいん 文学 ぶんがく 研究 けんきゅう 科 か 哲学 てつがく 研究 けんきゅう 室 しつ 、2010年 ねん 3月 がつ 、83-95頁 ぺーじ 、NAID 120002828482 。
立花 たちばな 希一 きいち 「デカルトの物心 ぶっしん 二元論 にげんろん 再考 さいこう 」『秋田大学 あきただいがく 教育 きょういく 文化 ぶんか 学部 がくぶ 研究 けんきゅう 紀要 きよう 人文 じんぶん 科学 かがく ・社会 しゃかい 科学 かがく 』第 だい 63巻 かん 、秋田大学 あきただいがく 教育 きょういく 文化 ぶんか 学部 がくぶ 、2008年 ねん 3月 がつ 、1-12頁 ぺーじ 、ISSN 1348527X 、NAID 110006648678 。
米 べい 虫 ちゅう 正巳 まさみ 「「魂 たましい 」の存在 そんざい は何故 なぜ 「第 だい 一 いち 原理 げんり 」と言 い われるのか:デカルト哲学 てつがく における実体 じったい の差異 さい 」『哲学 てつがく 』第 だい 1995巻 かん 第 だい 46号 ごう 、日本 にっぽん 哲学 てつがく 会 かい 、1995年 ねん 、50-59,3、doi :10.11439/philosophy1952.1995.46_50 、ISSN 0387-3358 、NAID 130003661282 。