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快楽かいらく主義しゅぎ

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快楽かいらく主義しゅぎ(かいらくしゅぎ、えい: hedonism)は、感覚かんかくてき快楽かいらく幸福こうふくとらえ、これを産出さんしゅつする行為こういただしい・いとみなす倫理りんりがくうえ立場たちばであり幸福こうふく主義しゅぎ一種いっしゅである。

快楽かいらく主義しゅぎはその存在そんざい側面そくめん当為とうい側面そくめんからしゅけられる。

心理しんりてき快楽かいらく主義しゅぎ[編集へんしゅう]

人間にんげん自分じぶんこころよいとおもうように行為こういする、という人間にんげんかんである。(心理しんりてき利己りこ主義しゅぎ参照さんしょう

倫理りんりてき快楽かいらく主義しゅぎ[編集へんしゅう]

人間にんげん快楽かいらく産出さんしゅつする行為こういをなすべきである、という規範きはんである。

そのなすべき行為こういのために考慮こうりょする快楽かいらく自分じぶん自身じしんのものだけであるかという利己りこ主義しゅぎ当該とうがい行為こういかかわる人々ひとびとすべてのものであるかという功利こうり主義しゅぎ区別くべつされる。

エピクロス[編集へんしゅう]

エピクロスエピクロスもっと有名ゆうめい古代こだい快楽かいらく主義しゅぎしゃである。エピクロスは哲学てつがくてき思索しさくうちにこそ最高さいこう快楽かいらくふくまれるとかんがえ、身体しんたい健康けんこう精神せいしん平静へいせい奨励しょうれいした。倫理りんりてき利己りこ主義しゅぎ一種いっしゅ

功利こうり主義しゅぎ[編集へんしゅう]

快楽かいらく主義しゅぎ主張しゅちょう社会しゃかい原理げんりとして提唱ていしょうしたのがベンサム功利こうり主義しゅぎである。かれは、快楽かいらく強度きょうど持続じぞくせい確実かくじつせい遠近えんきんせいなどななつの尺度しゃくど計算けいさんできるとし、その総計そうけい社会しゃかい全体ぜんたいにおいて最大さいだいする(最大さいだい多数たすう最大さいだい幸福こうふく行為こうい善悪ぜんあく基準きじゅんとみなした。

J.S.ミルはベンサムの快楽かいらく主義しゅぎ修正しゅうせいし、快楽かいらくにもしつこう卑)があり単純たんじゅんには計算けいさんできないとするしつてき快楽かいらく主義しゅぎ主張しゅちょうした。

快楽かいらく主義しゅぎへの批判ひはん[編集へんしゅう]

快楽かいらく主義しゅぎのパラドクス[編集へんしゅう]

行為こうい結果けっかとして付随ふずいするはずの快楽かいらくそのものを目的もくてきとしてようと努力どりょくすればするほどかえって快楽かいらくるのはむずかしくなる、という逆説ぎゃくせつ

たとえば、スポーツでもっとこころよ瞬間しゅんかん脇目わきめもふらずそれにんでいるときであるが、快楽かいらくにしすぎていてはスポーツに熱中ねっちゅうできず、したがって快楽かいらく目指めざしていないときのほうがかえって多量たりょう快楽かいらくることが出来できる、というもの。

自然しぜん主義しゅぎてき誤謬ごびゅう[編集へんしゅう]

G.E.ムーアは、ぜん自然しぜんぶつによって定義ていぎする態度たいど自然しぜん主義しゅぎてき誤謬ごびゅう批判ひはんした。快楽かいらく主義しゅぎは「ぜんとはこころよである」とする倫理りんり学説がくせつであるので自然しぜん主義しゅぎてき誤謬ごびゅうにあたる。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]