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西洋せいよう哲学てつがく

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この項目こうもくでは、西洋せいよう哲学てつがく(せいようてつがく)、すなわち西洋せいよう発展はってんした哲学てつがくについて解説かいせつする。

特質とくしつ

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西洋せいよう哲学てつがく特質とくしつギリシャ哲学てつがくヘブライ信仰しんこうキリスト教きりすときょう信仰しんこう)をその基調きちょうてんである[1]

紀元前きげんぜん6-7世紀せいき哲学てつがく発生はっせいした地域ちいきとしてギリシャ(ソクラテスら)、きたインド(釈迦しゃか)、黄河こうが流域りゅういき孔子こうしら)をげることができる。世界せかいをひとつの普遍ふへんてき秩序ちつじょにおいてとらえ、神話しんわとらわれない自由じゆう理性りせいてき思考しこういたったてんで、それらの地域ちいき共通きょうつうする[2]。そのうえでギリシャにられた特質とくしつとは、哲学てつがくてき思考しこうユークリッド幾何きかがくのような論理ろんり体系たいけいすほどにするどい「論理ろんりせい」をもとめたことである[3]。プラトンは「哲学てつがく論理ろんり(ディアレクティケ)」と「弁論べんろんじゅつ(レトリケ)」を区別くべつしている。一方いっぽう中国ちゅうごくでは論理ろんりせい修辞しゅうじなかまれ、インドでは修辞しゅうじはいした論理ろんりせい追求ついきゅう古代こだいられなかったとされる[4]

神話しんわ提起ていきした問題もんだい提起ていき哲学てつがくぐという現象げんしょうは、いずれの地域ちいきでもられた[5]。しかし西洋せいよう哲学てつがくは、中世ちゅうせいにおいてさらに高次こうじ神話しんわというべきキリスト教きりすときょう相対そうたいすることになった。ギリシャ哲学てつがく厳密げんみつ論理ろんりてき手法しゅほう特徴とくちょうとしていたため、両者りょうしゃ緊張きんちょうれいない強烈きょうれつなものとなった[6]

キリスト教きりすときょうかみ世界せかい人間にんげんあまところなく徹底的てっていてき支配しはいするというてんで、従来じゅうらいかみ概念がいねん超越ちょうえつし、普遍ふへんてき秩序ちつじょ原理げんりすら内在ないざいさせた高次こうじかみであった。それゆえ、とく中世ちゅうせい初期しょきにはいちじるしかったように、哲学てつがく理性りせい)が信仰しんこう従属じゅうぞくするという構図こうずちえた[7]西洋せいよう哲学てつがくキリスト教きりすときょう神話しんわから独立どくりつ地位ちいはじめるのは、スコラ哲学すこらてつがく全盛ぜんせいの12-13世紀せいきごろである。ルネサンスを、神話しんわから哲学てつがくへの度目どめさい移行いこうるならば、これもつよ緊張きんちょうなが期間きかんようするものだった[6]

東洋とうよう哲学てつがくとの比較ひかく

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西洋せいよう哲学てつがく東洋とうよう哲学てつがく比較ひかくした場合ばあい西洋せいようは「がく」としての哲学てつがく東洋とうようは「きょう」としての哲学てつがくという見方みかたができる[8]。すなわち西洋せいよう哲学てつがくは、学問がくもんとして論理ろんりてき観点かんてんち、世界せかい本質ほんしつ理論りろんてき解明かいめい目指めざしている[9]一方いっぽう東洋とうよう哲学てつがくは、釈迦しゃかにせよ孔子こうしにせよ、「いかにきるか」という人生じんせいたいする実践じっせんてき関心かんしん思索しさく方向ほうこうづけている[10]

実在じつざい」のとらかたにも、西洋せいよう哲学てつがく東洋とうよう哲学てつがくちがいがられる。西洋せいよう哲学てつがくでは、形而上けいじじょう世界せかい/形而下けいじか世界せかい実在じつざいかい/現象げんしょうかいといった二元論にげんろんてき思考しこう様式ようしき伝統でんとうてきられる[11]具体ぐたいてきにはプラトンのイデア、アリストテレス純粋じゅんすい形相ぎょうそうなどがげられる。いずれも実在じつざい自然しぜん外部がいぶ自然しぜん超越ちょうえつした場所ばしょもとめられる[12]一方いっぽう東洋とうよう哲学てつがくでは、実在じつざい個々人ここじん内奥ないおうもとめられる[12]具体ぐたいてきには華厳経けごんきょうの「三界さんがい唯一ゆいいつこころ心外しんがい別法べっぽう」、禅宗ぜんしゅうの「脚下きゃっかあきら顧」などがげられる。仏教ぶっきょうでいう浄土じょうど/穢土えど涅槃ねはんかい/煩悩ぼんのうかいというべつはあくまで観察かんさつしゃしん反映はんえいとされる[13]

領域りょういき

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日本にっぽんでの受容じゅよう

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江戸えど時代じだい末期まっきにおいて、西洋せいよう学問がくもん輸入ゆにゅうもっぱ自然しぜん科学かがく分野ぶんや限定げんていされていた。実質じっしつてきはじめて西洋せいよう哲学てつがく日本にっぽんへもたらしたのは西にしあまねである。西にし江戸えど幕府ばくふよってオランダへ派遣はけんされたさいミル功利こうり主義しゅぎコント実証じっしょう主義しゅぎまなび、日本にっぽん紹介しょうかいした[14]明治めいじ政府せいふ樹立じゅりつ輸入ゆにゅうされた西洋せいよう哲学てつがくも、実務じつむてき政治せいじ思想しそう社会しゃかい思想しそう実学じつがくてき功利こうり主義しゅぎ実証じっしょう主義しゅぎ哲学てつがくであり、これは日本にっぽん近代きんだい実現じつげんするため社会しゃかい制度せいど整備せいびいそがれたという背景はいけいによるものである[14]

明治めいじ10年代ねんだい以降いこう自由じゆう民権みんけん運動うんどう高揚こうようし、国家こっか根拠こんきょ理念りねんなおされるようになった。中江なかえ兆民ちょうみんルソーの『社会しゃかい契約けいやくろん』を訳解やっかいし、唯物ゆいぶつろんむすびついた実証じっしょうてき社会しゃかい変革へんかく論理ろんりによって自由じゆう民権みんけん運動うんどう影響えいきょうあたえた[15]井上いのうえ哲次郎てつじろう西洋せいよう哲学てつがく東洋とうよう哲学てつがく融合ゆうごうした普遍ふへんてき根源こんげんてき原理げんりもとづく哲学てつがく志向しこうした[15]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 岩田いわた (2003) p.150
  2. ^ 野田のだ (1984) p.64
  3. ^ 野田のだ (1984) p.65
  4. ^ 野田のだ (1984) p.68
  5. ^ 野田のだ (1984) p.69
  6. ^ a b 野田のだ (1984) p.70
  7. ^ 野田のだ (1984) p.72
  8. ^ 小坂こさか (2008) p.22
  9. ^ 小坂こさか (2008) p.19
  10. ^ 小坂こさか (2008) p.20
  11. ^ 小坂こさか (2008) p.24
  12. ^ a b 小坂こさか (2008) p.26
  13. ^ 小坂こさか (2008) p.25
  14. ^ a b 須藤すとうほか (2007) p.453
  15. ^ a b 須藤すとうほか (2007) p.454

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 岩田いわた靖夫やすお『ヨーロッパ思想しそう入門にゅうもん岩波書店いわなみしょてん岩波ジュニア新書いわなみじゅにあしんしょ)、2003ねんISBN 978-4005004416 
  • 野田のだまたおっと哲学てつがくみっつの伝統でんとう紀伊國屋きのくにや書店しょてん、1984ねん 
  • 小坂こさかこくままし西洋せいよう哲学てつがく東洋とうよう思想しそう講談社こうだんしゃ、2008ねんISBN 978-4062148511 
  • 須藤すとうさとしにんほか へん哲学てつがく歴史れきし だい9かん中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2007ねんISBN 978-4124035261 

関連かんれん項目こうもく

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