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ローマ哲学てつがく

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哲学てつがく > 古代こだい哲学てつがく > ローマ哲学てつがく
キケロぜん1世紀せいき
「ローマ最大さいだい哲学てつがくしゃ」とひょうされる[1]アカデメイアストア折衷せっちゅうする立場たちばをとった。哲学てつがく用語ようごラテン語らてんごわけおお考案こうあんした[2]
マルクス・アウレリウス(2世紀せいき
自省じせいろく』をあらわした哲人てつじん皇帝こうていセネカエピクテトスなら代表だいひょうてきなストア哲学てつがくしゃ
アウグスティヌス(4-5世紀せいき
代表だいひょうてきキリスト教きりすときょう哲学てつがくもの。キケロやしんプラトン主義しゅぎ受容じゅようし、『アカデメイア論駁ろんばく』などをあらわした。
ヒュパティア(4-5世紀せいき
代表だいひょうてき女性じょせい哲学てつがくしゃしんプラトン主義しゅぎぞくした。

ローマ哲学てつがく (ローマてつがく、えい: Roman philosophy)[3] すなわち古代こだいローマにおける哲学てつがくは、ギリシア哲学てつがくヘレニズム哲学てつがく諸派しょは継承けいしょうまたは折衷せっちゅうするかたちでおこなわれた。

いかえれば、ローマ哲学てつがくはギリシアからの「輸入ゆにゅう学問がくもん」にぎず[4]、「ローマ自家製じかせい哲学てつがく」はきにひとしかった[2]。また内容ないようについても「独創どくそうせいいた折衷せっちゅう主義しゅぎ」などのてい評価ひょうかあたえられてきた[4]

しかし20世紀せいきすえから、ローマ哲学てつがく徐々じょじょさい評価ひょうかされている[4]たとえばキケロルクレティウスセネカセクストス・エンペイリコスプロティノスらの著作ちょさくは、ルネサンスさい発見はっけんされ、近世きんせい哲学てつがく発展はってんうながした。ディオゲネス・ラエルティオスギリシア哲学てつがくしゃ列伝れつでん』などの主要しゅよう学説がくせつや、最初さいしょプラトン全集ぜんしゅうアリストテレス全集ぜんしゅうキリスト教きりすときょう哲学てつがくまれたのも、ローマ哲学てつがくにおいてだった。哲学てつがく用語ようごラテン語らてんごへの翻訳ほんやくは、元来がんらいギリシアのローカルな学問がくもんぎなかった哲学てつがくが、世界せかいてき学問がくもんとなるひとつの契機けいきになった[4]

特徴とくちょう

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てい評価ひょうかさい評価ひょうか

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旧来きゅうらい哲学てつがくにおいて、ローマ哲学てつがくは「独創どくそうせいいた折衷せっちゅう主義しゅぎ」「実践じっせん偏重へんちょう理論りろん欠如けつじょ」「内面ないめんきこもることによるしん平静へいせい希求ききゅう[注釈ちゅうしゃく 1]」などのイメージによるてい評価ひょうかあたえられてきた[4]。これらはみな根拠こんきょがないわけではないが、実態じったいはより複雑ふくざつとされる[4]

ローマ哲学てつがくたいするてい評価ひょうかは、19世紀せいきドイツヘーゲル学派がくは哲学てつがく史家しかツェラーシュベーグラーにより醸成じょうせいされ、ニーチェハイデガーにもがれた[5]

一方いっぽう、ローマ哲学てつがくさい評価ひょうかれいとして、20世紀せいきすえオックスフォおっくすふぉド大学どだいがく出版しゅっぱんきょくから刊行かんこうされた論文ろんぶんしゅう Philosophia togata(『トガ哲学てつがく』、ミリアム・グリフィン英語えいごばんジョナサン・バーンズ編著へんちょ1989ねん1997ねん)がある[4]。また、ケンブリッジ大学けんぶりっじだいがく出版しゅっぱんきょく刊行かんこう叢書そうしょケンブリッジ・コンパニオン英語えいごばん』では、ヘレニズム哲学てつがくさい評価ひょうか旗手きしゅとしてられるA・A・ロング英語えいごばん[6]が、ローマ哲学てつがくしょう担当たんとうしている(2003ねん[7]。そのセクストス・エンペイリコス受容じゅようあつかったリチャード・ポプキン懐疑かいぎ 近世きんせい哲学てつがく源流げんりゅう』(1960ねん[8]や、ルクレティウス受容じゅようあつかったスティーヴン・グリーンブラットいちよんいちななねん、そのいちさつがすべてをえた英語えいごばん』(2011ねんピューリッツァーしょう全米ぜんべい図書としょしょう受賞じゅしょう[9][10]などがある。

学説がくせつ

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ローマ哲学てつがく文献ぶんけんおおくは学説がくせつ役割やくわりにな[11]たとえばヘレニズム初期しょきストア学説がくせつは、ローマディオゲネス・ラエルティオスセクストス・エンペイリコスガレノスプルタルコスらによる引用いんよう言及げんきゅうのおかげで、現代げんだいにまでつたわっている[12]キケロ著作ちょさく数々かずかずも、ストアアカデメイアエピクロスなどの資料しりょうになっている[13]アレクサンドリアのクレメンスストロマテイス[14]エウセビオス福音ふくいん準備じゅんび英語えいごばん』、ラクタンティウスかみてき教理きょうり英語えいごばん』など、キリスト教きりすときょう哲学てつがくもの著作ちょさく同様どうようである。

ラテン語らてんご

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使用しよう言語げんごギリシアラテン語らてんご併存へいそんしていた[4]たとえば、マルクス・アウレリウスプルタルコスはギリシアで、ルクレティウスキケロラテン語らてんご哲学てつがくしょあらわした。

しかし、主流しゅりゅうはあくまでギリシアでありラテン語らてんご傍流ぼうりゅうぎなかった[4]。ルクレティウスは、ラテン語らてんご哲学てつがく事物じぶつ本性ほんしょうについて英語えいごばん』のなかで、ラテン語らてんご哲学てつがく語彙ごいまずしさに言及げんきゅうしている[2][15]。キケロは、ラテン語らてんご哲学てつがく不向ふむきであるとする当時とうじ通説つうせつ反論はんろん[16]、「哲学てつがくラテン語らてんごおしえ、哲学てつがくローマ民権みんけんおくる」ことを理想りそうかかげた[17][18]

キケロはあたかも日本にっぽん西にしあまねのように、自作じさく造語ぞうご訳語やくごとすることもあった[19]。キケロの訳語やくごのいくつかは、後世こうせいラテン世界せかいしょ言語げんご継承けいしょうされた。れい: ギリシアの「ポイオテース」(ποιότης)→ キケロのラテン語らてんごやく「クアリタス」(qualitas)→ 英語えいごの「クオリティ」(quality[2][20][21]。なかでも、ギリシアの「ピラントローピアー」(φιλανθρωπία人間にんげんあい)や「パイデイアー英語えいごばん」(παιδεία教育きょういく)からキケロがつくした「フマニタス英語えいごばん」(humanitas)は、かれ思想しそうかく位置付いちづけられる[22]。これはテレンティウス格言かくげん「ホモー・スム」(Homo sum. Humani nil a me alienum puto. わたし人間にんげんだ。人間にんげんてきなもので、わたし無関係むかんけいなものなどないとおもう。)の影響えいきょうけたとおもわれ、後世こうせいの「ヒューマニズム」のもとになったとされる[23]

プラトンアリストテレスラテン語らてんごやくが、キケロ、アプレイウスマリウス・ウィクトリヌス英語えいごばんボエティウスらによりつくられたが[19]、その大半たいはん現存げんそんしない。わずかな現存げんそんれいとして、カルキディウスティマイオス注解ちゅうかい』やボエティウス命題めいだいろん注解ちゅうかい』がある。

文献ぶんけんがく

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ローマには、プラトンやアリストテレスの全集ぜんしゅう編纂へんさん校訂こうてい注解ちゅうかいなどのいとなみ、すなわち文献ぶんけんがく当時とうじ文法ぶんぽうがくぞくする[24])も発達はったつした[25]。その背景はいけいには、ヘレニズム以来いらいアレクサンドリアさかえたアレクサンドリア文献ぶんけんがく英語えいごばん存在そんざいもあった[26]

ぜん88ねんから東方とうほうでおこなわれたミトリダテス戦争せんそう戦利せんりひんとして、スラかえったアテナイ富豪ふごうアペリコン英語えいごばん蔵書ぞうしょには、アリストテレスの『形而上学けいじじょうがく』をはじめとする当時とうじ公開こうかい講義こうぎ草稿そうこうふくまれていた[13][注釈ちゅうしゃく 2]。これを文法ぶんぽう学者がくしゃテュラニオン英語えいごばん整理せいりしたのち、ペリパトスロドスのアンドロニコスが、最初さいしょアリストテレス全集ぜんしゅうとして編纂へんさんした[13]一方いっぽう1世紀せいき初頭しょとうティベリウスつかえた文法ぶんぽう学者がくしゃアレクサンドリアのトラシュロスは、最初さいしょプラトン全集ぜんしゅう編纂へんさんした[28]

3世紀せいき以降いこう古代こだい末期まっきには、アフロディシアスのアレクサンドロス上記じょうきのカルキディウスらにより、アリストテレス注解ちゅうかい英語えいごばんプラトン注解ちゅうかい英語えいごばん伝統でんとう確立かくりつされた[29][30]

歴史れきし

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ぜん2世紀せいき: 哲学てつがく伝来でんらい

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伝説でんせつでは、ぜん8世紀せいき王政おうせいローマだい2だいおうヌマが、ピタゴラスみなみイタリアクロトン拠点きょてんとした)のおしえをまなんだとされる[31][32][注釈ちゅうしゃく 3]。しかし年代ねんだいてき矛盾むじゅんするため(ピタゴラスはぜん6世紀せいき人物じんぶつ)、この伝説でんせつ古代こだいから疑問ぎもんされていた[32]

哲学てつがく明確めいかく伝来でんらいしたのは、共和きょうわせいローマ後期こうきヘレニズム後期こうきぜん155ねんアテナイから外交がいこう使節しせつとして3にん哲学てつがくしゃがローマに来訪らいほうしたときである[33][34][注釈ちゅうしゃく 4]。その3にんとは、アカデメイアカルネアデスペリパトスクリトラオス英語えいごばんストアバビロニアのディオゲネス英語えいごばんであり、3にんとも当代とうだいきっての哲学てつがくしゃだった[33]。とくにカルネアデス懐疑かいぎ主義しゅぎ立場たちばから、正義せいぎろん演説えんぜつした翌日よくじつはん正義せいぎろん演説えんぜつする、というパフォーマンスをしてローマじん衝撃しょうげきあたえた[35]。これをけただいカトーは、哲学てつがくがローマの若者わかもの堕落だらくさせるとして[36]哲学てつがくしゃ追放ついほうくわだてた[37][注釈ちゅうしゃく 5]。しかし結局けっきょく哲学てつがくはローマに浸透しんとうした[37]

哲学てつがく浸透しんとううながしたのは、ぜん150年代ねんだいからぜん130年代ねんだいころしょうスキピオ中心ちゅうしんとする知識ちしきじんサークル「スキピオ・サークル英語えいごばん」だった[37]。このサークルにはストアパナイティオスぞくした[37]

ぜん1世紀せいき: 共和きょうわせい末期まっき

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ぜん88ねんから東方とうほうでおこなわれたミトリダテス戦争せんそう戦火せんかけて、ストアポセイドニオス(パナイティオスの弟子でし)、アカデメイアラリッサのピロンエピクロスピロデモスらがローマにうつった[40][41]おなごろキケロとその友人ゆうじんしょうカトーアッティクスウァロらが[注釈ちゅうしゃく 6]、ローマや留学りゅうがくさきアテナイで、中期ちゅうきプラトン主義しゅぎものアンティオコス(ラリッサのピロンの弟子でし)、ストアディオドトス英語えいごばんペリパトスクラティッポス英語えいごばんらと交流こうりゅうした[36][43]。キケロの友人ゆうじんニギディウス・フィグルスしんピタゴラス主義しゅぎおこした[31]

キケロは「ローマ最大さいだい哲学てつがくしゃ」とひょうされる[1]。キケロは特定とくてい学派がくはぞくさず、穏健おんけん懐疑かいぎ主義しゅぎ、あるいはアカデメイアやストア取捨選択しゅしゃせんたくする折衷せっちゅう主義しゅぎ立場たちばをとったが[21][44]プラトンへのさんとエピクロスへの批判ひはん一貫いっかんしていた[44]。キケロは哲学てつがく修辞しゅうじがく政治せいじ実践じっせん統合とうごうさせることを目指めざしていた[1][45]。キケロの哲学てつがく著作ちょさくに『国家こっかについて』『ストアのパラドックス英語えいごばん』『アカデミカ英語えいごばん』『ホルテンシウス』『ぜんあく究極きゅうきょくについて英語えいごばん』『トゥスクルムそう対談たいだんしゅう英語えいごばん』『かみ々の本性ほんしょうについて英語えいごばん』『運命うんめいについて英語えいごばん』『老年ろうねんについて』『友情ゆうじょうについて英語えいごばん』『義務ぎむについて英語えいごばん』などがある。

共和きょうわせい末期まっきは、ローマにおけるエピクロス最盛さいせいでもあった[42]ルクレティウス[46]ピロデモス[46]アマフィニウス英語えいごばん[46]エピクロスのシロン英語えいごばんらがエピクロスきょうせつつたえ、キケロの友人ゆうじんアッティクス[42]や、「パピルスそう」の主人しゅじん推定すいていされるカエサル義父ぎふピソ[42]らに信奉しんぽうされた。

ぜん44ねんのカエサル暗殺あんさつ英語えいごばん首謀しゅぼうしゃたちのなかでも、ブルトゥスがストア信奉しんぽうしたのにたいし、カッシウスはエピクロス信奉しんぽうしていた[47]。カエサル自身じしんもおそらくエピクロスきょうせつつうじていた[42]

1-2世紀せいき: 帝政ていせい前期ぜんき

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1世紀せいきから2世紀せいきには、「ローマ哲学てつがく代名詞だいめいし[48]」ともえる3にんのストア哲学てつがくしゃセネカエピクテトスマルクス・アウレリウス活動かつどうした[48][49]

1世紀せいきには、ネロドミティアヌスせんせい反対はんたいした政治せいじトラセア・パエトゥス英語えいごばんヘルウィディウス・プリスクス英語えいごばんもストア信奉しんぽうした[50]。ネロはセネカを自殺じさついやり、ドミティアヌスはエピクテトスふく哲学てつがくしゃたちに追放ついほうれいはっしたことでもられる[51]

この時代じだいキュニコス再燃さいねんでもあり[52]ペレグリノス英語えいごばんデモナクス英語えいごばん活動かつどうした。またキュニコスとストアたがいに接近せっきんした時期じきでもあり[53]、セネカに称賛しょうさんされたキュニコスデメトリオス英語えいごばん[53]、エピクテトスのであるストアムソニウス・ルフス[54]だいソフィストディオン・クリュソストモス[53]にその傾向けいこうられる。

セネカ『倫理りんり書簡しょかんしゅう英語えいごばん』などに言及げんきゅうのあるクイントゥス・セクスティウス英語えいごばんソティオン英語えいごばんは、ストア倫理りんりがくしんピタゴラス菜食さいしょく主義しゅぎ折衷せっちゅうしたような「セクスティウス英語えいごばん」を形成けいせいした。この学派がくは唯一ゆいいつ「ローマ自家製じかせい学派がくは」とるが、活動かつどう期間きかんみじかく、注意ちゅういくような学派がくはでもない[36]

マルクス・アウレリウスは皇帝こうていとして哲学てつがく庇護ひごし、176ねんにはプラトン・ペリパトス・ストア・エピクロスの4学派がくは教授きょうじゅしょくをアテナイに設置せっちした[55]

その、『英雄えいゆうでん対比たいひ列伝れつでん』でもられる中期ちゅうきプラトン主義しゅぎものプルタルコス[48]、『食卓しょくたく賢人けんじんたち』のアテナイオス風刺ふうし作家さっかルキアノス[42]ラテン語らてんご著作ちょさくゲッリウス[36]ラテン語らてんご修辞しゅうじ学者がくしゃクインティリアヌスらも、哲学てつがく言及げんきゅうしている。

3-6世紀せいき: 古代こだい末期まっき中世ちゅうせい初期しょき

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3世紀せいき前期ぜんきセウェルスあさ皇后こうごうユリア・ドムナが、しんピタゴラス主義しゅぎもの伝記でんきテュアナのアポロニオスでん』を、だいソフィストピロストラトスかせた。ユリア・ドムナは、一説いっせつにはどう時代じだいディオゲネス・ラエルティオスギリシア哲学てつがくしゃ列伝れつでん』の献呈けんてい相手あいてとされる[56]

3世紀せいき中期ちゅうき軍人ぐんじん皇帝こうていガッリエヌス寵愛ちょうあいけたプロティノスが、しんプラトン主義しゅぎおこした。以降いこうのローマ哲学てつがくは、しんプラトン主義しゅぎ収斂しゅうれんしていく[57]ポルピュリオスの『はんキリスト教きりすときょうろん英語えいごばん』に顕著けんちょなように、しんプラトン主義しゅぎは「異教いきょう哲学てつがく」として古代こだい末期まっきキリスト教きりすときょう対立たいりつしたが、一方いっぽうではキリスト教きりすときょうまじわることもあった(しんプラトン主義しゅぎとキリストきょう)。しんプラトン主義しゅぎでは、プラトン・アリストテレス・ストア折衷せっちゅうされた。また、イアンブリコスの『エジプトじんについて』や『ピタゴラスでん』に顕著けんちょなように、オリエント思想しそう風土ふうどしんピタゴラス主義しゅぎ折衷せっちゅうされた[57]。イアンブリコスしんプラトン主義しゅぎには、背教はいきょうしゃユリアヌス[58]代表だいひょうてき女性じょせい哲学てつがくしゃヒュパティアぞくした(古代こだい女性じょせい哲学てつがくしゃ自体じたいほかにもいた)[59]

4世紀せいき、キリストきょう保護ほごしたコンスタンティヌス1せいテオドシウス1せいが「哲人てつじんおう」とばれる場合ばあいもあった[60]

529ねんユスティニアヌス1せいがアテナイの4学派がくは学園がくえんを「異教いきょう哲学てつがく」として閉鎖へいさした[61]。そのひとつアカデメイアの学頭がくとうだったしんプラトン主義しゅぎしゃダマスキオスとその弟子でしシンプリキオスらは、ホスロー1せい庇護ひごもとめてササンあさペルシアうつったが、やがてそこからも離散りさんした[62]

6世紀せいき前期ぜんきラテン語らてんごしんプラトン主義しゅぎつたえたボエティウスは、古来こらい最後さいごのローマじんにして最初さいしょスコラ哲学すこらてつがくもの」とばれる[63]

ローマ哲学てつがくのちは、中世ちゅうせい哲学てつがく、あるいはビザンツ哲学てつがくイスラム哲学てつがくつづく。

後世こうせい影響えいきょう

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キケロの著作ちょさくは、古代こだいから近代きんだいまでラテン世界せかい影響えいきょうあたつづけた[64]。とくに『義務ぎむについて英語えいごばん』は、倫理りんりがく古典こてんとしてのみならず、ラテン散文さんぶん模範もはんとしても受容じゅようされた[65]カント義務ぎむろん代表だいひょうする著作ちょさくひとつ『道徳どうとく形而上学けいじじょうがく原論げんろん』は、カントと『義務ぎむについて』との対話たいわによりまれた著作ちょさくともえる[66]

ラテン世界せかい中世ちゅうせい哲学てつがくでは、ギリシア文献ぶんけんよりも、古代こだい末期まっきラテン語らてんご文献ぶんけん受容じゅようされた。そのれいとして、カルキディウスティマイオス注解ちゅうかい』、マクロビウススキピオのゆめ注解ちゅうかい』、ボエティウス哲学てつがくなぐさ』、ポルピュリオスちょ・ボエティウスやくエイサゴーゲー』などがある。なかでも『エイサゴーゲー』は、普遍ふへん論争ろんそう発端ほったんとなった文献ぶんけんとされる[67]。そのにせディオニュシオス文書ぶんしょや、プロクロス由来ゆらいする『原因げんいんろん』が受容じゅようされた。

ルネサンスには、ギリシア文献ぶんけんラテン語らてんご文献ぶんけん双方そうほうおおさい発見はっけんされ、近世きんせい哲学てつがく発展はってんうながした。たとえば、ルクレティウスの『事物じぶつ本性ほんしょうについて英語えいごばん』は、ポッジョ・ブラッチョリーニによって発見はっけんされ、ガッサンディらに受容じゅようされた。セネカの『倫理りんり書簡しょかんしゅう英語えいごばん』や『いかりについて』は、モンテーニュリプシウス受容じゅようされた。セクストス・エンペイリコスの『ピュロン主義しゅぎ哲学てつがく概要がいよう』は、モンテーニュやデカルトヒューム受容じゅようされた[68]プロティノスエネアデス』やイアンブリコスエジプトじんについて』などのしんプラトン主義しゅぎ文献ぶんけんは、プラトン・アカデミーケンブリッジ・プラトン学派がくは受容じゅようされた。

分野ぶんやとのかかわり

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宗教しゅうきょう

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ユダヤきょう哲学てつがくでは、1世紀せいきアレクサンドリアのピロンが、アレクサンドリア文献ぶんけんがく英語えいごばん中期ちゅうきプラトン主義しゅぎにより、ヘブライ聖書せいしょ寓意ぐういてき解釈かいしゃくした[69]

キリスト教きりすときょう哲学てつがくでは、1世紀せいき使徒しとパウロが、アテナイのアレオパゴスでストアやエピクロス討論とうろんしたとされる(『使徒しと言行げんこうろく』17:16以下いか[70][71]など、哲学てつがく批判ひはんしつつも活用かつようする態度たいどをとった[72]ギリシア教父きょうふラテン教父きょうふもパウロと同様どうよう態度たいどをとり、教父きょうふ哲学てつがく構築こうちくした[72]

キケロ、セネカ、エピクテトスは、異教いきょう哲学てつがくしゃでありながら、キリスト教徒きりすときょうとにも好意こういてき受容じゅようされた。とくにセネカは、使徒しとパウロとの往復おうふく書簡しょかん偽作ぎさくされるほどだった[61]セネカとパウロの往復おうふく書簡しょかん英語えいごばん)。

代表だいひょうてきなラテン教父きょうふアウグスティヌスは、キケロ『ホルテンシウス』をんで哲学てつがくこころざし、晩年ばんねんの『アカデメイア論駁ろんばく』でそのキケロに反駁はんばくした[73]。またアウグスティヌスは、マリウス・ウィクトリヌス英語えいごばんラテン語らてんごやくしたしんプラトン主義しゅぎ書物しょもつんで回心かいしんへのいちした[19]

グノーシス主義しゅぎは、中期ちゅうきプラトン主義しゅぎ影響えいきょうのもとに形成けいせいされた[69]

ラテン文学ぶんがく

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ラテン文学ぶんがく元々もともと哲学てつがく伝来でんらいするまえぜん3世紀せいきからギリシア文学ぶんがく影響えいきょうけていた[34]ぜん168ねんまたはぜん159ねんには、哲学てつがくしゃ文法ぶんぽう学者がくしゃマロスのクラテスが、ローマで文学ぶんがく文法ぶんぽうがく講義こうぎした[74]

キケロ著作ちょさく後世こうせいラテン散文さんぶん模範もはんとされ、セネカ著作ちょさくはラテン文学ぶんがく白銀はくぎん典型てんけいとされた。セネカ『倫理りんり書簡しょかんしゅう英語えいごばん』は、ラテン文学ぶんがくにおいてさかえたジャンル「書簡しょかん文学ぶんがく」にも位置付いちづけられる[75]ルクレティウス事物じぶつ本性ほんしょうについて英語えいごばん』は、ラテン文学ぶんがくにおける最初さいしょの「教訓きょうくん叙事詩じょじし」にも位置付いちづけられ、ウェルギリウス農耕のうこう』にも影響えいきょうあたえた[76]

ウェルギリウスとホラティウスは、エピクロスやストアからの題材だいざいれている[36]ペルシウス英語えいごばんの『風刺ふうし』や、ルカヌス叙事詩じょじし内乱ないらんについて英語えいごばん』には、ストア影響えいきょうられる[36]

ローマほう

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ローマほうにおいて、共和きょうわせい後期こうき法学ほうがくは「ヘレニズム法学ほうがく」とばれ、正義まさよし概念がいねん演繹えんえき分類ぶんるい手法しゅほうなどでギリシア哲学てつがくから影響えいきょうけたとされる[77]たとえば、とりうらないかんのスカエウォラ神官しんかんのスカエウォラトゥベロ英語えいごばんらはストア影響えいきょうセルウィウス・スルピキウス・ルフスガイウス・アクィッリウス・ガッルスドイツばんらはアカデメイア影響えいきょうのもとに法学ほうがくあつかった[77]

キケロは『法律ほうりつについて英語えいごばん』で、ストア影響えいきょうけつつ、慣習かんしゅうほうてきじゅうひょうほう不文法ふぶんほうてき父祖ふそ遺風いふう英語えいごばんを、自然しぜんほう一致いっちさせることを目指めざした[78]

その分野ぶんや

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ローマ建築けんちく哲学てつがくかかわる。パピルスそうにはエピクロスの庭園ていえんwikidata、キケロのトゥスクルム英語えいごばんそうハドリアヌスヴィッラ・アドリアーナにはアカデメイアなどをした空間くうかんもうけられていた[79]ウィトルウィウス建築けんちくしょ』にも哲学てつがくへの言及げんきゅうがある[80]

ローマ医学いがく英語えいごばん哲学てつがくかかわる。アレクサンドリアからローマにうつった医師いしアスクレピアデス英語えいごばんは、エピクロス原子げんしろんまえた医学いがく展開てんかいした[81]ガレノス中期ちゅうきプラトン主義しゅぎ影響えいきょうけつつ、そのアスクレピアデスやストア批判ひはんした[81]ピュロン主義しゅぎものセクストス・エンペイリコスは、方法ほうほう主義しゅぎ学派がくは英語えいごばんたいする経験けいけん主義しゅぎ学派がくは英語えいごばん所属しょぞく医学いがくしゃでもあった。

ローマ天文学てんもんがく英語えいごばん哲学てつがくかかわる。マニリウス天文学てんもんがくアストロノミカ英語えいごばん』には、ストア影響えいきょうられる[76][36]プトレマイオスは、しんピタゴラスどう時代じだいじんでありながら、ピタゴラス批判ひはんてき継承けいしょうして自説じせつ構築こうちくした[82]

しんプラトン主義しゅぎしゃプロクロスは、エウクレイデス原論げんろん』の注釈ちゅうしゃくしょや、天文学てんもんがくしょ天文学てんもんがくてきしょ理論りろん概要がいよう』をあらわした[83]

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ストアの「アパテイア英語えいごばん」、エピクロスの「アタラクシア」、ピュロン主義しゅぎの「エポケー」などをす。
  2. ^ それまでアリストテレスの著作ちょさくは、『哲学てつがくのすすめ』などの「公開こうかいてき著作ちょさく」のほうまれていた。キケロのアリストテレス受容じゅようもそのような状況じょうきょうでおこなわれた[27]
  3. ^ キケロトゥスクルムそう対談たいだんしゅう英語えいごばんだい4かんでは、ほかにも様々さまざまなローマ文化ぶんかにピタゴラス影響えいきょう見出みいだしている[31]
  4. ^ この使節しせつ来訪らいほうについては、キケロプルタルコスポリュビオスなどおおくの資料しりょうがある[35]使節しせつ目的もくてきは、アテナイとオロポス英語えいごばん紛争ふんそうをめぐってローマがアテナイにした罰金ばっきんを、減免げんめんさせることにあった[35]
  5. ^ とうだいカトー自身じしんは、アテナイへの留学りゅうがく経験けいけんがあり[38]、ギリシア文化ぶんか全般ぜんぱん教養きょうようがあった[38]だいカトーがいましめていたのは、ローマ文化ぶんかててギリシア文化ぶんか盲従もうじゅうしてしまうことだった[39]
  6. ^ しょうカトーはストア信奉しんぽう[36]、アッティクスはエピクロス信奉しんぽう[42]、ウァロはアンティオコスを信奉しんぽうした[36]。またウァロの文法ぶんぽうがくしょラテン語らてんごについて』には、ストア音声おんせいろん影響えいきょうられる[36]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c 角田つのだ (2006), p. 3.
  2. ^ a b c d ロング (2009), p. 269f.
  3. ^ ロング (2009), あきらだい.
  4. ^ a b c d e f g h i 近藤こんどう (2020), p. 31f.
  5. ^ 角田つのだ (2014), p. 1-3.
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参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]