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実体じったい

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実体じったい(じったい、えい: substance, : substantia, 古希こき: οおみくろんὐσία ; ousia)は、古代こだいギリシアから使つかわれている古典こてんてき哲学てつがく用語ようご文脈ぶんみゃくによって様々さまざま意味いみをもつが、基本きほんてきには「しん存在そんざいするもの」を意味いみする。

概論がいろん

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性質せいしつ様態ようたい状況じょうきょうのように存在そんざいしているものにぞくしていたり、それによって構成こうせいされているがゆえに存在そんざいしているかのごとくえる(あるいはてき存在そんざいしている)ものではなく、「本当ほんとう存在そんざいしている」ものをしていう。その様々さまざま特性とくせいが、属性ぞくせいばれる。

ギリシア哲学てつがくにおけるウーシア、およびその同義語どうぎごとしてのヒュポスタシスに由来ゆらいし、西欧せいおうでは substantia 系統けいとうかたりあらわされる。ラテン語らてんご語源ごげんはsub-sistere(「したに・に-存立そんりつする」の[1]現代げんだいれいとして、英語えいごフランス語ふらんすごでは substance、ドイツではSubstanz。「本質ほんしつ」および「実在じつざい」とは語源ごげんてきにも哲学てつがくてきにもふか関連かんれんゆうする。

中畑なかはたただしこころざしによれば、日本語にほんごの「実体じったい」という漢語かんごは、明治めいじ時代じだい西にしあまね英語えいごの「substance」にてた訳語やくごである[2]。「実体じったい」という漢語かんご用例ようれい近代きんだい以前いぜんからあるが、基本きほんてきには「実質じっしつ」「正体しょうたい」のような意味いみで、哲学てつがく用語ようごの「substance」とは部分ぶぶんもあるがかならずしも対応たいおうしない[2]。なお、井上いのうえ哲次郎てつじろうひとしちょ哲学てつがく字彙じい』では、「substance」を「実体じったい」ではなく「本質ほんしつ」または「太極たいきょく」とやくし、わりに「実体じったい」を複数ふくすう言葉ことばThing in itself, Noumenon, entity, reality, substratum)にてている[2]。そのほか、近世きんせいイエズスかいによる『にち葡辞しょ』では、「Iittai」(Jittai, 実体じったい)を「Macotono tai. Verdadera substancia」、「Tai」(からだ)を「Substancia」、「Taiyô」(体用たいよう)を「Substancia & accidente」と説明せつめいしている[2]

パルメニデスとエレア学派がくは

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実体じったい概念がいねんは、素材そざいてき実質じっしつというめんではミレトス学派がくはの「アルケー」に起源きげんっているが、むしろパルメニデス創始そうししたエレア学派がくはの「存在そんざい」についての思考しこううところがおおきい。エレア学派がくは物事ものごとかんがえるうえだれしも前提ぜんていにせざるをないどう一律いちりつ矛盾むじゅんりつ厳密げんみつめれば、生成せいせい変化へんかないと結論けつろんせざるをない、とかんがえた。ものはあるかないかである。あるものはあるし、ないものはない、と。

ところで、ものがべつのものにわるとすれば、あるものがなくなり、なかったものがあるようになる。しかし、エレア学派がくはによればものはあるかないかなのであるから、このなくなったものとあるようになったものが、おななにかであるという根拠こんきょはどこにもない(この議論ぎろん文脈ぶんみゃくにおいては、「である」と「がある」の区別くべつはあいまいである)。ふたつの対象たいしょうが、はしてきことなる対象たいしょうなのではなく、ひとつの対象たいしょう生成せいせい変化へんかであるというためには、どこかの時点じてんで、この対象たいしょうは、あるるものでもあり、かつべつのものでもある、ということがゆるされなければならない。しかし、これは矛盾むじゅんりつ(AはAではない)にはんする。どれほどていようと、どれかの時点じてんについていうかぎり,どの時点じてんいても、そのものは、Aであるか、そうでないかのどちらかでしかない。

とはいえ、現実げんじつには生成せいせい変化へんか観測かんそくされる。生成せいせい変化へんかするものは、まさしくそれゆえに、実在じつざいしていない。生成せいせい変化へんかは、感覚かんかくあざむかれた結果けっかなのであり、経験けいけんてき対象たいしょうも、しん存在そんざいする対象たいしょうではないがゆえに生成せいせい変化へんかする。このような論理ろんりから要請ようせいされた、「しん存在そんざいするもの」が「実体じったい」である。

レウキッポスとデモクリトス

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このようなパルメニデスとエレア学派がくは論点ろんてん考慮こうりょにいれつつ、しかも存在そんざいするものの多数たすうせい生成せいせい変化へんか事実じじつとを肯定こうていしようとして、そのレウキッポスデモクリトス原子げんしろんとなえた。かれらは、生成せいせい消滅しょうめつしない無数むすう原子げんし(アトム)と空虚くうきょ(ケノン)がしん存在そんざいするとかんがえ、また、空虚くうきょにおける原子げんし離合りごう集散しゅうさん感覚かんかくてき対象たいしょうやその生成せいせい変化へんかしょうじさせるとした。

その

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一般いっぱんてきには、べつのより基本きほんてきなものの特定とくてい様態ようたい我々われわれ同一どういつせい見出みいだしているにすぎない、という論法ろんぽうで、大抵たいてい存在そんざいしゃ主語しゅご)は、属性ぞくせい様態ようたい述語じゅつご)として解釈かいしゃくなおすことが出来できる。存在そんざいしたりしなかったりするのは、主語しゅごであって述語じゅつごではない。ラッセル記述きじゅつ理論りろんでの操作そうさのように、主語しゅごとしての「もり」は、「それがもりであること」として述語じゅつごかたちなおすことができる。このようにして、厳密げんみつ定義ていぎできなかったり、主観しゅかんによって存在そんざいしているかいなか意見いけんがわかれうるようなものが「存在そんざいしているもの」から、「存在そんざいしているものの状態じょうたい」へと格下かくさげされ、実在じつざい実体じったい探求たんきゅうされてきた。[注釈ちゅうしゃく 1]

  • プラトンは、生成せいせい変化へんかする現象げんしょうさかいにその根拠こんきょあたえるイデア世界せかいかんがえたうえしん存在そんざいする実体じったいは、感覚かんかくでなく理性りせいによってとらえられるイデアのみであるとした。
  • アリストテレスしゅるいなどの普遍ふへんしゃだい実体じったい)と対比たいひされた具体ぐたいてき個物こぶつを(だいいち実体じったい述語じゅつごによって記述きじゅつされ、みずからは述語じゅつごにはならない、基体きたい=ヒュポケイメノン/subjectum/主語しゅご/主体しゅたい)としてかんがえた。他方たほうでは、質料しつりょう対比たいひされた形相ぎょうそうだいいち実体じったいともしている。
  • デカルトだいいち原因げんいん(それ以上いじょうさかのぼれない最初さいしょ原因げんいん)であるかみ無限むげん実体じったい以外いがいには依存いぞんしないものである物体ぶったい(=空間くうかん)と精神せいしん(=意識いしき)を(有限ゆうげん実体じったいであるとした(心身しんしん二元論にげんろん)。そして物質ぶっしつという実体じったい属性ぞくせいとして延長えんちょう様態ようたいとして位置いち運動うんどうとうち、精神せいしんという実体じったい属性ぞくせいとして思惟しい様態ようたいとして感情かんじょう表象ひょうしょうとうつとした。このような精神せいしんてきなものから物質ぶっしつてきなものをはなしてろんじることが可能かのうであるとするかんがえは、近世きんせい以降いこうにおける自然しぜん科学かがく発達はったつにおいて重要じゅうよう支柱しちゅうとなった。物質ぶっしつてき現象げんしょう考察こうさつするじょうで、物質ぶっしつてき原因げんいんだけを考慮こうりょすればよくなったからである。しかし、精神せいしん身体しんたいことなる実体じったいであるとする議論ぎろんは、その相互そうご作用さよう説明せつめい困難こんなん提起ていきせざるをなかった。本質ほんしつてきおな問題もんだい現在げんざいでも心身しんしん問題もんだいしん哲学てつがくなどで様々さまざまろんじられている。
  • スピノザは、かみをおいて実体じったいはないとかんがえた。スピノザは、持続じぞく概念がいねんした様態ようたい後述こうじゅつ)の存在そんざいのみを説明せつめいるのにたいし、実体じったい存在そんざい永遠えいえん概念がいねんしたにのみ説明せつめいされうるとしている。またスピノザにあっては、延長えんちょう思惟しいはデカルトとことなり、唯一ゆいいつ実体じったいであるかみ永遠えいえん無限むげん本質ほんしつ表現ひょうげんする属性ぞくせいである。そして、個別こべつのたとえば物体ぶったい延長えんちょうという属性ぞくせいのひとつの様態ようたいである。いわば、パラメータのこう属性ぞくせいであり、そのこうたす様態ようたいなのである。この場合ばあい属性ぞくせいことなるもの(スピノザの体系たいけいしたがえば、これは勿論もちろん実体じったいではなく様態ようたいである)はたがいに作用さようできない。このようにかんがえるとき、精神せいしん物体ぶったい同一どういつ実体じったいことなる属性ぞくせいにおける表現ひょうげんなのであるから、精神せいしん身体しんたい相互そうご作用さようというデカルトてき問題もんだいはそもそもしょうじない(心身しんしん平行へいこうろん)。
  • ライプニッツはかれの実体じったいのモデルとしてモナドかんがえた。「本当ほんとう存在そんざいしている」ものを、集合しゅうごうたい要素ようそという観点かんてんからかんがえたとき、集合しゅうごうてき構成こうせいされたものは当然とうぜんに、いちてき存在そんざいしているとはえず、その構成こうせい要素ようそから、その存在そんざいっているものとかんがえるほかない。と、いうことは、ものを要素ようそへと分割ぶんかつしていけば、いつかは、「本当ほんとう存在そんざいしている」ものでかつ「まったく要素ようそたない厳密げんみつ単純たんじゅんな」ものへとたどりくはずである。このような論理ろんりからてくる延長えんちょうてき実体じったいがモナドであった。このモナドは相互そうご作用さようするかにえる(予定よてい調和ちょうわ)が、それにもかかわらずモナドは、全体ぜんたいとしての世界せかい反映はんえいしつつ(モナドはかがみである)、相互そうご独立どくりつしている(まどがない)ものとかれる。
  • ヘーゲルはスピノザの唯一ゆいいつ実体じったいであるかみ自己じこ原因げんいんであるというかんがえを批判ひはんてき継受けいじゅしながら、実体じったいは、絶対ぜったいへと自己じこ展開てんかいする精神せいしんであり、主体しゅたいとしてかんがえるべきだとした。ここでの主体しゅたい概念がいねんには、人格じんかくてきな、行為こうい対立たいりつになという意味いみがそれまでの古代こだい中世ちゅうせいとはことなり付与ふよされている。現実げんじつWirklichkeitに存在そんざいするものは合理ごうりてきであり、その相互そうご対立たいりつ弁証法べんしょうほうによってますます絶対ぜったい完成かんせいへと自己じこ展開てんかいしていく。そのような意味いみで、実体じったい対立たいりつえて完成かんせいへとかう主体しゅたいなのである。
  • ニーチェ実体じったいを、生成せいせい観点かんてんから批判ひはんした。一方いっぽう、アリストテレスは実体じったいを(『生成せいせい消滅しょうめつろん』のだいいちしょうで)生成せいせい消滅しょうめつのうちにあるとているのでニーチェと対立たいりつしている。
  • ソシュールかたり実体じったいところとするとることを錯視さくしとした。かたり実体じったいところとするのではなく「価値かち」をところとするforme(形式けいしき)なのだとした。[3]

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ なお、仏教ぶっきょうにおいては、とりわけ「そら」を主張しゅちょうした学派がくはによって、同様どうよう論理ろんりから、しかしエレアのように生成せいせい変化へんか否定ひていされるのではなく、主語しゅご実体じったい実在じつざい否定ひていされ、状態じょうたい様態ようたい生成せいせい変化へんか関係かんけいせいのみがあるとされた。般若心経はんにゃしんぎょうでは「色即是空しきそくぜくう」とかれる。これは、かたちづくられたものには実体じったいはないこと、によって存在そんざいしているものであり、縁起えんぎしていることを意味いみしている。対極たいきょくてきながらりゅういつきパルメニデス議論ぎろんには共通きょうつうてんおおい。

出典しゅってん

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  1. ^ 新版しんぱん アリストテレス全集ぜんしゅう だい1かん カテゴリーろん 命題めいだいろん内山うちやま勝利かつとし神崎かんざきしげる中畑なかはたただしこころざし岩波書店いわなみしょてん、2013ねん、97ぺーじ
  2. ^ a b c d 中畑なかはたただしこころざし ちょ移植いしょく異種いしゅ交配こうはい――「実体じったい」の迷路めいろへ」、村上むらかみ勝三かつぞう東洋大学とうようだいがく国際こくさい哲学てつがく研究けんきゅうセンター へん越境えっきょうする哲学てつがく体系たいけい方法ほうほうもとめて』春風しゅんぷうしゃ、2015ねん、223-228ぺーじISBN 9784861104787 
  3. ^ Écrits de linguistique générale. Gallimard. (2008, cop. 2002). ISBN 2070761169. OCLC 781224141. http://worldcat.org/oclc/781224141 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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