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実体じったい二元論にげんろん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
実体じったい二元論にげんろん代表だいひょうれいであるデカルト二元論にげんろん説明せつめい。デカルトはまつはてせんにおいて独立どくりつした実体じったいである精神せいしん身体しんたい相互そうご作用さようするとした。1641ねん著作ちょさく省察せいさつ』より。
実体じったい二元論にげんろん概念がいねん実体じったい二元論にげんろんおもえ推実たいたましい精神せいしんなど様々さまざま名前なまえばれる、能動のうどうせいをもった物質ぶっしつてき実体じったい存在そんざい仮定かていする。この実体じったいのうから情報じょうほうり、のう指令しれいかえす。このモデルはときしんかんする管制塔かんせいとうモデルである、というふうにも表現ひょうげんされる。
デカルトが精神せいしんだとかんがえたまつはてせん赤色あかいろしめす)。のうのほぼ中央ちゅうおう位置いちし、視床ししょうちゃしょくしめす)の背中せなかがわで、左右さゆう視床ししょうたいはさまれるようにして存在そんざいする。

実体じったい二元論にげんろん(じったいにげんろん、えい: Substance dualism)とは、心身しんしん問題もんだいかんする形而上学けいじじょうがくてき立場たちばのひとつで、この世界せかいにはモノとココロという本質ほんしつてきことなる独立どくりつしたふたつの実体じったいがある、とするかんがかた。ここで実体じったいとはなににもらずそれだけで独立どくりつして存在そんざいしうるもののことい、つまりはのうくともしんはある、とするかんがかたあらわす。ただ実体じったい二元論にげんろんというひとつのはっきりとした理論りろんがあるわけではなく、一般いっぱんつぎふたつの特徴とくちょうあわつようなかんがかた実体じったい二元論にげんろんばれる。

  1. この世界せかいには、肉体にくたい物質ぶっしつといった物理ぶつりてき実体じったいとはべつに、たましい霊魂れいこん自我じが精神せいしん、またとき意識いしき、などとばれる能動のうどうせいったしんてき実体じったいがある。
  2. そして心的しんてき機能きのう一部いちぶたとえば思考しこう判断はんだんなど)は物質ぶっしつとはべつのこのしんてき実体じったいになっている

実体じったい二元論にげんろん心身しんしん二元論にげんろん物心ぶっしん二元論にげんろん霊肉れいにく二元論にげんろん古典こてんてき二元論にげんろんなどともわれる。たん二元論にげんろんとだけ表現ひょうげんされることもある[ちゅう 1]

西洋せいようでは歴史れきしさかのぼれば古代こだいギリシアのプラトンまでさかのぼることができるが、とく代表だいひょうてきだとなされているのは17世紀せいき哲学てつがくしゃデカルト二元論にげんろんである。

実体じったい二元論にげんろん歴史れきしてき通俗つうぞくてきには非常ひじょうにポピュラーなかんがえではあるが、現代げんだい専門せんもんたちのあいだでこの理論りろん支持しじするものはほとんどいない[1][2][3][4][5]

ただし、ペンローズ、ハメロフ、エックルズ、ベック、治部じぶなどによって二元論にげんろん発展形はってんけい改良かいりょうがたともえるような量子りょうしのう理論りろんとなえられている。

また思想家しそうか吉本よしもと隆明たかあきは、精神せいしんのうという言葉ことばもちいているからといってそれをそく二元論にげんろん」ととらえて批判ひはんしていること自体じたい自然しぜん科学かがく還元かんげんろんうちふくんでいる方法ほうほうろんじょう問題もんだいがある、といった内容ないよう指摘してきをしている。[よう出典しゅってん]

歴史れきし[編集へんしゅう]

紀元前きげんぜん4世紀せいき古代こだいギリシャ哲学てつがくしゃプラトンは、著作ちょさくパイドン』のなかで、はソーマ(肉体にくたい)からのプシュケー(いのち、しん霊魂れいこん)の分離ぶんりであり、そして分離ぶんりしたプシュケーは永遠えいえん不滅ふめつであるとした。不滅ふめつであることのひとつの理由りゆうとして、プシュケーは部分ぶぶんたない、とした。つまりなにかを破壊はかいするためにはそれを部分ぶぶんけなければならないが、プシュケーには部分ぶぶんがないのだからそれはけることができない、すなわち破壊はかい不可能ふかのうである、とろんじた。そして不滅ふめつであることのもうひとつの理由りゆうとして、物事ものごと状態じょうたいたがいにぎゃく状態じょうたいからもたらされる、ということをげた。きているとはソーマとプシュケーがひとつになっていることであり、はその反対はんたい、ソーマとプシュケーとの分離ぶんりであるとした。

こうしたプラトンのせつも「二元論にげんろんだ」とするのが従来じゅうらい定説ていせつであった。(ただし、「二元論にげんろん」とする従来じゅうらい定説ていせつおおきな間違まちがいで、プラトンのせつ内容ないようは「理論りろん」であると、学者がくしゃによる緻密ちみつ研究けんきゅうによって近年きんねん指摘してきされている[6]

17世紀せいきのフランスの哲学てつがくしゃルネ・デカルトは「わがおもう、ゆえにわがあり」という表現ひょうげんかかげつつ二元論にげんろんとなえた。デカルトは、空間くうかんてきひろがりを思考しこうできない延長えんちょう実体じったい(いわゆる物質ぶっしつ、ラ:res extensa)と、思考しこうすることができる空間くうかんてきひろがりをたない思惟しい実体じったい(いわゆるしん、ラ:res cogitans)のふたつの実体じったいがあるとし、これらがたがいに独立どくりつして存在そんざいしうるものとした。このかんがえはデカルト二元論にげんろん(Cartesian dualism)とばれ、デカルトのこのせつがしばしば実体じったい二元論にげんろん代表だいひょうてきなものとしてあつかわれている[7]

歴史れきしてき直近ちょっきんに、実体じったい二元論にげんろんとなえた人物じんぶつとしては、20世紀せいきのオーストラリアの神経しんけい生理学せいりがくしゃジョン・エックルズ[8]有名ゆうめいである。エックルズはしばしば、「最後さいご二元論にげんろんしゃ」などとばれている[9]

問題もんだいてん[編集へんしゅう]

デカルトてき二元論にげんろんは、きん現代げんだい自然しぜん科学かがく哲学てつがくてき基礎きそつくったが、同時どうじ自然しぜん科学かがく発展はってんするにつれ、徐々じょじょ支持しじされなくなっていった。機械きかいろん普及ふきゅうするにつれ、この世界せかい生起せいきしている現象げんしょうはすべて力学りきがく説明せつめいできるはず、とするかんがえが自然しぜん科学かがくしゃらのあいだひろれられてゆき、デカルトてき二元論にげんろん理論りろんてきなんがある、とかんがえられるようになっていった。

デカルトは「まつはてたいにおいて、物質ぶっしつ精神せいしん相互そうご作用さようする」としたのである。しかしかりにこうした相互そうご作用さようがあるとするならば、のうにおいて力学りきがく説明せつめいしていないことがきている、としなければならなくなる。

この相互そうご作用さよう問題もんだいは、デカルトが理論りろん提出ていしゅつした当初とうしょにすでに指摘してきされていたが、力学りきがく発展はってん機械きかいろんてき見解けんかい普及ふきゅうしていくなかで、おおきな問題もんだいてんとされてゆくようになった。ガリレイ・ニュートン以後いご発展はってんした機械きかいろんてき世界せかいかん整合せいごうせいたない、とかんがえられたからである。(その歴史れきし辿たどると、機械きかいろんは、力学りきがく自然しぜん科学かがく内部ないぶでの位置いちづけが低下ていかしたり、全体ぜんたいろんゆう機体きたいろんからの批判ひはんによって難点なんてん露呈ろてい不人気ふにんきとなってしまったが)そのかわり、現代げんだいでは物理ぶつり主義しゅぎ採用さいようして、その立場たちばからデカルトのせつ難点なんてん指摘してきするひともいる。

実体じったい二元論にげんろん問題もんだいとなるのは、ひとつにはデカルトのかんがかたはカテゴリーミステイクではないか、というてんである。またひとつには因果いんがかかわる問題もんだいである。物質ぶっしつ精神せいしん完全かんぜんべつふたつの実体じったいとすると、両者りょうしゃあいだ関係かんけいかんがえる必要ひつようてくる[よう検証けんしょう]。また「精神せいしん物質ぶっしつ命令めいれいあたえる」とするかんがかたは、1980年代ねんだいおこなわれた自発じはつてき運動うんどうにともなう準備じゅんび電位でんい前後ぜんご関係かんけいかんする実験じっけん結果けっかると説得せっとくりょくうしなう。

ライルによる指摘してき[編集へんしゅう]

1949ねん、イギリスの哲学てつがくしゃギルバート・ライルは、著作ちょさく"The Concept of Mind"(邦訳ほうやく:『しん概念がいねん』)において、実体じったい二元論にげんろん概念がいねんじょう混乱こんらんとして批判ひはんした。ライルはのうとはべつに、実体じったいとしての精神せいしん措定そていするデカルトてき二元論にげんろんを、機械きかいなか幽霊ゆうれいのドグマen:Ghost in the machine)とび、カテゴリー・ミステイクという概念がいねんじょう混乱こんらんによってもたらされたあやまりであるとした。

デネットによる指摘してき[編集へんしゅう]

アメリカの哲学てつがくしゃダニエル・デネットは、1992ねん著作ちょさく "Consciousness Explained"(邦訳ほうやく解明かいめいされる意識いしき』)のなかで、「因果いんがてき閉鎖へいさせいやぶるような心身しんしん相互そうご作用さようはもしそうしたものがあるとすれば、エネルギー保存ほぞんそくをやぶることになる」と説明せつめいした。 またデネットは『かりのうないのどこかで、いままで静止せいししていたものが、なん物理ぶつりてきちからけずに突然とつぜんうごしたり、またいままでうごいていたものが、なんりょくけずに突然とつぜん静止せいししたりするなら、そこではエネルギー保存ほぞんそくがやぶれている。だから、物質ぶっしつてき精神せいしん物理ぶつりてきなものに影響えいきょうおよぼすというかんがえは、物理ぶつりがく法則ほうそく矛盾むじゅんするものであり、「かんがえただけでコップをちゅうかすことが出来できる」といったサイコキネシスちょう能力のうりょく実在じつざい主張しゅちょうするのとなにわりない』と説明せつめいした。

ひとつの自己じこかんする問題もんだいてん[編集へんしゅう]

実体じったい二元論にげんろんでは一人ひとりひとが、またはひとつののうが、分割ぶんかつできないひとつの精神せいしんつとする。しかしこうした分割ぶんかつ不可能ふかのうひとつの精神せいしん、というかんがえは実際じっさい様々さまざま病気びょうき臨床りんしょうれいていくと、それらと整合せいごうてき理解りかいしていくことはむずかしい。以下いか、そうしたてんについて説明せつめいする。

高次こうじのう機能きのう障害しょうがい[編集へんしゅう]

実体じったい二元論にげんろんにおいては、思考しこう判断はんだん言語げんご機能きのうといった高次こうじ精神せいしん機能きのうは、物質ぶっしつてきのうではなく、物理ぶつりてき精神せいしんによってになわれるとした。これはデカルトがべた、精神せいしんたない人間にんげん、のはなしてみるとかるが、デカルトは精神せいしんたない人間にんげんは、ごく単純たんじゅん反応はんのうしかかえすことが出来できず、様々さまざま場面ばめんでの適切てきせつい(礼儀れいぎ作法さほうなど)はおこなえないだろう、とかんがえていた[10]。つまり人間にんげん様々さまざま高次こうじ機能きのうは、物理ぶつりてき精神せいしんいちけている、というとらかたをしていた。

しかし神経しんけい科学かがく医療いりょう現場げんばで、様々さまざま臨床りんしょうれいあつまりはじめるにつれ、人間にんげん高次こうじ機能きのうたいするそうした単純たんじゅんかんがかたは、徐々じょじょ維持いじするのがむずかしくなっていった。それは人間にんげん様々さまざま高次こうじ機能きのうが、選択せんたくてき破壊はかいされることがかってきたからである。たとえば、みみこえ、言葉ことばくちにすることも出来できるのに、ひとはなし理解りかいすることが出来できなくなる事例じれいや(ウェルニッケ失語しつごウェルニッケ中心ちゅうしんとする領域りょういき損傷そんしょうこされる)、またふるいことはおぼえているのに、あたらしいことをおぼえる能力のうりょくうしなわれるれいぜん向性こうせい健忘けんぼう海馬かいば中心ちゅうしんとするがわあたま内側うちがわ損傷そんしょうこされる)など、のう部分ぶぶん部分ぶぶん障害しょうがいが、人間にんげん高次こうじ機能きのう一部いちぶだけを選択せんたくてきうしなわせていくようなれいが、多数たすう調しらべられ、情報じょうほうとして蓄積ちくせきされてきた。のう機能きのう局在きょくざいろんなども参照さんしょうのこと。

ただのうろんえる近年きんねんしょ見解けんかい[編集へんしゅう]

エベン・アレグザンダー 
2012ねん10がつ脳神経のうしんけい外科げかであるエベン・アレグザンダーは「死後しご世界せかい存在そんざいする」と発言はつげんした。かつては一元論いちげんろんしゃ死後しご世界せかい否定ひていしていた人物じんぶつであったが、のうやまいおかされ入院にゅういんちゅう臨死りんし体験たいけん経験けいけんして回復かいふくした。退院たいいん体験たいけんちゅうのう状態じょうたい徹底的てっていてき調査ちょうさした結果けっか昏睡こんすい状態じょうたいにあった7日間にちかんのうだい部分ぶぶん機能きのう停止ていししていたことを確認かくにんした。そしてあらゆる可能かのうせい検討けんとうした結果けっか、「あれは死後しご世界せかい間違まちがいない」と判断はんだんして、自分じぶん体験たいけんから「のうそれ自体じたい意識いしきつくさないのでは?」との仮説かせつてている[11]
サム・パーニア
2013ねん蘇生そせい医療いりょう専門せんもんで「死後しご体験たいけん」の研究けんきゅうしゃであるサム・パーニア博士はかせ脳波のうは停止ていしして蘇生そせいした患者かんじゃ停止ていし意識いしき存続そんぞくしていた患者かんじゃ複数ふくすういたことがわかり「意識いしきのうとは別個べっこ存在そんざいなのかもしれません」とかたった。
ジム・タッカー 
精神せいしん医学いがくのジム・タッカー博士はかせは「物理ぶつり法則ほうそくえるなにかがる、物理ぶつり世界せかいとはべつ空間くうかん意識いしき要素ようそ存在そんざいするにちがいない。その意識いしきたんのうけられたものではない。宇宙うちゅう全般ぜんぱんさいまったべつ理解りかい必要ひつようになってるだろう」との仮説かせつてている[12]

こう邦夫くにお見解けんかい[編集へんしゅう]

数理すうり物理ぶつりがく量子力学りょうしりきがくのう科学かがく金融きんゆう工学こうがくしゃであるこう邦夫くにお量子りょうしろんではゼロてんエネルギーの総和そうわ計算けいさんじょう無限むげんだいになるという発散はっさん問題もんだいをくりこみ理論りろんによって回避かいひしているものの、てんじょう粒子りゅうしという従来じゅうらい物理ぶつりがくじょう矛盾むじゅん内包ないほうしている。それにたいして領域りょういき理論りろんでは、粒子りゅうし最小さいしょう領域りょういきあわ)のなか惹起じゃっきされるととらえるのでその矛盾むじゅんしょうじず、また個々ここ粒子りゅうし対応たいおうする無限むげん想定そうていする必要ひつようもなく、それぞれのあわ固有こゆう振動しんどうすうちがい(鋳型いがた)よってことなる粒子りゅうし惹起じゃっきされるととらえる。ゆえにミクロからマクロのスケールにまで適応てきおうされる統一とういつじょう理論りろんであり、ちょうつる理論りろんよりもはるかに時代じだい先駆さきがけていたのが領域りょういき理論りろんなのであるとべている。もと領域りょういきというビールのあわそとうちはどのような構造こうぞうになっているのか? は「あわ内側うちがわ素粒子そりゅうし構成こうせいされる物質ぶっしつ世界せかいであるのにたいして、外側そとがわ物質ぶっしつで、ライプニッツのいうモナド(単一たんいつ)のような絶対ぜったい無限むげん世界せかい。そこは完全かんぜん調和ちょうわなのでなにこらない。あるとき完全かんぜん調和ちょうわくずれ(ゆらぎ)がきたことによってあわ発生はっせいし、それぞれのあわ鋳型いがたおうじた素粒子そりゅうし物質ぶっしつまれるのです。そして人間にんげん肉体にくたいむかえると物質ぶっしつたましいとなってもと領域りょういきあわそと霊界れいかい)にけていくんです」とべている[13]

イアン・スティーヴンソンによる調査ちょうさ[編集へんしゅう]

転生てんせいあつかった学術がくじゅつてき研究けんきゅう代表だいひょうてきれいとしては、ちょう心理しんりがく研究けんきゅうしゃ精神せいしん教授きょうじゅイアン・スティーヴンソンによる調査ちょうさがある。スティーブンソンは1961ねんにインドでフィールドワークをおこない、いくつかの事例じれい信頼しんらいせいたかいものであると判断はんだんし、前世ぜんせい記憶きおく研究けんきゅうテーマたりることを確信かくしんした[14]おおくは2~4さい前世ぜんせいについてかたはじめ、5~7さいくらいになるとはなしをしなくなるという[15]日本にっぽん前世ぜんせいブームの前世ぜんせい少女しょうじょのような思春期ししゅんき事例じれいやシャーリー・マクレーンのような大人おとな事例じれいは、成長せいちょう過程かてい情報じょうほう無意識むいしき物語ものがたりとしてさい構築こうちくしている可能かのうせいかんがみて重視じゅうしせず、2~8さい対象たいしょうとした。前世ぜんせい記憶きおくする子供こどもたち』では、どもの12の典型てんけいれい考察こうさつしている[16]竹倉たけくらじんは、スティーヴンソンの立場たちば科学かがくしゃとしての客観きゃっかんてきなもので、方法ほうほうろん学術がくじゅつてきであり、1966ねんの『まれわりをおもわせるじゅう事例じれい』は、いくつかの権威けんいある医学いがく専門せんもんからも好意こういてきむかえられたと説明せつめいしている[17]赤坂あかさかひろしゆうは、スティーブンソンはまれわり信仰しんこう肯定こうていてきであり、むしろ一連いちれん前世ぜんせい研究けんきゅうは、前世ぜんせいまれわりが事実じじつであることを証明しょうめいしようという執拗しつよう意思いしによってささえられているかのようにえるとべている[16]

スティーブンソンの前世ぜんせい研究けんきゅうは、世界せかいてき発明はつめいチェスター・カールソンパトロンとしてささえ、どもたちがかた前世ぜんせい記憶きおく真偽しんぎ客観きゃっかんてき実証じっしょうてき研究けんきゅうする The Division of Perceptual Studies(DOPS)がヴァージニア大学だいがく医学部いがくぶ創設そうせつされた[18]死後しご100まんドルの遺産いさんがスティーヴンソンがぞくするヴァージニア大学だいがく寄付きふされ、現在げんざいもDOPSで前世ぜんせい研究けんきゅうつづけられ[15]、2600ちょう事例じれい収集しゅうしゅうされている。DOPSの調査ちょうさデータを分析ぶんせきした中部大学ちゅうぶだいがく教授きょうじゅ・ヴァージニア大学だいがく客員きゃくいん教授きょうじゅ大門だいもん正幸まさゆきによると、収集しゅうしゅうされた事例じれいのうち、前世ぜんせい該当がいとうするとおもわれる人物じんぶつつかったのは72.9%、前世ぜんせい非業ひごうげたとされるものは67.4%である[19]懐疑かいぎ主義しゅぎしゃ団体だんたいサイコップ創設そうせつメンバーであるカール・セーガンは、まれわりはしんじないが、「まじめに調しらべてみるだけの価値かちがある」とひょうした[20]

量子りょうしのう理論りろん[編集へんしゅう]

ケンブリッジ大学けんぶりっじだいがく数学すうがくしゃロジャー・ペンローズアリゾナ大学だいがくスチュワート・ハメロフは、意識いしきなんらかの量子りょうし過程かていからしょうじてくると推測すいそくしている。ペンローズらの「Orch OR 理論りろん」によれば、意識いしきニューロン単位たんいとしてしょうじてくるのではなく、微小びしょうかんばれる量子りょうし過程かていこりやすい構造こうぞうからしょうじる。この理論りろんたいしては、現在げんざいでは懐疑かいぎてきかんがえられているが生物せいぶつがくじょう様々さまざま現象げんしょう量子りょうしろん応用おうようすることで説明せつめい可能かのうてんからすこしずつ立証りっしょうされていて20ねんまえからとなえられてきたこのせつ根本こんぽんてき否定ひていできたひとはいないとハメロフは主張しゅちょうしている[21]

臨死りんし体験たいけん関連かんれんせいについて以下いかのように推測すいそくしている。「のうまれる意識いしき宇宙うちゅう世界せかいまれる素粒子そりゅうしよりちいさい物質ぶっしつであり、重力じゅうりょく空間くうかん時間じかんにとわれない性質せいしつつため、通常つうじょうのうおさまっている」が「体験たいけんしゃ心臓しんぞうまると、意識いしきのうから拡散かくさんする。そこで体験たいけんしゃ蘇生そせいした場合ばあい意識いしきのうもどり、体験たいけんしゃ蘇生そせいしなければ意識いしき情報じょうほう宇宙うちゅうつづける」あるいは「べつ生命せいめいたいむすいてまれわるのかもしれない。」とべている[22]

神学しんがく宗教しゅうきょう哲学てつがく[編集へんしゅう]

イギリスの哲学てつがくしゃリチャード・スウィンバーンen:Richard Swinburne)は、いくつかの思考しこう実験じっけん帰納きのう推論すいろんかんする原則げんそく導入どうにゅうすることで、実体じったい二元論にげんろん擁護ようごしている[23][24][25]

サム・パルニアの見解けんかい[編集へんしゅう]

英国えいこく医師いし、サム・パルニア(Sam Parnia)は、たましい存在そんざい科学かがくてき実証じっしょうすることをこころみた。パルニアは、天井てんじょうちかくにひとつのいたげ、そのいたうえちいさな物体ぶったいいた。この物体ぶったいなにであるかは、パルニアのみがっている。もしくなったひとたましい天井てんじょうまでただよかびがることができるならば、たましい物体ぶったいることができる、という仕組しくみだ。パルニアは、この方法ほうほうで100にん患者かんじゃ実験じっけんおこなった。そのうち、救急きゅうきゅう蘇生そせいかえった7にん全員ぜんいんいたうえいてある物体ぶったいただしく認識にんしきしていたという。これによって、たましいたしかに存在そんざいし、肉体にくたいからはなれて存在そんざいできると同氏どうしう。たましいただようことができ、移動いどうすることができ、生命せいめいのもう一種いっしゅ存在そんざい形式けいしきであると結論けつろんづけている[21]

疎外そがいろん幻想げんそうろん[編集へんしゅう]

日本にっぽん思想家しそうか吉本よしもと隆明たかあきは、観念論かんねんろん唯物ゆいぶつろん対立たいりつえるために、疎外そがいろんもちいた心身しんしん二元論にげんろん展開てんかいしている。疎外そがいとは、そこから派生はせいするがそこには還元かんげんされないと意味いみである。意識いしき身体しんたいがないと発生はっせいしないが、のうのような身体しんたい部分ぶぶん部分ぶぶんには還元かんげんできない。生命せいめいたい身体しんたいは、機械きかいのように要素ようそかく部分ぶぶん分解ぶんかいして、またてなおすことはできない。分解ぶんかいしたらんでしまい、意識いしきえ、生命せいめいたいではなくなってしまうからである。よう素性すじょうではなく、身体しんたいてき全体ぜんたいせいこそが生命せいめい現象げんしょう意識いしき本質ほんしつなのである。よって、身体しんたい精神せいしん相対そうたいてき自立じりつしているとかんがえている。霊魂れいこん生命せいめいエネルギー(ジークムント・フロイト概念がいねんでいうエス)は、デカルトの二元論にげんろんのように大脳だいのうまつはてせんのような部分ぶぶん器官きかん集中しゅうちゅうして偏在へんざいしているのではなく、生物せいぶつのすべての細胞さいぼうにまんべんなく存在そんざいするものである。だから脳死のうししても器官きかん活動かつどうつづけると現象げんしょうこるのであり、とは瞬間しゅんかんてき現象げんしょうではなく、すべての細胞さいぼう死滅しめつするまでの段階だんかいてき過程かていなのである。

意識いしき身体しんたいは、ほのおとロウソクの関係かんけいている。ロウソク(えるもの)が存在そんざいしないとほのおまれないが、ほのおという燃焼ねんしょう現象げんしょうはロウソクには還元かんげんされない。よって、いくらロウソクを調しらべたところでほのおという燃焼ねんしょう現象げんしょう本質ほんしつ理解りかいされない。ほのおはロウソクから疎外そがいされた現象げんしょうなのである。

吉本よしもとは、すべての生命せいめいたいを〈原生げんせいてき疎外そがい〉とび、自然しぜんから疎外そがいされたものであるから、自然しぜん科学かがくてきには心的しんてき現象げんしょうやエスは観察かんさつできないとべている。エスや心的しんてき現象げんしょうとはもともと物質ぶっしつではないのである。しかし、自然しぜん科学かがくてき観察かんさつできないからとって、存在そんざいしないわけではないし、オカルトてきなものでもない。文学ぶんがく芸術げいじゅつ自然しぜん科学かがくてき説明せつめいできないにもかかわらず、確実かくじつ存在そんざいするのとおなじである。心身しんしん二元論にげんろん自然しぜん科学かがくしゃ否定ひていするのは当然とうぜんであり、エスや心的しんてき現象げんしょうはもともと自然しぜん科学かがくてきカテゴリーではないからである。物理ぶつりてき現象げんしょうではないために、因果いんがてき閉鎖へいさせいなど最初さいしょからかんがえる必要ひつようがないのである。のううごきが物理ぶつりてき作用さようによらずにうごはじめたらちょう能力のうりょくだとうが、生命せいめいとはもともとそういうものであり、無生物むせいぶつがなにも物理ぶつりてきちからくわえずにうごはじめたらたしかにちょう能力のうりょくだが、生命せいめいたい自分じぶん意思いし自分じぶん自身じしん身体しんたいうごかすぶんにはなんの矛盾むじゅん問題もんだいもない。自分じぶん意思いし自分じぶん身体しんたいうごかすことができるから生物せいぶつなのである。

しんてき現象げんしょうとは自然しぜん科学かがくてきに〈観察かんさつ〉するのではなく、文学ぶんがく芸術げいじゅつのように人文じんぶん科学かがくてきに〈了解りょうかい〉することによってはじめて出現しゅつげんするのである。吉本よしもと心的しんてき現象げんしょうとは〈幻想げんそう〉であり、自然しぜん科学かがくではあつかえないために、幻想げんそう幻想げんそうとしてあつかわなくてはならないと指摘してきしている。のう科学かがく神経しんけいがく発達はったつで、知覚ちかく問題もんだい説明せつめいできるかもしれないが、人間にんげん感想かんそう解釈かいしゃく意味いみ付与ふよ価値かちかん審美しんび問題もんだい説明せつめいできないのとおなじである。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ ジョン・サールしる 山本やまもと貴光たかみつ吉川よしかわひろしまん やく 『MiND しん哲学てつがく朝日出版社あさひしゅっぱんしゃ 2006ねん ISBN 4-255-00325-4 だいしょう だいいちせつ二元論にげんろん困難こんなん」pp.64-72 以下いかp.64より引用いんよう。「実体じったい二元論にげんろんもとづけば、肉体にくたいほろびたのちたましいきつづけられるという結論けつろんみちびかれる。そしてここから、死後しごせいがあるとしんじる信仰しんこうしゃたちにうったえるものの見方みかたされる。だが専門せんもんたちのあいだでは、実体じったい二元論にげんろんはもはや検討けんとうにもあたいしないとかんがえられている。」
  2. ^ ダニエル・デネットしる 山口やまぐち泰司やすじ やく解明かいめいされる意識いしき青土おうづちしゃ 1998ねん ISBN 4-7917-5596-0 だいしょう だいよんせつ二元論にげんろんはなぜ見捨みすてられるのか」pp.50-58
  3. ^ 西脇にしわき与作よさく 『もの、いのちしん科学かがく哲学てつがくした>』だいせつ 現代げんだい常識じょうしきはデカルトの意見いけん オンラインマガジンゑれきてる 東芝とうしば発行はっこう 2004ねん
  4. ^ Nicholas Everitt "Substance Dualism and Disembodied Existence" Faith & Philosophy, Vol. 17, No. 3 (2000), pp. 331-347. 以下いか冒頭ぼうとうぶんより引用いんよう "Substance dualism, that most unpopular of current theories of mind,(わけ:実体じったい二元論にげんろんは、現在げんざいもっと人気にんきのないしんについての理論りろんである)"
  5. ^ スーザン・ブラックモア(ちょ)、山形やまがたひろしせい,守岡もりおかさくら(わけ)『「意識いしき」をかたる』NTT出版しゅっぱん (2009ねん) ISBN 4757160178翻訳ほんやくもとは "Conversations on Consciousness" (2007). Oxford University Press. hardcover: ISBN 0195179595意識いしきかんするふたつのおおきな国際こくさい会議かいぎツーソン会議かいぎASSC会場かいじょうで、様々さまざま分野ぶんや研究けんきゅうしゃ20にんにインタビューした記録きろくをまとめたほん以下いか前書まえがき(pp. 10-11)より引用いんよう「ハード・プロブレムとは、物理ぶつりてきプロセスがいかにして主観しゅかんてき経験けいけんせるかを理解りかいするのがむずかしいということ。(中略ちゅうりゃくだれもこの質問しつもんたいするこたえをわせていませんでした。こたえをっているつもりとおぼしきひとはいましたが。(中略ちゅうりゃく)でも、どんなに混乱こんらん根深ねぶかいかをかしてくれただけでも、この質問しつもんをした価値かちはあったとおもいます。ひとつだけほぼ全員ぜんいん同意どういしたのは、古典こてんてき二元論にげんろんはあてはまらないということです。(中略ちゅうりゃくしんからだのう意識いしき-がことなる物質ぶっしつであるはずがないのです。」
  6. ^ 瀬口せぐち昌久まさひさたましい世界せかい : プラトンのはん二元論にげんろんてき世界せかいぞう京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、2002ねんISBN 4876984492NCID BA60097503https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003989680-00 ISBN 9784876984497
  7. ^ Pete Mandik "Substance dualism" Dictionary of Philosophy of Mind 2004ねん 以下いか冒頭ぼうとうぶんより引用いんよう "Perhaps the most famous proponent of substance dualism was Descartes"
  8. ^ カール・ポパー (ちょ), ジョン・C・エックルス (ちょ), 大村おおむらひろし (翻訳ほんやく), 沢田さわだまことしげる (翻訳ほんやく), 西脇にしわき与作よさく (翻訳ほんやく) 『自我じがのう新装しんそうばん しん思索しさくしゃ 2005ねん ISBN 978-4783501374
  9. ^ いもばん直行なおゆきへん 下條しもじょうしん佐々木ささき正人まさとしんじはら幸弘ゆきひろ山中やまなか康裕やすひろちょ意識いしき科学かがく可能かのうか』 p.9 しん曜社 2002ねん ISBN 4788508001
  10. ^ 以下いか、Kirk, Robert, "Zombies - 1. The idea of zombies", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Summer 2009 Edition), Edward N. Zalta (ed.) より引用いんよう "Descartes held that non-human animals are automata: their behavior is explicable wholly in terms of physical mechanisms. He explored the idea of a machine which looked and behaved like a human being. Knowing only seventeenth century technology, he thought two things would unmask such a machine: it could not use language creatively rather than producing stereotyped responses, and it could not produce appropriate non-verbal behavior in arbitrarily various situations (Discourse V). For him, therefore, no machine could behave like a human being. He concluded that explaining distinctively human behavior required something beyond the physical: an immaterial mind, interacting with processes in the brain and the rest of the body."
  11. ^ アレグザンダー & 白川しらかわ 2013, p. 108
  12. ^ NHKBSプレミアム「ザ・プレミアムちょうつね現象げんしょう さまよえるたましい行方ゆくえ
  13. ^ たましい構造こうぞう説明せつめいできる”領域りょういき理論りろんとは? 物理ぶつり学者がくしゃこう邦夫くにお教授きょうじゅ取材しゅざいTOCANA [出典しゅってん無効むこう]
  14. ^ 竹倉たけくら 2015. 位置いちNo.1678/2493
  15. ^ a b 竹倉たけくら 2015. 位置いちNo.1646/2493
  16. ^ a b 赤坂あかさかひろしゆう別冊べっさつ宝島たからじま編集へんしゅうへん)、2000、「【論考ろんこうへん前世ぜんせい少女しょうじょということかい 前世ぜんせいゆめつむぎ―少女しょうじょたちの共同きょうどう幻想げんそう!」、『いまどきのかみサマ』、宝島社たからじましゃ
  17. ^ 竹倉たけくら 2015. 位置いちNo.1617/2493
  18. ^ 竹倉たけくら 2015. 位置いちNo.1637/2493
  19. ^ 竹倉たけくら 2015. 位置いちNo.1790/2493
  20. ^ 竹倉たけくら 2015. 位置いちNo.1844/2493
  21. ^ a b NHKスペシャル モーガン・フリーマン 時空じくうえて だい2かい死後しご世界せかいはあるのか?」
  22. ^ NHK ザ・プレミアムちょうつね現象げんしょう さまよえるたましい行方ゆくえ
  23. ^ 坂井さかい賢太けんたろう実体じったい二元論にげんろんとの対決たいけつ(1) : 主体しゅたいについて」『京都きょうと大学だいがく文学部ぶんがくぶ哲学てつがく研究けんきゅうしつ紀要きようだい13かん京都きょうと大学だいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう哲学てつがく研究けんきゅうしつ、2010ねん3がつ、83-95ぺーじCRID 1050282677090368384hdl:2433/137547 
  24. ^ Yujin Nagasawa "Review of The Evolution of the Soul" The Secular Web.(2005)
  25. ^ Richard Swinburne "The Evolution of the Soul" Oxford University Press (1997) ISBN 9780198236986

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ だが、現代げんだいしん哲学てつがく文脈ぶんみゃくなかでは、たん二元論にげんろんえばクオリア現象げんしょうてき意識いしきかんする自然しぜん主義しゅぎてき二元論にげんろん(またはニューミステリアン)のことをすのが一般いっぱんてきである。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]