(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ジェリー・フォーダー - Wikipedia コンテンツにスキップ

ジェリー・フォーダー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jerry Alan Fodor
ジェリー・フォーダー
(2007ねんメリーランド大学だいがく晩餐ばんさんかいにて)
生誕せいたん 1935ねん
死没しぼつ 2017ねん11月29にち
時代じだい 20世紀せいき哲学てつがくしゃ
地域ちいき 西洋せいよう哲学てつがく
学派がくは 分析ぶんせき哲学てつがく合理ごうり主義しゅぎ認知にんち主義しゅぎ機能きのう主義しゅぎ (しん哲学てつがく)
研究けんきゅう分野ぶんや しん哲学てつがく言語げんご哲学てつがく認知にんち科学かがく
おも概念がいねん しんのモジュールせい思考しこう言語げんご
テンプレートを表示ひょうじ

ジェリー・アラン・フォーダー(英語えいご: Jerry Alan Fodor1935ねん - 2017ねん11月29にち[1])は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく哲学てつがくしゃであり認識にんしき科学かがくしゃであり、現在げんざいニュージャージーしゅうラトガーズ大学だいがく教鞭きょうべんをとっている。しん哲学てつがく認知にんち科学かがく分野ぶんやおおくの著作ちょさくがあり、しんのモジュールせい思考しこう言語げんご仮説かせつなど、これら分野ぶんや基礎きそきずいた研究けんきゅうしゃである。

フォーダーは、しんてき状態じょうたい(たとえば信念しんねん欲求よっきゅう)は個体こたい心的しんてき表象ひょうしょうとの関係かんけいである、と主張しゅちょうする。かれによれば、これら心的しんてき表象ひょうしょうこそが、しんなか思考しこう言語げんご(Language of Thought : LOT)によってただしく説明せつめいできる唯一ゆいいつのものである。さらに、この思考しこう言語げんごはそれ自身じしん有用ゆうよう説明せつめいのツールであるだけでなく、のうなか実際じっさい体系たいけいされて存在そんざいしているものである。フォーダーは、思考しこう心的しんてきなプロセスが、表象ひょうしょう文法ぶんぽうもとづきおこなわれる計算けいさんからうまれると主張しゅちょうして(この計算けいさん思考しこう言語げんごつくげるのであるが)、一種いっしゅ機能きのう主義しゅぎしゃである一線いっせんまもろうとする。

フォーダーにとって、こころ(たとえば知覚ちかくてきプロセスや言語げんごプロセス)の主要しゅよう部分ぶぶんは、モジュールまたは「器官きかん」として構築こうちくされる。そして、モジュール/「器官きかん」は、それらがたす機能きのうてき役割やくわりによって定義ていぎされる。これらのモジュールはしんの「主要しゅよう処理しょり」の一部いちぶであり、たがいに比較的ひかくてき独立どくりつしている。そして、モジュールは、より広域こういきてきであったり、より限定げんていてきであったりする「領域りょういき特定とくていせい」という特徴とくちょうをもつ。フォーダーが提示ていじするのはつぎのことである:これらのモジュールがもつ性質せいしつのおかげで、外的がいてき対象たいしょうとも因果いんが関係かんけい成立せいりつすることが可能かのうになり、このことが、しんてき状態じょうたい世界せかい事象じしょう関係かんけいした内容ないようつことを可能かのうにする。一方いっぽうで、中央ちゅうおう処理しょり部分ぶぶんは、様々さまざま内容ないよう入力にゅうりょく出力しゅつりょくあいだ論理ろんりてき関係かんけい担当たんとうする。

フォーダーは当初とうしょしんてき状態じょうたい外部がいぶ事象じしょうによって因果いんがてき決定けっていされるというかんがえを否定ひていしていたが、近年きんねんは、しんてき内容ないようかんする意味いみ指示しじ問題もんだいのために、言語げんご哲学てつがくについておおくの論文ろんぶん研究けんきゅうおこなっている。この領域りょういきかれは、非対称ひたいしょうてき指示しじ因果いんがせつについてろんじ、またクワインらが主張しゅちょうする意味いみ全体ぜんたいろん否定ひていするおおくの議論ぎろんおこなった。フォーダーは、しん還元かんげん主義しゅぎてき説明せつめいつよ反対はんたいする。かれは、しんてき状態じょうたい多重たじゅう実現じつげん可能かのうであり、説明せつめいのレベルにおいて階層かいそう構造こうぞう(ヒエラルキー)が存在そんざいすると主張しゅちょうする。たとえば心理しんりがく言語げんごがくなどの高次こうじ理論りろん一般いっぱんおよび法則ほうそくは、ニューロンシナプスいといったていつぎ説明せつめいによってはらえることができないものである、と。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

ジェリー・フォーダーは1935ねんニューヨークまれた。かれいまもそのまちつまあいねことともにらしつづけている。かれにんそだてた。1956ねんコロンビア大学ころんびあだいがくから首席しゅせき学位がくいた。ヒラリー・パトナム指導しどうした1960ねんにはプリンストン大学ぷりんすとんだいがくから哲学てつがく博士はかせごうさづけた。1959ねんから1986ねんまでのあいだ、フォーダーはマサチュまさちゅセッツ工科大学せっつこうかだいがく教員きょういんだった。1986ねんから1988ねんまで、ニューヨーク市立しりつ大学だいがくせい教授きょうじゅをつとめた。1988ねんからはラトガース大学だいがく哲学てつがく認知にんち科学かがくのニュージャージー教授きょうじゅしょくにある。[2] 哲学てつがく以外いがいでは、フォーダーはオペラの熱烈ねつれつ愛好あいこうであり、ロンドン・レビュー・オブ・ブックスでオペラについての連載れんさいコラムをつほどである。

ラトガースでもっと有名ゆうめいなフォーダーのもと同僚どうりょうのひとりに、しん神秘しんぴ主義しゅぎ哲学てつがくしゃコリン・マッギンがいる。マッギンはフォダーについてつぎのようにいている。

"(フォーダーは)無骨ぶこつ大柄おおがらからだなかにやさしさをったおとこだ。議論ぎろん仕方しかたさえ無骨ぶこつになりがちだが。かれなかには内気うちき多弁たべん同居どうきょしている・・・きずつきやすいたましいかかえながらも周囲しゅういおそれさせる論客ろんかくだ・・・ジェリーと哲学てつがく問題もんだい意見いけんことなると、とくにそれがジェリーにとって大切たいせつ事柄ことがらだと、くるしみはあるがかれきたえる経験けいけんとなるだろう・・・あさいちはいのコーヒーをまえから、かれ精神せいしんのすばやさ、創造そうぞうせいするどいウィットのせいで紛糾ふんきゅうすることはない。ジェリー・フォーダーをラトガースの教授きょうじゅにすることは、すぐさまかれ有名ゆうめいにした。フォーダーは今日きょうしん哲学てつがく世界せかいてきなリーダーであることに異議いぎとなえるものはあるまい。わたしは1970年代ねんだいにイギリスでかれ出会であい・・・その知的ちてき会話かいわからかれ本物ほんものだとわかった(もっとも我々われわれはいつも意見いけん一致いっちするというわけではないが)"。[3]

フォーダーは名誉めいよあるソサエティ「ファイベータカッパ」のメンバーであり、またアメリカ芸術げいじゅつ科学かがくアカデミーのメンバーである。かれすうおおくのしょう表彰ひょうしょうけている:ニューヨークしゅうレージェント・フェロー、ウッドロウ・ウィルソン・フェロー(プリンストン大学ぷりんすとんだいがく)、チャンセラー・グリーン・フェロー(プリンストン大学ぷりんすとんだいがく)、フルブライト・フェロー(オックスフォおっくすふぉド大学どだいがく)、行動こうどう科学かがく高等こうとう研究けんきゅうセンターのフェロー、グッケンハイム・フェロー[4]

しんてき状態じょうたい本性ほんしょう[編集へんしゅう]

命題めいだいてき態度たいど』(1978ねん)という著作ちょさくで、フォーダーは、しんてき状態じょうたい(mental states)とは、個体こたい心的しんてき表象ひょうしょう(mental representations)との関係かんけいである、というかぎになるアイデアを導入どうにゅうした。ながあいだかれ立場たちばおお部分ぶぶん変化へんかしたにもかかわらず、志向しこうせいとは関係かんけいであるというアイデアは、もとになった定式ていしきから現在げんざいいたるまで変化へんかしていない。[5]

このほんでのフォーダーの課題かだいは、しんてき状態じょうたいのもつ「関係かんけいてき」という本性ほんしょう説明せつめいするためには心的しんてき表象ひょうしょう(とりわけ、思考しこう言語げんごにおけるぶん)が必要ひつようだということをしめすことにあった。フォーダーはその説明せつめい仮説かせつとしてふたつの代案だいあん提示ていじする。ひと心的しんてき状態じょうたい関係かんけいてき性格せいかくつということを完全かんぜん否定ひていする仮説かせつふた心的しんてき状態じょうたいこう関係かんけいかんがえる仮説かせつ後者こうしゃはこの関係かんけいなんあいだ関係かんけいるかによってさらに分割ぶんかつされる。つまり、個体こたい自然しぜん言語げんごぶんとのあいだ関係かんけいだとカルナップてき見解けんかい[6][7][8] と、個体こたい自然しぜん言語げんごぶんによって表現ひょうげんされる命題めいだいとのあいだ関係かんけいだとフレーゲてき見解けんかい[9] である。 これらにたいしてフォーダー自身じしん見解けんかいは、思考しこうてき態度たいど本性ほんしょう適切てきせつ説明せつめいするためにはさんこう関係かんけいもちいることが必要ひつようだというもの。つまり個体こたい表象ひょうしょう命題めいだいてき内容ないようさんこうである。[5] こういったさんこう関係かんけいたいする精神せいしん状態じょうたい考慮こうりょすることで、典型てんけいてき実在じつざいろんによって、この問題もんだい解決かいけつするために重要じゅうよう要素ようそをすべてまとめておくことが可能かのうになる。さらに、心的しんてき表象ひょうしょうたん信念しんねん欲望よくぼう対象たいしょうであるだけではなく、そこでしんてきプロセスがはたら領域りょういきでもある。心的しんてき表象ひょうしょうしん内容ないよう統語とうごてき観念かんねん機能きのうてき構造こうぞう計算けいさんてき観念かんねんとの理想りそうてき連合れんごうである。これらの観念かんねんは、フォーダーによれば、しんてきプロセスの説明せつめいとしては最良さいりょうのものである[5]

しん機能きのうてき構造こうぞうぶつ[編集へんしゅう]

しんのモジュールせい概念がいねん先駆せんくしゃとして、19世紀せいきフランツ・ガル創始そうしした骨相こっそうがく運動うんどうがある。

言語げんご学者がくしゃノーム・チョムスキー開拓かいたくしたみち辿たどり、フォーダーは生得しょうとくろんつよ傾倒けいとうした[10]生得しょうとくろんおおくの認知にんち機能きのう認知にんちてき構想こうそう先天的せんてんてきなものであると前提ぜんていする。フォーダーにとって、この立場たちば行動こうどう主義しゅぎおよび連合れんごう主義しゅぎたいするかれ自身じしん批判ひはんから自然しぜんかびがるものである。その批判ひはん端緒たんしょとしてかれは、自身じしん暗黙あんもく前提ぜんていとしていたしんのモジュールせい定式ていしきしてもいる。

歴史れきしてきに、精神せいしん構造こうぞうかんするいは昨日きのう本質ほんしつかんしてふたつの対照たいしょうてき理論りろん分割ぶんかつされてきた[だれによって?]。その理論りろんのうち一方いっぽうは「水平すいへいてき観点かんてんわれるもので、その呼称こしょう心的しんてきプロセスを、領域りょういき特異とくいてきでない機能きのう相互そうご作用さようなすことに由来ゆらいする。たとえば、判断はんだんは、それが知覚ちかくてき感覚かんかくについての判断はんだんであろうと言語げんご理解りかいについての判断はんだんであろうと判断はんだんである。理論りろんのうちもう一方いっぽうは「垂直すいちょくてき観点かんてんわれるもので、その呼称こしょうひと心的しんてき機能きのう領域りょういき特異とくいてきで、遺伝いでんてき決定けっていされていて、神経しんけい構造こうぞう特異とくいてきむすびついていて、などなどと主張しゅちょうすることに由来ゆらいする。[10]

垂直すいちょくてき観点かんてん19世紀せいき骨相こっそうがくばれる運動うんどうおよびその創始そうししゃフランツ・ヨーゼフ・ガルにまでさかのぼる。ガルは、心的しんてき機能きのう物理ぶつりてきのうない領域りょういき特異とくいてきむすけられると主張しゅちょうした[だれによって?]。このゆえに、たとえばある人物じんぶつ知性ちせい水準すいじゅん頭頂とうちょう後部こうぶのある特定とくてい隆起りゅうきおおきさから、誇張こちょうなしに「げ」ることができることになる[11]。この、モジュールせい過度かど単純たんじゅんされた見方みかたは、20世紀せいきちゅうつうじて反証はんしょうされてきた[だれによって?]

フォーダーは、1980年代ねんだいにまさにその物理ぶつりてき特異とくいせいかんがえなしにモジュールせいかんがえを復活ふっかつさせ、1983ねんにモノグラフ『しんのモジュールせい[11]発表はっぴょうするとともにもっと能弁のうべんにモジュールせい提唱ていしょうするものとなった。とくにモジュールせいふたつの特質とくしつ、つまり情報じょうほうつつみせいおよ領域りょういき特異とくいせいによって、機能きのう構造こうぞう問題もんだいとそのしんてき内容ないようむすびつけることが可能かのうになった。こういったふたつの特質とくしつによって可能かのうとなる個人こじん背景はいけいとなる信念しんねんとは独立どくりつ情報じょうほうつくげる能力のうりょくによって、フォーダーは心的しんてき内容ないようかんがえの原子げんしろんてき原因げんいん説明せつめいをできるようになった。おもかんがえは、いいかえれば、精神せいしん状態じょうたい内容ないよう特性とくせいは、排他はいたてきにそれらがその一部分いちぶぶんであるようなシステムの内的ないてき関係かんけいにのみ依存いぞんするというよりむしろ外的がいてき世界せかいとの原因げんいん関係かんけいにも依存いぞんする。[11]

フォーダーのしんてきモジュールせい情報じょうほうつつみせい領域りょういき特異とくいせいといったかんがえは、フォーダーをくやしがらせたことではあるが、ゼノン・ピリジンのような認知にんち科学かがくものスティーヴン・ピンカーおよヘンリー・プロトキンといった進化しんか心理しんりがくものなどによってげられ、発展はってんさせられてきた[12][13][14]。しかしフォーダーは、ピンカー、プロトキン、そのかれ皮肉ひにくめて「しん統語とうご」と人々ひとびとがモジュールせい類似るいじかんがえを本来ほんらいのものからはずれた使つかかたをしていると不満ふまんあらわしている。かれは、しんは「だい規模きぼにモジュールてき」なのではなく、これらの研究けんきゅうしゃしんじているのとはちがって、しん計算けいさんてきに、あるいはそののモデルで説明せつめいするにはまだなが時間じかん必要ひつようとしていると主張しゅちょうしている。[15]

志向しこう実在じつざいろん(intentional realism)[編集へんしゅう]

内容ないよう理論りろんとその試論しろん(A Theory of Content and Other Essays)』(1990ねん)でフォーダーはかれのもうひとつの中心ちゅうしんてきかんがえをげている。心的しんてき表象ひょうしょう実在じつざいせい問題もんだいである[16]。フォーダーは、LOTのそれのように象徴しょうちょうてき構造こうぞうによって説明せつめいされるというかんがえを正当せいとうすることで精神せいしん状態じょうたい内容ないようぶつ正当せいとうすることを必要ひつようとしている。

フォーダーのデネットにたいする批判ひはん[編集へんしゅう]

フォーダーはいわゆる「標準ひょうじゅんてき実在じつざいろん」の批判ひはんからはじめる。フォーダーによればこの立場たちばふたつのたがいにことなる主張しゅちょうつことを特徴とくちょうとする。そのうちのひとつは、精神せいしん状態じょうたい内的ないてき構造こうぞうと、そういった言明げんめいたがいに関係かんけいがないという主張しゅちょう注目ちゅうもくすることである。もうひとつは、しんてき内容ないよう意味いみろんてき理論りろんと、そういった内容ないよう原因げんいんたす役割やくわり信念しんねんたす推論すいろんじょうあみとは同型どうけいせいがあるという主張しゅちょうたずさわることである。近代きんだいしん哲学てつがくしゃあいだで、多数たすう立場たちばは、このふたつのうち前者ぜんしゃ間違まちがっていて後者こうしゃただしいとするものであったようだ。フォーダーはこうした立場たちばからははなれ、前者ぜんしゃただしいことをれて後者こうしゃただしいということをつよ否定ひていする[16]

とくに、フォーダーはダニエル・デネットの道具どうぐ主義しゅぎつよ批判ひはんする[16]。デネットは、心的しんてき表象ひょうしょう実在じつざいせい傾倒けいとうせずに精神せいしん状態じょうたい注目ちゅうもくしつつ同時どうじ実在じつざいろんしゃでいることは可能かのうだと主張しゅちょうする[17]。さて、フォーダーによれば、このレベルで分析ぶんせきてきひとは「なぜ」内的ないてき戦略せんりゃく実行じっこうできるかを説明せつめいできないという。:

道具どうぐ主義しゅぎたいする標準ひょうじゅんてき反論はんろんが[…]ある[…]:信念しんねん/欲望よくぼう心理しんりがく間違まちがっているならばなぜ信念しんねん/欲望よくぼう心理しんりがくがうまくいくかを説明せつめいするのは困難こんなんである[…]パトナムやボイドらが、予測よそく成功せいこうしたことから理論りろんしんであることまで当然とうぜんかんがえられる推論すいろんがあると強調きょうちょうしている。:そしてこれは以下いかのようなときにより確実かくじつにもなる[…]わたしたちが、予測よそく最後さいごまで成功せいこうさせるような『ただひとつの』理論りろん実際じっさいあつかうときに。以下いかのことはあきらかである[…]実在じつざいろんしゃかんがえをえらんで前提ぜんてい作用さようしないことがあるだろうか[…]信念しんねん/欲望よくぼうたいする解釈かいしゃくの」[18]

生産せいさんせい合成ごうせいせい思考しこう[編集へんしゅう]

フォーダーは、LOTにおいて心的しんてき表象ひょうしょう実在じつざいせい賛成さんせいした「肯定こうていてき」な主張しゅちょうおこなってもいる。かれは、言語げんご思考しこう表現ひょうげんするものであり、また、言語げんご体系たいけいだったものであるならば、思考しこうもまた体系たいけいだっていなければならないと主張しゅちょうしている。フォーダーはノーム・チョムスキーの研究けんきゅう利用りようして、自身じしんしん理論りろん擁護ようごとそれに対立たいりつするコネクショニズムのような体系たいけいたいする論駁ろんばく両方りょうほうおこなっている[19]自然しぜん言語げんご体系たいけいせいはチョムスキーによって[20] より基本きほんてきふたつの概念がいねん生産せいさんせい単調たんちょうせい説明せつめいされる。

生産せいさんせいとは、表象ひょうしょう体系たいけいあたえられたいちぞろいの象徴しょうちょうからあたらしい表象ひょうしょう無限むげんせることをっている。「ジョン」、「あいしている」、そして「メアリー」とった単語たんごは「ジョンはメアリーをあいしている」や「メアリーはジョンをあいしている」といったような構文こうぶんしたがう。フォーダーの思考しこう言語げんご仮説かせつは、表象ひょうしょうはその要素ようそである部分ぶぶん仕切しきることができ、また、こういった仕切しきられた表象ひょうしょうあたらしいいちつづきの表象ひょうしょうえられうるという理論りろんてている[19]

生産せいさんせいよりも重要じゅうようなのが体系たいけいせいである、というのも体系たいけいせいひと認知にんち機能きのうかんしてうたがわしい理想りそう依存いぞんしていないからである。この主張しゅちょうは、認知にんちするものなんらかのぶんを、ぶん理解りかいすることができる能力のうりょくのおかげで理解りかいできるのだとっている。たとえば、「ジョンはメアリーをあいしている」というぶん理解りかいできるが「メアリーはジョンをあいしている」とぶん理解りかいできないものなどいないし、「PとQ」を理解りかいできるが「P」を理解りかいできないものなどいないということである。体系たいけいせいそれ自体じたい自然しぜん言語げんご自然しぜん論理ろんり特質とくしつとしてほとんど異議いぎとなえるものはいないが、しかし思考しこう言語げんごまったおなじように体系たいけいてきなのだと異論いろんとなえるものはいる[21]。また、コネクショナリズムの系譜けいふぞくするものなかには言語げんごあきらかな体系たいけいせい説明せつめいできるような古典こてんてきネットワークをつくげようとするものもいる[22]

体系たいけいせい生産せいさんせい言語げんご単調たんちょうてき構造こうぞう依存いぞんしているという事実じじつは、言語げんごわせてき意味いみろんゆうしているということを意味いみする。思考しこうわせてき意味いみろんっているなら、思考しこう言語げんご存在そんざいするにちがいないということになる[23]

フォーダーが表象ひょうしょう実在じつざいすることに賛成さんせいしてあたえただい主張しゅちょう思考しこうのプロセスを必然ひつぜんてきともなう。この主張しゅちょう心的しんてき表象ひょうしょうかんする理論りろんとその構造こうぞうのモデルの関係かんけい関連かんれんしている。メンタリーズのぶん推敲すいこう独特どくとく過程かてい要求ようきゅうしているならば、そういったぶんたしかなかた計算けいさんてき機構きこう要求ようきゅうしている。心的しんてき表象ひょうしょう統語とうごろんてきかんがえは、しんてき過程かていはそれらが推敲すいこうした象徴しょうちょうの「かた」にのみしたが計量けいりょうであるというかんがえとならんでいく。これがしん計算けいさん理論りろんである。結果けっかてきに、古典こてんてき人工じんこう知能ちのうもとづいた構造こうぞうのモデルを擁護ようごすることは心的しんてき表象ひょうしょう実在じつざいせい擁護ようご必然ひつぜんてき通過つうかする[23]

フォーダーにとって、思考しこう過程かていかんするこの形式けいしきてきかんがえは、象徴しょうちょう原因げんいんとなる役割やくわりとそれらが表現ひょうげんする内容ないよう対比たいひ目立めだたせるという利点りてんってもいる。かれかんがえでは、統語とうごろんは、象徴しょうちょう原因げんいんとなる役割やくわり象徴しょうちょう内容ないようとを調停ちょうていする役割やくわりつ。象徴しょうちょうあいだ意味いみろんてき関係かんけいはそれらの統語とうごろんてき関係かんけいが「模倣もほう」することができる。ふたつの象徴しょうちょうの「内容ないよう」につながる推論すいろんじょう関係かんけい一方いっぽう象徴しょうちょうのもう一方いっぽうからの派生はせい修正しゅうせいする形式けいしきてき統語とうご規則きそく模倣もほうすることができる[23]

内容ないよう本質ほんしつ[編集へんしゅう]

1980年代ねんだいはじめから、フォーダーは心的しんてき内容ないようおよ意味いみ原因げんいんかんするかんがえに着目ちゃくもくしてきた。この内容ないようかんするかんがえは、かれ研究けんきゅう活動かつどう初期しょき賛成さんせいしていた推論すいろんじょう役割やくわり意味いみろんするど対照たいしょうをなす2010ねん現在げんざい。フォーダーは推論すいろんじょう役割やくわり理論りろん(inferential role semantics、IRS)の意味いみろんてきホーリズムへの傾倒けいとう精神せいしんしん自然しぜん可能かのうせい排除はいじょするとしてこれを批判ひはんしている。しかし自然しぜん原始げんしろんてき因果いんがてき術語じゅつご内容ないよう説明せつめいふくまなければならない[24]

アンチ・ホーリズム(全体ぜんたいろん)[編集へんしゅう]

フォーダーはホーリズムにかんしてたくさんのそして様々さまざま批判ひはんおこなってきた。かれはホーリズムにかんする様々さまざまかんがすべてをともな中心ちゅうしんてき問題もんだいを、意味いみろんてき評価ひょうか決定けってい因子いんしは「認識にんしきろんてき接着せっちゃくざい」とかんがえであるというかんがえだとみなしている。手短てみじかえば、Pの意味いみがQの意味いみ決定けっていするのに関係かんけいがあるとだれかがかんがえたならば、PはQの認識にんしきろんてき接着せっちゃくざいである。意味いみのホーリズムはこのかんがえにつよ依存いぞんしている。ホーリズムのしたでは、精神せいしん状態じょうたい内容ないよう同一どういつせいはその認識にんしきろんてき接着せっちゃくざいの「全体ぜんたいせい」のみによって決定けっていされる。そしてこのことによって精神せいしん状態じょうたい実在じつざいできなくなる。:

「もし人々ひとびと認識にんしきろんてき関係かんけい評価ひょうかするやりかた基本きほんてき部分ぶぶん完全かんぜんちがえているなら、そしてもしわたしたちが意味いみのホーリズムにしたが認識にんしきろんてき接着せっちゃくざいの『全体ぜんたいせい』のやりかたによって志向しこうてき状態じょうたい個別こべつしているならば、結果けっかとしてにんひとは(この問題もんだいかんしてうならばどう一人物いちじんぶつなかふたつの一時いちじてき領域りょういきでも)けっして同一どういつ志向しこうてき状態じょうたいになることはないであろう。それゆえ、二人ふたりひと同一どういつ志向しこうてき標準ひょうじゅんした包摂ほうせつされることは絶対ぜったいにありえないことになる。そして、それゆえに、志向しこうてき標準ひょうじゅんけっして成功せいこうしえない。さらに、それゆえに、思考しこうてき心理しんりがくにはなん希望きぼうもない。」[24]

因果いんが非対称ひたいしょうせい[編集へんしゅう]

意味いみろんてき評価ひょうか象徴しょうちょう体系たいけい構成こうせい要素ようそ内的ないてき関係かんけいにのみかかわるというかんがえを批判ひはんされて、フォーダーは心的しんてき内容ないようおよ意味いみかんして外材がいざい主義しゅぎ立場たちばれた。フォーダーにとって、近年きんねん精神せいしん自然しぜん問題もんだいは、「世界せかい一部いちぶ一部いちぶ関係かんけいしている(と説明せつめいできる、と表現ひょうげんできる、ことがしんである)ことの十分じゅうぶん条件じょうけん」を内在ないざいてき意味いみろんてき術語じゅつごあたえられる可能かのうせいむすびついている。この目的もくてき表象ひょうしょうしん理論りろんのうちで達成たっせいされれば、挑戦ちょうせんはLOTの原始げんしてき論理ろんりてき象徴しょうちょう解釈かいしゃくてる因果いんが理論りろん考案こうあんする。フォーダーの最初さいしょ提議ていぎは、しんてき言語げんごにおいて「みず」の象徴しょうちょうがH2Oという特性とくせい表現ひょうげんすることを決定けっていするものが、その象徴しょうちょう発生はっせいたしかにみず因果いんが関係かんけいであることであるということである。この理論りろんをより直観ちょっかんてき説明せつめいするとフォーダーが「完成かんせい因果いんが理論りろん」とぶものになる。この理論りろんによれば、象徴しょうちょう発生はっせいはその発生はっせい原因げんいんとなる特性とくせい説明せつめいする。たとえば、「ウマ」と言葉ことばは、ウマのウマであることをっている。このためには、「ウマ」の象徴しょうちょう発生はっせいのはっきりした特性とくせいが、なにかが「ウマ」の発生はっせいであると決定けっていするはっきりした特性とくせいほうのような関係かんけいっていることが必要ひつようにして十分じゅうぶんとなる[16]

この理論りろんかんするおも問題もんだいあやまった表象ひょうしょう問題もんだいである。「もし[…]そういった特性とくせい存在そんざいすることすべてが、そして特性とくせい存在そんざいする場合ばあいにのみ発生はっせいするならば、象徴しょうちょう特性とくせい説明せつめいする」というかんがえにともなけられない問題もんだいふたつある。ひとつは、「すべての」ウマが「ウマ」を発生はっせいさせるわけではないということである。もうひとつはかならずしもウマ「だけ」が「ウマ」を発生はっせいさせるわけではないということである。「A」(「ウマ」)がA(ウマ)によって発生はっせいする場合ばあいもあるが、べつ場合ばあいには、――たとえば、ほう可視かしてきである状態じょうたいかもしくは距離きょりがあるために、ウシをウマと誤認ごにんする――「A」(「ウマ」)がB(ウシ)によって発生はっせいしている。この場合ばあい「A」という象徴しょうちょうたんにAの特性とくせいあらわすのみならず、AあるいはBの特性とくせい分離ぶんりをもあらわしている。それゆえに完成かんせい因果いんが理論りろん象徴しょうちょう内容ないよう分離ぶんりしている場合ばあいとそうでない場合ばあい区別くべつすることができない。このためにフォーダーが「分離ぶんり問題もんだい」とぶものが発展はってんした。

フォーダーはこの問題もんだいたいして、かれが「ごくわずかに未完成みかんせい因果いんが理論りろん」と定義ていぎしたものをもって回答かいとうしている。このアプローチでは、未完成みかんせい因果いんが理論りろん基盤きばんとなっている対称たいしょうせい破壊はかいすることが必要ひつようになっている。フォーダーは、Aによる「A」の発生はっせい(しん)をBによる「A」の発生はっせい(にせ)から区別くべつする方法ほうほうつけなければいけない。フォーダーによれば、出発しゅっぱつてんは、にせ場合ばあいしん場合ばあいに「存在そんざいろんてき依存いぞん」しているが、ぎゃくはそうではないということである。依存いぞん関係かんけいの、つまり、しんなる内容ないよう(A= A)とにせなる内容ないよう(A = A or B)の非対称ひたいしょうせい存在そんざいする。前者ぜんしゃ後者こうしゃ独立どくりつ存在そんざいするが、後者こうしゃ前者ぜんしゃ存在そんざいする場合ばあいかぎ存在そんざいする :

意味いみろんてき観点かんてんからえば、間違まちがいは「事故じこ」であるにちがいない。:「ウマ」の外延がいえんうし存在そんざいしないならば、ウシがウマとばれるような「ウマ」の意味いみ要求ようきゅうすることはできない。一方いっぽう、「ウマ」がそれが意味いみするところのものを意味いみしないならば、そしてそれがウマと誤認ごにんしているのならば、ウシを「ウマ」とぶことは不可能ふかのうであろう。以上いじょうふたつをならべてみれば、間違まちがって「これはウマである」とうことが可能かのうなのはそれをただしくえるための意味いみろんてき基盤きばん存在そんざいするからであって、ぎゃくではない。このことを未完成みかんせい因果いんが理論りろん言葉ことばえば、ウシをひとが「ウマ」とうことはウマをひとが「ウマ」とうことに依存いぞんしている。;しかしウマをひとが「ウマ」というのはウシをひとが「ウマ」とうことに依存いぞんして「いない」[…]」[16]

機能きのう主義しゅぎ[編集へんしゅう]

1960年代ねんだいあいだ、ドナルド・デイヴィッドソン、ヒラリー・パトナム、そしてフォーダーといった様々さまざま哲学てつがくしゃが、世界せかいは「物理ぶつりがく普遍ふへんせい」をやぶらないという唯物ゆいぶつろんしゃかんがかた執着しゅうちゃくする一方いっぽう心的しんてき因果いんが関係かんけいといわゆる「民俗みんぞく心理しんりがく」の説明せつめいじょう効能こうのうたも方法ほうほう発展はってんさせるという難題なんだい解決かいけつしようとしてきた。まず、かれらの主張しゅちょうするところは、しん哲学てつがくにおいてかつて支配しはいてきだった立場たちば行動こうどう主義しゅぎ類別るいべつ確認かくにん理論りろん放棄ほうきすることである[25]論理ろんりてき行動こうどう主義しゅぎともな問題もんだいは、とく行動こうどうひとつの心的しんてき出来事できごと/原因げんいん結果けっかではなくむしろひとつらなりの出来事できごと/原因げんいん結果けっかだとかんがえた場合ばあいに、行動こうどう主義しゅぎ精神せいしん状態じょうたいの「あいだの」因果いんが関係かんけい説明せつめいできず、しかもそういった因果いんが関係かんけい心理しんりがくてき説明せつめいするじょう本質ほんしつてきであるとおもわれることである。一方いっぽう類別るいべつ確認かくにん理論りろん根本こんぽんてきことなる物理ぶつりがくてき体系たいけいまったおな精神せいしん状態じょうたいなか見出みいだされるという事実じじつ説明せつめいできない。ふか人間にんげん中心ちゅうしんてきで(どうして人類じんるい宇宙うちゅう唯一ゆいいつ知的ちてきそんだということがあるだろうか)ある場合ばあいのぞけば、どう一説いっせつは、神経しんけい科学かがくにおいてヒトののうはそれぞれたがいにことなっているという証拠しょうこあつめるのに失敗しっぱいする。このゆえに、ことなる物理ぶつりがくてき体系たいけいにおいて一般いっぱん精神せいしん状態じょうたい言及げんきゅうできないことによってそれ自体じたいことなるたねあいだだけではなくどう種別しゅべつ個体こたいあいだでも証明しょうめいされる。

An illustration of multiple realizability. M stands for mental and P stand for physical. It can be seen that more than one P can instantiate one M but not vice versa. Causal relations between states are represented by the arrows (M1 goes to M2, etc.)

フォーダーによれば、こういった問題もんだい解決かいけつは、機能きのう主義しゅぎ、いわば二元論にげんろんおよ還元かんげん主義しゅぎ失敗しっぱい克服こくふくするためにつくられた[だれによって?]仮説かせついだされるという。ここで詳細しょうさいべなければ、このかんがえは重要じゅうようなものは精神せいしん状態じょうたい存在そんざいせしめる物理ぶつりてき基盤きばんではなく精神せいしん状態じょうたい機能きのうだということである。この立場たちばしん多重たじゅう実現じつげん可能かのうせいという原理げんりもとづいてまれた。この立場たちばによると、たとえば、わたしとコンピュータはまったことなる物質ぶっしつてき材料ざいりょう(みぎ参照さんしょう)からできているにもかかわらず同一どういつ機能きのうてき状態じょうたい事例じれいげて裏付うらづける(「理解りかいする」)ことができる。このことによって機能きのう主義しゅぎは「トークン唯物ゆいぶつろん」のいち形態けいたいだと分類ぶんるいされる[26]

進化しんか[編集へんしゅう]

フォーダーは生物せいぶつ学者がくしゃのマッシモ・ピアッテッリ=パルマリーニとともに「ダーウィンはなぜ間違まちがえたか(What Darwin Got Wrong)」(2010ねん)とほんいている。そこでは、ネオダーウィニストが「悲惨ひさんなほど批判ひはんてき」であるとわれ、ダーウィンの進化しんかろんについて「たね表現ひょうげんがた形作かたちづくるうえでの環境かんきょう貢献こうけん過大かだい評価ひょうかされ、それにおうじて内部ないぶ変数へんすう影響えいきょう過小かしょう評価ひょうかされている」とわれている[27][28][29]進化しんか生物せいぶつ学者がくしゃのジェリー・コインはこのほんを「自然しぜん選択せんたくたいするふか間違まちがって案内あんないされた批判ひはん[30] で「耳障みみざわりである度合どあい比例ひれいして生物せいぶつがくてき無知むちである」[31]ひょうしている。

批判ひはん[編集へんしゅう]

多様たよう志向しこう様々さまざま種類しゅるい哲学てつがくしゃおおくのフォーダーのかんがえに挑戦ちょうせんしてきた。たとえば、思考しこう言語げんご仮説かせつは、無限むげん退行たいこう餌食えじきであるとか、あるいは無用むよう長物ちょうぶつであるとって非難ひなんされてきた。とくに、サイモン・ブラックバーンは1984ねん論説ろんせつで、フォーダーは自然しぜん言語げんご習得しゅうとくはLOTのしたでの仮説かせつ形成けいせい確認かくにんであると説明せつめいしているので、LOT自体じたい習得しゅうとくされるために仮説かせつ形成けいせい確認かくにんするためのより基礎きそてきなもうひとつの表象ひょうしょうてき基盤きばん必要ひつようとする言語げんごにすぎないのではないかといういをフォーダーにげかけると主張しゅちょうした。自然しぜん言語げんご習得しゅうとくするためにはなんらかの表象ひょうしょうてき基盤きばん(LOT)を必要ひつようとするならばLOTそれ自体じたいもそのなんらかの表象ひょうしょうてき基盤きばん必要ひつようとし、というように無限むげんつづくのではないか?一方いっぽう、そういった表象ひょうしょうてき基盤きばんをLOTが必要ひつようとしないならば、なぜLOTを自然しぜん言語げんご必要ひつようとするのか?この場合ばあい、LOTは無用むよう長物ちょうぶつとなる[32]。フォーダーは、これにこたえて、LOTは先天的せんてんてきなものであるのでそれに先立さきだ言語げんごかいして習得しゅうとくする必要ひつようがないてん特異とくいてきなのだと主張しゅちょうしている。

1981ねんにダニエル・デネットがLOTにたいするもうひとつの反論はんろん明確めいかくべている。デネットは、わたしたちの無自覚むじかく行動こうどうふくめてコンピュータにたいするわたしたちの行動こうどう証拠しょうこもとづいて、LOTははっきりした説明せつめい命題めいだいてき態度たいど説明せつめいするじょう必要ひつようであるようにえると主張しゅちょうしている。コンピュータ・プログラムとチェスでたたかっているあいだわたしたちはしばしばそういった態度たいどをコンピュータにかえして以下いかのようにう: 「コンピュータはクィーンをひだりうごかそうとかんがえている」わたしたちは命題めいだいてき態度たいどをコンピュータにかえしていて、このことによってわたしたちは様々さまざま文脈ぶんみゃくでのコンピュータのいを説明せつめい予測よそくしている。だが、しんてき言語げんごで「おれはあの野郎やろうのケツをばせるとおもっている」という命題めいだいてき態度たいど同様どうようのどこか周囲しゅういでコンピュータが実際じっさいに「かんがえている」あるいは「しんじている」と主張しゅちょうするものはいない。同様どうようのことが、風通かぜとおしのわる状況じょうきょうで「新鮮しんせん空気くうきおうとすること」のようなと日常にちじょうてき無意識むいしきてき行動こうどうおおくにかんしてもてはまるとデネットは主張しゅちょうしている[33]

言語げんご学者がくしゃ言語げんご哲学てつがくしゃなかには、フォーダーがみずから「極端きょくたんな」といっている先天せんてんせつ批判ひはんしているものもいる。たとえば、ケント・バッハは、語彙ごい意味いみろんかたり多義たぎせい批判ひはんしたことでフォーダーをはげしく非難ひなんしている。フォーダーは「keep」、「get」、「make」、「put」のような動詞どうしには語句ごく構造こうぞう存在そんざいしないと主張しゅちょうしている。かれわりに、「keep」はたんにKEEPという概念がいねん(フォーダーは概念がいねん特性とくせい名称めいしょう、その実体じったい区別くべつするためにんでいる)をあらわすと主張しゅちょうしている。個人こじん言葉ことば概念がいねんあいだにシンプルに一対一いちたいいち対応たいおう存在そんざいするならば、"keep your clothes on"、"keep your receipt"あるいは"keep washing your hands"はフォーダーの理論りろんしたではすべてKEEPというおな概念がいねんあずかることになる。この概念がいねんはおそらくkeepingの外的がいてき特性とくせい追跡ついせきしている。しかし、これがただしいならば、RETAINTはRETAIN YOUR RECEIPTにかんしてことなる特性とくせいげなければいけなくなる、というのはひとはretain one's clothes onやあるいは retain washing one's handsといったことをできなくなるからである。フォーダーの理論りろんは、FASTという概念がいねんがFAST CAR、FAST DRIVER、FAST TRACKあるいはFAST TIMEの内容ないようにどのように「ことなったかたちで」貢献こうけんするのかを説明せつめいするじょうでも問題もんだいがある[34]。こういったぶんで「fast」の解釈かいしゃくことなることが英語えいご特徴とくちょうであるかどうか、あるいはプラグマティズムてき推論すいろん結果けっかであるかどうかは議論ぎろん余地よちがある[35]。こういった種類しゅるい批判ひはんたいするフォーダー自身じしん回答かいとうは、無遠慮ぶえんりょ説明せつめいすれば「概念がいねん」である。「ひとは『存在そんざいしている』というのは『椅子いす存在そんざいしている』と『かず存在そんざいしている』のちがいをてみれば曖昧あいまいちがいないということもある。それにたいするありふれた回答かいとうはこうである。椅子いす存在そんざいかず存在そんざいというのもひるがえってかんがえると椅子いすかずちがいと酷似こくじしている。前者ぜんしゃ説明せつめいするために後者こうしゃ立場たちばをとるから、『存在そんざいする』というかたり多義たぎせい必要ひつようともしなくなる。」 [36]

しんじがたいほどにおおくの概念がいねん原始げんしてき未定義みていぎであるフォーダーの主張しゅちょうれがたいとかんがえる批判ひはんしゃもいる。たとえば、フォーダーはEFFECT、ISLAND、TRAPEZOIDあるいはWEEKといった言葉ことばすべ原始げんしてき先天的せんてんてき分析ぶんせきてきかんがえている、というのはそれらはみなかれが「語彙ごい概念がいねん」とぶもの(わたしたちの言語げんごひとつの単語たんごであらわしているもの)のカテゴリにほうまれるのである。こういったかんがえにはんして、バッハはVIXENという概念がいねんはほとんどあきらかにFEMALEとFOXというふたつの概念がいねんからなる、BACHELORはSINGLEとMALEから、などなどと主張しゅちょうしている[34]

著作ちょさく[編集へんしゅう]

  • What Darwin Got Wrong, with Massimo Piattelli-Palmarini, Farrar, Straus and Giroux, 2010, ISBN 0-374-28879-8.
  • LOT 2: The Language of Thought Revisited, Oxford University Press, 2008, ISBN 0-199-54877-3.
  • Hume Variations, Oxford University Press, 2003, ISBN 0-19-928733-3.
  • The Compositionality Papers , (with E. Lepore), Oxford University Press 2002, ISBN 0-19-925216-5.
  • The Mind Doesn't Work That Way: The Scope and Limits of Computational Psychology, MIT Press, 2000, ISBN 0-262-56146-8.
  • In Critical Condition, MIT Press, 1998, ISBN 0-262-56128-X.
  • Concepts: Where Cognitive Science Went Wrong, (The 1996 John Locke Lectures), Oxford University Press, 1998, ISBN 0-19-823636-0. ((PDF book))
  • The Elm and the Expert, Mentalese and its Semantics, (The 1993 Jean Nicod Lectures), MIT Press, 1994, ISBN 0-262-56093-3.
  • Holism: A Consumer Update, (ed. with E. Lepore), Grazer Philosophische Studien, Vol 46. Rodopi, Amsterdam, 1993, ISBN 90-5183-713-5.
柴田しばた正良まさよしわけ意味いみ全体ぜんたいろん—ホーリズム、そのおものガイド』、産業さんぎょう図書としょ、1997ねん
  • A Theory of Content and Other Essays, MIT Press, 1990, ISBN 0-262-56069-0.
  • Psychosemantics: The Problem of Meaning in the Philosophy of Mind, MIT Press, 1987, ISBN 0-262-56052-6.
  • The Modularity of Mind: An Essay on Faculty Psychology, MIT Press, 1983, ISBN 0-262-56025-9.
伊藤いとうしゃくやすししんじはら幸弘ゆきひろわけ精神せいしんのモジュール形式けいしき人工じんこう知能ちのうしん哲学てつがく』、産業さんぎょう図書としょ、1985ねん.
  • Representations: Essays on the Foundations of Cognitive Science, Harvard Press (UK) and MIT Press (US), 1979, ISBN 0-262-56027-5.
  • The Language of Thought, Harvard University Press, 1975, ISBN 0-674-51030-5.
  • The Psychology of Language, with T. Bever and M. Garrett, McGraw Hill, 1974, ISBN 0-394-30663-5.
  • Psychological Explanation, Random House, 1968, ISBN 0-07-021412-3.
  • The Structure of Language, with Jerrold Katz (eds.), Prentice Hall, 1964, ISBN 0-13-854703-3.

ちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Jerry A. Fodor, Philosopher Who Plumbed the Mind’s Depths, Dies at 82” (英語えいご). The New York Times (2017ねん11月30にち). 2018ねん12月16にち閲覧えつらん
  2. ^ Norfleet, Phil. “Consciousness Concepts of Jerry Fodor”. 2007ねん3がつ12にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2006ねん7がつ30にち閲覧えつらん
  3. ^ McGinn, Colin (2002). The Making of a Philosopher. New York: HarperCollins. ISBN 0-06-019792-7 
  4. ^ Fodor, Jerry. “Curriculum Vitae”. 2008ねん12月7にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c Fodor, Jerry A. (1981). Representations: Philosophical Essays on the Foundations of Cognitive Science. Cambridge, Mass.: The MIT Press. ISBN 0-262-06079-5 
  6. ^ Carnap, Rudolf (1947). Meaning and Necessity. Chicago: Chicago University Press. ISBN 0-226-09347-6 
  7. ^ Field, H.H. (1978). “Mental Representation”. Erkenntnis (13): 9-61. 
  8. ^ Harman, G. (1982). “Conceptual Role Semantics”. Notre Dame Journal of Formal Logic (23): 242-256. 
  9. ^ Frege, G. (1892). “Über Sinn und Bedeutung”. Zeitschrift für Philosophie und philosophische Kritik. ; trans. it. Senso e denotatione, in A. Bonomì, La Struttura Logica del Linguaggio, Bompiani, Milan 1973, pp 9-32
  10. ^ a b Francesco Ferretti (2001). Jerry A. Fodor:Mente e Linguaggio. Rome: Editori Laterza. ISBN 88-420-6220-0 
  11. ^ a b c Fodor, Jerry A. (1983). The Modularity of Mind:An Essay in Faculty Psychology. The MIT Press. ISBN 0-262-56025-9 
  12. ^ Pinker, S (1997). How the Mind Works. New York: Norton 
  13. ^ Plotkin, H. (1997). Evolution in Mind. London: Alan Lane. ISBN 0-7139-9138-0 
  14. ^ Pylyshyn, Z. (1984). Computation and Cognition. Cambridge, Mass.: MIT Press 
  15. ^ Fodor, J. (2000). The Mind Doesn't Work That Way:The Scope and Limits of Computational Psychology. MIT Press. ISBN 0-262-56146-8 
  16. ^ a b c d e Fodor, Jerry A. (1990). A Theory of Content and Other Essays. The MIT Press. ISBN 0-262-56069-0 
  17. ^ Dennett, Daniel C. (1987). The Intentional Stance. The MIT Press 
  18. ^ Fodor, Jerry A.. “Fodor's Guide to Mental Representations”. Mind (94): 76–100. 
  19. ^ a b Fodor, Jerry A.; Pylyshyn, Zenon W. (1988). “Connectionism and cognitive architecture: A critical analysis”. Cognition 28 (1–2): 3–71. doi:10.1016/0010-0277(88)90031-5. PMID 2450716. 
  20. ^ Syntactic Structures. The Hague/Paris: Mouton. (1957) 
  21. ^ “Systematicity”. Journal of Philosophy (93): 591–614. (1996). 
  22. ^ “The constituent structure of mental states: A reply to Fodor and Pylyshyn”. Southern Journal of Philosophy (26): 137–160. (1987). 
  23. ^ a b c Fodor, J, (1978). RePresentations. Philosophical Essays on the Foundations of Cognitive Science. Mass.: The MIT Press 
  24. ^ a b Fodor, J. Holism: A Shopper's Guide, (with E. Lepore), Blackwell, 1992, ISBN 0-631-18193-8.
  25. ^ Putnam, Hilary (1988). Mind, Language and Reality. Cambridge University Press 
  26. ^ Fodor, Jerry. “The Mind/Body Problem”. Scientific American (244): 124–132. 
  27. ^ "Survival of the fittest theory: Darwinism's limits"
  28. ^ "Did Charles Darwin get it wrong?"
  29. ^ What Darwin Got Wrong
  30. ^ "Worst science journalism of the year: Darwin completely wrong (again)" @ Why Evolution is True
  31. ^ "The Improbability Pump" (a review of What Darwin Got Wrong and Richard Dawkins’s The Greatest Show on Earth) @ The Nation
  32. ^ Blackburn, S. (1984). Spreading the Word. Oxford University Press 
  33. ^ Dennett, D.C. (1981). Brainstorms: Philosophical Essays on Mind and Psychology. MIT Press 
  34. ^ a b Bach, Kent. “Review of Concepts: Where Cognitive Science Went Wrong”. San Diego Review. 
  35. ^ Pustejovsky, J. (1995). The Generative Lexicon. MIT Press 
  36. ^ Fodor, J. (1998) (online PDF text). Concepts: Where Cognitive Science Went Wrong. Oxford University Press. p. 54. ISBN 0-19-823636-0. http://www.oup.co.uk/pdf/0-19-823636-0.pdf#search=%22Concepts%3AWhere%20Cognitive%20Science%20Went%20wrong%22 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]