1世紀
![]() |
1 | |
| |
0 50 |
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/52/Jesus-Christ-from-Hagia-Sophia.jpg/200px-Jesus-Christ-from-Hagia-Sophia.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1b/Siemiradski_Fackeln.jpg/250px-Siemiradski_Fackeln.jpg)
1
なお、
できごと[編集 ]
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/62/Han_Guangwu_Di.jpg/200px-Han_Guangwu_Di.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bc/%E4%B8%9C%E6%B1%89%E6%91%87%E9%92%B1%E6%A0%91%E5%B1%80%E9%83%A82.jpg/260px-%E4%B8%9C%E6%B1%89%E6%91%87%E9%92%B1%E6%A0%91%E5%B1%80%E9%83%A82.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/af/King_of_Na_gold_seal.jpg/260px-King_of_Na_gold_seal.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/44/Hai_ba_trung_Dong_Ho_painting.jpg/260px-Hai_ba_trung_Dong_Ho_painting.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a3/Colosseum-2003-07-09.jpg/260px-Colosseum-2003-07-09.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e7/Villa_dei_Misteri_II_-_2.jpg/260px-Villa_dei_Misteri_II_-_2.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/be/Portland_Vase_BM_Gem4036_n4.jpg/200px-Portland_Vase_BM_Gem4036_n4.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3e/Orasul_antic_Tomis_-_Therme.jpg/250px-Orasul_antic_Tomis_-_Therme.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/Maske_Museum_Kalkriese_1.jpg/200px-Maske_Museum_Kalkriese_1.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/92/Boudica-statue-20040918-047.jpg/250px-Boudica-statue-20040918-047.jpg)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7d/Arch_of_Titus_Menorah.png/260px-Arch_of_Titus_Menorah.png)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ec/Baalbek002.jpg/260px-Baalbek002.jpg)
紀元 前後 倭 は百 余 国 に分 かれており、その一部 は前漢 の楽 浪 郡 に朝 献 をする(『漢書 』地理 志 )。南 インドのパーンディヤ朝 の都 マドゥライを中心 にタミル語 古典 文学 (サンガム文学 )が隆盛 し王朝 の記録 も頻出 する(サンガム時代 - 3世紀 )。- アフガニスタン
北部 のティリヤ・テペに黄金 の宝飾 をつけた遊牧 系 サカ・パルティア人 の墳墓 が作 られる。 - シベリアのエニセイ
川 中 ・上 流域 クラスノヤルスク地方 にタシュティク文化 が成立 ( - 4世紀 )。 - ポーランドの
バルト海 沿岸 のポメラニア東部 にヴィェルバルク文化 が成立 ( - 3世紀 )。 - イギリスのマンチェスター
近郊 のリンドウ・モス泥炭 地 に埋 もれていたケルト系 ブリトン人 のリンドウ・マンはこの時代 の人物 。
0年代 [編集 ]
- 6
年 前漢 の平 帝 が死去 、劉 嬰(孺子 嬰)が皇太子 になり、王 莽は摂 皇帝 と名乗 る。属 州 マケドニアから属 州 モエシアが分離 する。- カイサリア・マリティマを
首府 とする属 州 ユダヤが成立 する。
- 8
年 - 9
年 - トイトブルクの戦 いでローマがゲルマニア人 に敗 れる。
10年代 [編集 ]
- 10
年 -王 莽が「匈奴 」を「降 奴 」に改名 し、攻撃 を開始 。 - 14
年 - ローマでアウグストゥス帝 が死去 し、ティベリウス帝 が即位 。 - 15
年 - ローマがラエティアに遠征 し、属 州 ラエティアが設置 される。- この
時期 までにヘルウェティア人 の住 む地域 を占領 しヘルウェティアと名付 ける。
- この
- 17
年 - 18
年 -赤 眉 の乱 (- 27年 )
20年代 [編集 ]
- 20
年 頃 - パルティア人 ゴンドファルネスがインド・パルティア王国 を建 てる。 - 23
年 - 25
年 - 25
年 頃 - 「ポートランドの壺 」が作 られる。 - 27
年 - ティベリウス帝 がカプリに隠棲 する。 - 29
年 -後 漢 の光武 帝 が太 学 を洛陽 に設置 する。
30年代 [編集 ]
- 30
年 頃 - イエスがゴルゴダの丘 で刑死 。 - 31
年 - ティベリウス帝 の寵臣 セイヤヌスが処刑 される。 - 32
年 頃 -最初 のキリスト教 殉教者 ステパノが殺害 される。 - 34
年 頃 - サウロ(パウロ)がダマスクスへの途上 で回心 する。 - 35
年 -後 漢 の光武 帝 が「天地 之 性 人為 貴 」の詔 を下 す。 - 36
年 -後 漢 の光武 帝 が蜀 の公孫 述 を滅 ぼし中国 を統一 する。 - 37
年
40年代 [編集 ]
- 40
年 - 40
年 頃 - ノリクムが公式 にロ ーマ帝国 属 州 として併合 される。 - 40
年 - 70年 - エジプト在住 のギリシア語 著作 家 により『エリュトゥラー海 案内 記 』が書 かれる。- この
頃 までに季節風 「ヒッパロスの風 」を利用 したローマ・インド間 の交易 路 が整備 されていた。
- この
- 41
年 - ローマでカリグラ帝 が暗殺 され、クラウディウス帝 が即位 。 - 43
年 - ローマがブリタンニアに遠征 し、属 州 ブリタンニアが設置 される。 - 44
年 - クラウディウス帝 の勅 令 により、属 州 マウレタニアが設置 される。 - 46
年 - ローマがオドリュサイ
王国 を併合 し、属 州 トラキアが設置 される。 - クラウディウス
帝 によりオスティア港 (ポルトゥス・アウグスティ)が開港 する。旧港 オスティア・アンティカから見 てテヴェレ川 の対岸 に設置 された新港 を指 す。
- パウロの
第 1回 伝道 旅行 。
- ローマがオドリュサイ
- 48
年
50年代 [編集 ]
- 50
年 - コロニア・アグリピネンシス(現 ケルン)がローマ植民 市 に格上 げされる。 - 52
年 - 54
年 - ローマでクラウディウス帝 が死去 し、ネロ帝 が即位 。 - 57
年 -倭 の奴 国 王 が後 漢 に朝 献 して、倭 奴 国王 印 (金 印 紫綬 )を授 けられる(後 漢 ・建 武 中元 2、丁 巳 ;『後 漢書 』光武 帝 紀 、同 東夷 伝 )。 - 59
年 - ネロ帝 が母 の小 アグリッピナを殺害 する。
60年代 [編集 ]
- 60
年 - ブリタンニアのイケニ族 女王 ブーディカがロ ーマ帝国 に反乱 を起 こすも鎮圧 される。 - 60
年 頃 -ロ ーマ帝国 属 州 シリアのバールベックのユピテル神殿 が建 てられる。 - 62
年 -キリスト教 のエルサレム教会 の初代 主教 ヤコブが殉教 。 - 63
年 - ローマとパルティアの和平 、アルサケス家 のアルメニア王 ティリダテス1世 が承認 される。 - 64
年 - 65
年 - ピソの陰謀 事件 で、セネカが加担 したと疑 われネロ帝 に自殺 を命 じられる。 - 66
年 -後 漢 で現存 最古 の磨 崖 碑 「開通 褒斜道 刻 石 」が建立 される。 - 67
年 -伝承 では初 めて後 漢 に仏教 が伝 わり、洛陽 に白馬 寺 が建 てられる。 - 68
年 内戦 からローマで四 皇帝 が乱立 (四 皇帝 の年 )。- ガリア・ルグドゥネンシス
属 州 総督 ガイウス・ユリウス・ウィンデクスによる反乱 が勃発 。 - ヒスパニア・タラコネンシス
属 州 総督 のガルバ、ルシタニア属 州 総督 オトがこれに同調 。 - ローマ
郊外 の解放 奴隷 パオラの別荘 でネロ帝 が自殺 し、ユリウス=クラウディウス朝 が断絶 。 - この
内戦 を鎮圧 したウェスパシアヌス帝 が即位 しフラウィウス朝 が成立 。
- ガリア・ルグドゥネンシス
- 68
年 頃
70年代 [編集 ]
- 70
年 - ユダヤ戦争 でエルサレムが陥落 する。 - 71
年 -属 州 ブリタンニアのローマの軍事 拠点 エボラクム(属 州 ブリタンニア)(現 ヨーク)が建設 される。 - 72
年 - トマス派 の伝承 では使徒 トマスがインドのチェンナイ(マドラス)で殉教 したという。 - 73
年 - ローマ軍 が包囲 したマサダ要塞 が陥落 。 - 79
年
80年代 [編集 ]
- 80
年 - ローマのコロッセウムとティトゥス浴場 が完成 する。 - 80
年 頃 - フラウィウス・ヨセフスが『ユダヤ戦記 』を完成 させる。 - 81
年 - ティトゥス帝 が死去 し、弟 のドミティアヌス帝 が即位 。 - 83
年 - グラウピウス
山 の戦 いでローマ軍 がピクト人 (カレドニア人 )連合 軍 に勝利 する。 - ドミティアヌス
帝 の命 でライン川 からドナウ川 までの軍事 境界 線 (リーメス・ゲルマニクス)がシュヴァルツヴァルトに築 かれる。
- グラウピウス
- 85
年 頃 - 鮮卑が北 匈奴 を破 る。
90年代 [編集 ]
- 90
年 - クシャーナ
朝 の王 ヴィマ・タクトが後 漢 の班 超 を攻撃 するが撃退 される。以後 クシャーナ朝 は後 漢 に毎年 貢献 する。 属 州 ゲルマニアが再編 され、ゲルマニア・スペリオル(上 ゲルマニア・州都 はマインツ)とゲルマニア・インフェリオル(下 ゲルマニア・州都 はケルン)に分割 される。
- クシャーナ
- 90
年代 - ヤムニヤ会議 においてユダヤ教 のヘブライ語 聖書 (タナハ)が確定 される。 - 91
年 -後 漢 の竇憲の攻撃 により北 匈奴 が康 居 に西 走 、後 にこの子孫 が悦 般を形成 。 - 92
年 -後 漢 の和 帝 が外戚 で大将軍 の竇憲に自殺 を命 じる。歴史 家 班 固 もこの事件 に連座 して獄死 する。 - 94
年 -後 漢 の班 超 が西域 諸国 を制圧 。 - 95
年 頃 - 96
年 - ローマでドミティアヌス帝 が暗殺 され、ネルウァ帝 が即位 。五 賢 帝 時代 始 まる( - 180年 )。 - 97
年 -甘 英 が班 超 により大秦 国 (ロ ーマ帝国 )へ派遣 される。 - 98
年 - 1
世紀 末 -弥生 文化 が東北 地方 に波及 する。
伝説 ・架空 のできごと[編集 ]
- 26
年 - ローマ人 司令 官 メッサーラは属 州 ユダヤに派遣 され旧友 のベン・ハーと邂逅 するが、やがて二 人 は反目 し合 う。無実 の罪 を着 せられたベン・ハーは家族 から引 き離 され、メッサーラへの復讐 を誓 う(ルー・ウォーレスの小説 『ベン・ハー』及 びこれを基 にした映画 作品 )。 - 30
年 頃 -刑 吏に鞭打 たれつつゴルゴダの丘 に向 かい十字架 を担 いでいたイエスが休息 を求 めていたにもかかわらず、靴 屋 のアハシェロスはそれを手荒 くあしらい罵 ったため主 の呪 いを受 け、死 ぬこともできない身 の上 となって永遠 にさまよい続 けることになった(「さまよえるユダヤ人 」伝説 )。 - 54
年 - 68年 -享楽 と頽廃 のロ ーマ帝国 で皇帝 ネロの悪政 が続 いていく中 、キリスト教 の信仰 が徐々 に広 がりを見 せていた。スラブ系 のキリスト教徒 の娘 リギアと、ローマの軍人 マルクス・ウィニキウスの二人 の恋 もこの時代 の波 に翻弄 されていく(ヘンリク・シェンキェヴィチによる小説 『クォ・ヴァディス』)。
発明 [編集 ]
人物 [編集 ]
地中海 世界 [編集 ]
- オクタヴィアヌス(
前 63年 - 14年 ) -ロ ーマ帝国 初代 皇帝 (在位 前 27年 - 14年 )・プリンケプス(第 一 市民 )・アウグストゥス(尊厳 者 ) - ストラボン(
前 63年 頃 - 23年 頃 ) - ローマ時代 のギリシア語 著述 家 ・歴史 家 ・哲学 者 ・地理 学者 として『地理 誌 』を著 す - プブリウス・クインクティリウス・ウァルス(
前 46年 - 9年 ) -ロ ーマ帝国 の司令 官 ・トイトブルク森 の戦 いでゲルマン人 に敗北 し自決 - オウィディウス(
前 43年 - 17年 ) -ロ ーマ帝国 のラテン文学 黄金 期 の詩人 ・『変身 物語 』の著者 ・晩年 は黒海 周辺 に追放 される - ティベリウス(
前 42年 - 37年 ) - ローマ皇帝 (在位 14年 - 37年 )・オクタヴィアヌス皇后 リウィア・ドルシッラの連 れ子 ・帝政 を定着 させる - アレクサンドリアのフィロン(
前 30年 /前 20年 ? - 40年 /45年 ?) - ユダヤ人 哲学 者 ・ギリシア哲学 をユダヤ教 解釈 に援用 - アルミニウス(
前 16年 - 21年 ) - ゲルマン系 ケルスキ族 の族長 ・トイトブルク森 の戦 いでロ ーマ帝国 の軍隊 に勝利 - クラウディウス(
前 10年 - 54年 ) - ローマ皇帝 (在位 41年 - 54年 )・カリグラを継 いでブリタンニアを制圧 ・歴史 家 でもある - ボウディッカ(? - 60
年 /61年 ?) - ブリタンニアのケルト系 イケニ族 の女王 ・ロ ーマ帝国 の侵略 対 し大 反乱 を起 こす - セネカ(
前 1年 頃 - 65年 頃 ) -ロ ーマ帝国 のストア派 の哲学 者 ・ラテン文学 白銀 期 の文学 者 ・皇帝 ネロの師 として政務 に携 わる - ウェスパシアヌス(9
年 - 79年 ) - ローマ皇帝 (在位 69年 - 79年 )・フラウィウス朝 の祖 ・コロッセウムの建設 に着手 - カリグラ(12
年 - 41年 ) - ローマ皇帝 (在位 37年 - 41年 )・狂気 のためか暴君 となり元老 院 との関係 が悪化 して暗殺 される 小 アグリッピナ(15年 - 59年 ) -ロ ーマ帝国 の皇族 ・クラウディウス帝 の皇后 (後妻 )・皇帝 ネロの実母 だが対立 して暗殺 される- テュアナのアポロニオス(15
年 ? - 100年 ?) -ロ ーマ帝国 の哲学 者 、奇跡 行者 。ピロストラトス『アポロニオス伝 』に詳 しい - ペトロニウス(20
年 頃 - 66年 ) -ロ ーマ帝国 の政治 家 ・文筆 家 ・皇帝 ネロの側近 ・小説 『サテュリコン』の作者 と考 えられている 大 プリニウス(22年 /23年 - 79年 ) -ロ ーマ帝国 の政治 家 ・ポンペイ市 の災禍 に巻 き込 まれ死亡 ・博物 学者 として『博物 誌 』を書 く- クインティリアヌス(35
年 頃 - 100年 頃 ) -ロ ーマ帝国 の修辞 学者 ・『弁論 家 の教育 』の著者 ・小 プリニウスやユウェナリスの師 - ネルウァ(35
年 - 98年 ) - ローマ皇帝 (五 賢 帝 の1人 目 )(在位 96年 - 98年 )・もとは元老 院 議員 ・養子 トラヤヌスを後継 者 とする - ネロ(37
年 - 68年 ) - ローマ皇帝 (在位 54年 - 68年 )・師 セネカらの協力 で善政 を行 うが後 に暴君 化 ・キリスト教徒 を最初 に迫害 - フラウィウス・ヨセフス(37
年 - 100年 頃 ) -ロ ーマ帝国 の政治 家 ・著述 家 ・ユダヤ戦争 で戦 うが投降 ・『ユダヤ戦記 』を著 す - シモン・バル・ギオラ(? - 70
年 頃 ) - ユダヤ戦争 でのユダヤ人 側 の指導 者 の一人 で強硬 派 ・イェルサレム陥落 後 に処刑 される - エルアザル・ベン・ヤイル(? - 73
年 ) - イェルサレム陥落 後 のユダヤ人 側 の指導 者 の一人 ・マサダ要塞 に立 てこもるが玉砕 - ティトゥス(39
年 - 81年 ) - ローマ皇帝 (在位 79年 - 81年 )・ウェスパシアヌス帝 の子 ・その治世 でポンペイ市 が被災
- マルクス・アンナエウス・ルカヌス(39
年 - 65年 ) -ロ ーマ帝国 の詩人 ・大 セネカの孫 ・叙事詩 『ファルサロス』を書 く・ネロ帝 に自殺 を強 いられる - ペダニウス・ディオスコリデス(40
年 頃 - 90年 ) -属 州 アシアの医者 ・「薬理 学 と薬草 学 の父 」・『薬物 誌 』は後世 に大 きな影響 を残 す - ディオン・クリュソストモス(40
年 頃 - 115年 頃 ) - ギリシア人 弁論 家 ・歴史 家 ・『王政 論 』の他 に『トロイア陥落 せず』などがある - ドミティアヌス(51
年 - 96年 ) - ローマ皇帝 (在位 81年 - 96年 )・ティトゥス帝 の弟 ・元老 院 勢力 と対立 し暗殺 される 小 プリニウス(61年 - 112年 ) -ロ ーマ帝国 の文人 ・政治 家 ・大 プリニウスの甥 ・「書簡 」で79年 のヴェスヴィオ火山 の記録 を残 す- コルメラ(1
世紀 ) -属 州 ヒスパニア出身 の文筆 家 ・農耕 ・果樹 ・牧畜 ・養蜂 ・造園 などについて論 じた『農業 論 』で知 られる
キリスト教 関係 [編集 ]
- イエス(
前 4年 頃 - 30年 頃 ) -ロ ーマ帝国 属 州 ユダヤの宗教 家 。キリスト教 では神 (神 の子 )・救世主 ・預言 者 とされる。 - ポンティウス・ピラトゥス(
生 没年 不 詳 ) -ロ ーマ帝国 属 州 ユダヤ総督 (在任 26年 - 36年 )・イエスの処刑 に関与 した - ヤコブ(? - 62
年 ) - 「主 の兄弟 」とされる人物 。エルサレム教会 の初代 主教 。殉教 し七 十 門徒 の一人 とされる。 - ペテロ(? - 67
年 頃 ) -十 二 使徒 の一人 。初代 のローマ教皇 とされる。皇帝 ネロの迫害 により殉教 したか。 - パウロ(? - 67
年 頃 ) - イエス没 後 の使徒 。ローマ市 民権 を持 ち、各地 で異教徒 に宣教 する。皇帝 ネロの迫害 により殉教 したか。 - ヨハネ(6
年 ? - 100年 頃 ) -十 二 使徒 の一人 。『ヨハネによる福音 書 』あるいは『ヨハネの黙示録 』の著者 か。 - アンティオキアのイグナティオス(35
年 頃 - 110年 ) - アンティオキアの主教 。ヨハネの弟子 で使徒 教父 の一人 。 - クレメンス1
世 (? - 101年 ?) - ローマ教皇 (司教 、在位 91年 ? - 101年 ?)。ペテロの弟子 で使徒 教父 の一人 。 - シモン・マグス(
生 没年 不 詳 ) -聖書 の登場 人物 ・「魔術 師 シモン」と呼 ばれグノーシス主義 の先駆 とされる。
西 アジア[編集 ]
インド[編集 ]
- ゴンドファルネス(
生 没年 不 詳 ) - インド・パルティア王国 の初代 国王 (在位 20年 頃 ?)・サカ人 などを平定 ・使徒 トマスと関係 があったか。 - クジュラ・カドフィセス(
生 没年 不 詳 ) - クシャーナ朝 の初代 国王 (在位 前 25年 頃 - 60年 頃 )・大月 氏 の支配 から独立 する。 - ヴィマ・タクト(
生 没年 不 詳 ) - クシャーナ朝 の第 2代 国王 (在位 80年 頃 - 90年 頃 )・西域 の支配 をめぐり後 漢 の班 超 と争 う。
東 アジア[編集 ]
揚 雄 (前 53年 - 18年 ) -前漢 末 から新 の文人 。『太 玄 経 』『法 言 』『方言 』の著作 を残 し「甘 泉 賦 」などの詩文 でも有名 。呂 母 (? - 22年 頃 ) -前漢 末 から新 の女性 。冤罪 で県 役人 に殺 された息子 の仇 討 ちで呂 母 の乱 を起 こし、動乱 時代 の幕開 けとなる。劉 歆(? - 23年 ) -前漢 末 から新 の儒学 者 。『七 略 』などを編纂 。王 莽の王朝 簒奪 に協力 し、国師 となるが、やがて反目 する。王 莽(前 45年 - 23年 ) -新 の皇帝 (在位 8年 - 23年 )。前漢 を簒奪 して新 王朝 を立 てるが、更始 帝 の軍 に殺害 される。王 匡 (? - 25年 ) -新 末 後 漢 初 に蜂起 した緑林 軍 の創始 者 の一人 。更始 帝 を担 いで王 莽の新 王朝 を攻 め滅 ぼす。更始 帝 (? - 25年 ) -新 末 後 漢 初 の漢 王室 の皇族 。緑林 軍 の支持 で皇帝 となる(在位 23年 - 25年 )。- 樊崇(? - 27
年 ) -新 末 後 漢 初 に蜂起 した赤 眉 軍 の指導 者 。長安 の更始 帝政 権 を攻 め滅 ぼす(赤 眉 の乱 )。 劉 盆 子 (10年 - ?) -新 末 後 漢 初 の漢 王室 の皇族 。赤 眉 軍 の支持 で皇帝 となる(在位 25年 - 27年 )。光武 帝 に降伏 。- 隗囂(? - 33
年 ) -新 末 後 漢 初 の武将 ・政治 家 。王 莽から光武 帝 まで独自 の勢力 を保持 、後 漢 に背 き困窮 の中 で死 す。 馬 援(前 14年 - 49年 ) -新 末 後 漢 初 の武将 。隗囂に仕 えた後 に光武 帝 に臣従 し、統一 に協力 ・ベトナム制圧 でも功 があった。徴 姉妹 (徴 側 (? - 33年 )、徴 弐 (? - 33年 )) -後 漢 の支配 下 にあったベトナム(南越 )の反乱 指導 者 。馬 援に制圧 される。光武 帝 (前 6年 - 57年 ) -後 漢 の初代 皇帝 (在位 25年 - 57年 )。王 莽没後 の混乱 から漢 王朝 を復興 。長安 から洛陽 に遷都 。- 鄧禹(2
年 - 58年 ) -後 漢 の武将 。赤 眉 軍 と戦 った建国 の功臣 であり「雲 台 二 十 八 将 」の筆頭 に位置 づけられる。 費 長房 (生 没年 不明 ) -後 漢 の方 士 ・汝 南 の官吏 であったが仙術 を体得 したと伝 わる。「壺 中天 」の故事 で有名 。王 充 (27年 - ?) -後 漢 の文人 ・思想家 。儒教 に対 する厳 しい批判 者 。非合理 を排 し合理 的 な思考 を追求 した『論 衡』を著 す。明 帝 (28年 - 75年 ) -後 漢 の皇帝 (在位 57年 - 75年 )。王朝 の安定 を背景 に西域 に勢力 を拡大 。この時期 に仏教 が伝来 。- 蔡愔(
生 没年 不 詳 ) -後 漢 の使者 ・明 帝 により西域 に派遣 され大月 氏 国 の僧侶 迦葉摩 騰 と竺法蘭 を連 れ帰 る - 迦葉
摩 騰 (生 没年 不明 ) - インド(中 天竺 )出身 の仏教 の僧侶 。竺法蘭 とともに渡来 し、明 帝 時代 に洛陽 白馬 寺 を建立 したか。 - 竇憲(? - 92
年 ) -後 漢 の政治 家 ・軍人 ・外戚 。匈奴 の征伐 以後 は権力 をほしいままにするが、和 帝 により自殺 を命 じられる。 班 固 (32年 - 92年 ) -後 漢 の歴史 家 で『漢書 』を編纂 。文学 者 としては「両 都 賦 」を作 る。竇憲派 とみなされ獄死 。鄭 衆 (? - 114年 ) -後 漢 の宦官 (大長 秋 )・和 帝 と協力 して外戚 の竇憲を誅殺 し宦官 として最初 の侯 となる。班 超 (32年 - 102年 ) -後 漢 の軍人 。班 固 の弟 で班 昭 の兄 。西域 都 護 として西域 での後 漢 の勢力 を広 げた。甘 英 (生 没年 不 詳 ) -後 漢 の使者 。班 超 の命 で大秦 国 (ローマ)に派遣 されたが、途中 の條 支 国 (シリア)で断念 する。班 昭 (45年 ? - 117年 ?) -後 漢 の女性 作家 。兄 の班 固 が獄死 した後 に未 完成 だった『漢書 』を完成 させる。
関連 項目 [編集 ]
外部 リンク[編集 ]
ウィキメディア・コモンズには、1
世紀 に関 するカテゴリがあります。