Was a bee君 くん は、どうやらジョン・サールの『マインド 心 しん の哲学 てつがく 』の記述 きじゅつ に心酔 しんすい していて、そこにある記述 きじゅつ をもとにウィキペディアに複数 ふくすう の項目 こうもく に分割 ぶんかつ して、あれこれともっともらしく記述 きじゅつ を展開 てんかい したいようだが、その方向 ほうこう 性 せい に問題 もんだい あり。
『マインド 心 しん の哲学 てつがく 』の、訳者 やくしゃ あとがきにも「(この本 ほん では)サール自身 じしん の見解 けんかい - 生物 せいぶつ 学 がく 的 てき 自然 しぜん 主義 しゅぎ -を披露 ひろう している」(同書 どうしょ p.383)とも書 か いてあるように、サールの説 せつ はあくまでサールの説 せつ 。あくまでいくつもある立場 たちば のひとつ、サールの説 せつ にすぎない。心 しん の哲学 てつがく も教科書 きょうかしょ 的 てき な本 ほん はいくつかあって、それぞれ立場 たちば は異 こと なる。
ウィキペディアは中立 ちゅうりつ 性 せい で成 な り立 た っている百科 ひゃっか 事典 じてん (別 べつ の言葉 ことば で言 い えば、間 あいだ 主観性 しゅかんせい で成 な り立 た っている)。結局 けっきょく 、誰 だれ かが何 なに かを書 か いているからといって、それが絶対 ぜったい 的 てき な真理 しんり であるかのように扱 あつか うことがウィキペディアの大 だい 原則 げんそく に反 はん している。ウィキペディアの執筆 しっぴつ ではそういう手法 しゅほう は止 と めるべき。ウィキペディアの中立 ちゅうりつ 性 せい の原則 げんそく をよく理解 りかい すること。「言葉 ことば を濁 にご さない」というルールの意図 いと もよく理解 りかい すること。誰 だれ がそう言 い っているのか本文 ほんぶん で(できれば脚注 きゃくちゅう でなく本文 ほんぶん で)はっきりと表示 ひょうじ すべき、ということ。それによってある記述 きじゅつ をまるで絶対 ぜったい 的 てき な真理 しんり のように提示 ていじ して知 し らず知 し らずに読 よ み手 て を洗脳 せんのう してしまうような危険 きけん なことを防止 ぼうし してもいるのだよ。
ウィキペディアでは中立 ちゅうりつ 性 せい の原則 げんそく を守 まも って「○○○○は........は.......だ、と述 の べた」というような形式 けいしき で、距離 きょり を置 お くような形式 けいしき で中立 ちゅうりつ 的 てき に記述 きじゅつ してゆくべきなのだ。
それと、この「実体 じったい 二元論 にげんろん 」という言葉 ことば も、他者 たしゃ の説 せつ を自分 じぶん 流 りゅう の概念 がいねん 枠 わく でものすごくいい加減 かげん に要約 ようやく して非難 ひなん するためのイデオロギー 的 てき 概念 がいねん 装置 そうち のひとつだ、ということに気 き づくべき。「実体 じったい (/ 非 ひ 実体 じったい )」などという20世紀 せいき 以前 いぜん に好 この まれた古 ふる くさい概念 がいねん 枠 わく ・図式 ずしき の哲学 てつがく 用語 ようご を持 も ち出 だ してきている段階 だんかい で、かなりいかがわしいと気 き づくべき。それとサールの用語 ようご は「スーパーヴィーン」「随伴 ずいはん 現象 げんしょう 」「因果 いんが 的 てき 閉鎖 へいさ 性 せい 」などの用語 ようご も結局 けっきょく は同 おな じ。最初 さいしょ に自身 じしん が採用 さいよう した特定 とくてい の形而上学 けいじじょうがく を正当 せいとう 化 か するために、その形而上学 けいじじょうがく をうっかり(orこっそり)練 ね りこんだ用語 ようご 、概念 がいねん 装置 そうち を使 つか っている、ということ。後 あと づけの理屈 りくつ 。要注意 ようちゅうい 。
もしも『マインド 心 しん の哲学 てつがく 』に心酔 しんすい していて、そこに書 か いてあることを大々的 だいだいてき に皆 みな に紹介 しょうかい したくてたまらないならば、むしろ『マインド 心 しん の哲学 てつがく 』という一 いち 冊 さつ の本 ほん のための独立 どくりつ した項目 こうもく を立 た てて、そこにおいて思 おも う存分 ぞんぶん ジョン・サールの主張 しゅちょう を記述 きじゅつ したほうが良 よ い。その形式 けいしき だといくらでも、数 すう 百 ひゃく 行 ぎょう でも書 か ける。(ジョン・サール という人物 じんぶつ の項目 こうもく に書 か き込 こ むのにも量的 りょうてき ・バランス的 てき に無理 むり がある。だから本 ほん だけで独立 どくりつ 項目 こうもく を立 た てたほうが良 よ い。)ジョン・サールなりの切 き り口 くち や説 せつ の展開 てんかい もそのままに十全 じゅうぜん に記述 きじゅつ できるので書 か く人 ひと にとってストレスが無 な い。読 よ む人 ひと にとっても、そのほうがまとまっていてよほど役 やく に立 た つ。--Robno 2008年 ねん 3月 がつ 28日 にち (金) きん 03:32 (UTC) [ 返信 へんしん ]
て、あなた本 ほん 読 よ んでないでしょ。実体 じったい 二元論 にげんろん に支持 しじ 者 しゃ がほとんどいない点 てん について、私 わたし がわざわざ様々 さまざま な論者 ろんしゃ の出典 しゅってん を四 よん 点 てん も引 ひ いてるのに、その記述 きじゅつ を消 け してまで一体 いったい 何 なに がしたいんでしょうか。残念 ざんねん ながらウィキペディアでは信仰 しんこう 者 しゃ に配慮 はいりょ して科学 かがく 的 てき 内容 ないよう の記述 きじゅつ を折 お り曲 ま げていくというような方針 ほうしん は特 とく にありません。信仰 しんこう 者 しゃ による信仰 しんこう 者 しゃ の方 ほう の為 ため のwikiサイトであればen:Conservapedia などがあります(例 たと えばMindの記事 きじ [1] 。「心 しん は動物 どうぶつ と人間 にんげん を分 わ ける最 もっと も明確 めいかく な指標 しひょう である」とか「同情 どうじょう や正義 せいぎ を求 もと める気持 きも ちを持 も つという事 こと は、人間 にんげん は神 かみ の偉大 いだい な創造 そうぞう 物 ぶつ であることを示 しめ している」とか「心 しん が物理 ぶつり 現象 げんしょう であるという主張 しゅちょう は疑似 ぎじ 科学 かがく である」とか随分 ずいぶん おもしろいことが書 か かれてます。)。なんにせよ「憲法 けんぽう と人権 じんけん に配慮 はいりょ して編集 へんしゅう 」[2] とのようなよく分 わ からない事 こと を考 かんが えてる方 ほう には、ウィキペディアで作業 さぎょう を続 つづ けていくのはなかなか難 むずか しいかと思 おも います。--Was a bee 2008年 ねん 3月 がつ 28日 にち (金) きん 11:50 (UTC) [ 返信 へんしん ]